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「プチット・マドレーヌ」は越えたので許してほしい

読んだ本の感想を主に書きますが、日記のようでもある。

残暑と課金

2025年09月07日 | 日記
 台風一過、過ぎた直後の夕方は本当に「涼しい」という時間帯があり、秋らしいというのは、虫の声でもわかる。しかし、まだまだ暑い。しばらく日記を書いてなかったので、お盆の帰省のことを少し書いてみたい。前回も書いたように、自宅で人工透析をしている親族が盆に腹膜炎になり、その入院手続きをしたが、透析患者は障害者手帳や給付の書類などが多く、入院手続きでは、それらの書類をそろえて出さなくてはならない。そして最後の関門として、マイナンバー付きの保険証が登場する。窓口からマイナンバーカード付きが必要だが、ナンバーは見せるなとか見せろとか、今思い出せないことを言われ、少し逡巡していると、窓口の人が察したように、これまでの紙の証書があったらそれで大丈夫ですといわれ、事なきを得た。僕自身はフリーランスではないので、今のところマイナンバーカードは作っていなくとも不自由していない。時折聞いたりネットの記事でも見るが、マイナンバーのシステムがきちんとしていないため、いらない手間がかかる。こういう一歩間違えると命に関わったり、医療費が高額な場合は不安感が大きい。かつて、人工透析の患者は社会保障費を無駄遣いしている、だからお国のために「察しろ」のような、優生思想に相当することを発言したアナウンサーがいたが、人工透析を親族が受けている身とすれば、自宅で透析ができる環境が揃えられるのは、医療・福祉の環境としては非常に助かっている。ある時スポーツ新聞系のネットニュースで、腹膜透析をしている患者が出す家庭用の排水が、下水管を痛めている、というような、暗に透析を非難する論調の文章を載せていた。これは、高齢者の交通事故を大々的に扱うメディアの手法と同じで、高齢者をコストカットする世論を盛り上げるキャンペーンだと思う。本当にろくでもないな、と親族に高齢者が増えてくると、敵意すら感じることが多くなる。高齢者を大事にしない社会は、必然的に子供や若者も大事にしない社会だと思っている。実際この三十年で、コストカットのリストラは、中高年のコストカットだけではなく、若者のコストカットでもあったことで分るだろう。若者のために高齢者をコストカットするというのは、安直に考えるとそれっぽく考えられるように思うが、実際は同じように弱いところを切り捨てる、ということにしかならない。例えば僕の頃より、子供への公教育の環境は貧弱になっているのではないか?

 教育で思い出したが、僕には小学生の甥がいて、義妹とその甥の「教育」について話した。甥は、田舎に育ちながらも、その両親はかなり手厚く教育をしており、習い事や塾、運動までお金をかけている。つまりお金を掛けられる環境ではある。忙しそうな甥を見ると、僕自身はそろばんとフィリピン戦線の生き残りの老人から数学と英語を教わった以外はほとんど何もしておらず、甥も忙しそうで大変だな、という思いがある。ただ、先ほども書いたように、教育できる環境なのは、良いのかもしれない。その義妹が「お兄さん、今の教育は「課金」と同じです」という話をし始めたのだった。どういうことかというと、小学校の体育の「水泳」のことである。僕は小学校入学したころは「かなづち」で、いつも泳げる人とは別のコースで「特訓」を受けていた。そもそも僕は水に顔をつけるのさえ苦手で、泳ぐことなど絶対にできなかった。当時の小学校の教員はかなり厳しく、そういうわけでプールの時間が本当に嫌だった。その「特訓」の効果もあるのだろうか、5人くらいの僕の「仲間」も、徐々に減っていく。最終的には僕一人が泳げないし、顔も水に付けられない状態のままで、取り残されてしまった。そのような苦い思い出を思い浮かべながら、甥のプールの時間の話を聞くと、「今の小学校のクラスは、30人中半分くらいが泳げませんよ」という話であった。僕は小学生時代の泳げない最後の一人になったことを思い出しながら、驚いて「半分も!?」という反応になった。今の学校は泳げないのを無理やり泳がせないので、泳げない人は泳げないままなのだという(「泳げない」にもグラデーションはあろう)。そしてその時義妹が言ったのは「そこでお兄さん、課金ですよ」という言葉だった。要は、学校に任せていても泳げない人は泳げない。だから「課金」する事でスイミングスクールに通わせられる子は、泳げるようになり、事情は様々だが「課金」をしなかった子供は泳げないままだというのだ。要はゲームで「課金」をして「無双」するか、無課金で何とかするかの状態が、小学校の公教育でもあるのだという。しかも「課金」という言葉が義妹から自然に出るのだ。それはゲームの「課金」と形式的には同じなのだと思う。泳げない子や、様々な事情で困難な子を、規律訓練することで泳げるようにするというのは、「暴力」であり、「ハラスメント」と今だといわれるし、それは泳げず、プールに顔をさえ付けられなかった「当事者」として、あの夏の憂鬱を、今の教育は「配慮」し「ケア」するというのは、それなりの理があるとは、僕も判断する。そういう配慮は必要だろう。しかし、「課金」しなければ泳げないが、「課金」すれば泳げるというのは、かつての「暴力」や「ハラスメント」を内在させた規律訓練より、暴力的ではないのだろうか。公教育のそれは「配慮」や「ケア」と同時に、みんなを同じ能力にする規律訓練自体のコストカットとしても機能してしまっているのではないか。学校は何も規律訓練しないのだから、「課金」で規律訓練を外部委託するのである。これは公教育のコストカットそのものだろう。勿論、相対的に「当事者」に対する「配慮」や「ケア」になり得るのは、全員が泳げなくとも大丈夫な社会を作ることである。しかし、現状は公教育の新自由主義的な「配慮」と「ケア」を隠れ蓑としたコストカットにしか見えない。泳げない僕を叱りながら特訓させる暴力と「課金」の暴力はどちらが「まし」なのか。

 自戒も込めて言うと、教師が信頼されないのは「課金」を遠回しに推奨するような教育改革を容認しているくせに、生徒や学生の味方をしているふりをしているところだろう。最近ネット上で学費値上げの反対について、学生が大学に抗議しようとしたら、ある教員から大学に抗議しても無駄だ、文科省に言うべきだというふうにいわれて、学生が「たらいまわし」にされるといって憤っている場面が目に止まった。学生が怒るのも無理ない。教員がやっていることは「矛先」が自分に向かないように誘導しているとしか見えないからである。確かに、大学の構造上の問題は、文科省や行政の問題だと、僕も言いたくなるし、実際そういう部分は多くある。しかし、大学の運営や学費の値上げ自体に関しては、教員は経営側にいる。これは数年前のブログにも書いたが、学費値上げ阻止で学生と教員が共闘するというのは、少なくとも現代の大学を見る上で僕にはリアリティがない(ただ、値上げ反対を理解はしている)。むしろ、学費を下げろという学生の抗議に関しては、僕は教員と利益が相反すると思うからだ。そういう意味では、学生の抗議は教員にとって恐怖の対象となっているはずである。その意味で教員が共感する学費値下げ運動は駄目だろう。この利益の相反を誤魔化してしまうから、抗議は文科省へ、ということになるのだろう。抗議の本丸が教員(と教員が理想としている大学)でないことを示すためである。やはり給料は下げられたくない。勿論、現在のガバナンス改革ばかりしている大学経営が悪いのであって、大学は行政に物申すべきというのも、その通りである。それならば、労働運動として教職員は大学の民主化などで動くべきではないかと思う。一般企業もそうだが、大学の組合の組織率はひどい状態である。まずはそういう場面を教員もきちんと作って抗議を常態化すべきだろう。学生に世話を焼いている場合ではない。

 そんな甥の夏のキャンプに保護者という体で付き添った。これはとある「団」が主催しているキャンプだ。地元のキャンプ場の川で泳いだのだが、救命胴衣には「日本財団」のロゴがしっかりと入っていた。これも一種の「課金」といえるのかもしれない。


 虻に刺されながら、実家ではこの前書いた萬屋錦之介『柳生新陰流』だけではなく、同じく錦之介の『破れ奉行』を見た。これは錦之介が「深川奉行」という架空の奉行となって、深川という「番外地」を守るという話で、劇の終盤で悪を成敗するのに、何故か毎回高速の捕鯨船に乗って対決の場所まで行き、銛で敵と闘うという、メルヴィル『白鯨』を彷彿とさせるものであった。また、田中邦衛版『岡っ引どぶ』は、田中扮する「どぶ」が、京都御所に忍び込んで「仁孝帝」と一緒に碁を打つというもので、天子様には護衛がいないんだ、という「どぶ」の言葉のうちに、尊皇にも大逆にも振れかねない可能性を垣間見ながら、僕は遠い関東の空の下を思い浮かべるのであった。

田んぼの中の「吉祥寺」

2025年08月19日 | 日記
 ネット上で「文化資本」を巡る論争がおこなわれているようであった。その論争の端緒となるテキストは読んでいないので、何が問題になっているかは具体的にわからない。ただ、ネットでの論争を見ている範囲では、「文化資本」の概念の使い方に違和感を覚えることが多かった。所謂東京を中心とした「文化資本」の一極集中と、地方(言い換えると田舎)の不平等が問題とされていて、「田舎は文化果つるところ」というような東京住まいの物言いには、田舎にも「文化資本」はあるという反論?も見かけたが、そもそも「文化資本」を問題にする場合、それは資本主義批判が根底になければ意味のない概念ではなかったのか?「文化資本」があるとかないとか、あるいは「文化資本」を平等に配置するとか、そういうことではないだろう。文化と資本の結びつき、あるいは資本主義体制が、ある観念的体制を資本の体制として物象化する問題、即ちそこに存在する支配と被支配のエコノミーを批判的に検討するときに「文化資本」という問題が現れるのである。文化と資本の結びつきを自明なものとして、「文化資本」を平等に分配しなければならないという、どうしようもない資本主義的思考こそ、むしろ問題と言わなければならない。精神が文化として物象化するマジックこそ、資本主義の問題だろう。

 二年前、帰省先の故郷にもスターバックスができた。確かに田舎にしては大きいといえる道路沿いにできているが、遠目に見れば、田んぼの真ん中に建っているといっても間違えではない。そのスタバが、連日大盛況なのである。これまでうちの田舎で喫茶店といえば、個人店が主であったが、ここ十年で同じ道路沿いのマクドナルドとコメダ珈琲ができたくらいだった。そこにグローバル資本のスタバがやってきたのだ。スタバに入って驚くことは、田んぼの真ん中の店内が、ほとんど東京のスタバの雰囲気と変わらないことである。PCで仕事をしながら、普段村では見ることもないような服装と様子の客が、軽妙洒脱な会話をしている。去年のお盆に吉祥寺在住の友人が僕の田舎に来たので話をしたのだが、もう、そこは吉祥寺のスタバと見分けがつかない、店内の顔も雰囲気も様態も、すべてが均質化している。田んぼの中に「吉祥寺」が現れたといっても過言ではない。これは資本の脱構築作用によってもたらされた、スタバ空間といってよいだろう。そしてこれも「文化資本」なのだ。

 僕が小さい頃は、故郷が岡田屋(ジャスコ(現イオン))発祥の土地ということもあって、ジャスコはあったが、大きめのスーパーという程度のものだった。僕が中学生くらいまでは、村には魚屋、八百屋、駄菓子屋、饅頭屋、酒屋、雑貨店、旅館(旅籠)が健在で、比較的栄えている場所である町の商店街やジャスコに行かずとも、村の中で日常生活は不自由しなかった。しかし、「大規模小売店舗法」の改正・廃止という経済自由化の波で、「イオンモール」の端緒が開かれ、村の中のほとんどの店舗は廃業した。その過程で、比較的栄えている商店街の映画館やボウリング場もなくなっていく。もちろん村の中の小店舗も資本主義の産物ではあるが、比較的地域の共同体の中での取引に限られた経済であった。しかし、資本のグローバル化によって、例えばイオンモールのように、東京と同じようなものが経験できる空間ができた。これは何もイオンモールによって地域のなじみの店がつぶされたという昔話(=過去の美化)がしたいのではなく、田舎はこのような資本の脱構築作用によって、時には解体され、時には編成されてきたということだ。それは今でも続いている。

 僕は以前より注文してあった古本が十冊ほど、帰省のタイミングで実家に届くように設定してあった。僕の田舎には本屋など遠の昔になくなり、本などもはや買えない。「それなり」の本を買うには、自動車で何十分もかけて近鉄百貨店に行くしかない。だからamazonや日本の古本屋という、東京の「知識人」と同じ経験ができる本屋を利用しなければならない。スタバと同じでamazonによって、東京と同じ(ような)空間を経験しなければならないのである。このような経験のインフラとなっているグローバル資本への依存は高くならざるを得ない。これは最近話題となった「テクノ封建制」(バルファキス)による田舎の再封建化といえるのかもしれない。昔スラヴォイ・ジジェクが、「一極集中」は批判すべきではない、という議論をどこかの著書でしていたはずだ。資本と環境汚染は都市部に一極集中してもらって、地方に広げるべきではないというものである。都市への一極集中を排して、地方に資本と汚染を広げれば、早晩、様々な破局が訪れるだろうと。例えばネットで見かけた都市部や東京への一極集中批判は、グローバル資本にも地方や田舎への資本進出の口実を与えて、「文化資本」としてのグローバル資本による地方の封建的支配をも正当化させることになるだろう。そして、「観光」もまた、そのような地方や田舎への(文化)資本による支配を正当化する急先鋒となっている。田んぼの真ん中の「吉祥寺」も一つの「観光」の形態といえるのだ。それ故、「観光」を批判しない「文化資本」への批判などありえないのである。

米の「民営化」について

2025年06月23日 | 日記
 米の値段が上がり大変だというのは、米を先物取引の商品としたことに原因があると僕は思っているが、何か農協という「既得権益」のせいだということで、農協批判にすり替わっている。米の「民営化」をしたい人がいるのだろう。農協は確かに農薬や肥料、種もみや苗の販売、収穫後の籾の貯蔵の料金など、中間搾取的なものがあるのも事実で、僕も兼業農家に育ったが、農協に対する文句を家族が言っていることを聞くことは度々あった。ただ、それを含めても、農協より先物商品にしたことのほうが、投機目的で価格が変動してしまい、米の値段が不安定(高騰)する原因としては大きいのではないだろうか。たまに「米」を特権化して話すと、農本主義や米・ナショナリズムとして批判されることも多く、ツイッターなどで米問題が俎上に挙げられる際に、例えば漫画の『美味しんぼ』の「米自由化問題」のアニメが参照されており、賛否も含めた形で雁屋哲のナショナリズムの側面が強調されている。確かに、「米」を特権化することはナショナリズムに通じており、僕の家族の話しでも、米がまともに食えるようになったのは、高度成長期以降なので、古より米は日本の「主食」であるというのは、捏造されたナショナリズムともいえよう。「主食」という言葉へのイデオロギー批判も、もちろんありうべき批判だと僕は思う。

 ただ、僕自身は客観的に米をめぐるナショナリズムは批判されるべきであるとは思ってはいるが、自分自身が兼業農家出身ということもあり、そのナショナリズムを一方的に批判するのもいかがなものか、とも思う。「瑞穂の国」というのが、高度成長期以降のナショナリズムであったとしても、米が主食である環境が続いてきたのは事実である。食堂に行っても、家庭でも、米といって贅沢品ということは、僕が生まれてからはなかった。減反や米余りの批判がありながらも、安価なコメが供給できたのは、多くは兼業農家からの搾取があったためだろう。僕の実家は兼業農家で、約「一町」(1ヘクタール・十反)の田んぼを所有しており、減反による休耕田があったので、通常は「六反」ほどの田んぼで米を作っていた。毎年、GWは田植え、9月から10月にかけては稲刈りをしていた。田植えは手押しの田植え機だったので、子供にはなかなか操るのは難しく、中学生くらいにならないと運転は難しかった記憶がある。トラクターは補助があれば小学生の時から田んぼのなかでなら運転はできた。

 米を刈り取ると籾を農協から買った籾袋に入れて、軽トラックに積んで、農協のカントリーエレベーターにまで運んで、貯蔵してもらう。カントリーエレベーターの床には大きな穴があって、そこに籾袋から米を流し込む。昔は兼業農家は仕事の休みで刈り取りをするため刈り取り時期が重なる関係で、またカントリーエレベーターも数が少なかったので、何十台も軽トラックが並ぶため、夕方に並んで夜の11時過ぎまで待たされることもあった。そのカントリーエレベーターの職員も地元の農家の顔見知りなので、そこで立ち話ということもよくあった。

 農協というより、僕の地域ではみんなが「くみあい」と呼んでいる印象の方が強い。土曜の昼食のインスタント袋麺も「くみあい」という農協ブランドのインスタント麺を食っていた。「くみあい」の床屋もあったし、保険も貯蓄も「くみあい」の口座でやっていたと思う。「くみあい」の株券ももちろん所有している。そして、就職先として、村の「くみあい」に就職するというのは、郵便局に就職するような形で、なかなか「堅い」就職先であった。「くみあいに勤められたら、ええわな」という声を今でも思い出す。そういう意味で、農協というのは文句は言うものの、生活に密着した共同体だったと思う。郵政が民営化されるのと同じように、農協解体がなされるというのは、このような共同体が壊れていくことでもある。そしてこのような共同体が壊れて行けば、兼業農家は立ち行かなくなるし、耕作のモチベーション自体も下がっていくだろう。僕は地元を出たこともあり、兼業農家自体を20年前にやめ、現在は地元の農家に耕作を頼んでいる。しかし、僕の友人たちの幾人かは賃労働をしながら兼業農家を続けている。友人の幾人かとそのモチベーションについて話したが、土地を守るという意識と、地域の共同体のことを考えてのようである。その気持ちはわかる。僕も物理的に離れなければ、兼業をしていたと思う。

 東京に来て、学生時代にアルバイトをしていても、GWに田植えを理由に休みの希望を言うと、快諾が多かったのは少し意外なことであった。そんな田植えくらいで、といわれるかと思うと、田植えは重要だから、というのを聞いて、少し都会の人が農家を買いかぶりすぎだな、と思う所もないではなかった。その買い被りだと思う理由は、実家が農家だというと、うらやましがる人が多かったからだ。米が安く食べられていいな、という理由はまあいいとして、しばしばあったのが、儲かっていいなというものだった。これはかなり意外だった。「六反」(僕の地域では一反当たり6俵平均の収穫)作っていた時の売り上げを今でも覚えているが、現金で38万円だった。恐らくその後もっと下がったと思う。38万からまた肥料、苗代、農協への使用料などを払うのだから、ほとんど利益などない。中小の兼業農家は資本主義的には利益の出ない労働をしていると思う。

 よくこれに対して、大規模化したり企業が農業を集約してやればいいという意見があるのだが、大規模化した企業が米作をして利益が上がっているうちはいいが、上がらなくなれば土地を譲渡したり農業自体が廃棄される可能性がある。そうなれば益々米の需給のバランスは悪くなる。中小の兼業農家が連合して、政府の補助金に支えられて安定的に酒食を供給するというシステムは、主食を安定して安価に供給するという意味では、それなりに意義があったはずである。しかし、新自由主義的な発想で農業に自由化、米の自由化、先物商品化をすれば、市場原理によって大資本(家)の意図で米価が操作されるのは当然であろう。昔、哲学者のスラヴォイ・ジジェクが、農業は中小農家の連合が必要で、その連合をサポートするのが国だと書いていたと思うが、それは正しいと思う。何か規模の大きい、しかも市場原理によって動いているシステムに依存すれば、そのシステムが思わぬ動きをしたとき、大きな影響が出やすくなる。米の先物商品化という、市場原理へ米を突っ込んだこともその「依存」の一つで、米価の高騰もここに原因があると予測できるが、農協という中小農家の連合組織を「既得権益」として壊そうというのだから、度し難い。ますます「主食」は「民営化」され、安定しなくなるだろう。

 このような中小農家の、僕の友人も賃労働の合間に農業をするのは、かなりの重労働になる。それでも農家を続けるのは、それを作らなければならないという義務感があるからだと思う。中小の兼業農家に限って言えば、利益だけを考えたら、米作などやらないほうが絶対にマシだ。それもなぜ米を作るのかを考えた時、やはり何らかのナショナリズムには立脚するものがあると思う。共同体の維持の問題もあるだろう。ツイッターなどで、米の「主食」ナショナリズム批判や、「瑞穂の国」へのイデオロギー批判は正しいとは思うが、ならば、中小農家の耕作モチベーションは何によって維持されるのだろうか。米以外でも食うものがあるというのは、今の現状がそうであるだけで、将来はそれすら食えなくなる可能性は高い。

 ツイッターなどで、たぶん米を作ったこともないだろうな、という人が米・イデオロギー批判をしているのを見ると、前にもどこかに書いたが、米作農家は「スト」するか大都市に米を供給しないという抗議行動をやった方がいい、という気持ちにさせられる。そもそもが中小農家からの搾取で米が余り、安価で米を食っていたにもかかわらず、その基盤が脆弱性を見せると、すぐに別の市場原理によるイデオロギー批判を持ってきてメタ視点に立とうとする。僕は農本主義や米・ナショナリズムの安易な賞揚を批判すべきだと思うが、米の「民営化」を阻止していたナショナリズムの側面は、肯定的に見るべき側面でもあると思っている。他に中小農家の連合や共同体を維持する方法があればいいが、このナショナリズムの核なしに、米を作るモチベーションは維持できるのかは疑問である。

 先に書いたように、僕が意外で驚いたという、東京の人が田植えを大事なものと尊重してくれて、農家を儲かるものだと、うらやまし気に話しかけてきたその見方こそ、米を作らない人々の米の「民営化」に対して鈍感になっている原因だろう。恐らくそれは自分が食っているものを、誰がどのようにして作っているかへの、精神分析的な意味での「否認」だからだ。米を先物取引の商品としながら、農協を批判するというその挙措こそ、僕が東京に来て初めて感じた「否認」そのものである。

ブログの引っ越し

2025年06月19日 | 日記
 goo blogが2025年11月18日でサービス終了となることが発表され、新規ブログの開設が6月30日で停止になるということで、記事はまだ数か月書くことはできますが、6月末でgoo blogからHatena blogに引っ越す予定です。既にこれまでgooblogで公開していた記事は、Hatena blogの方に移しました。ここから7月までの10日ほどはまだgooを本拠地として、二つのブログを並行していきたいと思います。goo blogというあまりメジャーではない?ブログで続けることに意義を見出していましたが、サービス終了ということで残念です。ツイッター的短文や動画、あるいはFBのような大手ではないところで長い文章を書くことは大事だと思っているので、ブログというメディアを大事にしているであろうHatenaに移ります。goo blogでお世話になった皆さんには、新天地でもよろしくお願いいたします。

引っ越し先
https://pardonnez-moi.hatenablog.com/

ここと同名のブログです。
まだHatenaの方は仮住まいの設えですが、7月から正式に場所を移すつもりです。
ここも7月までは名残を惜しもうと思います。

新宿三丁目の方へ

2025年02月21日 | 日記
 仕事の後時間があったので、帰宅前に模索舎で色々と物色。形而上学研究会の『eroica』の「太田竜入門」、よろづ研究匍匐会『匍匐会紀要別冊』の特集「外山界隈」、最前線出版『最前線』の特集「反ファシズム ファシズム再構築にむけて」を買った。そして、ケヴィン・アンダーソンの『周縁のマルクス』(社会評論社、平子友長監訳)が新刊で買えた。この『周縁のマルクス』はネットでは日本の古本屋にもあまり見当たらず、amazonでは見かけても、とんでもない高値をつけており、あるところにはあるものなんだ、という感慨を覚える。久々に歌舞伎町周辺も歩いたが、金曜日の夜だからか、人にあてられて疲れたので、喫茶店に入り、買った本と雑誌をしばし眺めている。