まにあっく懐パチ・懐スロ

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(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

ドリームEX(奥村・デジパチ)

2011-12-02 00:13:03 | 現金機デジパチ

旧要件デジパチの名機「ドリームX」で名を馳せた奥村遊機(モナコ)が、1991年(平成3年)に送り出した異色のデジパチが、新要件機「ドリームEX」(ドリームエクセレント)である。

 

 

出玉2300発(16ラウンド)で、大当り確率は若干辛目の1/240。コレには、ある理由があった。


実は、この台には「モーニング」&「大当り後の確率変動機能」という、非常に太っ腹な2大サービスが付いていたのだ。


まずモーニング機能は、電源投入後メインデジタルを127回転させると、小デジタル確率がアップする(確変突入)というものだ。ちなみに、朝一出目は「7AA」であり、朝一台の判別に役立った。なお、この時代の「確変」というのは、専ら小デジタルの確率がアップした状態(現在の時短の原型)を指す事が多く、メインデジタルの確率は、一部機種を除いてアップする事はなかった。


導入からしばらくは、千円で30~40回以上の甘釘台も結構転がっており、127回転までは3~4000円の投資で届いた。また、当時はデータ表示器の付いていない店が多く、シマをキチンと観察していれば、どの台がもうすぐ確変に入るかも把握できたのだ。

 

確変突入後は、右打ちに切り替える。通常時、大当りもしていないのに右打ちする瞬間の、何とも言えないワクワク感が良かった。右肩のスルーチャッカー通過で、メインデジタル上の二桁ミニジタルが回転。ここにゾロ目が出れば、アタッカー上の電チューが開放して出玉が増える仕組みだ。


電チューはスタートチャッカーにもなっており、確変中はメインデジタルがガンガン回った。メインデジが40回転した時点で確変は終了。朝一から127+40=計167回もデジタルを回せば、その間に大当りが来ることも多かった。少ない投資で当りを取るには、朝一が絶好のチャンスだったのだ。


電チューの賞球はヘソ(7個戻し)より多い「15個戻し」で、確変中には玉が増加した。出玉的には、約1000発といった所だろうか。朝イチ客への嬉しいサービスであった。


小デジの確変機能は、朝一127回転後のみならず、大当り終了後も必ず発動した。つまり、「大当り」と「確変」が1セットだった訳だ。1回の大当りで、確変中の玉増えも加味すると約3300個の出玉が見込めた。大当り確率1/240で3300個…今考えると非常に甘かったと思う。


この「ドリームEX」が出た当時は、「実にオイシイ機種が出たものだ」と、朝イチから良く店に通った。馴染みの向ヶ丘遊園「銀座ホール」では、私を含めたモーニング狙いのファンが、EXの早回し勝負をしたものだ。確変中に当りが来なければ、即出玉を流すというやり方で、回りが良い台から攻めて行けば、2台・3台とハシゴする事も可能だった。まさに、スピード勝負である。

 

この銀座ホールの釘が締まった後は、少し足を伸ばして東京・中野駅のショッピングモール付近にあったパチ屋の「二楽」まで遠征した事もある。設置の非常に少ない状況で、ドリームEXを置く店は貴重だった。


しかし、これらの甘いスペックは当時の保通協の検査要件に反しており、当局の怒りを買った本機は、すぐに販売自粛の憂き目に遭う。その後、後継機として「ドリームZ」(7で当るか、大当り後の最初の回転でデジタルに7が出れば、小デジ確変に突入するタイプ)が登場したが、やはり初代「EX」程の甘さはなかった。

 

客からしてみれば、EXのような「楽しくて勝ちやすい台」を、なぜ外すのかという怒りもあった。しかし、何時の世もパチンコの中身は「お上の勝手な事情」で決められてしまうので、仕方がない。