時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(151) 公営渡船(1)

2009年07月06日 23時53分08秒 | 現在の中の過去
公営渡船の記事
(1) 落合上・落合下・千本松
(2) (千本松)・木津川・千歳・天保山
(3) 船町・甚兵衛


  桜島と天保山の記事で少しだけ触れていた公営渡船。歩行者と自転車のみ利用可で,道路扱いのため料金は不要になっている。現在は8箇所運営されており,天保山のものを除いては大正区が関わっている。今回は大正区と西成区を結んでいる3つの渡船について北側から順に見てみたい。

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 落合上渡船場。
 (大正区側の待合所の案内板より)大正区千島一丁目と西成区北津守四丁目の岩壁間100mを結んでいる。大正区側の旧町名は「新炭屋町」で,1763年に炭屋三郎兵衛により炭屋新田が開発された場所。現在は埋め立てられた大正運河の木津川入口も渡船の南側にあった。

 なお,この渡船のみ2008年5月1日より民間業者による運航などが行われている。とはいっても,挨拶や誘導などが他と比べて丁寧であることや乗船員の服装が違うこと以外には差はあまりない。
 渡船の標準時刻。

(2009年6月24日撮影)

 15分間隔が基本で,朝夕のラッシュ時は10分間隔に増発されている。

 大正区側の乗り場。丁度,大正区役所のほぼ裏側に位置している。

(2009年6月24日撮影)


 堤防を下るスロープの途中には・・・

(2009年6月24日撮影)

 この中で亀が飼われているものと思われたが,姿はなかった。

 西成区側の乗り場から大正区側の乗り場を見る。

(2009年6月24日撮影)

 大正区側は,区役所の周辺で住宅や商業施設などが見える。向かって左側には標高約30mの昭和山が見える。

 船の上から北側を見る。

(2009年6月24日撮影)

 木津川の水門がある。基本的に開放されているが,毎月1回程度,試験運転のために閉められるそうだ。



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 落合下渡船場。
 (大正区側待合所の案内より)大正区平尾一丁目と西成区津守二丁目の岩壁間138mを結んでいる。1839年に描かれた新田細見図にもワタシの文字が見られている。津守も平尾も新田であった。10月から4月にかけてユリカモメが数百羽飛来する。

 標準時刻表。

(2009年6月1日撮影)

 基本的には落合上と同じだが,夕方ラッシュ時の増発が少しだけ早く終わっている。
 大正区側の待合所。

(2009年6月1日撮影)

 上屋などの設備は新しく感じる。 

 大正区側から西成区側を見る。

(2009年6月1日撮影)

 対岸には工場が多く見える。

 船の上から見た下流側。

(2009年6月1日撮影)

 千本松大橋が見える。

 西成区側の乗り場。

(2009年6月1日撮影)

 乗り場周辺は工場が多く感じるが,少し移動すれば住宅や高校もある。

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 千本松渡船場。
 (大正区側の案内より)大正区南恩加島一丁目と西成区南津守二丁目の岩壁間230mを結んでいる。1973年に千本松大橋(自転車歩行者通行可)が建設された後も廃止はされなかった。江戸時代には北前船など諸国の船が多く来航しており,安全運航のために澪標が多く立てられ,1832年には1.58kmに及ぶ石の堤が築かれていた。千本松はこの堤防に植えられた松並木により,南恩加島は1829年開発の新田の名に由来している。

 運航標準時表。

(2009年6月1日撮影)

 上記の2つと同じく,ラッシュ時10分間隔,他は15分間隔になっている。

 大正区側の入口。

(2009年6月1日撮影)

 ループの下は公園のようになっていて,野球の練習が行われていた。

 船の上から見たループ。

(2009年6月1日撮影)

 橋の高さ34mで,橋の道路の全長は1228.3mにも及んでいる。2段の螺旋形状からめがめ橋とも呼ばれている。(大阪市HPより)

 西成区側の乗り場から大正区側の乗り場を見る。

(2009年6月1日撮影)


 西成区側の渡船の入口。

(2009年6月1日撮影)





 3つとも夕方17時から19時に利用したが,仕事帰りの人や学生などで利用者は多かった。船が出た後でも待合所に人がいることは少なくなかった。負担は大きくても代替手段がないわけではない。にもかかわらず,無料で渡船のサービスが行われていることは興味深かった。

その2へ続く。


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