まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

「パチンコ台蒐集家(コレクター)、ミスターKに密着」(1994年)

2011-12-10 05:28:36 | 懐かしのパチンコ・パチスロTV番組

1994年(平成6年)に某民放TV局で放映されたパチンコ特集番組の一コマ。

 

 

「パチンコ台蒐集家(コレクター)、ミスターKに密着」(1994年)

 

冒頭、東京は大森駅近くの「パブ・パンダ」という居酒屋が紹介される(この時、「金時」「ライオン」「アイサン」といった、大森界隈のパチ屋も映る)。このお店、実は、店内にパチンコ台やパチスロ台が置いてあり、しかも実際に打つこともできるという事で、マニアの間で非常に人気があった(今でいう「スロカフェ」の原型であろう)。

 

取材時も、狭い店内の一角にデジパチ「麻雀物語」(平和)&「ドリームGP」(奥村)、そしてパチスロ「コンチネンタル1」(瑞穂・3号機)が設置されており、店の常連たちがジョッキ片手に台と戯れていた。デジパチは、玉を直接打つタイプではなく、外付け改造されたチャッカーのスイッチを押すと、デジタルが回る仕組みになっていた。

 

客の反応について、店長のOさん曰く「(その日パチンコに)負けた人は、絶対やらないね。何万もやられると、悔しくて『あんなの、いじりたくもない!』っていう人もいますよ。勝った人は、奢ってくれますよ(笑)」

 

その「パンダ」に、一人の男性が入店する。しかも、中古のパチンコ台を抱えながら…。良く見ると、カエルのイラストが付いた山佐「ニューパルサー」の黒いTシャツを着ている。その男性、店内の麻雀物語を手慣れた様子で取り外すと、持って来たデジパチ「春夏秋冬」(西陣)を取り付けにかかる。台の「入替」を終えると、試し打ちで大当りさせてガッツポーズを決める。取材班は、謎に包まれた男の正体を掴むべく、彼に同行する。

 

タクシーで都内某所に帰宅した男性は、スタッフを自宅隣接の倉庫に案内する。ドアを開けると、中には大量のパチンコ台がギッシリと積まれていた。その数、実に150台。この男性の正体は、知る人ぞ知るパチンコ台コレクター「ミスターK氏であった。パチンコ好きだった父親の影響で台の蒐集を開始して、はや10年。軽い気持ちで始めたものの、今では、珍しい台があると聞けば、地方まで遠征する程だという。

 

「これが一番のお気に入り」と、大一の手打ち台「センターフラワー」(昭和44年)を打つK氏。スタッフの「主にどういった台を集めているのですか」との問いに、K氏は「その時代で人気の出た名機と呼ばれる台ですかね。それと、台自体はつまらなくても、その音楽が聞きたくて持っておこうかな、というのもあります。」

 

そういって、K氏は平和のハネモノ「サウンドステーション」のチャッカーにゲージ棒を突っ込み、TVキャメラの前で大当り動作を開始させる。台から流れてきたのは、ビートルズ往年の名曲「オブラディ・オブラダ」の電子音だ。「家に持ってきて初めて、『こんな音だったのか』と判る時もありますね」と語るK氏。

 

締めは、故・広川太一朗のナレーション…「彼の夢は、パチンコの博物館を作る事。ガンバレ!」

 

 


 

この番組に出演された「ミスターK」こと鍬形和紀氏は、オンエアから6年後の2000年に『パチンコ名機コレクション』というレトロ機種の紹介本を出されている。旧台コレクターなら、彼の名を知らない人はいないだろう。番組放映時、6畳ほどの倉庫には時代時代を彩った手打ち台、デジパチ、一発台、ハネモノなどの名機が山ほどストックされていたが、21世紀に入り、それらがカタログ本という形で日の目を見た事になる。

 

※大森「パブ・パンダ」の店長だったOさんは、既に鬼籍に入られており、お店も随分昔に閉店したとの事である。Oさんのご冥福をお祈り致します。

 



1 コメント

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たしか‥ (あぽろん)
2015-06-01 17:50:16
92年だったか‥やはりパチンコ台コレクターを追いかけたドキュメント番組で、西陣のすし五郎というハネモノを業者に買い付けに行っていた番組がありました。
東京で日曜の午後に放送してたような?
あれKさんじゃなかったような。
不鮮明な情報ですみません。
もうリストアップされていましたかね‥
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