「プチット・マドレーヌ」は越えたので許してほしい

読んだ本の感想を主に書きますが、日記のようでもある。

「マスク」について

2023年07月25日 | 日記
 マスクといっても、最近書いているイーロン・マスクのことではない。新型コロナウィルス感染症が広がる以前、僕はマスクをする習慣がほとんどなかった。した記憶といえば、小学校の時にまでさかのぼるかもしれない。学校の指導で、インフルエンザの流行時や、風邪をひいたときはマスクをしましょう、という指導で、試しに何日かマスクをして登校したことがあった。小学校ではその他、給食当番で配膳をするときは、マスクをしていたように思う。そのようなとき以外、生涯にわたってマスクはほとんどしたことがなかった。

 2019年の年始、そして春あたりから、今でいうところの新型コロナウィルス感染症が流行の兆しを見せ始め、メディアでも頻繁に報道されるようになった。僕はもしかしたら大規模な感染の事例になるかもしれないな、と思いながら、特に何ができるわけでもないので、傍観するに等しかったと思う。ちょうどそのころ田舎の両親から、東京はどういう状況か、という連絡が来たので話したことを記憶しているが、むしろ田舎の両親の方が楽観的で、2019年の夏には収まるのではないかと話しかけてきたが、僕の皮肉な性格からかもしれないが、僕は即座に否定し、恐らく数年続くし収束ということはしばらくはないと思うよ、というと、また嫌なことを言うやつだというようなかたちで、電話を切られた。とはいうものの科学的な知見があったわけではなく、だいたい人の希望的観測は裏切られるし、希望的観測という否認自体が本来は事態の大きさを物語っているのであり、それは嫌々でも認めていかないと、科学的な見解事態もそれと共に否認しかねないという警戒感を持っていたので、収束するとかそういう、安易な希望的観測は持つべきではないと考えていた。

 ただ、それとは別に、みんながマスクをし始めた時に、マスクをしたくないという意識も強くあった。つまりこの感染症は希望的観測によって収束するものではないと思いながらも、マスクに関しては、しばらく自分の意志でしないでおこうと考えていた。それはみんなでマスクをし始めるという傾向への反発もあった。外出する時も、職場へもしばらくはマスクはしていなかったが、徐々に僕に対する周りの目が厳しくなっていったのを意識し始めた。また、人が過密に集まっているわけではない屋外でも、二~三度怒鳴られたり、嫌みを直接投げかけられることもある。僕自身は新型コロナウィルス感染症を「ただの風邪」とは全く思っておらず、時と条件によっては危険な感染症だと認識していた。田舎の両親は高齢になってきていたので、注意をするように言っていたし、高齢者が自宅にこもることで戦略的に「塹壕戦」をしかけてウィルスと戦うことも、実践上、そして倫理上も正しく、もっともなことだと考えていたし、今も考えている。また、感染症の拡大を科学的な見地から考えるのであれば、中途半端に経済的な損失を考えるのではなく、きちんと都市封鎖をして、経済活動の停止分は政府が責任をもって補助金を出すべきだという考えを持っていた、というかこれも今も持っているし、今からでも金を出すべきだと思っている。その時期、特に病院と学校が、オリンピックに未練たらたらの政府をしり目に、厳戒態勢で自衛したのも、当然と考えた。そういう意味では、新型コロナウィルス感染症の脅威を不当に少なく見積もったり、マスクの効果を疑っての不使用ではなく、マスクをするのは自分の判断であり、なにかの雰囲気や希望的観測によってするものではない、と考えて不使用だったわけだ。僕の周りにはそのような考えの人が少なからずいたように思う。

 ただ、ある時期から僕もマスクをするようになった。それは職場でもしなくてはいけなくなったのもあるのだが、マスク不使用の者に対する厳しい目に堪えられなくなってきたのも事実であった。その時同じ理由でマスク使用を控えていた友人もマスクをしており、その時偶然外で会ってマスクについて話したら、マスクをしないということに対する周りからのストレスが、生活する上で無視できなくなり、それがマスクをしないことの意志を上まわり、気持ちが萎えて来た、というものであった。僕も同じであったので、やはりある行動を一貫してするというのはかなり難しいことだと思い知らされた。それからは、僕の職業柄は人と面と向かうものであるからマスクをしており、基本的に何かを食べているとき以外は、マスクをするようになった。また僕はその頃、病気で入院することとなり、ちょうど感染拡大の「波間」だったので運よく入院ができ、九死に一生を得たのだが、もちろん僕の同室の人々は命にかかわる重病の患者しかいなかったため、マスクはしていた。

 それ以来マスクをして数年、最近新型コロナウィルス感染症が「5類」となり、マスクからの解放が経済活動の再開と不当にも結び付けられて、今度はマスクをする人が徐々に減っていった。僕は実際それを苦々しく思っていた。なにも状況は変わっていない。感染症に対する知識や距離感は、当初よりは経験上得たものの、「5類」となっても基本的に感染症の状態は何も変わっていないはずなのだ。にもかかわらず、「5類」と分類され、マスクからの解放=経済活動の再開という大義名分のもと、これまでマスクをしない人や「県外ナンバー」が地元に入ってくることを非難していた人々が、あるいはこれは僕の田舎でも起こったことであるが、当初感染者には相当の差別をおこなった人々が(実際僕も田舎で東京から来たことをとがめられた)、今度はマスクをすることは経済をだめにするとか、ことさらに危機感をあおるものだと言って批判し始めたのである。これは感染症拡大の当初、マスクをしない人々に対して罵声を浴びせていた、あるいは白い目で見ていた人の論理が、「5類」という実際はその「移行」によって事態は何も変わっていないにもかかわらず、何か変わったように思わせる「法=無」によって反転しただけのものだろう。要は何も考えていないのだ。

 僕はそのような状態もあって、今度はしばらくはマスクをし続けようと考えている。これは僕への戒めでもある。新型コロナウィルス感染症で経済的にも身体的にも人々が苦しんでいるさなか、補助金による医療費や生活費の給付などの対策を何もせず、それをコストとすら考え、暗黙に感染症を差別と結びつける環境を作ることで、弱い人々をその雰囲気の中で排除し、さらに何の役にも立たないオリンピックを強行した「日本国民」を象徴しているものとして、しばらくマスクはするべきだと思う。連日猛暑で危険だ危険だと言いながら、しかしこれは経済活動を止めるなという意志が招いた気候変動であって、何が危険だとどの口が言うのだと思う猛暑の中でも、マスクは外さずにしている(結局富豪たちは涼しいところに金で「移行」するだろう)。最近僕は、上記のようなことを約めてある集まりで話したのだが、20代と思われる若者が、明らかに不快感を示して席を蹴ったことがあった。僕も僕自身偉そうに言えた義理ではないので、悪いなとは思ったのだが、実際何も変わっていないのに、マスクをしたりしなかったり、その場の雰囲気や憶測や希望的観測で、動いていることへの見解を言った方がいいのではと思ったのであった。