まにあっく懐パチ・懐スロ

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(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

フィーバーチャレンジ(三共、デジパチ)

2012-07-11 02:51:01 | 現金機デジパチ

1990年(平成2年)10月、国家公安委員会規則第6号が施行され、いわゆる「新基準機」(新要件機)と呼ばれる新しいパチンコ台が登場する事となった。

新規則では、デジパチの出玉上限が、従来の1300発から2400発に引き上げられ、継続ラウンド数も10Rから16Rに増えた。しかし、これまで黙認されていた「オマケチャッカー」が完全にアウトとなり、この改正は実質上「出玉の画一化」に過ぎなかった。

翌1991年春、新規則に沿った改正第一号機が続々とホールに登場。「フィーバーチャレンジI」は、最初の新基準機デジパチとして三共が送り込んだ、記念すべき機種である。

フィーバーチャレンジI(三共、1991年)

★賞球:7&15

★大当り確率:1/225

★意図的な連チャン性:なし

当時の三共は、FザウルスSP、FボルテックスII、FロボVなどのドットも人気があったが、やはりレクサスシリーズなど「ドラム」という印象が強い。同社の記念すべき新基準第1号がドットだったのは、個人的に意外だった。ただ、ドット好きの自分としては妙に愛着感があった。

新基準機では、メインアタッカーの他、独立した「電動役物」の搭載が認められていた。フィーバーチャレンジIには電動チューリップが付いており、オトシのGOチャッカー通過でサブデジタルが回転、「F」が出ると電チューが1.8秒開放する(電チュー確率1/5)。

「START」と書かれた7個戻しの電チューは、文字通りスタートチャッカーを兼ねており(チューリップの上はスルー式)、メインデジタルの回転数アップに貢献する…筈だった。

しかし、大半のホールでは、この電チュー機能を過度に恐れ、オトシGOチャッカーの釘をガッツリ締めてしまった。旧要件機に長年慣れ親しんだ店側が、新基準機の扱いに苦労していた事が判る。

 

一方、フィーバーチャレンジIIは、初代からやや遅れて登場した兄弟機である。当時、新宿西口の「ニューミヤコ」や、歌舞伎町の「日拓1」「オデヲン」などで良く打った。パチプロ日記でお馴染みの故・田山プロも、池袋「山楽」時代に、この台をメインで打った時期がある。

フィーバーチャレンジII(三共、1991年)

★賞球:7&15

★大当り確率1/232

★保留玉での連チャン性:アリ(連チャン率:約7%)

 

ゲーム性は初代と若干異なる。やはり電チューを搭載しているが、こちらはスタートチャッカーではなく、単に15個戻しのチューリップだ。オトシのGOチャッカー通過で、2桁サブデジが回転、奇数のゾロ目で電チューが5.9秒開放する。チャレンジIのような回転数アップではなく、出玉増加に大いに貢献する…筈だった。

チャレンジIと異なり、ヘソスタートチャッカーの下に、独立した「LUCKY」チューリップが付いている。15個戻しなので出玉性能は良いが、電チュー当選確率は1/70と低め。

チャレンジIIの場合、メインデジタルが「777」で当った場合、電チュー開放確率が10倍の1/7にアップする「確変機能」を搭載していた(確変時は、サブデジタル中央に「F」を表示)。

普通ならば、777の大当り後は、出玉を減らす事なく次の大当りを期待出来る。しかし、チャレンジIのケース同様、やはりホールが電チュー性能を過度に恐れ、GOチャッカーの釘をガチガチに締めてしまったのだ。777の確変大当り後、出玉をソックリ飲まれる事もあった程だ。

もちろん連チャンする時はするが、保留連率は7%程度と低い。入替から暫くすると、釘も一気に締められて行ったので、勝負になる期間は短かったと記憶する。ただ、ドット好きだった自分は、多少釘がシブくても、大当り見たさにこの台を暫く追っかけていた。

 

チープなドットに味のあるフィーバーチャレンジには、「三共」や「♪♪」など独特な絵柄もあった。個人的には「花」の絵柄がマッタリして好きだった。

揃うと何か心が落ち着く、チューリップっぽい絵柄。しかし、故・田山プロは、当時の日記の中でこの絵柄を「オレの一番嫌いな目」と表現している。肝心な所で、良くリーチを外す印象が強かったのだろうか…。