この絵を見てからでした。 丸山がまだダムも出来ていないころの絵なのです。
そこからこの絵に近い写真を見つけたかったのと50年という歳月で変わったこの地の事を
自分で調べたかったのです。
①国道176号線が出来た これしか国道はないのですもの。
1953年㋄18日 京都宮津から兵庫丹波地方を通り大阪府北区に至る国道
②丸山ダム 1969年から1975年に完成
③中国自動車道に四宮インター 1970年に完成
④北六甲台造成 1975年着工1978年から旧松下興産が開発を手掛ける
1763区画の売り出しにかかる。
これらの大きなことで山口村は大きく変わりました。
数えてみると50年前には山だらけの村だったのですものね。
そしてこれは工事が始まったころの写真でネットからお借りしました。
それにしても狭いところです。何軒かは湖に沈んだとか書かれていました。
右にある橋が金仙寺橋で左の上が阪神高速です。
この写真は丸山に登って初めて撮れるのです。
昔の写真を・・・やはりそんなに簡単にはありませんでした。
山口徳風会50年誌にもちょうどいいのがなく何度も図書館に通ってこの百年記念誌を
探し出しました。
小学校を建てる時の様子に丸山が写っていましたでも、かなり最近の写真でした。
丸山ダムの事がわかりその時の写真が見られたことで充分です。
ちょっと気晴らしに野菜の露店売り場で芋の蔓を買いました。
川を剥くのが大変なのは分かっていたのにです
たっぷりできました。ちょっと気分がよくなりました~
実は年数のところが書き終わったところでコウちゃんに電源を切られて
再生できませんでした。
裏六甲の山に囲まれて小さな山がぽこぽこしたのがありました。
今でもその跡が残されています。
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丸山(378m)と畑山(528m)の間に作られた西宮市の飲料水の為のダム湖で金仙寺湖です。
右奥に見える丸山ダムは特別でないと見られません
このような感じで何かと写真映えします
畑山(528m)です、此処は徳風会の持ち山で許可なく登れないそうです。
左側には老木の桜が植えられています。此処の桜がこの辺りでは一番遅咲きです。
この写真を撮っていたら・・・もう動けなくなりました。
この杭に1匹の蛇が長くなっていました。 写真はこれだけで帰ることにしました。
右側の橋が金仙寺橋です。次はこれを渡って船坂迄歩きます。
もう帰るだけです、この辺りの住宅は上山口で我が家が広がる北六甲台の後に
造成されました。 なんだか電柱がよく目立ちますね。
あ~あ、怖かったです。このまま新しい下りの道から家に帰ることにしました。
今頃は草むらも気を付けないとです・・・
今回の金仙寺道を歩くにあたり山口村のいくつかの大きな出来事を年数的に
調べてみます。 そしてあの絵に行きつきたいのです。
この道が確かな旧金仙寺道なのか確信はありませんが、左側は山を切り開いて
作らた住宅地です。この住宅地は私の住んでいるところとは違います
あら・・・おじさんが入り込んでしまいました。この頂上の信号のあたりには
この辺りでは有名な二木屋(にきや)さんがあります。
イタリアンのお店で日曜日なのかかなりの車が止まっていました。
何度か行きましたが、出来たら三田の本店の和食風の方が好きです。
変わった建物でしょう~ 奥の住宅地の真ん中あたりが我が家です。
このまま渡らずに道なりに歩きます。 この辺りが峠だったような気がします。
山ばかりのところなので旧の家の庭はあまり広くはなさそうです。
百日紅の花がまだ咲いています。
やはりこの辺りは昔からの家のような気がします。
後ろの山が丸山です、此処は標高は200mくらいあるかもです。
街路樹のコブシの実は凄い色をしていました。
むろん昔の道とは大きく変わっています。
三叉路を金仙寺の方に向かって少し歩くと今日の目的の場所に着きます。
そこから今日は歩いて家に帰りました。
道端の柿が少し色付いてきました。
どこへ着いたのか楽しみにしてくださいね。
そこでお茶を飲んでまた写真を撮りました。