じんぶん堂企画室(聞き手:滝沢文那)の『柄谷行人回想録 』が面白くて、ネットで毎回読んでいる。その中の「試験勉強でつかんだマルクスの「本領」:私の謎 柄谷行人回想録⑤」では柄谷が、大学時代の試験の話をしていて、柄谷は東京大学の経済学部の出身で、大学院で英文学の研究に進み、僕は高校時代に新潮文庫の夏目漱石『明暗』の解説を書いていた柄谷の文章が面白く、また経済学部から文芸批評をしているということで当時の僕には印象に残っていた。別に経済学部から文学研究、文芸評論をすること自体は珍しがることではないかもしれないが、高校生の時は受験もあって、大学の学部というのは、将来の進路と繋がっているという単純な思考があるため、印象に残っていたのだ。当時、大学に入ってからようやくそれが文芸批評と呼ばれていると初めて知ることになる文章のジャンルを読んだ最初は、これは前にブログで書いたので繰り返しになるが、新潮文庫の漱石の小説に柄谷が解説を書いていたのを、高校生なりにこの人はちょっと他の解説とは違うものを書くな、と思っていて印象に残っていた複数の文章と、あとは『漱石とその時代』の江藤淳の「嫂」の話にフェティシズムを感じて、読みふけった評論だった。特に柄谷は大学からも単行本で出たものは、それなりに読んでいたと思う。文芸批評の文章ももちろん面白かったが、僕は『トランスクリティーク』(岩波書店)を一番興味深く読んだ。恐らく、柄谷が何を書きたいのかがおぼろげにわかりはじめたころであり、ある程度理解しながら読んだ(と思える)ことが、興味を持った原因だろう。そこでのマルクスの議論は、デリダの『マルクスの亡霊たち』(藤原書店)とネグリの『マルクスを超えるマルクス』(作品社)とトリアーデを作っている、と思って読んでいた。
さて、話が脱線したが、「回想録」を読んで思ったのは、柄谷が学生時代どのような書物でマルクスの勉強をしたのだろうか、という疑問であった。〈柄谷通〉の人は知っているのかもしれないが、宇野弘蔵の経済学、平田清明や岩田弘の影響があるらしい程度の認識で、特に何の手掛かりも積極的に調べようとも思ってなかったが、「回想録」を見ると柄谷は学部生時代、鈴木鴻一郎編の『経済学原理論』を試験で勉強し、「わかりやすかった」と言っていて、記事の写真でも柄谷が現物を手に取って眺めて見ており、一度読んでみたいと思った。
別に今これを読む意味はないかもしれないが、amazonで調べると、上下で3万5千円以上する。日本の古本屋ではそもそも見つからなかった。しばらく古本屋をめぐりをすると、上下で1万4千円で並んでいた。amazonの半額以下ではあるが、買う意味があるか値段の高さに躊躇したが、「回想録」の雰囲気を味わうためにも、買っておこうということで購入した。僕は読書自体は元来好きではないが、妙なところで、書物の雰囲気というか、その時代性というか、それを読んでいた人物というか、そういうものにフェティシズムを感じて、高価な古書を衝動的に買ってしまうことがある。語義矛盾かもしれないが、一過性のフェティシズムであることが多い。本には元の持ち主の人の蔵書印が押してあり、どうやら北海道の方のようで、下巻には当時の領収書がそのまま挟んであり、「680円」だったようだ。この元の持ち主である北海道の方も柄谷と同い年かその周辺の年代に大学生だったのだろうという想像をしている。西部邁は寮の天井にこの本の「まとめ」を書いて張って試験対策をした、と「回想録」には登場する。初版は1960年に出ているので、まさしく柄谷が回想している「60年安保」の年に出た書物だ。当時の大学生はどういう存在であったのか、興味がある所である。僕の家族は、親類まで広げても、僕が初めて大学に行った人間なので、それ以前の大学生がどういうものだったのかは身近な人からは聞けなかった分、憧れがあるのかもしれない。
今は他の仕事で時間がなくて、むしろその仕事に忙殺されて心の余裕がないが、少しだけ読んだ。経済学が、ヘーゲルを想起させるような、こんな観念の運動の歴史であるかのように大学で講義されていた時代が、1960年代にはあったのか、という妙な驚きがある。自分が大学で経済学を勉強した時は、もうマルクスなどシラバスのどこを探しても存在せず、マクロ経済やミクロ経済でグラフを画いたり読み取ったりしており、理解力もなく、これは何をやっているのかとぼうぜんとしていたのだが、こういう本があったら、経済学が好きになれたかもしれない、というのは後付けに過ぎるか。そういえば大学時代にマルクスの言葉を初めて聞いたのは、哲学の先生で、勿論マルクスという名だけなら大学以前でも聞いてはいるが、学問の対象として聞いたのはその時が初めてであり、その教員はやたらと本当にマルクスは古くなって必要ないのか、という問いを常に発していた。当時は何でこの人はマルクスにこだわるのだろう、と思っていたが今思うと「68年」に学生運動をやっていた世代であった。その教員は、フォイエルバッハとシュティルナーなど、ヘーゲル左派の系譜を教えてくれ、なぜヘーゲルは右派と左派に分かれたのか、ということも熱心に講義してくれたが、それは後々ためにはなった。マルクス経済のマの字もなくなっていた僕の学部時代に、マルクスという言葉を刷り込んだのはその教員であり、柄谷のようなマルクスや大学の人々とのエリート的な出会いはしていないが、僕も大学で確かにマルクスの名前くらいには出会っていたのだろう。
付箋を貼りながら読み、栞は喫茶店のストローの紙袋。
さて、話が脱線したが、「回想録」を読んで思ったのは、柄谷が学生時代どのような書物でマルクスの勉強をしたのだろうか、という疑問であった。〈柄谷通〉の人は知っているのかもしれないが、宇野弘蔵の経済学、平田清明や岩田弘の影響があるらしい程度の認識で、特に何の手掛かりも積極的に調べようとも思ってなかったが、「回想録」を見ると柄谷は学部生時代、鈴木鴻一郎編の『経済学原理論』を試験で勉強し、「わかりやすかった」と言っていて、記事の写真でも柄谷が現物を手に取って眺めて見ており、一度読んでみたいと思った。
別に今これを読む意味はないかもしれないが、amazonで調べると、上下で3万5千円以上する。日本の古本屋ではそもそも見つからなかった。しばらく古本屋をめぐりをすると、上下で1万4千円で並んでいた。amazonの半額以下ではあるが、買う意味があるか値段の高さに躊躇したが、「回想録」の雰囲気を味わうためにも、買っておこうということで購入した。僕は読書自体は元来好きではないが、妙なところで、書物の雰囲気というか、その時代性というか、それを読んでいた人物というか、そういうものにフェティシズムを感じて、高価な古書を衝動的に買ってしまうことがある。語義矛盾かもしれないが、一過性のフェティシズムであることが多い。本には元の持ち主の人の蔵書印が押してあり、どうやら北海道の方のようで、下巻には当時の領収書がそのまま挟んであり、「680円」だったようだ。この元の持ち主である北海道の方も柄谷と同い年かその周辺の年代に大学生だったのだろうという想像をしている。西部邁は寮の天井にこの本の「まとめ」を書いて張って試験対策をした、と「回想録」には登場する。初版は1960年に出ているので、まさしく柄谷が回想している「60年安保」の年に出た書物だ。当時の大学生はどういう存在であったのか、興味がある所である。僕の家族は、親類まで広げても、僕が初めて大学に行った人間なので、それ以前の大学生がどういうものだったのかは身近な人からは聞けなかった分、憧れがあるのかもしれない。
今は他の仕事で時間がなくて、むしろその仕事に忙殺されて心の余裕がないが、少しだけ読んだ。経済学が、ヘーゲルを想起させるような、こんな観念の運動の歴史であるかのように大学で講義されていた時代が、1960年代にはあったのか、という妙な驚きがある。自分が大学で経済学を勉強した時は、もうマルクスなどシラバスのどこを探しても存在せず、マクロ経済やミクロ経済でグラフを画いたり読み取ったりしており、理解力もなく、これは何をやっているのかとぼうぜんとしていたのだが、こういう本があったら、経済学が好きになれたかもしれない、というのは後付けに過ぎるか。そういえば大学時代にマルクスの言葉を初めて聞いたのは、哲学の先生で、勿論マルクスという名だけなら大学以前でも聞いてはいるが、学問の対象として聞いたのはその時が初めてであり、その教員はやたらと本当にマルクスは古くなって必要ないのか、という問いを常に発していた。当時は何でこの人はマルクスにこだわるのだろう、と思っていたが今思うと「68年」に学生運動をやっていた世代であった。その教員は、フォイエルバッハとシュティルナーなど、ヘーゲル左派の系譜を教えてくれ、なぜヘーゲルは右派と左派に分かれたのか、ということも熱心に講義してくれたが、それは後々ためにはなった。マルクス経済のマの字もなくなっていた僕の学部時代に、マルクスという言葉を刷り込んだのはその教員であり、柄谷のようなマルクスや大学の人々とのエリート的な出会いはしていないが、僕も大学で確かにマルクスの名前くらいには出会っていたのだろう。
付箋を貼りながら読み、栞は喫茶店のストローの紙袋。