時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(317) 連休は嬉しいものなのか?

2010年05月06日 04時29分52秒 | Weblog
 連休も終わり,7月になるまで祝日がない日々が始まる。
 今年の連休は,何かと連休の存在について考えさせられることが多かった。

※ 以下,小文字部分,自分自身の回想でうまくまとめ切れていないので,面倒な方は結論まで読み飛ばしてください。まとまっていないとはいえ,結論に至る考え方は出ているように思うので,メモ書きレベルですが,とりあえず載せてみます。

 自分自身の中では,連休に対して比較的いいイメージを持っていた。特に日々課題に追われていた高校時代は,大量の宿題が出るにしても嬉しかったように思う。
 しかし,大学1年の夏休みの前,2ヶ月近くの長期休暇を迎えることに不安があった。全く人に会わない訳ではなかったが,そのときは学科全体が1クラスという感じで連絡先を知っている人も少なかったし,高校までの友人についても同じ地域にいるわけではなかった。
 それまでの夏休みは,1ヶ月強の期間で,出校日があったことに加えて,小学校は地元の友達と遊んでいたし,中学校のときは部活や塾で人に会わないのはお盆の時期ぐらいだった。高校は補習と休みの日でも昼間は教室が自習開放されていたため,人と会わない時期はごくわずかだった。
 その不安は,応募していたアルバイトがお盆を除いてほぼ毎日終日あったことで見事に解消された。順調というわけではなかったが,その仕事もその後3年半ぐらいの間続けることになった。シフトが曜日固定性で代わりもそう見つからない仕事だったので,ゼミの飲み会に参加できないことも多く,ゼミの人から「バイトなんだし,たまにはさぼれば…」とか「そんなバイト先辞めちゃえば」とも言われたし,それに加えて仕事がうまくいっていない時期もあったので,本当に辞めようと思っていた時期もあった。それでも結局最後まで続いた理由は,なかなか辞めたいと相談できなかったのが一番大きいだろう。でも,今考えると,きつくても続けたいと思わせる魅力があったのかもしれないとも思う。学校に行かない時期もバイトに行くことで人と会わない孤独を感じずにいられたようだ。バイトを除いても専攻に分かれてからは長期休み中に泊りがけの実習があったし,1年次よりは人と接さない時期は長くなかった。
 そう考えると長い孤独を感じた時期はあまりなかったし,1週間ぐらいであれば一人で自分の趣味に打ち込むのも気分転換になっているように感じた。
 ただ,それは本業に関しては休みといえば休みなのだが,副業としては休みではないことによって人と会わないことを回避していたことになる。休みを休みとして過ごしていないことになる。そう考えると,自分自身が長期休暇というものを避けているのかもしれないと思った。もちろん,普段なかなか会えない人と出かけたり,食事をしたりという休みの状態で孤独を回避していないわけではない。しかし,自分から提案するのが苦手なので,その頻度は他の人より少なめだろう。
 今年のGWは5日という1週間もなかった期間で,普段なら自分の行きたいところにいって,なんなく乗り切れるぐらいの期間だが,前半誰とも会っていなかったこともあって,珍しく孤独を感じていた。自分から,人に声をかけてみようとも思っていたが,なかなかうまい表現ができずに,結局何もできないという悪循環に陥っていた。結果的には,近況を聞く電話がかかってきたり,昼過ぎてから約50km離れた場所での飲み会に誘われたりと,休みではないと関われない人と関わることができた。人と会えるありがたさを強烈に感じた。そうの反動か3月下旬に東京へ行ったときにも大学の同級生と会えたこと,出身大学へ行くと話す相手がいたり,飲み会に参加できたりと帰る場所を作ってくれる人の存在の有難さを妙に感じてしまった。
 さらに,もう一つ今まで孤独からの回避に大きな役割を果たしていたものの存在に気付いた。ある自治的な組織のまとめ役をしていたことだった。その役割があることによって,事務的な感はあるとはいえ人にメールとメールのやり取りはしていたし,その意見を集約することで何かやることがあるという充実感を感じていた。その集約はほとんどの飲み会の開催につながるので,実際に人と会うこともできた。今は,その役割からは外れている。「立場」を利用して孤独を回避していたことになるのだろうか。


 ここまでグダグダ書いてみて(よく言えば頭の中のアイディアを書き出すためのフリーライティングをしてみて),休みというのが必ずしもいい存在ではないのかなと思えてきた。うまく利用できれば,かなりの充実感が味わえる。その一方で,孤独を好まないが,人の中に自分から入っていくのも苦手というような人などにとっては究極の孤独な期間になるかもしれない。仕事などで必然的に人と会える仕組みの方が充実しているのかもしれない。孤独という観点以外にも,家庭に帰るのが面倒という声も聞いたことがある。家事をするよりも仕事をしている方が楽なので,進んで残業をする人もいるという。(というよりも,この意見を聞いたときには大きな共感を覚えた。)休み明けには,休み中に会えなかった人と話ができるから嬉しいという話も聞いたことがある。(これにも大きく共感ができた。)休みがどの人(状況)にとっても歓迎されるものとは限らないこと(=残業や休日出勤は本人が嫌がっているとは限らないこと),休みがあるから仕事の有難さが分かるし,仕事によって休みの有難さというものが分かるように両方あってからこそそれぞれのよさが出てくることなど休みに対する見方が変わってきた。

(お礼) かなりまとまりのない記事ですが,最後まで読んでくださった方有難うございます。

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