「プチット・マドレーヌ」は越えたので許してほしい

読んだ本の感想を主に書きますが、日記のようでもある。

「劇団どくんご」の東京公演を観てきた

2024年06月23日 | 日記・エッセイ・コラム
 今日は「劇団どくんご」( http://www.dokungo.com/ )の東京公演を、小金井公園のいこいの広場に設営された特設テント劇場で観てきた。この劇団の存在はネットで見ていて、友人からも聞いていたが、僕自身演劇を見るということがほとんどなく、恥ずかしながら今まで「劇団どくんご」の芝居を観たことはなかった。ただ、友人から今年は全国ツアーをする予定があるというのを聴き、早速東京公演の予約をしたら運よく席が取れ、今日の観覧の運びとなった。小金井という場所には東京に住むようになって、実は初めて行った。田舎から東京に出てきて住んだところは、これまでほぼ山手線の内側だったので、東京は都市部の雰囲気しか知らない。自然が多く独特の区画で住宅地が並ぶ中を歩くと、何か都市部の秩序とは違った意味での「混沌」があるようで、少し不気味な雰囲気を感じなくもなかった。小金井公園に歩いていくと森がありそこを抜けると、いこいの広場に設営されたテントが見えた。
  

 いこいの広場に行くと既に列ができており、20分ほど待っていると開場となって、テント内の席に進んだ。観客はどんどん増えていき、最終的には客席(ベンチ)に座れる人数なのでもちろん限界はあるが、すし詰めに近い状態まで人が増えた。熱気がすごく、人と人とが触れ合う中での観劇は、自らの身体性を意識せねばならず、それはそれで劇空間とはそういうものだろうと思わされた。芝居は、そのような熱気と人々が触れ合う距離感の中、僕自身は体が大きい方なので少し縮こまってはいたが、あっという間の二時間であった。先ほども言ったように僕は観劇をほとんどせず、芝居などもほとんど見ないため、演劇についてきちんとしたことは言えないのであるが、「劇団どくんご」の芝居は、構成がすごくしっかりしており、様々なシチュエーションがアドリブを含んで輾転と変わるのだが、それをじっくりと考えたり笑ったりしながら見られる作りになっているのである。

 劇が始まる前に、俳優が「どくんごの劇には「意味」なんて読み取れない」というようなことを言い、それは「意味」に収束されない身体性や、ナンセンスなシチュエーションが上演されるということなのだが、しかし、「差異と反復」というべき演劇上の構成は確かにきちんと存在していた。僕の見た所、演劇は「記憶」における「身体」や「場所」の「差異と反復」がとにかく即興的に上演されているように見えた。そこでは「記憶」が常に「欠落」として現れ、俳優たちはその〈記憶=欠落〉の周りで体を反復して動かしたり、また言葉を反復させて、そこに差異を生じさせようとする。〈記憶=欠落〉こそが、身体や言葉の「差異と反復」を生み出し、そこに即興的であり無秩序でありながらも、しっかりとした身体と言葉の構成が創造される。そのような俳優たちの「差異と反復」がテント内で「波」のように押し寄せたり引いたりするところは爽快だった。そして、そのような寄せては引くような「波」の「差異と反復」は、今回の芝居にも登場しており、一つのテーマであったといえると思う。

 芝居の後半で、劇中に「物語の洪水」という比喩で、「物語」が流れていくシチュエーションが登場する。上にも書いたように、劇の最初に俳優が「どくんごの劇には「意味」なんて読み取れない」というようなことを言ったわけで、「物語」というのはその「意味」そのものではないかと言いたくなるのだが、しかし、ここでの「物語」というのは、〈記憶=欠落〉と同じで、「物語」自体の欠落、即ち〈物語=欠落〉の流れなのだ。「物語という欠落」の流れに身を投じた俳優たちは、入れ代わり立ち代わり、その〈記憶=欠落〉の中で新たな記憶と言葉と身体性を発明しようと、アドリブで言葉を繋いで反復させていく。そのような「物語という欠落」の流れをテント内に作り、それを奔流させようという試みは、やはりきちんとした劇の〈構成〉がなければできないものだな、と思いながら見ていた。また、その俳優の「差異と反復」の芝居は、入れ代わり立ち代わり舞台に登場するので、演技が終わった俳優は舞台袖で待機しており、その待機している俳優が、今舞台上で演じている俳優をどういう目で見ているのだろうと思いながら見てみると、これもまた大変色々な想像ができる。待機している俳優が、舞台上の俳優及びそのシチュエーションのパレルゴン(額縁)になっており、その絵画的というか映画的というか、そういう芝居の構造も興味深かった。と、ここで気づいたが、今回の劇の一番最初に俳優が演じた芝居のシチュエーションは、まさしく絵画についての芝居であり、絵画が〈記憶=欠落〉を表現して、それが記憶の混濁と無秩序と重なり合いながら、俳優も狂っていくように見えるものであった。やはり劇の構成は一貫性があり、しっかりしたものだと思わされる。

 友人に教えてもらい、「劇団どくんご」を見に行くことができてよかった。テントの中から出て、少し汗ばんだ体で小金井公園の真っ暗な森を抜けて帰るのは気持ちが良かった。

学費値上げ反対と「恐怖」の問題

2024年06月22日 | 日記・エッセイ・コラム
 ちょうど前回、映画の『ゲバルトの杜』と『レフト・アローン』の比較?を書いたのだが、それについて友人と話した。その話は、『ゲバルトの杜』への評価であって、友人とおおむね評価は一致したのであるが、その後帰宅すると、東京大学の学費値上げ反対闘争をしていた学生に対して、学内に大学当局が警察権力を介入させたということで、SNS上で批判がなされていた。それこそ『レフト・アローン』の中で発言されていたと思うが、大学が自治の問題において警察を介入させるのは、学生を含む大学の構成員に生命の危機がある緊急事態の場合のみではないか。そういう意味で、今回の総長団交後に警察権力を介入させたというのは、大学の自治や学問の自由を守る立場の大学の行為としては、非難されるべきだろう。

 それを見ながら、ちょうどその友人と映画との絡みで、東大の学費値上げ反対闘争の話になり、しかしそれ故その時点では東大への警察権力の介入は知らなかったが、その会話のなかで、僕は津村喬の『われらの内なる差別』(三一書房)の中にある「部落、沖縄、朝鮮があるから帝大がある」という言葉を思い出して話していた。津村は「管理社会」の構造として「企業・大学」の「〈異邦人〉」に対する差別構造を批判し、この言葉は『ゲバルトの杜』でも問題にするべきはずの、大学(「帝大」)という生政治的空間、生権力の支配構造への批判の中で記されたものであった。このことは現状の東京大学にいえることだろうし、「管理社会」のモデルとなっているほとんどの大学に当てはまることだろう。僕は友人に、この言葉は「天皇がいるから部落差別がある」という差別構造の問題とも相同的なものだともいえるし、大学の構造でいえば、「教員がいるから学費値上げがある」というべきなのかもしれないなというと、友人は「そうですよ」というと、教員は「天皇の側」にいるんだから、それをちゃんと自覚しなければならないと、批判した。本来ならば、学費値上げ反対闘争における「管理社会」の構造の問題は、学費に注目する場合、それは教職員の人件費の構造的な問題に行きつく。そこには当然、国からの補助金による支配なども全て含まれている。友人の言葉は、現状において大学から給料をもらって生活している、僕への批判にも当然繋がっているのである。

 そのため、この「天皇の側」に存在し、「管理社会」の構造自体を支える教職員が、学費値上げ反対闘争の学生に対峙した時の認識は、自分が飯を食べているこの給与の環境を変革されて倒されてしまうかもしれない、という恐怖になるのではあるまいか。そういう意味では学費値上げ反対闘争は、教員にとって恐怖の対象となるはずである。この「恐怖」を前提として、運動にどう接するかは、その教職員個々人の対応としか言えないが、だがそれでもその「恐怖」は拭い去れないし、「恐怖」なしでこの問題が解決できるというのは欺瞞になるだろう。仮に「天皇の側」にいる自分たちの生活や待遇はそのままで、何ものも変化しない中で学費も上がらないという状況を願うとしたら、それは要は何も変わらない、変えないための運動を支持するという、かつてスラヴォイ・ジジェクがいった、現状を変えないための運動という、倒錯の問題である。

 この「恐怖」の問題抜きには、おそらく運動はないはずだ。

『ゲバルトの杜』を観てきた

2024年06月17日 | 日記と読書
 映画『ゲバルトの杜』(代島治彦監督)を観てきた。以下雑駁な感想を無秩序に書いてみよう。

 川口大三郎の「鎮魂」という仄めかしが、出演者の口から数度出てくるのだが、仮に「鎮魂」がこの映画の何らかのテーマだとしたら、それは駄目だろうと思う。「鎮魂」はどれだけ慎重になろうとも、ノスタルジーを招き寄せるし、事件のご都合主義化を許してしまうからだ。「喪」はやはり失敗するものであり、その「失敗」こそ映画に現れなければならないはずだからである。しかし気になったのは、映画の中で川口が拉致され、激しいリンチでショック死するまでが、ある意味生々しく?上映されるのだが、それを見ていると、革マルの執拗なリンチに自然と素朴な「憎悪」が湧いてきてしまう。しかし、この僕の感じた「憎悪」こそが、「鎮魂」にも繋がっており、結局はこの事件をご都合主義化するのではないかと思った。この「憎悪」は逆説的に、リンチを理解可能なものとしてしまい、後に出演者たちが言う、「非暴力」の運動への正当化にも繋がっていく。

 原作?者でもある樋田毅は映画の中のインタビューで、当時は大学の中だけがセクト主義で無意味な暴力の応酬が繰り広げられ、大学の外は平和な日常があるのだから、大学内の運動もそれに準じて非暴力的であるべきだと、当時考えていたと話していた。大学内の運動の急進化と武装化が「一般学生」を離れさせたということになっているが、果たして大学の外が平和な日常だったのか。むしろ大学内の革マルと大学当局による生政治的共闘こそが、その後、管理コントロール社会のモデルとなっていたのであり、構造的には、大学の内も外も地続きだったはずである。川口のリンチへの〈鎮魂=憎悪〉と「非暴力」の運動という観念が、ここでこの生政治的支配の資本主義の構造を見えなくさせてしまっているように思う。樋田は、革マルが全国政権だったならば、機関銃でもバズーカでも持ち出して戦ったというが、革マルと大学の共闘的生政治は全国政権どころか、当時すでに資本主義的支配構造としてグローバルだったはずである。

 川口の一年後輩の吉岡由美子は、革マルが円の密集陣形になって、そこから竹竿を槍のように出して、外に向かって、恐らくウニやハリネズミのように外を威嚇してたことに「感動」しており、磁石で集まった人が「虫」のように、「万華鏡」のように見えたという。ファランクスの密集陣形のようなものだと思うが、ある意味では「戦争機械」のことでもあるだろう。吉岡はその革マルの統率力に「一般学生」は「かなわない」と思ったというが、この「戦争機械」の問題こそ、ドゥルーズ=ガタリと生政治の問題であり、革マルと大学当局の暴力と支配の問題であったと思う。この「戦争機械」の問題は掘り下げるべきだったのではないか。吉岡の抱いた「感動」の問題こそ、「鎮魂」では解釈できない「運動」の問題であろう。そういう意味では、今回の映画は、同じく早稲田の学館闘争を記録している、井土紀州監督の『LEFT ALONE』と比較すべきだとも思う。『レフト・アローン』には「非暴力」ではない、『Love マシーン』に乗って学生と踊りまくる絓秀実が映っていたはずである。そこには『Love マシーン』の「享楽」の端緒が映っていたように見える。樋田のいう「非暴力」でもない「鎮魂」でもない、運動の「享楽」の問題がある。「戦争機械」としての革マルの密集陣形とも違う「運動」の問題がそこにはあるのではないか。

 あと気になったのは、池上彰や鴻上尚史の語りが、少し「昔」を誇らしげに話していたことだ。そして学生役の俳優たちへの接し方が、かなり啓蒙的だったことだろう。俺たちが昔経験したことは、お前たちが考えている以上のことだ、というメッセージが暗に伝わって来て、これも何かを見えなくさせていると感じた。また、学生役の俳優が池上に、学生運動が現代に残している痕跡は何かと質問した時、教室の机と椅子が固定された、とバリケード防止のための措置を「軽口」というか、俳優の質問をはぐらかしをしたというべきだろうが、その池上の答えの瞬間、例えばテレビのバラエティ番組でスタッフが笑うことがあるが、あれと同じような年配の男性の声で、嘲笑とも賑やかしともいえるような笑いが一瞬入るのだが、嫌な気分になった。恐らくは、学生運動の痕跡などその程度のものだ、という意味での笑いだったのだろうが、そのような過小評価でよいのだろうか。先ほどの『レフト・アローン』との比較でいえば、西部邁が自分がトロツキストの党派にいるにもかかわらず、大学祭に来た学生の親から、トロツキーとはどういう人なのか聞かれた時、「悪魔のようなやつらしい」と応えて、友人からお前はトロツキストだぞ、とたしなめられたという話があったが、運動ってそういう「啓蒙」とは程遠い、勘違いの中で始まるものではないのだろうか。

 そういえば、映画の中で川口はリンチされている間、革マルから早稲田祭に反対しているだろうという非難をされていたが、それを見ると、前の記事でも書いた友人が、早稲田祭が中止になった時、革マルと大学当局の「共闘」で板挟みになっていたことが、思い起こされた。

 新左翼各派のヘルメットが染められている手ぬぐいを買った。つまりこういうことなのだ。

まだ『ゲバルトの杜』は観ていないが

2024年06月09日 | 日記
 映画『ゲバルトの杜』(代島治彦監督)はまだ見ていないが、『映画芸術』の絓秀実+亀田博+花咲政之輔による「映画批判」の座談会は読み、そしてこの映画の原作?となっている樋田毅『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文芸春秋)は発売当初に読んでおり、ツイッターでは、何故か以前から「『ゲバルトの杜 ~彼は早稲田で死んだ~』公式」にフォローされて、不思議に思っていたが、ツイッターで花咲さんさんにフォローされているからかもしれない。ともかくも、映画は観ていないが、『映画芸術』の座談会を読み、そして樋田の本を読んだ時の感想は、その座談会が「批判」していたことと重なる部分があった。映画は近々見ておきたい。

 まだ映画は観ておらず、座談会と、原作?の樋田の著書を読んでの感想とはなるが、僕も一番違和感を覚えたのは、座談会の批判の一つの的となっている、映画と樋田の著書にある早稲田大学の「奥島総長」への「評価」だろう。僕自身は「奥島総長」が任期のど真ん中に学生であり、「革マル」の排除と大学の「浄化」、そして早稲田祭の中止を経験していた。僕の記憶では(記憶違いの可能性はある)、それまで大学は24時間、一日中出入り自由だったが、僕の入学前にどうやら、22時が閉門の時間になったようで、それへの学生の不満がくすぶる形で伝わっていたように思う。その頃、学生会館の革マルによる支配の排除が大学から宣言されており、早朝に大学に行くと、公安や機動隊が来ていて、学生会館に突入というのが何度もあった。マスクとサングラスで顔を覆い、帽子をかぶった公安が写真機片手に正門で写真を撮りまくっていたのは、「日常」といっても差し支えなかったと思う。

 それはともかく、大学に入ったばかりの僕は、教室中がビラで埋め尽くされ、講義開始前は必ず革マルの活動家が演説し、時には「当局」側の教員とつかみ合いの喧嘩になっているのは、これも「日常」であったが、怖いとかそういう違和感は持たなかった。大学というのはそういう所なのだろう、と漠然と思っていた。ただ、教室内にビラが散乱し、壁にはビラが重ね張りしてあるのが普通の環境だと、ビラを自分で作って撒くということに、全く抵抗感がなかったのは、良かったのかもしれない。僕自身は政治的にも学問的にも鋭敏な存在ではなかったが、革マルと大学の対立の中にいると、自然と政治的な話題が多くなり、その革マルと大学の対立問題について話の合う友人と、今思うと稚拙な自己主張の枠を出ないビラを作って、何度か撒いていた。政治的にも学問的にも鋭敏ではなかったが、ビラが教室中に撒き散らしてあって、壁にも張りまくられていると、ビラでも撒いてみるか、という気持ちには自然になって、僕と友人はビラを作って、革マルのビラ配りと鉢合わせになると厄介かもしれないと思って、校門が開くと一目散に校舎に入って、講義が始まる前の教室の机の上に無造作に置いていった。ビラの内容は原稿が残してあるが、「好意的に見れば」、資本主義批判にはなっていた、とは思う。

 友人とそのような何の目的かわからない内容のビラを作り、何度かビラまきをしていたある日、 警備員に止められて、「君たちの気持ちはわかるが、これからは撒けなくなるよ」と言われ、恐らく革マルに間違われたのかもしれないが、まだその時点では強い制止ではなかったが、ビラが撒けなくなりつつあるのを感じる状況が成立し始めたのである。それが「奥島総長」の革マル排除に伴う、大学の「浄化」であったのだ。勿論、大学というものは常に「浄化」されてきたものであるので、奥島以前が自由であったとは思わないが、ビラすら撒けなくなる大学の端緒は、このくらいの頃にあったのだろうと思う。友人と僕もその制止以来、気持ちが萎えたのか撒かなくなったと記憶する。それからビラの数が減り、構内のタテカンが減っていったように思う。しかし、それに対して僕らとは違って長く抵抗していた人たちは、勿論存在した。

 そのビラまきを一緒にした友人は、その後も大学当局による早稲田祭中止に抗議して活動をしていた。僕は直接それには関わっていなかったが、その友人とは議論をしていて、友人の立場が「つらい状態」になっていたことを知った。これは入学以来複数の教員が言っていたことだが、「革マルと大学当局」は裏では結託しており、大学の治安維持を共に図っていた、というのは公然の秘密だった。それは「当局」側の教員も発言していた。そしてその頃いわゆる68年世代の人に聞いても、当然の事実だということになっており、では何のために革マルを排除するのか学生の頃はよくわからなくなったが、その「排除」に「戦略」があったことは、大学における生権力や生政治の問題を考えれば理解でき、それは座談会でも語られているし、『ネオリベ化する公共圏』(明石書店)を見てもわかる。つまり友人は大学祭の継続と学生の自治による学祭の成立を主張したため、大学側からも恨まれ、そして革マル側からも追われるようになっていたのだった。要は大学は大学の自治というよりは、学祭を大学によってコントロールし、新自由主義的広報活動としてプロモートするつもりで、大学の学生による自治などは考えておらず、友人はそこで大学側とも対立し、革マル側から見れば、「味方」になるならばいいが、所謂革マルとは違う学生自治を唱える友人は、取り込むか排除するかのどちらかで対処しようとされていたのだろう。そして、大学による早稲田祭の中止は、早稲田祭からの革マルの排除(当時学祭は「パンフレットを購入する」という事実上の入場料制で、それが政治資金になっていた)ということになっていたが、所謂一般学生にとっても「ショック・ドクトリン」になっており、大学による「学生自治」(それが幻想であっても)の破壊と、その後の「更地」を新自由主義化するきっかけとなったのだといえる。

 友人とは学祭について議論はしていたが、徐々に会う機会が減り、友人は学生自治による学祭復活の立場として大学当局からも敵視され、革マルからも追われ、検証できるという意味での事実かどうかはともかく、電話の「盗聴」を疑っており、僕との電話も警戒していたのを覚えている。友人は次第に大学に来なくなり、最後に会ったのは、議論後に友人が大学はやめたといって去って行った時であった。その後学祭は「大学の学祭」となり広報活動の一環になったのではないかと思う。「奥島総長」はこのような僕のような、政治的にも学問的にも鋭敏でなかった個人的な学生生活の中でも、「ショック・ドクトリン」と新自由主義的大学経営と管理コントロールの生権力と結びつく。だから「奥島総長」による大学からの革マルの排除を樋田の本のように喜べないし、友人が学祭に関しては当局と革マルの「共闘」によって苦しんだのを見ると、絓秀実のいう大学の生政治と革マルの生政治が重なり合って大学を支配し続けているという主張の方が、リアリティがあるわけである。とにかく『ゲバルトの杜』を見て見ないことには。

 さて、読書記録をしておこう。『失われた時を求めて』は第6巻に突入。「ソドムとゴモラ」である。デリダの『ジャック・デリダ講義録 時を与えるⅡ』(藤本一勇訳、白水社)と『フィヒテ全集4』(隈元忠敬+阿部典子+藤沢賢一郎訳、晢書房 )の「初期知識学」を読んでいる。特にフィヒテ、これがヘーゲルの精神現象学の、ある意味での元ネタか、と思って読んでいる。