テレビ東京系にて放映
「TVチャンピオン・全国パチンコ女王選手権」(1992年OA)データ
(概要)
同年5月に放映された一般参加企画「第1回・全国パチンコ王選手権」の好評を受け、女性限定の大会を開催。やはり一般参加型で、視聴者から出場者を募集。抽選で選ばれた70名が予選参加。優勝賞金は50万円。
(予選)
・開催日…1992年(平成4年)7月19日(日)
・会場…埼玉、浦和駅西口(さくら草通り)「ニューマイニチ」(閉店)
・参加人数…70名(女性限定)
・コーナー進行(ラウンドMC)…乱一世(タレント)
・ルール…各人に持ち玉1000発を支給。制限時間1時間の出玉勝負(機種はデジパチなら自由)。出玉が尽きた時点でリタイア。出玉上位5名が決勝進出。
・結果…大半が持ち玉消滅で途中リタイアするも、以下の5名が勝ち上がる。
1位…永井さん(会社員、28歳)、14361発
2位…西原さん(大学生、22歳)、12110発
3位…橋詰さん(予備校生、19歳)、9490発
4位…木村さん(主婦、43歳)、7949発
5位…新藤さん(主婦、29歳)、7809発
※1位の永井さんは、1時間の短期勝負にも拘らず、デジパチ「ブラボーキングダム」(平和)の数珠連チャンで、大量出玉を獲得。
※本来の出玉3位だった参加者が決勝参加を辞退した為、4~6位が繰り上がりに。新藤さんは、本来6位からのラッキーな「繰り上げ出場」を果たした。
※2位の西原さんは、某「秘密」系パチンコ攻略誌上の「読者対決」で、連続してチャンピオン(名人位)を防衛した実力者。なお、当時ガイド誌で人気だった某・女流漫画家と名前が似ていたが、全くの別人である。
(決勝)
・開催日…1992年8月1日(土)
・会場…予選と同様、浦和「ニューマイニチ」
・参加者…上記の決勝進出5名(永井、西原、橋詰、木村、新藤)
・ラウンドMC…乱一世
・ルール…決勝は3ラウンド制。1、2Rでは最下位1名が脱落。上位3名で最終Rを戦う。
・勝負展開(概要)
★ラウンド1(ハネモノ・釘読み勝負)
・使用台…店内設置のハネモノ3種
スリラー(奥村、新要件)、オロチョンパII(SANKYO、新要件)、チェッカー3(大一、新要件)
・ルール…機種毎に「甘釘台」を2台づつ用意(計6台)。シマを観察してその甘釘台を見抜く(回答は各機種につき1台)。正解の少ない1名が脱落。
・結果…永井 西原、橋詰、新藤の4名は、3台とも見事正解。木村は2機種正解も、スリラーで痛恨のミス。ハイレベルな戦いの結果、予選4位で最年長の主婦・木村が、玉を弾く事無く敗退。
奥村「スリラー」(1991年、新要件)…ヤクモノのフランケンの口に入れば、Vの大チャンス。また、回転するフランケンの両腕が、玉をリフトする動作も特徴があった。
SANKYO「オロチョンパII」(1992年、新要件)…SANKYO初のタイアップ機。河内音頭を歌う個性派タレント、河内家菊水丸とのコラボで話題に。ヤクモノは旧要件「うちのポチ」タイプ。よく喋り、よく歌うハネモノ。出玉の多い「SP」(7&15)もあったが、本機は賞球「5&10」で、出玉は控えめ。
大一「チェッカー3」(1991年、新要件)…新要件初期に出た、大一「F1」モノの1つ。他に、兄弟機「チェッカー1」(賞球7&15のノーマルタイプ)や、類似の役物を使った「フォーミュラー1」「フォーミュラー2」もある。本機は「チェッカー1」と異なり、「ミニデジタル」を採用。ヤクモノのハズレ穴入賞で、天下の7セグが始動。「3」「7」が出ると、V獲得の大チャンス。ヤクモノ奥で上下動を続けるF1が、下がったまま停止。車体前方の穴を通り易くなり、下段トンネル経由で手前Vに入る確率がアップ。賞球は「6&10」で、最高15ラウンド継続。
★ラウンド2(ハネモノ出玉勝負)
・使用台…店内設置のハネモノ「ニューモンロー」(西陣、新要件)
・ルール…持ち玉1000発の出玉勝負。制限時間は1時間。
・展開&結果…予備校生の橋詰は、序盤から安定して出玉を伸ばす。主婦の新藤は苦戦。全くVに寄らず、残り玉上皿僅かまで追いつめられる。だが、そこで起死回生のV。クセ悪でパンク連発も、しぶとく初当りが続き、出玉はジワジワ増える。理系女子大生の西原も後を追う。一方、予選一位の永井は大当りに恵まれず、持ち玉を使い果たして無念のリタイア。最終R進出者は、橋詰、西原、新藤の三名に決定。
西陣「ニューモンロー」(1991年、新要件)…西陣初の新要件ハネモノ。ヤクモノのモンローが服を脱ぐ様子が面白かったが、一部地域でNG扱いに。左肩のGOチャッカー入賞で、センター電チュー開放。電チュー入賞でハネが2回開く。1回目のハネ開閉で玉が拾われると、Vに入賞し易かった。故・田山幸憲プロが、池袋S店(山楽)地下で、一時期追った台でもある。大量出玉がウリだが、「クセ悪台のパンク」には要注意だった。電チュー用GOチャッカーの位置と、大当り中の展開が異なる兄弟機「P-2」も存在。
★ラウンド3(デジパチ出玉勝負)
・勝負台…店内設置のデジパチ「フィーバーレジェンドI」(SANKYO)
・ルール…持ち玉2000発の出玉対決。制限時間は1時間。
・展開&結果…新藤が、序盤の大当り2連続で先行。橋詰と西原はなかなか当らず。だが、この二人の立ち回りが対照的だった。橋詰は、狙い台に座ったまま動かず、「粘り」を決め込む。一方の西原は、台移動を繰り返す。すると、持ち玉が切れかかった頃に、橋詰が大当り。逆に、狙いが定まらない西原は、持ち玉を使い果たして競技終了。以後、新藤と橋詰の一騎打ちとなる。
終盤、橋詰が2回目の大当りを引き、立て続けに3回目も当てて、新藤を逆転。そのままタイムアップかと思われたが、ラスト3分となった所で、新藤も執念の大当りを引く。女同士の意地の張り合いは最後まで続き、勝負の行方はジェットカウンターでの計数に持ち込まれた。
計量の結果、僅か500発差で新藤が橋詰を振り切って、見事「パチンコ女王」の座に輝く。予選での「繰り上げ出場」に始まり、決勝でも粘りと強運で勝ち上がった「勝負強さ」が光った。「二児の母」という新藤。やはり「母は強し」。優勝賞金50万を何に使うかとの問いに「家族旅行」と答えて、最後は「優しいお母さん」ぶりを見せた。
SANKYO「フィーバーレジェンドI」(1992年、新要件デジパチ)…SANKYOお得意のドラム採用。保1連チャンが大きな特徴(連チャン率20%)。出玉をガッツリ稼げる、ウイング式アタッカーも印象に残る。兄弟機(II)や後継機(III、GP)もあったが、個人的に「レジェンド」といえば、本機(I)が一番の好みだった。
(本放送オンエア)
・1992年9月10日(木) 20:00~20:54(テレビ東京系列)
・スタジオMC・・・田中義剛、東ちづる、松本明子
・ナレーション・・・田中信夫、関口伸
※当時は、まだ優勝者がスタジオに来場するシステムではなかった。
★一部、記載内容を修正しました。