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歌庭 -utaniwa-

“ハナウタのように:ささやかで、もっと身近な・気楽な庭を。” ~『野口造園』の、徒然日記。

正しい優しい

2011年03月27日 | 徒然 -tzure-zure-
前回に引き続き、今回までは、とにかく、「自分のために」書きます。
自分を大丈夫にするために。

自分のためだけに書く身勝手な文だけれど、伝わってほしいこともあるので、
正しくまっすぐに、想いは込めています。(それは、いつもと同じ気持ちで。)
よかったら、読んで下さい。




* * * * *


金曜日、ミュージックステーションを見た。

テレビは持ってないので、ケータイのワンセグで。
もちろん、
マイガッデス:Coccoさん目当てで。
AIちゃん(中学の同級生)も出てた。


Coccoは、一番最後に、
「ジュゴンの見える丘」を歌いました。

 

 もういいよ 目を閉じていい

 もういいよ 少しお休み

 悲しみは要らない

 優しい歌だけでいい

 あなたに降り注ぐ全てが 正しい やさしい であれ

 >>

  (著作権でほんとはあれかもしれないけど、歌詞を一部抜粋。)






自分の出番になるまで、後ろの席で、ほとんどずっと 目を閉じてうつむいていたので、
ネットでは「Cocco寝てる!」とか「不謹慎」とか騒がれて。

自分も一瞬寝てるように見えたし、それがどわっと騒がれている事態も面白くて、つい笑ってしまったのだけど、

よく考えろ。

考えたら、
あの状況で、寝てるわけがないわけで。



翌日、CoccoさんのHPに、メッセージが上げられた。
コピペはしないので、下記リンクからご覧下さい。

>>COCCO CHAnNEL


彼女自身が食らった痛みを堪えていて、

寝てるわけがないわけで。





ツイッターが、この震災の時にだいぶ役に立ったということで賛美されてる。
と同時に、不要なまでの煽りや誤りも、大量に垂れ流されて、拡散された。
有益なのも、無益なのも、善意も身勝手も真偽もぜんぶごちゃまぜで、
ほんとに大量に。

ほっとけばパニックになる事態だと思うけど。日本人の多くが幸い、冷静で、良かった。
一方で、冷静でいられず、起きたパニックもある。


発せられた情報、ことばは、飛散したまま、
見かけ上は、流れ去って行く。見えなくなって行く。

でも、
触れた人の 心の端々に、ひっかかる。

ひっかかって、傷をつける。

付けられた傷について、誰も責任を問えないだろう。
責任の所在はすでにわからない。

発してしまった言葉、誰かから流れて来た言葉をまたどこかに垂れ流して、
その言葉に、誰も責任を持たない。

簡単なコピペ
安易な拡散
ただの「つぶやき」
安易な削除


決して消せない、痕跡。

じわじわと、見えないかたちで残って行く傷。







大丈夫です。“ただちに”影響があるというものはございません。


言葉には、意味が在る。表の意味、裏の意図。
言霊とも言う。

「ただちに影響はないと思われる」ということは、
「いずれ影響が出て来るとも思われる」ということでもある。


そのように発するからには意図があり、
そのように発しないことにも意図がある。

言葉というのは、
誰かに投げかける段においては、ほんとうは、それなりの覚悟が要る。


歌う、という行為も、同じく。

今、多くの音楽に携わる人が、自分に出来ることを、と探した結果、やはり、と、
音楽を発信してくれている。


気楽な気持ちでのほほんと、歌っているわけじゃない。

「そんなものより金をくれ。食べ物送ってくれ。毛布をくれ。」
そう言われることを、百も承知で。

発するという行為には、それ相応の力を振り絞る必要がある。
と同時に、容赦ない傷を負うことも。


歌う ということは、
「つぶやく」よりも、ずっと、重い。





「死ね」なんて、
普通は、よう言えない。口に出して、誰かに面と向かって。軽はずみでは言えない。
その言葉自体の殺傷力は、恐ろしい。

でも、PCの箱に向かって、ケータイに向かって、ちょこちょこっと、「死ね」と打ち込むことは、
容易(たやす)い。
残念なほどに、たやすい。


面白可笑しく、揚げ足とったり、悪く騒ぎ立てるのは、見てる側の勝手だし
それが日常だったのなら、なおさらそうしたいのもわかるんだけど、

あまりにも 軽すぎる。

生きている人に向けるには、あまりにも軽率すぎる。


ちょこちょこ打ち込んでいるひとは、自分で勝手に独り言でも「つぶやいて」いるつもりだろうが。

発する前に、考えろ。
その言葉の重みを。

ちゃんと考えて欲しい。
その言葉の影響を。

一秒。立ち止まって、考えて欲しい。


打ち込んだ言葉は、字面通りに伝わってしまうということを。

そのウラにたとえ愛情やらなにやらが含まれていても、
字面に現さない「情」は、その匿名のボード上では、伝わらないということを。





昔はテレビッ子だったが、
何年も前に棄てて、テレビを見なくなって、良かった。と思っている。

久しぶりに、見ざるを得ない状況があったりして見ると、
ぞっとする。

あまりにも雑多。あまりにもナンセンス。なんというノイズ。
そして、あまりにも、力が強すぎる。

こうやって、知らず知らず洗脳されていくんだな、と、思う。

こわいな、と思う。





この前、打合せのあとに、ラーメン屋さんに入った。

そしたら、巨大なテレビが点いていて。

震災特番がやっていて。

祖母と孫が9日ぶりに救出された、と。
そして被災地の無残な映像と。
延々、繰り返していた。

それと、同じCMが、エンドレスにループ。エンドレスにループ。終ったと思ったら、
エンドレスにループ。


救出された孫が病院のベッドに就く。その傍らで、インタビュアーが神妙に問う。

「救出されたときのお気持ちは、いかがでしたか、、?」

「救助を待っているときは、どのようなお気持ちでしたか、、?」


吐き気がした。やめろ!と、発狂した声をあげそうになった。

「被災地では、今も、おにぎりひとつと、あめ玉ひとつで、頑張っています、、、」
「毛布も足りず、、」


そんなことを聞かされて、見させられて、

どうしたら今、平気な顔して、ラーメンをすすることができる?
いったいどうしたら、平然と、美味しそうに食べることが出来る?



それとこれとを切り離して、「被災地じゃないところにいる、被災者じゃない自分」は、経済活動を回すため、元気で居るために、食べなければ。というのも、理解出来る。


理解出来るけど、
理解出来ない。






テレビを通じて。

延々と繰り返される悲しみの報告。膨れ上がって行く不穏な情報。
なにかを隠そうとしている人たちと、疑念に苛む人たち。


それでも、

自分に今、出来ることをやるしかないと、肚をくくった人たち。

出来ることがわからず、無力感に苛む人たち。

募金?救援物資?節電?いくらぐらいやれば、意味がある?


いろいろと、わからないことに頭をつぶされながら、

でも
「この場所で、ここに充ちている空気を吸って、
 ここで手に入るものを食べて、生きて行くしか仕方無い。」
と、肚をくくった人たち。


不便や不公平にも、黙って、働く人たち。


どこまでが被災者だろう。




でも、
今回は、テレビに感謝している。
テレビの力で、どうか、ひとりでも多くの傷を負った人に、届くといいなと願う。


Coccoの、まっすぐに歌うのを見届けて、

それから、ネット上に溢れた 無闇矢鱈な「つぶやき」の暴走を見て、

複雑な気持ちになりながら、

『大丈夫であるように』のDVDを見た。

「うたうたいとして、あまりにも無力だけど、歌を歌うしかできないから、歌う。」
と、
葛藤し、自分を苛みながら、ヒリヒリと焦げながら生きている様を追った、Coccoのドキュメンタリー映画。
引っ張り出して、久しぶりに見た。


青森の六ヶ所村の女から手紙が来たこと、
それがきっかけで 六ヶ所村のことを知ったこと。そこに訪れたこと。
それを、青森のライブ会場で語るくだりが出て来る。

実は自分も、そこに居合わせた。あの時、泣いた。


久しぶりに見たけど、
久しぶりに、涙が出た。

そういえば、泣いたの、いつぶりだったか。もう、全然わからない。







今までずいぶん長いこと、泣いてなかった。
泣いてなかったし、感情全般、押し殺してた。

自分を殺して。自分を顧みず。
仕事が忙しくあったおかげで、見て見ぬ振りも出来たけど。

ろくに寝ないし、ろくに食べない。抑えて耐えて、さらに、押し殺す。


自分を解放出来るのも、
自分を労(いたわ)れるのも、結局、自分しか居ないのに。

自分がしっかりしていないと、
他の誰かのことをなんとかしてあげようなんて意識になれない。

自分自身が 身も心も力を失っていては、
他の誰かを元気づけるなんて、そんな力、出やしない。


わかっているのに、
わかっていられない。






「呼吸をしよう。」
と、
ヨガの先生をやっている友人が、言った。
言った、というか、ブログに書いてくれた。


クリパルヨガティーチャーの知人のブログにも、書いてあった。
「feel yourself, feel the universe」


ヨガは、呼吸法なんだと、そういえば聞いた気がする。




こうした渦中では、意識的にシャットアウトしてるつもりでも、気にしないつもりでも、
一人でこもって生きているわけじゃないからやはり、浴びて。
ご丁寧に、影響を受けて。鬱屈した感じに陥る。
抑えていても、どろどろとなだれ込んで来る。


そんな泥沼に はまりながら、
時折 ちゃんと、
こういう、「救い」も現れる。


長くなった。すみません。でも、一度ちゃんと記しておきたかった。自分のために。
自分が起き上がるために。自分を解放してやるために。
そうでないと、先へ進めない。

五体満足で、生きているのだから。
頑張らねば!

なにより、

マイガッデス:Coccoさんが「がんばります。」って言って、
ほんとに頑張ってくれているのだから!


自分も、がんばります。

次回からは、「ふつうモード」に戻ります*


がんばらなきゃ!
花が待っている!







では最後に。

その友人のアドバイスを、コピペで、紹介したいと思います。

以下、転載。

*******************************


今はみんなが想像を超えた困難に、初めて遭遇して戸惑っているから、
ほとんどの誰もが多かれ少なかれ、緊張している状態が続いている。

そんな時は上半身に気が滞ってのぼせやすくなっているそうだ。
だから、呼吸を深くして落ち着こう。そして気が巡るようにしよう。

ここで一呼吸、リラックスしよう。
ちょっとした時にやってみてくださいな、首から上へと気が通ります。
ただ腕を組むだけ。その時肘を覆うようにすること。
そして手が当たっている部分の方に意識をおいて、
温かいなあと感じられるようにする。
片方を肘のもうすこし上に手を当てるバージョンもいいです。

手当て、というのは、悪いところがよくなるよう手を当てることからきている。
自分の治癒力が一番身近で、隣の人にもすぐにできる。

今、自分のいつもの毎日を大切にしよう。
どうしても心がすぐに揺れてしまうけれど、それでもいい。
体はなるべく動かしてほぐしておこう、俊敏であるように。
そしてなるべく笑顔でいよう、感謝の気持ちを一杯もって。

小さな積み重ねかもしれないけれど、真実を知って行動する勇気を持ちたい。


**********************************

以上、天才。


どうもありがとう。


小さな産まれたばかりの赤ちゃんを抱えているあなたと、
小さな産まれたばかりの赤ちゃんに、
「正しい やさしい」平穏が訪れますように。




それから、

これから産まれ来る命を抱えている友人と、
これから産まれ来る命に、
正しい やさしい 朝が訪れますように。









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