「プチット・マドレーヌ」は越えたので許してほしい

読んだ本の感想を主に書きますが、日記のようでもある。

「批評」についての思い出

2023年07月19日 | 日記
 「批評の衰退」?ということが議論されていた(あるい今もされている?)というツイートが流れて来ていた。どこ発信かはわかっていないのだが、最近はTwitterが不安定で、昨日も一時全くアクセスできずにいて、そもそも発信元の特定くらいなら少し前ならすぐにしたものの、そんな気も失せていたために、その「批評の衰退」論争?の発端は把握していない。僕自身は「批評」を読むのは好きで、高校の時、新潮文庫版の夏目漱石の小説を読んでいた時、その「解説」に惹かれたことがあったが、それが柄谷行人のものであった。その当時は柄谷のことを全く意識できておらず、当然名前も記憶していなかった。しかし、高校生ながら、しかも本を読むなど夏目漱石の小説が初めてくらいの僕にとっても、柄谷の「解説」は何らかの印象を与えていたのだろう。大学に入って、「批評」なるものがあることを知って、遡行的に柄谷を認識することになる。同じく高校時代は、夏目漱石の小説が好きになった関係で、隣町の〈都会〉に出て、今はなき老舗の書店に行き、江藤淳の『漱石とその時代』(新潮選書)を買って読んだ記憶がある。これも「批評」を読もうとしたのではなく、単に夏目漱石の「解説」だと思って読んでいた。そもそもその頃は、「文芸批評」なるものが存在することすら知らなかったのだ。江藤が、『行人』などを読解しながら、漱石とその嫂との関係を探っていくという手法が、スリリングであったわけだが、今思えばその大半は、ゴシップ的な興味で読んでいたのではないかと思う。江藤もまた、大学生になってから、遡行的に認識するようになった。確か、大学の時に『漱石とその時代』の第4部と第5部が出たのだと記憶する。というのも、一般教養で近代文学を教えに来ていた先生が、僕が漱石が好きだということを知っていたので、「4部が出ましたよ」とか、「5部が出ましたよ」と言って教えてくれたのだ。僕自身その時は、文芸批評を読んでいるという意識は全くなかったので、その先生にはお礼を言って買ったが、嫂の話題から離れ始めていたせいか、4部と5部は僕の中ではあまり面白くなかったと記憶している。「批評」との出会いは、遡行的に遡ればそれが最初だと思うが、記憶にないだけで、もっと前に批評家の文章を知らずに読んだことはあったのかもしれないが、それはもうわからない。

 「批評」を知りだしたのは、周りで「批評」を読んでいる友人がいたからだが、特に「批評」というのが何かはよくわからず読んでいた。そのため、恐らく読み始めた時は、いったい何が問題になっているのかがさっぱりわからなかったと思う。学生の頃はむしろ狭い範囲の読書しかしていなかった。学生の頃のめり込んだのは、のめりこむというのは全集を読むという意味だが、ソクラテス以前の哲学者と、プラトンとウィトゲンシュタインはまとめて読んで、そのほかはアンセルムスやアクィナス、クザーヌスなどの中世の神学を何冊か齧る程度だった。本を全く読んでこなかった僕からすると、それでもそれなりに世界は広がったような気はしていた。しかし、それらと「批評」は僕の中ではどうつなげていいのかわからなかった。そもそもつなげようとしてなかったし、何が「問題」なのかがわからなかった。

 「批評」とそれまでの読書が結びつき始めたのは、ロラン・バルトとジャック・デリダを読み始めたころからかもしれない。デリダの『グラマトロジー』というのが面白いらしい、とネットの書き込みで観たので、早速買って読むと、全くわからない。そもそも訳文である日本語がわからない。書き方も何が書いてあるのかがわからない。今の言葉でいえば〈そっ閉じ〉をして家の本棚に置いたわけだが、ネットの掲示板に「訳が分からない」と書き込むと、様々な人が助言をくれたのだ。その中で、もはやだれかわからない匿名の書き込みの助言者、その人には学恩があるといってもよいだろう、今思うとありがたい助言をくれたのだ。その人は親切にも、みすず書房から出ているロラン・バルトの著作を何冊か読んでみた後、もう一度デリダを読んでみてください、と書き込んでくれたのだ。僕はすぐに実行に移し、まずは『エクリチュールの零』(これはちくま学芸文庫だった)を読み始めた。もちろんバルトはバルトでよくわからなかったが、しかしデリダよりはわかるような気がしたので、そのまま読み進め、みすず書房で出ているものをだいたい読み終わって、『グラマトロジー』に戻ると、「見える、俺にも敵が見える」というようなガンダムの台詞のように覚醒したような気がした。まあこれは実際覚醒どころか錯覚であったわけで、恐らく、バルトのおかげで難解なものを読む耐性が付き我慢強くなっていたので、読めているように錯覚できて文字が追えたのだと思う。ただ、この耐性が付いたのは、そのどういう人かわからない匿名ネット掲示板での助言であった。その人とはTwitterで出会っているだろうか。

 さて、思い出話になってしまって何を書いていたのかわからなくなってきたが、デリダを読んでいくと、わからないなりに、どうやらデリダという人は、何らかの支配的な体制とやり合っているんだなということがわかってきた。それが現前の形而上学という、なにかこう実感とか充実とか、満足とか、そういう充溢したものの体制であり、人はその充実や充溢した体制に依拠して生きている。しかし実際はそういう満足や実感や充実、充溢の体制というのは、そもそもそれとは全く無縁な、もっと非人間的で不毛なものの運動の効果で生み出されたものでしかなかった、ということがデリダは言いたいらしい、ということくらいはわかり、その不毛であり、充実や充溢とは全くかけ離れて切断されているものの効果からしか、充溢的な体制は産出されてこない、というそのデリダの逆転した論法が、どうしようもなく身も蓋もないものでありながら、爽快な気分を与えてくれた。人はこの世の中の幸せや不幸や、楽しみや苦痛自体に振り回されるわけだが、実はそれら自体は全く非人間的で、人が意識的には近づけない何らかの運動によって生み出されている。この人間を突き放して、何もかもを身も蓋もない形で、人がご都合主義的に依拠している充実やら幸福やらをぶっ壊そうとする発想は、爽快なものだと思うようになった。この爽快さは、カントやヘーゲルにも特に感じるものであり、人間の主観や意識が、それとは全く何の関係もない非人間的な差異の動きで産出されているという弁証法は魅力だと感じたのである。

 なるほど「批評」というのはこの、人間的なものをぶっ壊していく試みなのか、というのが、デリダを読んでいくうちにわかってきた。そしてそれを意識していくと、確かに友人たちが読んでいる批評家達のテクストは、特にそれが偉大な批評家であればあるほど、非人間的なものを書いているし、僕らが通常依拠している世界や意識が、全くその世界や意識とは無縁であり、無機質で無味無責任無法無方向無目的の運動から産出されているということを見事に書いているなというのが、なんとなくわかってきた。「批評」というのは、世界や意識とは全くの無縁であり、非人間的と言う言葉では全く不十分な、無機質で無味無責任無法無方向無目的の運動を取り出して、それを真理として差し出すことなんだろう。切断それ自体であり、無それ自体を文字にすることだろうと。

 この文章も無方向的で着地点がなくなってきたので、そろそろこの辺で終わらなければならないのだが、この非人間的と言う言葉では全く不十分な、無機質で無味無責任無法無方向無目的の運動を真理として書きだすためには、何を考えなければならないのか、というと資本主義ということになる。