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「プチット・マドレーヌ」は越えたので許してほしい

読んだ本の感想を主に書きますが、日記のようでもある。

「批評」についての思い出

2023年07月19日 | 日記
 「批評の衰退」?ということが議論されていた(あるい今もされている?)というツイートが流れて来ていた。どこ発信かはわかっていないのだが、最近はTwitterが不安定で、昨日も一時全くアクセスできずにいて、そもそも発信元の特定くらいなら少し前ならすぐにしたものの、そんな気も失せていたために、その「批評の衰退」論争?の発端は把握していない。僕自身は「批評」を読むのは好きで、高校の時、新潮文庫版の夏目漱石の小説を読んでいた時、その「解説」に惹かれたことがあったが、それが柄谷行人のものであった。その当時は柄谷のことを全く意識できておらず、当然名前も記憶していなかった。しかし、高校生ながら、しかも本を読むなど夏目漱石の小説が初めてくらいの僕にとっても、柄谷の「解説」は何らかの印象を与えていたのだろう。大学に入って、「批評」なるものがあることを知って、遡行的に柄谷を認識することになる。同じく高校時代は、夏目漱石の小説が好きになった関係で、隣町の〈都会〉に出て、今はなき老舗の書店に行き、江藤淳の『漱石とその時代』(新潮選書)を買って読んだ記憶がある。これも「批評」を読もうとしたのではなく、単に夏目漱石の「解説」だと思って読んでいた。そもそもその頃は、「文芸批評」なるものが存在することすら知らなかったのだ。江藤が、『行人』などを読解しながら、漱石とその嫂との関係を探っていくという手法が、スリリングであったわけだが、今思えばその大半は、ゴシップ的な興味で読んでいたのではないかと思う。江藤もまた、大学生になってから、遡行的に認識するようになった。確か、大学の時に『漱石とその時代』の第4部と第5部が出たのだと記憶する。というのも、一般教養で近代文学を教えに来ていた先生が、僕が漱石が好きだということを知っていたので、「4部が出ましたよ」とか、「5部が出ましたよ」と言って教えてくれたのだ。僕自身その時は、文芸批評を読んでいるという意識は全くなかったので、その先生にはお礼を言って買ったが、嫂の話題から離れ始めていたせいか、4部と5部は僕の中ではあまり面白くなかったと記憶している。「批評」との出会いは、遡行的に遡ればそれが最初だと思うが、記憶にないだけで、もっと前に批評家の文章を知らずに読んだことはあったのかもしれないが、それはもうわからない。

 「批評」を知りだしたのは、周りで「批評」を読んでいる友人がいたからだが、特に「批評」というのが何かはよくわからず読んでいた。そのため、恐らく読み始めた時は、いったい何が問題になっているのかがさっぱりわからなかったと思う。学生の頃はむしろ狭い範囲の読書しかしていなかった。学生の頃のめり込んだのは、のめりこむというのは全集を読むという意味だが、ソクラテス以前の哲学者と、プラトンとウィトゲンシュタインはまとめて読んで、そのほかはアンセルムスやアクィナス、クザーヌスなどの中世の神学を何冊か齧る程度だった。本を全く読んでこなかった僕からすると、それでもそれなりに世界は広がったような気はしていた。しかし、それらと「批評」は僕の中ではどうつなげていいのかわからなかった。そもそもつなげようとしてなかったし、何が「問題」なのかがわからなかった。

 「批評」とそれまでの読書が結びつき始めたのは、ロラン・バルトとジャック・デリダを読み始めたころからかもしれない。デリダの『グラマトロジー』というのが面白いらしい、とネットの書き込みで観たので、早速買って読むと、全くわからない。そもそも訳文である日本語がわからない。書き方も何が書いてあるのかがわからない。今の言葉でいえば〈そっ閉じ〉をして家の本棚に置いたわけだが、ネットの掲示板に「訳が分からない」と書き込むと、様々な人が助言をくれたのだ。その中で、もはやだれかわからない匿名の書き込みの助言者、その人には学恩があるといってもよいだろう、今思うとありがたい助言をくれたのだ。その人は親切にも、みすず書房から出ているロラン・バルトの著作を何冊か読んでみた後、もう一度デリダを読んでみてください、と書き込んでくれたのだ。僕はすぐに実行に移し、まずは『エクリチュールの零』(これはちくま学芸文庫だった)を読み始めた。もちろんバルトはバルトでよくわからなかったが、しかしデリダよりはわかるような気がしたので、そのまま読み進め、みすず書房で出ているものをだいたい読み終わって、『グラマトロジー』に戻ると、「見える、俺にも敵が見える」というようなガンダムの台詞のように覚醒したような気がした。まあこれは実際覚醒どころか錯覚であったわけで、恐らく、バルトのおかげで難解なものを読む耐性が付き我慢強くなっていたので、読めているように錯覚できて文字が追えたのだと思う。ただ、この耐性が付いたのは、そのどういう人かわからない匿名ネット掲示板での助言であった。その人とはTwitterで出会っているだろうか。

 さて、思い出話になってしまって何を書いていたのかわからなくなってきたが、デリダを読んでいくと、わからないなりに、どうやらデリダという人は、何らかの支配的な体制とやり合っているんだなということがわかってきた。それが現前の形而上学という、なにかこう実感とか充実とか、満足とか、そういう充溢したものの体制であり、人はその充実や充溢した体制に依拠して生きている。しかし実際はそういう満足や実感や充実、充溢の体制というのは、そもそもそれとは全く無縁な、もっと非人間的で不毛なものの運動の効果で生み出されたものでしかなかった、ということがデリダは言いたいらしい、ということくらいはわかり、その不毛であり、充実や充溢とは全くかけ離れて切断されているものの効果からしか、充溢的な体制は産出されてこない、というそのデリダの逆転した論法が、どうしようもなく身も蓋もないものでありながら、爽快な気分を与えてくれた。人はこの世の中の幸せや不幸や、楽しみや苦痛自体に振り回されるわけだが、実はそれら自体は全く非人間的で、人が意識的には近づけない何らかの運動によって生み出されている。この人間を突き放して、何もかもを身も蓋もない形で、人がご都合主義的に依拠している充実やら幸福やらをぶっ壊そうとする発想は、爽快なものだと思うようになった。この爽快さは、カントやヘーゲルにも特に感じるものであり、人間の主観や意識が、それとは全く何の関係もない非人間的な差異の動きで産出されているという弁証法は魅力だと感じたのである。

 なるほど「批評」というのはこの、人間的なものをぶっ壊していく試みなのか、というのが、デリダを読んでいくうちにわかってきた。そしてそれを意識していくと、確かに友人たちが読んでいる批評家達のテクストは、特にそれが偉大な批評家であればあるほど、非人間的なものを書いているし、僕らが通常依拠している世界や意識が、全くその世界や意識とは無縁であり、無機質で無味無責任無法無方向無目的の運動から産出されているということを見事に書いているなというのが、なんとなくわかってきた。「批評」というのは、世界や意識とは全くの無縁であり、非人間的と言う言葉では全く不十分な、無機質で無味無責任無法無方向無目的の運動を取り出して、それを真理として差し出すことなんだろう。切断それ自体であり、無それ自体を文字にすることだろうと。

 この文章も無方向的で着地点がなくなってきたので、そろそろこの辺で終わらなければならないのだが、この非人間的と言う言葉では全く不十分な、無機質で無味無責任無法無方向無目的の運動を真理として書きだすためには、何を考えなければならないのか、というと資本主義ということになる。

雑誌『査証』を買う(『杼』についての追記〈7月18日〉)

2023年07月16日 | 本と雑誌
 古本で『査証』(査証編集委員会)を購入した。1971年から73年までに全7号出ており、複数の古本屋を巡ったので、まだ届いていない巻もあるが、全号を手に入れた。『査証』には、『VISA』というタイトルも併記されている。届いた分をまだざっとしか見ていないが、「赤軍」に関わる記事が多い。2号には足立正生と竹中労の対談もあり、これから読んでみようと思う。また、高橋和巳の「文学の苦しみと喜び」という文章もあり、これは1965年の講演の速記記録のようだ。未刊だったものを、高橋を追悼して掲載したということである。これ等を見てもわかるように、この『査証』を買った理由は、文学や映画演劇と革命に関わる文が多く目に留まったので、芸術と革命という実践が、どういう理屈で1960年代~70年代は結びついていたのかを、少し眺めてみたいと思ったからである。松田政男や吉本隆明、重信房子らも書いている。今もざっと見ているが、芸術や文学が革命と結びついていた稀有な瞬間だったんだろうな、と思う。

 雑誌といえば、批評界では有名であろう『杼』(エディションR、国文社)があるが、これも全巻持っている。ある時期までは『杼』は古本でよく見たので、全6巻が学生が手に入る値段でも買えたのだ。これにはおまけの話があって、なぜか二揃え集めることができた。散逸してはいけないということで、ばらばらになっていた巻を見つけては買っておいたのだ。この余分な一揃えは、出身の大学図書館にこともあろうか全く所蔵されていなかったので、寄贈した。『杼』を直接手に取って読める後輩は、僕に感謝してほしい。それはさておき、この『杼』であるが、その執筆陣や批評的な内容から、短絡的かもしれないが、僕はこれは日本版の『Tel Quel』なのではないか、と思っていた。幸運にも同人であった二人の方にお会いできたので、「『杼』は『Tel Quel』を意識したりしたんですか?」と聞いてみたが、どちらの方も「それは意識しなかった」というお応えであった。そうか、とも思ったが、いやでも〈無意識〉ではつながっていたはずだろうという、勝手な思い込みを今でも抱いている。阿部静子『「テル・ケル」は何をしたか: アヴァンギャルドの架け橋』(慶應義塾大学出版会)をかつて読んだとき、少し記憶が曖昧なのでこれはまた確認しないといけないが(訂正の可能性があるが)、『Tel Quel』は当初、織物や織機に関わる器具か何かの名前にするはずだったというのが指摘されていたと思う。それも読んでいたので、「杼」という名前にしたのは、そういう事情とかかわりがあるのではないか、など思っていた。これはもう一度、阿部の本で確認してみないといけないと思う。

 ※ここからは追記であるが、上記の阿部の『「テル・ケル」は何をしたか』を確認してみると、「7 創刊前夜」p.50に「雑誌のタイトルは当初は「Trame(横糸・網状組織。陰謀の意味もある)」が考えられ、のちに「テル・ケル」に落ち着いた。」とあるように、これが念頭にあったため、『杼』と重なり合ったのだ(杼はまさしく緯糸(横糸)を通すものだろう)。ともに「テクスト」にかかわる雑誌名として、しかもヌーボー・ロマンから精神分析やエクリチュールの問題など、掲載内容も重なるところは多いのではあるまいか。また阿部が、『杼』の同人であり、雑誌の発行人でもある江中直紀を注記で触れていたことも、少し気になったところではあった。そういう意味で短絡かもしれないが、僕は『杼』=『Tel Quel』説を唱えたい。

柄谷行人『力と交換様式』と観念的上部構造について

2023年07月13日 | 本と雑誌
 柄谷の新著『「力」と交換様式』(岩波書店)は、一か月ほど前に友人たちと一緒に読んだ。友人が読書会のレジュメを作ったのだが、そのレジュメの「おまけ」に作ってくれた、柄谷のいくつかのテクストをデータとして読み込ませた「柄谷GPT」と、友人とのヴァーチャル座談会は、ある部分本当に柄谷が「交換様式D」について語っているようであり、ぞっとする所があった。それはさておき、僕自身が『力と交換様式』に注目したのは、「交換様式D」というよりは、その「序論」において「上部構造の観念的な「力」」を論じているからであった。柄谷はここでマックス・ヴェーバーを引きながら、「観念的上部構造は、たんに経済的ベースによって受動的に規定されるだけでなく、むしろ能動的に後者を変える「力」をもつとみた」という形で、観念的上部構造に経済的下部構造における「交換」を組織するような、「力」を見ているわけである。僕はここに特に興味がわいた。

 というのも、柄谷は「交換」に注目すればこそ、マルクスの『資本論』における価値形態論、「商品の物神崇拝的性格とその秘密」に注目するのであるが、わかりやすい例でいえば、アルフレート・ゾーン=レーテルや『マルクスの亡霊たち』のジャック・デリダ、ゾーン=レーテルを参照しているスラヴォイ・ジジェクらも、この価値形態論が観念的上部構造として、「交換」を可能にしている「力」を有していることを柄谷に先んじて論じているからでもある。ゾーン=レーテルは新カント派の観念論をマルクス経済学に合体させているわけであるが、19世紀後半から20世紀にかけては、マルクスの経済学の法則に対抗するために現象学や社会学、あるいは新カント派らのドイツ観念論哲学は、その観念的上部構造の「力」を、マルクスの経済的下部構造の「力」にぶつけて対抗していたわけだから、柄谷が「交換」を価値形態論から論じようとしているのは、まさしくマルクスと観念論の歴史的闘いを再現していることになる。日本でも三木清らは現象学や存在論を使いながら「構想力」を論じたわけだが、あの「構想力」はまさしく「交換」の「力」そのものだろう(悟性と感性の「交換」の図式なのだから)。三木も現象学的、存在論的「構想力」で、マルクスの価値形態論に対抗していたと、ひとまずいえると思う。

 柄谷は観念的上部構造の「自律性」を「力」として考えなければならない、と言っているが、その通りで、僕も感性ー悟性ー構想力の連関を為す、超越論的主観性の構造の問題は、マルクスの価値形態論を論じる時に必ず考えなければならない問題だと考える。デリダやジジェクもそう考えていたはずだと思う。特に『マルクスの亡霊たち』はそれに取り組もうとしている。ただ、突き詰めていくわけではないようにも思う。ジジェクはカントとマルクスをやはり主観性の問題とし、この主観の構造を無意識のシニフィアンの構造と置き換えているので、これも面白い。主観性というシニフィアンの構造が、「商品」というフェティシズムの源泉となっているというのは、まさしく主観性に経済的な「力」が宿っていることを主張していることになるだろう。この問題は19世紀後半から20世紀半ばまでは真剣に考えられており、これが廣松渉などにどうやって受け継がれたかは、僕は知らないので、廣松に詳しい人は教えてほしい。こういう具合に柄谷は「交換」に注目することで、観念的上部構造の「自律性」を重要視しているということが、上記文脈を想起させて、柄谷は歴史的かつ世界的な問題をきちんと考えているのだな、と思って読んだわけである。「交換」が主観の構造からなぜ外化されるのかは、弁証法的な問題なのかどうかも含め、考えなければならない問題だろう。

 しかし、僕はかつて柄谷の『トランスクリティーク』を読んだとき、上のこととは全く逆向きに面白いと思って評価していた。というのも、『トランスクリティーク』の柄谷は「交換」ではなく「使用価値」の中に、何らかの可能性、革命の可能性を見ていたように思ったからだ。当時僕は『トランスクリティーク』と『マルクスの亡霊たち』を読み比べていたのだが、前者は「使用価値」に、後者は「交換」の問題を中心に考えていたように思った。もちろんデリダは観念的上部構造の「自律性」というよりも、その主観性を「エクリチュール」の構造と読み換えており、「エクリチュール」の「自律性」を「交換」の「力」として読み換えていたのだと思う。それに対して、柄谷の『トランスクリティーク』は、「使用価値」の「自律性」に、世界を変える「力」を見ていたと思う。さらに、その二冊と同時に、アントニオ・ネグリの『マルクスを超えるマルクス』も比較して読んでいたのだが、柄谷はネグリのマルクス論に近く感じた。それに対して、デリダの「交換」のマルクス論が対置されて、僕の中では理解されていた。

 当時の僕は、前者の柄谷とネグリの「使用価値」のマルクス論の方に、デリダの「交換」のマルクス論を越えるような唯物性を感じており、柄谷とネグリの方が、きちんとマルクスの唯物弁証法と取っ組み合っているなという印象を抱いていた。この時期、この三冊のおかげで『資本論』を理解する上での、素人なりの道筋を教えてもらった。ただ、ただし、現象学や観念論、存在論を読むうちに僕は、観念的上部構造の「自律性」もある意味唯物的な「力」だよな、と思う所もあって、デリダの『マルクスの亡霊たち』の議論の重要性が、時間がたつにつれて僕の中では大きくなっていき、観念的上部構造としての超越論的主観性が、なぜ資本主義を可能にするような「力」を持っているのか、という問題を考えたいと思うようになった。だから、ネグリなどだけではなく、観念的上部構造の「自律性」を解明しようとしている思想家・哲学者の本を中心に読むようになった。シェリングとか面白い。

 そして久しぶりに柄谷の本を読んだら、「交換」を可能にしている、観念的上部構造の「力」や「自律性」に注目していることがわかり、僕の中で『トランスクリティーク』以来抱いていた思いがつながるような気持がしたのだ。柄谷は『トランスクリティーク』的な「使用価値」の「自律性」から、「交換様式」としての観念的上部構造の「自律性」に至ったのだな、と。

 僕自身この観念的上部構造の「自律性」や「力」とは何なのかはよくわかっていない。ただ、デリダがそれを「エクリチュール」の問題として考えたことは、面白いと思っているし、参考にし続けたいとは思っている。

「シン」について

2023年07月11日 | 日記
 庵野秀明の『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』を見た時は、所謂『旧劇場版』と比較して納得いくものではなかった。田舎での〈田植え〉や〈コミューン〉のような場所での人々の生き残りなど、なにかを回復・保存しようとする庵野の欲望が見えるような気がした。むしろ疎外とその回復の失敗のような中途半端さこそが、テレビ版以来のエヴァの意味であって、あのような形で何らかの全体性を回復することには、なんの意味も見出せなかった。また、碇シンジというか庵野のトラウマであったであろう綾波レイや惣流・アスカ・ラングレーという「女」が、庵野の故郷といわれる宇部新川駅に集められ、文字通り彼女たちはシンジとは別の〈プラットホーム〉に移し替えられて、シンジの人生という〈プラットホーム〉とは違った、並行世界というにも少し短絡されすぎた別の世界線を進ませようとする演出も、「おいおい、それでいいのかよ」と言わざるを得なかった。宇部新川という庵野の〈故郷〉への回帰と、トラウマとの決別。そして、そこには〈母〉の代わりというか、〈妻〉の代わりともいうべき、真希波・マリ・イラストリアスが恋人として待っており、最後の場面ではシンジの声も〈声変わり〉し(「男」に成長したということだろう)、声優が緒方恵美から神木隆之介に突如変更されており、映画館で唖然とした記憶がある。シンジの性別の未決定性のような問題こそ、残しておくべきだろう、などと思っていた。やはり人は〈故郷〉を目指してしまうのだろうか。

 これを書き始めたのは特にエヴァを回顧したいわけでも、いまだパチンコで人気を誇っているエヴァについて書きたいわけでもない。上記感想を考え、それについて友人たちと話をしていると、友人の一人が、庵野は『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』で〈国民作家〉となろうとしたが、それは失敗しただろうな、という趣旨のことを言った。その友人は、ほぼ同じ時期に公開されていた 村瀬修功が監督をした『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』の方が断然良い、という話をしており、これまた同時期の新海誠『すずめの戸締り』の方が、〈国民作家〉の道を進むにふさわしい作品だろうという意見を示していた。僕自身も『シン・エヴァ』の安易な疎外からの回復物語はダメだと思っていたので、友人の話を聞いて、なるほどそうだろうな、という納得のもとに聞いていたのだが、その時、「庵野は新海のような国民作家を目指したが、駄目だったんじゃないか」というような話になり、そのときもう一人の友人が、「シン・エヴァのシンは新海の新なんじゃないですか?」と発言した。僕は、うまいことを言うなあ、と膝を叩いてしまった。「シン・エヴァ」の「シン」は、庵野が新海のような〈国民作家〉になりたいという欲望の表れではないのか。しかし、友人たちの評価からもわかるように、庵野は〈シン海〉にはなれなかった。そういう意味では、その突き抜けられなさは、まだ庵野の良さなのだろうか。

 話はさらに飛ぶのだが、この話が頭に残っていて、先日何とはなしに島崎藤村の小説『破戒』を眺めていると、「新平民」という言葉が目に入った。そういえば「新平民」の「新」も「シン」だよなあ、と考えていると、この差別のスティグマである「新平民」の「シン」について、庵野はエヴァのタイトルをつける時、一瞬でもこの言葉に意識を向けたことはあったのだろうか、としばし考えた。まさしく、自然主義のその発端において、藤村は「シン」を差別の刻印としてテクストに刻み込んだのだ。この〈戸籍〉に刻印された「シン」というスティグマは、同時代における差別を持続するための欲望そのもののエクリチュールでもあったといえるだろう。すなわち、「シン」=「新」は〈異化〉の効果を狙っているわけではあるが、それはとりもなおさず、被差別部落民を〈異化〉させフェティッシュ化する問題とも関わっていたのである。では、「シン・エヴァ」にあやかって、「シン・仮面ライダー」など、「シン・~」というタイトルが一時期巷をにぎわせたことがあったが(いまでも?)、この「シン」という言葉は、その歴史的な重みを、また差別の歴史とも関わりうるエクリチュールの可能性を踏まえて使用されているのだろうか、という疑問がわく。庵野の後続である「シン・~」というタイトルの〈派生物〉たちは、それを考慮しているのかどうか、『破戒』を眺めながら考えていた。勿論それは〈シン=真〉であったとしても、というかだからこそ「真理」の歴史性の問題がそこにはある、と言わなければならないだろう。

足立正生監督『REVOLUTION+1』を見る

2023年07月08日 | アート・文化
 Twitterが不安定、かつ気まぐれな経営者によるショック・ドクトリンの横行で、最近少し嫌気がさしていたところ、一時的ではあるもののログの閲覧制限がかかったので(実際はスパムアカウントと認定されてしまい制限もかけられてしまった)、これを機に別のメディアへと発信の軸足を移そうということになった。Twitterを友人に勧められて始める前は、Blogを数年書いており、そこでは翻訳されていなかった哲学書の試訳や、その時読んでいた哲学書の要約を書くなど、かなりの記事を書いていたのだが、Blog文化の後退と、SNSとしてのTwitterの興隆という状況の中で、徐々にTwitter一本での発信となった。ただ、Twitterも13年やっていると、僕自身を取り巻く社会状況や下部構造も大分変化してしまい、なかなか「東日本大震災」前後のような、気ままなツイートも難しくなってきたので、文章量が多く書けるBlogに戻ることとなった。goo blogを選んだ理由は、昔書いていたOCNブログがサービスを廃止してしまい、そのサービスをgoo blogが引き継いでくれたおかげで、アカウントがそのまま残っていた、ということによる。これからは、Twitterに書けなかった長めの記事も書いていくつもりである。

 さて、ブログのタイトルだが、以前書いていたものは心機一転して、タイトルもすべて変えてしまおうと思う。タイトルの由来は、最近読み始めた、マルセル・プルースト『失われた時を求めて』(井上究一郎訳、ちくま文庫)であるが、第一巻目を5回ほど挫折しており、一巻目だけがカバーも破れてなくなってしまい、ボロボロになっていることに由来している。即ち「プチット・マドレーヌ」のところまで読んでいるのに免じて、許してほしいということなのだ。友人に言うと、「マドレーヌ」って大分前じゃないか?と言っていたが、そう、大分始めなのである。しかし、許してほしいと思う。今回は全巻読破のつもりで読み始めている。

 今日は、渋谷LOFT9に足立正生監督作品『REVOLUTION+1』を見に行った。しばらく前にネットで告知されており、前売り券を買っておいた。本作のパイロット版は、昨年既に公開されていたが、観に行くきっかけを失っており、今回が初めての視聴となる。会場では数年ぶりの友人にも出会い、ともに初見であることを確認した。本作はバージョン的には三つ目の作品であり、全てを見ている人によれば、三つのバージョンはそれぞれどこかしら作風が違うようである。内容は、勿論既に「完成」からは一年がたっているとはいえ、まとまりのある映画の内容であった。映画をあまり観ない僕からすると、当初パイロット版の視聴者の声は、まだ作品としては「完成」されていないので、観に行く人は今後徐々に完成する作品のつもりで観たほうがよい、というもので、その時の印象が強く、どこかしら未完成の部分があるのかと思って観たが、そうではなかった。

 特に音楽と映像がよく合っており、井土紀州監督作品『Leftalone』を想起させるところがあった。内容的には、タモト青嵐演じる「川上哲也」が「安倍晋三」を射殺するまでの過程とその心の葛藤を描いたもので、「川上」の「家庭」の問題を描いたものでもあった。この射殺事件のモデルとなった事件は報道等でよく知られたものでもあると思うが、やはり「統一教会」や「宗教二世」の問題が描かれ、「川上」と「母」の関係にもフォーカスされていた。モデルとなった事件の経過と事の帰結は、何度も報道されているので、特に事件の内容でいうべきことはない。

 足立監督の描き方で良いなと思ったのは、ジャック・ラカンの精神分析のいう意味で、「川上」が事件の経過を〈享楽〉しているという描写だったと思う。確かに「母」の「統一教会」への入信と献金による家庭の崩壊によって、「川上」自身は塗炭の苦しみを経験するのではあるが、それを含め、そこには〈享楽〉があるように描かれていた。「川上」が手製の「鉄砲」を作る所もさることながら、それを作り終え、「安倍」の遊説地へと向かうとき、「川上」は自分の部屋の中で暗黒舞踏のように体をくねりながら、恐らく苦しみ?を表現していたのかもしれないが、むしろその身体のうねりは、その塗炭の苦しみを引き延ばそう(差延させよう)とするような欲望に見えたのである。また、事件で「川上」が逮捕されたのち、仲の悪かった「妹」が突然、兄「川上」の行動を理解し、何らかの意思を引き継ごうとして自転車を疾走させるところは印象的だった。ただ「妹」は兄の意志は継ぐが兄のような暴力ではなく、リベラルな手段を使うというようなそぶりを見せていたので、そこに収まってしまうか、と思いはしたが、「女」(妹)が吹っ切れたような笑顔で兄を引き継ぐというとき、必ずしも兄以上の狂気(享楽)がそこに宿らないとは言えないだろうな、とも思わされた。

 上映が終わった後、足立正生・望月衣塑子・平井玄・鵜飼哲によるトークショーがあった。全体的に「山上容疑者」の「可能性」を汲み取ろうとする論旨で、それはそれで肯定できるものではあった。ただ、どう肯定するかは、そこに一定の論理が必要だと思った。そのトークショーには、会場からの「議論」も予定されていたので、僕は会場から、そこでその日一度も、映画の内容としても出てこなかった「天皇」の問題を質問した。足立監督は、「山上」が「安倍晋三」を狙ったとき、一発目は天に向かって「文鮮明」と叫んで撃ち、その後二発目で「安倍」を狙ったといった。それを受けた鵜飼氏が、「転位」という言葉を使ったが、わかりやすく〈転換〉と言い換えて、「「山上」の恨みの矛先が、「文鮮明」から「安倍」に転位」したということを発言していた。僕はそれを受けて、本来は「天皇」から「転位」した問題がここにはあるのではないかという質問をした。映画の中で、「川上」は糞のような世の中で糞みたいに生きる、搾取する奴を肯定して生きることの苦しみを恨みとしてぶつけていたが、それは即ち、「天皇」から搾取されているにもかかわらず「天皇」を肯定して生きる「日本人」それ自体への恨みなのではないか。確かネットには、「統一教会」のシステムは「天皇制」の模倣であり、「文鮮明」を戴くことは「恥」だといった「宗教二世」の手記があったと思うが、それはまさしく「天皇」を戴くことの「恥」を知らない日本国民への怒りという問題につながるだろう。かつて大西巨人は小説『インコ道理教』で、「オウム真理教」を「天皇制」の模倣として描いたが、ここには同じ問題が存在する。四人のトークショーで、「山上」の行動がもみ消されて、なかったことになってしまう問題を議論していたが、それはやはり「天皇制」の問題を外しては、決して議論できないことだと思う。あそこに登場していない「天皇」こそ、「山上」「川上」の問題で、本当はもっとも問うべき存在だったのではないか。ようは「天皇」を問わなければ全ては「転位」によってうやむやになってしまうということである。この「天皇」の質問に対して足立監督は、「天皇」は勿論映画の中で考えた問題ではあったが、それを直接入れると主題が拡散してしまうので出さなかったと、直接答えてくれた。

 その後、ちょうど映画の本を買ったので、監督にサインをもらいに行く時、もう一つ直接監督に質問をした。それは当初から気になっていたのだが、主人公の「川上徹也」が「濡れている」ことだった。ポスターでも濡れていたし、去年公開になったばかりの時もシャワーを浴びたように水をかぶっており、雨の下に濡れる「川上」の写真もあったのを記憶している。実は映画でも、実際にその場面では雨は降ってはいないのだが、画面に重なる形で雨粒が降り注ぎ(だから誰も実際には濡れてはいない)、その雨音が激しくなると、セリフなどが聞こえづらくなりはじめる。あるいは、演出として降っていないはずの雨が、今度は実際降り始め、実際に「川上」が濡れるという演出もあった。「安倍」が狙撃される際も、「安倍」の演説が聞こえなくなるくらい土砂降りの演出になり(これは前者の雨粒が重ねられる演出)、実際当日は晴れていたわけだが、その雨音の中で銃撃が行われた。そして事件後「妹」は兄の犯行を知って自転車に乗るのだが、こちらは実際に雨が降っている場面がある。この象徴的な「雨」の描き方は何だろうと思い、監督に、「あの雨は何でしょうか?」と聞くと、最初ちらっと僕を見て、「あれは川上の心の中の描写になろうとする時に雨が降る」というので、「なるほど」と僕が言うと、監督が「よかったですか?」というから、「印象に残りました」といって、握手をするため監督が手を差し伸べてくれたので、握手をして帰った。監督は「僕はああいう描き方をするんだよ」とも言っていた。映画って本当に総合的な芸術だし、綜合的な才能がないとできないものだなと、感じ入ってしまった。もちろんこれは映画をほとんど見ない僕の素人の感想である。

 その後渋谷で久しぶりにラーメン屋さんに入った。有名店らしく23時前だというのに、僕の後ろには行列ができていた。運よくすぐ入ると、あご出汁ラーメンを食べ、おいしくはあったのだが、僕の故郷の味「スガキヤ」の味とほぼ同じであった。