「プチット・マドレーヌ」は越えたので許してほしい

読んだ本の感想を主に書きますが、日記のようでもある。

映画『首』を観たら、秀吉がハイデガーそっくりであった

2024年02月26日 | 日記
 仕事帰りに早稲田松竹にて北野武監督の『首』を観てきた。遅ればせながら、だろうか。普段ほとんど映画を観ないのだが、僕は歴史として戦国時代に興味があり、テレビゲームでも信長の野望はほとんどプレイしてきた。今も「新生」で1546年の毛利元就でプレイしているところでもある。ちょうど『首』の舞台の一つでもある備中高松は、毛利輝元と織田信長の中国方面軍の羽柴秀吉の交戦地帯であり、映画では備中高松城の清水宗治の切腹シーンもあり、ゲームでも今、清水宗治を使っているところでもあった。ゲーム上では、現在尾張の国で織田氏を滅ぼした後、武田氏と対峙している。まあそれはともかくとして、戦国時代のエピソードが好きな僕としては、『首』を映画館で見ておきたいと思っていたが、ロードショー期間には見に行かず、しまったなあと思っていたが、早稲田松竹が上映するということで観に行った。



 内容としては、ギャグ要素もあって面白かった。きちんと「時代劇」をしているなとも思った。登場人物の言葉遣いや方言は現代語や共通語が入り混じっているのだが、バランスが悪くないので不自然に感じない。ところどころの要点では歴史的考証やセットにリアリティがありそれが際立つので、歴史性を感じることもできる。最近の大河ドラマはこの部分のバランスが悪い気がするので、北野武に監督となってもらって大河ドラマを作ってほしいな、とも思わないでもなかった。映画の役柄としては、ビートたけしが「羽柴秀吉」の役をしているのだが、観る前はたけしで大丈夫か?と思っていたが、これが案外似合っている。とぼけた顔をしたり、はにかんだ顔を見せたり、身も蓋もないプラグマティックな残酷さも見せるのだが、憎めない、所謂「人たらし」的な側面もうまく出ていた。秀吉はことあるごとに、他の役柄の明智光秀や滝川一益らとは差別化して、「俺は百姓だ」というシーンがあるのだが、秀吉役のたけしの顔が晩年のマルティン・ハイデガーにむちゃくちゃそっくりで、確かにハイデガーも「農夫」とか言っていたなと思って、感慨にふけっていた。やはり「俺は百姓だ」ということの存在論的強度はある。

 『首』というタイトルだけあって、「首」が次々と切り落とされるシーンは、爽快でもあったし、基本的人権なんてないのだから、この時代の人間の扱いなどこんなものかもしれないな、とも思った。織田信長の近習には「弥助」と名付けられた、黒人男性が実際にいたわけだが、その存在を啓蒙的な形ではなく、いかんともしがたい人間が引き起こす人種差別の意識として物語要素に盛り込んでおり、その弥助が最終的に信長の「首」を持ち去ってしまうのは、少し考察すべき箇所であると思った。邪魔だから殺し、首を切り、見た目が違うから警戒し、笑い、遠ざけ、支配し、あるいは近づける。ここに合理的な説明ができない人間の恣意的で偶然的な暴力性があるわけだが、そういう暴力性の塊として戦国大名を描きたかったのかもしれない。人を殴ってはいけません、人を不快にしてはいけません、安全第一に、怒らず冷静に、という啓蒙が果たして、そういう人間の恣意的で偶然性としか言えない暴力的側面を説明することができるのか。あるいは、そういう暴力性をコントロールできるのか。暴力の無底性をどのように考えるべきなのか、という問題がここにはある。基本的に僕は暴力性という恣意的で偶然的な存在は、作品という偶然的なものでしか説明できないのではないかと思っている。

 本能寺の変が起こり、秀吉は京にとって返すために、備中高松城で毛利の代表者である安国寺恵瓊と和睦の談合をするのだが、安国寺恵瓊が広島弁でしゃべるのは安芸の毛利だからいいとして、恵瓊が『仁義なき戦い』の「広島極道は芋かもしれんが、旅の風下に立ったことは一遍もないんで」という小林旭の台詞のオマージュを大声でぶちまけていた。この和睦の談合に先だって、怪僧恵瓊の存在を心配した浅野忠信扮する「黒田官兵衛」と大森南朋の「羽柴秀長」が、秀吉に「恵瓊は大丈夫ですか?」と問うのだが「そんなこと知るかばかやろう」と返していて、恵瓊の扱いにしばらく声を出さずに笑ってしまった。恵瓊はこの秀吉との和睦の約20年後、関ヶ原の戦いで石田方について、石田三成と小西行長と共に、六条河原で斬首されることとなる。

ドラマ『不適切にもほどがある!』を観た感想

2024年02月18日 | 日記
 阿部サダヲ主演、宮藤官九郎脚本のTBSドラマ『不適切にもほどがある!』がSNS上でも話題になったり、言及している人もいるので、気になって、見逃し配信で何となく見ていた。ドラマとしてはスピード感があり、また、あえてやっているのだろうが、少し古めのテンプレドラマにもなっており、安心して見られる。僕自身は昔から、時代劇以外のテレビドラマを視聴する習慣を持っておらず、今回も久々の連続視聴になっている。このドラマの物語としては、阿部サダヲが演じる主人公の属性は、1986年に存在した体育教師であり野球部の顧問でもある男性であり、この男性が2024年にタイムトリップをして、色々な事件に巻き込まれる、という筋道である。体育教師と野球部顧問、そして男性となれば、その「価値観」や「存在様態」は、ほとんど今の「コンプライアンス」には抵触する存在だろう。少し自分自身を振り返ってみれば、体育の教員、体育会の部活の顧問には、大げさではなく、体罰としてどつかれたおしていた。今現在そんな教師がいたら、事件になっているだろう。高校の時などは、某大学の剣道部でしごかれたおされたという剣道部の顧問の教員が僕のクラスを担当したことがあり、僕の高校は男子校であったのだが、最初の挨拶が一人一人日々の「おかず」(「自慰」をする時の欲望のきっかけ)を聴いていくというもので、それには僕は強い抵抗があった。全員がよくわからない緊張感の下に発言していたが、教師の手違いで僕の列までは回ってこず、答えないで済んだ。これ自体は当時でも問題の気がするが、もしこの「おかず」を答えさせられていたとしたら、今で言うならば僕は心に「傷」を負ったということになっただろう。僕のこの体験は、1986年以降の経験ではあるが(かといってすごく離れているともいえない)、こういういきさつを振り返ってみても、1986年の上記属性の男性が、その価値観をそのまま現代の「コンプライアンス」に照応したとしたら、確かに問題を引き起こすのかもしれない。そして実際、現在時においては「露悪的」と言っていいだろうこの価値観を、主人公は披瀝しつつ、反発を受けながら、しかしあるところそれが現代には少なくなった「魅力」としても描かれていくこととなる。

 ドラマ的にはこれから進展していく内容もあるので、全体を評価するわけにはいかないが、今までは内容的というわけではなく、ある種の「歴史」というか「昔話」として面白いということはある。ただ、「歴史」や「昔話」といっても誇張されたり、そうだろうか?と思うようなところもあり、今の時代から見た1986年のイメージということになるのだろう。ドラマでは小泉今日子が特権的にアイドルとして登場しているが、僕自身の経験の時系列から行くと、小泉今日子を好きになっているのは僕の一世代上の人たちで、1986年当時僕は自我を持っていたと思うが、それを相対化したり、アイドルのファンになるにはまだ社会経験がない年齢であった。そういう僕から見ても、あくまでも「歴史」や「昔話」の〈イメージ〉として観ている。今までのこのドラマの魅力というのは、2024年というメタ視点から、1986年の価値観を持った主人公の「逸脱」を眺められるということだろう。だから、ドラマの中でも主人公は気の毒な人のようにも映り、また、仕方がない荒ぶる人として、なだめられる対象になっている。しかし、そういうなだめられる存在としての「父」のように描かれるのは、良くないと思う。父権に宿る慈愛的な側面や、不能の父(駄目な父)を代補するその周囲の人々という、それこそが男性中心的で父権的な権力構造を維持している構造を、そのまま温存して描くことになるからだ。体育教員や野球部の顧問というのは、こういう去勢された駄目な父という側面を持ちながら、生徒に権力や暴力を行使したわけであり、その部分が見逃されてしまう。例えば今の政治家にも、多くが自民党の政治家にそういう表象はまとわりついていて、機能してしまっている。「増税メガネ」といってもその程度のものであろう。

 あと、主人公が意外と2024年に馴染んで生きているというのは、示唆的だと思った。やはり慣れるのである。これは1986年当時の価値観と、2024年の価値観に共通点がある証拠だと思う。ただ誤解してはいけないのは、なんやかんや言っても2024年も「コンプライアンス」が徹底されておらず、1986年的封建遺制が残存している、ということではなく、1986年にすでに、現在のような「コンプライアンス」やそれにまつわる管理・コントロール型の権力構造は浸透しつつあり、主人公にも浸透しつつあったことなんだろうと考えられる。1986年といえば、中曽根、レーガン、サッチャーの現代に通じる具体的な新自由主義の路線がすでに敷かれていたのであり、主人公が意外と今の価値観に馴染んでいくのは理解ができるのである。そういう意味では、表現の違いや許容範囲の差は大きいように見えるかもしれないが、1986年と2024年との間の生(性)の管理方法は根本的には既に変わりがないと見るべきではないか。価値観の表出の仕方や主人公の属性、そして2024年のメタ視点が、何やら主人公の封建遺制的性格を際立たせているようだが、実は1986年には現代の「コンプライアンス」に通じる管理体制は既に成立した、というのが主人公のありようなのではないかと見えてくる。要は言うほど主人公の根本は、今現在と変わらないのである。それは「1986年」は「1968年」との関連でも言えるだろう。

 おそらく、この1986年に新自由主義と生権力に対抗する運動をしている人は別の所にいて、それは今のところドラマでは描かれていない。主人公のような体育教師兼野球部顧問は、むしろこのような新自由主義的、生権力的な存在であり、しかも生徒の管理コントロールをおこなう側であり、決して「コンプライアンス」を乱すような存在ではなく、先に父権の時にも書いたように、こういう「コンプライアンス」を乱しているかに見える存在(駄目親父)こそが、「コンプライアンス」の権力を補強する存在なのである。だから、この主人公は様々な場面で「重宝」され、劇中の「ドラマ」の撮影の「コンプライアンス」へのアドバイスすらおこなうのである。むしろこの主人公こそ「コンプライアンス」そのものなのだ。そしてもし、現代において主人公が「魅力」ある人物として見られるとするならば、それは主人公が権力者だからであろう。視聴者はそのような権力者の「魅力」に、2024年というメタ視点から同化できると信じている。つまり「コンプライアンス」それ自体はコンプライアンス的ではない、とひとまずいえるのだ。それは問題ばかり起こす駄目自民党政治家(駄目親父)に支配コントロールされている自分たちの姿と、そこにおぼえる享楽のことでもある。主人公が「コンプライアンス」を侵犯したような存在に見えるのは、視聴者が2024年からメタ視点を以てこの男性を眺めているかのように思っているだけなのであって、実は本質的にはこの男性はタイムスリップなどしておらず、主人公は2024年の「コンプライアンス」を体現する存在なのであって、「2024年は1986年なのである」。〈本当〉の意味で「コンプライアンス」に抵抗している〈不適切にもほどがある人々〉は、恐らく別にいるのだ。

 ここまでのドラマの展開だけで言うならば、そういう意味ではこのドラマは「ガス抜き」になってしまっている可能性がある。主人公が「窮屈な現代」に対するアンチテーゼになっていると見てしまっている人は、おそらくもっとも反動的にこの主人公を理解しながら、恐らく自分は「コンプライアンス」に異議を持っていると思い込まされていることになる。実際は「コンプライアンス」の中にある、「コンプライアンス」の核となっているコンプライアンスならざるものへの依存にも拘らず、それ自体が管理コントロールの権力の実態にも拘らず、である。

大雪で大西巨人のことを少し考えざるを得なかった

2024年02月05日 | 日記と読書
 今日も喫茶店で読書をして帰ろうかと思ったが、雪が強くなってきているし、お目当ての店などが雪ということで早じまいをしそうな雰囲気だったので、帰ることにした。僕の住まいは都心に近いので、東京西部よりは雪が少ない傾向にある。しかし、それでも午後六時の帰り道で、すでに道路にも積もりはじめていた。ただ、雪はシャーベット状である。東京では数度しか経験したことはないが、比較的乾いた雪で30センチくらい積もった時は、皇居を探検すると面白い。誰もいないし、真っ白な森の中を歩いていると、遭難をしたような錯覚に襲われて、だんだん怖くなってくる。本当に遭難したのではないか、と思えてくる。東京の「中心」が本当に誰もいなくて、車の音も一切聞こえてこないのは大変神秘的といえる。それだけ皇居の森が広いということなのだろう。


 僕の出身地は比較的雪が降りやすく、かつ積もりやすい場所で、白くなったり数センチの積雪は普通だが、30センチくらいの積雪が冬にはめずらしくない地域だ。山側に行けば当然一メートル以上になる。よく祖父が教えてくれたのは、牡丹雪は積もらないので安心だが、乾いた粉雪が降り出すと積もる、という話だった。子供ながらに牡丹雪の方が大きいし、派手なので積もりやすいように感じるが、つもり始めは乾いた粉雪が降るという決まりである。温度とも関係があるのだろう。積もりやすい粉雪は、気温が低く地面で雪も解けにくい環境で降る雪ということなのだろう。しかしここ数年、あまり東京の都市部では乾いた雪が降らなくなったように思う。いまもどちらかというとシャーベット状だ。手でまとめて玉にしようとしてもまとまらない乾いた雪が懐かしいが、寒い地域に行かないとお目に掛かれないのかもしれない。

 そういえば最近、ドラマになった漫画の原作者が、恐らく自殺であろうという形で亡くなったことがニュースになっていた。その中で原作者と出版社、そして制作したテレビ局の関係が注目されている。この問題は、どのような契約でドラマ化をしたのかという、法的な問題も関係しているように思う。Twitterの呟きで、テレビの取材を受けた人がことごとくいうのが、テレビ局側は取材する人を尊重しないし、取材で述べた意見を都合よく局側の制作意図に捻じ曲げていく(編集してしまう)ということである。そういうのを見ていると、テレビ局側のコミュニケーション不足や、制作側の傲慢な態度が関係してる可能性は高いのかもしれない。ともあれ、どういう契約で原作者はドラマ化を許諾したのかなどは、「外野」から見ているだけではわからないので、詮索しても仕方がないところがある。ただ、話し合いをちゃんとすべきだったのだろうとは思う。

 今回の個別的な事象についてはとやかく言っても仕方がないが、この一件を見ながら、小説家の大西巨人の話を思い出していた。大西には日本近代文学の傑作中の傑作という『神聖喜劇』という小説があるが、この小説は演劇にもなり、漫画にもなり、シナリオの脚本となり、映画化も話題に挙がるような作品であった。ただ『神聖喜劇』を読んだ人ならばわかると思うが、ある場面を二時間の映画にするならばともかく、小説全体を映像作品にするのはかなり難しいのではないかと思う。荒井晴彦の『シナリオ神聖喜劇』は、「一応」、映画のためのシナリオということになっているが、それでもまだ4分の1の分量にしなければ映画には出来ないという量になっている。 のぞゑのぶひさと岩田和博の漫画版『神聖喜劇』もとてもよくできているが、漫画にしてはセリフの量が昨今の新書と引けをとらない。そういう意味でも、小説『神聖喜劇』をドラマにしようとすれば、今のNHK大河ドラマでやるしかないと思う。そういう意味ではNHKにお願いしたのは、大河ドラマで『神聖喜劇』をぜひやってほしいということである。当然、安直なポリティカル・コレクトネスを突き破る形で。

 なぜ大西巨人の話をしたかというと、僕が生前の大西の講演会に行った時に、「大西さんの小説が映像になるということをどうお考えですか?」という対談者の質問に大西本人は、難しいとは思うが、やれるならやっていただきたい、と。そして、映画化なりドラマ化なり漫画化なりが行われる場合、もうそれはまったく小説とは別個の作品になるのだから、私からその作品に対して何か注文を付けることはない、と答えていたからだ。大西は『神聖喜劇』が「翻訳」されることで生み出される映像化やほかのメディアでの上演を、「別」のもの、全く別の形態への変化なのだから、小説の形式からとやかく言うことはないと主張しており、僕は大西が作品(『神聖喜劇』)を自分の所有物としてではなく、「構造」から唯物的に把握しているのだなと理解した。文学理論には「作者の死」や「作品からテクストへ」という形で、作品は作者に属しているのではなく、それは一つの構造でありテクスト(織物)であって、作者という存在も、その構造の一部分の「効果」に過ぎない、と言われている。大西の発言は、この立場をより実践の観点から述べたものだなとも思った。簡単に「作者の死」や「テクスト」などといっても、作品の所有欲は作者だけではなく、その読者も共有しており、その所有欲に屈することが多々ある。だが、その講演会での大西は、『神聖喜劇』の映像化があるとすればそれはもう全くの別の作品だから、自分の支配の及ぶものではないと平然と言っていたが、それを聴きながら僕は、とはいうものの大西のようにはなかなか言えるものではないだろうな、と思った。まあそして何よりも、大西は、『神聖喜劇』を何かのメディア作品に翻案できるものならしてみなさい、という自信があったのだろう。それは、そのような作品を作り得たものだけが持てる自信なのかもしれない。

 作品とその所有権(者)は、法的に結び付けられているものなので、一概には言えない部分が多いが、しかし作品の所有者は作者なのか、読者なのか、という問題は本当は錯綜しており、議論の余地があるものだと思う。そしてある時期、そういう作品の私的所有を考え直し、唯物論的にそこに切断を入れようとした思考が文学理論としてあったことも事実だ。作品の生産形態、所有形態には、作者や読者の「感情」では考えることができない理論の側面があるはずなのだが、ネットで議論するのは、難しいのだろう……

「幻の『叛軍』シリーズ一挙フィルム上映」に行って来た

2024年02月03日 | 日記
 昼過ぎまで仕事であったが、仕事後にアテネフランセ文化センターでおこなわれた、「映画一揆外伝 ~破れかぶれの映画史~ 岩佐寿弥 幻の『叛軍』シリーズ一挙フィルム上映」に行って来た。アテネフランセは学生の頃フランス語と英語を習いに行っていたので、数年通った思い出がある。フランス語は「もの」にはならなかったが、そこで出会った人からは、神田のいろいろな場所を教わった。上京して大学に通い始めてまず訪ねたのは、新宿とこのあたりである。それはそうと、岩佐寿弥監督の『叛軍』の「No.1」・「No.2」・「No.3」・「No.4」が一挙上映されるという貴重な機会を逃すまいと、久々のアテネフランセ。到着した時には、階段に行列がすでにできていた。

 さて、『叛軍』を一挙に見たのだが、「No.1~3」は発見されたフィルムが、国立フィルムセンターの修復で見られるようになったということで、今回フィルムセンターの外で上映されたようだ。「No.1~3」は、1970年当時航空自衛隊の隊員であった小西誠が、自衛隊員でありながら学生運動と呼応する形でおこなった「反戦」活動(叛軍)が、自衛隊法第64条違反(煽動罪)に抵触するということで起訴され、その裁判が新潟地方裁判所でおこなわれるところが、ドキュメンタリーとして撮影されていた。「No.1~3」で約60分という上映時間で、最初は小西の裁判をドキュメンタリーとして追い、次にはそこに演出として劇団の行進が付け加わり、映画スタッフも学生たちと共に、撮影機材と録音機材をもっての裁判所への突入を計り、職員ともめながらも議論するという展開であった。そして、「No.3」では、小西に加えて九州から「叛軍」に加わろうとする自衛隊員がやってきて、どこかの大学の講堂で、制服のままサングラスをかけて「叛軍」活動を説き、ヘルメット姿の学生たちも声を上げて賛同する、という話の流れであった。僕は、その九州から来たという自衛官がやたらキャラ立ちしており、サングラスで突如現れた謎の自衛官という感じで、胡散臭さも感じたのだが、まあこの時代胡散臭い時代だろうということで自分を納得させた。ただ、映画上映後の高橋洋(脚本家・映画監督)、千浦僚(映画文筆)のトークでも、あの九州からのいわくありげな自衛官は、「本物」でしょうか、という議論があり、『叛軍』の撮影時期的に「東大全共闘」と「三島由紀夫」の討論の直後ということもあり、岩佐監督が、全共闘と三島の討論に触発されて入れた演出の可能性はぬぐい切れない、という話をしていた。

 なぜこのようなフィクションや演出の話になるのか、僕は映画をほとんど見ないから、ある意味『叛軍』の予備知識が全くない状態で見たので幸運だといえそうなのだが、ここにこだわる理由は、「No.4」が「フェイクドキュメンタリー」であるという所にある。「No.4」は100分ほどの上映時間で、この「No.4」がこれまで一般的に知られてきた『叛軍』という作品である。見始めると、これまたキャラ立ちしたメガネの40男が、とある大学の大講堂で、ヘルメット姿の学生を前に、旧軍時代の「叛軍」経験を語るというもので、朴訥な語り口で、50分以上語り続ける。最初その男は山田二等兵といい、1944年恋人のために戦争で生き残るためには、戦闘行為をしなくてもいいように、「きちがい」と思われる行動をしなければならないと決意し、軍隊内で反戦を主張し、共産主義者を自称し、天皇は寄生虫なので廃絶しなければならないというビラをまき、それが握りつぶされそうになると、公然とそれを声高に叫んだという。そのせいで山田二等兵は憲兵に逮捕され、治安維持法違反と不敬罪に問われるのだが、この事実をよしとはしない体制(軍)は、その「きちがい」の行動を「きちがい」とはせず、窃盗罪で逮捕し、普通刑務所に懲役に行かせる形で何事もなかったかのように軍隊から排除する、という行動に出た。それによって結果的に山田二等兵は戦闘行為からは免除されて敗戦を迎え生き残るわけだが、そこから26年間、山田二等兵は「叛軍」とは何だったのか、自分のとった行動は一体何だったのかを考え続けることで生きてきたと告白し、「叛軍」を考えること自体が人生であったと講堂で話す。山田二等兵の演説で印象に残ったのは、自分の「叛軍」の経験が、時間の経過とともに自分の創り出したフィクションによって浸食されて変質してしまうという問題を語りながら、同時に「事実」もまた「叛軍」経験を侵食し変質させてしまうというものだ。「事実」もまた「叛軍」の経験の真理を覆い隠してしまうという意識である。「フィクション」と「事実」の不分明地滞がここには現れる。

 「No.4」の前半はそういう形なのだが、後半は場面が変わり、その山田二等兵が実は俳優の和田周の役柄であって、実在の人物ではないということが種明かしされる。なーんだやはり、講演の台詞が朴訥としていながらもしっかりしすぎており、また先ほどの九州からやってきたサングラスの自衛官と同じように、その「山田二等兵」もサングラスをかけてやたらキャラ立ちしていたので、俳優の演技だったのは納得はできたが、先ほども言ったように僕は『叛軍』シリーズ自体を知ったのが今回が初めてだったので、実は結構びっくりしたわけである。そして「山田二等兵」こと和田周と最首悟が酒を飲みながら「叛軍」とは何かを、かなり激しく議論するという展開になる。最首が「叛軍」を語る時、自分は「反戦」から出発し、しかし連合赤軍にまで行くことは肯定するという。反戦のために連合赤軍に行きつくことを肯定しながらも、銃を持った瞬間やはり厭戦として銃を捨てる。そしてまた「反戦」は連合赤軍に行きつき、武器を手にしたとたんそれを行使するのではなく、武器を捨てるという「反戦」に逆戻りするという永劫回帰が最首のいう「叛軍」だという。少し酔っていた最首が自分の「叛軍」観を披歴した後、酒を飲まない素面の和田周に、多少酔っぱらいながら結構ウザがらみ的に「叛軍」とは何かを追求していく。

 和田周は答えあぐねながら「逃げる」ことだという。「叛軍」とは「逃げる」ことであると。和田は自分の俳優論と重ねながら、俳優とは何かのキャラクターを演じてはいるが、ではそのキャラクターを演じている「私」は実体かというと、そうではなく、「私」を演じる「私」である。しかし、その「私」の演じる「私」も廃棄されて、そこには実体は何も残らない。そういう状況を「逃げる」と呼び、それこそが「叛軍」の原動力であるという。最首は納得していなかったが(ただ「逃げる」こと自体は肯定していた)、論法的にはわかる。68年的な現代思想とつなげて考えても、シニフィアンの連鎖や代補、逃走線など、和田の言っていることはむしろよく理解できると思うが、そういう現代からのメタ視点でなくとも、和田のいうある種の浪曼主義的?な「逃げる」ことの「叛軍」は、時代をよく反映していると思った。映画の最後で、和田は画面を向きながら、ずっと「私」を演じる「私」も実体ではなく、それ自体が廃棄されて「私」はなくなるという言葉をつぶやき続けて映画は終わるのであるが(後から知ったのだが、この呟き自体は和田のものではなく、「S」という実際に「叛軍」を旧軍でおこなった実在の人物のものらしい。確かに皇居を背景に和田こと山田二等兵が雨の中傘を差して立っているところのナレーションは「朝鮮人」という言葉も入っており、山田二等兵のプロフィールともずれていて、おかしいなと疑問に感じていたのも、こういうわけであったのだ)、やはり自称・桐島聡、「うーやん」の「逃走」を思い出さざるを得なかった。桐島のあの微笑を湛えた写真と「うーやん」の間の亀裂は、まさに和田の言っていることだろう。彼の逃走は、「叛軍」といえるのではないか。

 「No.1~4」を通しで見ることで作品全体の構造的には、「1~3」までのドキュメンタリーには演出が入っており、上記のようにすでにキャラ立ちした自衛官というフィクションが入っている可能性が高いとはいうものの、しかしながら小西誠の「叛軍」裁判というドキュメンタリー作品にはなっており、反対に「4」が山田二等兵の「叛軍」という「フェイクドキュメンタリー」という虚構の構造になっているのがわかる。つまり「1~3」がドキュメンタリーというパレルゴン(「額縁」)を構成しており、「4」のフィクションを囲っているということだ。ジャック・デリダが『絵画における真理』で示したように、「1~3」が「額縁」の働きをして、「4」を作品たらしめたといえると思う。ただ、ここでデリダの分析を思い出さなくてはいけないは、その「額縁」である所のパレルゴンは、作品の「外」ともいえるし「内」ともいえる存在だ。パレルゴンは作品を囲う境界という意味では外部だが、作品を構成しているという意味では作品の構成要素としての内部といえる。ということは「1~3」は「額縁」という「4」の外部で、「4」の作品の成立条件でありながら、ドキュメンタリーとしての「1~3」の作品は、作品の内部として「4」のメタフィクションから、フィクションの汚染を被ってもいるということだろう。そういう意味では、「1~3」の作品も純粋なドキュメンタリーとは決して言えない。こういう関係性が理解できるのも、初めてこの作品を知った僕が、「1~4」を通してみられたのは幸運だったのだろう。

 それはそうと、「叛軍」による軍隊への抵抗運動という設定は、上映後のトークでも、大西巨人の『神聖喜劇』と野間宏の『真空地帯』がモデルの候補として挙げられていた。ただ、僕も上映中、山田二等兵と東堂太郎二等兵を比べないわけではなかったが、抵抗の仕方は「違う」と思った。