久々に命の電話に電話した。すぐつながってびっくり。癌患者にはカウンセラーもちょっぴり引き気味。今日は本当に調子が悪かった。5階のこのベランダからいつ飛び降りてもおかしくない状況。そしてそこであわてることないじゃん、神様はみんな死なせてくれるんだからさ。と思った自分が怖かった。早く死んでしまう病気と300年死ねない病気どっちをとりますか?と言われたらやっぱり300年死ねない病気はまずいんじゃないかと思ってしまうなぁ。そっちのほうが怖い。友達もみーんな死んでしまいひとり300年働いてどう生計をたてていくかを考えると気が遠くなる。それよりはいいかしら。ほんとこんなふざけた発想っていけないと思うけど。もし家族が病気だったら300年のほうをとると思うけど。相互作用だよなぁ。悲しいもん、人が死ぬのは。自分が死ぬより。まぁ死後の世界はどうなってるのか知らないけどさ。丹波先生のおっしゃるとおりだったらそれはまた別の話だけどさ。あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。いいやいいやもうどうでもいいや。今日と明日とあさってくらいをありがたく生きよう。
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無難禅師という人が、
「生きながら 死人となりてなり果てて
思いのままに為すわざぞよき」
と詠んでいます。人間の命は自分の命であって、自分の命ではない。神様の命を借りているのであるから、神様の働きをするほかに、本当の意味では生きる道はない。「わしが」「私が」「俺が」と威張ってみても、神様がいのちを引き上げてしまったら、手を動かそうにも動かないし、脚を動かそうにも動かない。
「わしが」「おれが」の我の考えを捨てて、生きながら死んだ人のようにグッタリと神様の力に任せて、神様の思いどおりにまかせて置いたら、これほど楽なことはない、と説法して歩いた。
桜の花は、誰にも教えてもらわなくても咲く時がくれば咲く。病気も治る時がくれば自然と治るものだ。大安心、大安心。G3