NPO法人さなぎ達ブログ

横浜市寿地区や近隣地域を中心に社会的生きづらさを抱えている人々を対象としながら活動を行っているNPO法人です。

「さなぎ達」とは

日本三大寄せ場の一つである、横浜市寿地区、寿周辺地区を中心に、路上生活者及び路上生活に至るおそれのある人々が、自ら自立に向かいやすい環境を整える「自立自援」を主な目的とし、メンタルを一番大切にしながら「医・衣・職・食・住」の各方面で活動しているNPO法人です。

女はハードボイルド

2012年06月29日 | ふらここ
 噂のオババと会った。
 モトコさんに連れられて部屋を訪問。
 ドアを開けたとたん数匹の猫を見つけ、
思わず手を出してしゃがみこむ。、
 すると、オババがモトコさんに大声で言うのが聞こえた。
「オレは取材なんかされたくないんだよ! オレがいつも
元気にしてるのは、なにも目立ちたいからじゃないんだ。
周りのみんなが、それで元気になるんならと思って、
いっしょうけんめい、やってるだけなんだよ!」

「あんたのこと取材したいって人が来るからね。
本になるかもしれないよ」
 と、山中先生が言ったらしい。以来、オババからモトコさんに
「どんな人が来るんだい? 男? 女? 幾つくらい?」
と、連日、電話があったそうだ。

「違うよ、取材なんかじゃないの。私も「さなぎ達」のメンバー
だからね、Iさん(オババの苗字)に会いたかっただけ」
 私がそう言いながら入っていくと、オババの声が
ころっとやさしくなった。
「なんだ、それならいいんだよ。最初っから
そう言やぁいいのにさ。
取材だの本だのってヤマナカが言うからさあ。
坐んな。そこ、坐んなよ」
 
 六畳の部屋に布団が敷かれ、オババが横になっていた。
 威勢はいいが、もう寝たきりの身である。山中先生、
モトコさんをはじめとするKMVP(寿みまもりボランティア
プログラム)が看取りに入っている。
 あちこちに可愛いヌイグルミや袋がぶら下がってて、
なかなか居心地の良い部屋だ。猫が5匹もいる。

「野良?」
「野良なんかじゃないよ! 赤ん坊の時から育ててんだから」
 野良出身の、うちの猫と違って、ここの子達は
オババの食べる物をなんでも一緒に食べるそうだ。

 モトコさんが豆を買いに行かされた。
「あんたさ、話そうよ、おれは人と話したいんだよ。来てよ、
これからしょっちゅうさ!」
 二人になると、すがるようにオババが言う。
 ほんとうは、取材だろうがなんだろうが、
人に来てほしいのだ。
 誰かがいてくれないと、寂しくて心細いのだ。
 だけどオババはハードボイルドに生きてきた。
 やせ我慢の美学がある。
 寝たきりになっても、そのプライドは失っていない。
 だから「取材だったらいらないよ!」と息巻いてみせたのだ。

「ほら、足がこんなになっちゃってさ、見てよ」
 オババが布団をめくる。すべすべして、きれいな足だが、
私の手で握れるほど細くなり、膝だけが丸っこく突き出ている。
 おむつもしている。
「この足でさ、こないだ、ヤマナカを蹴飛ばしてやったんだよ。
ヤマナカ、びっくりしてさ、目、丸くしてたよ」
 嬉しそうに笑う。

「余計なこと言う先生だから、たまには蹴飛ばさないとね」
 私がそう言うと、オババは不意に真面目な表情になった。
「あんた、ヤマナカは悪気があって言ったんじゃないんだよ。
オレによかれと思ってそう言ったんだ。わかってやらなくちゃ。
 よくやってくれるんだよ。ヤマナカはいいやつなんだ」
 真剣な口調には、「ヤマナカ」に対する愛と信頼が溢れていた。

 十二歳の時から、朝、昼、晩と別々の店を仕切ってた、
いつだって人に頼らず生きてきた、という話を彼女が始めた時、
モトコさんが戻ってきた。
「あたしの足がこうじゃなかったらさ、さなぎの食堂だって、
あたしが客を倍にしてやるよ。店に行って若いもん達に
教えてやりたいよ、もっと客を呼ぶ秘訣をさ」
「じゃ、あたしがかついで車椅子に乗せるから、行こうか。
いつでも連れて行くよ」
 と、モトコさん。

 KMVPのリーダーである彼女は、細い体で、
しかも若い女性なのに、ほんとうによくやってる。
扱いにくい寿のオジジやオババの懐に、
奇跡のようにスィッと入り込み、心身を預けられている。
 疲れてるはずなのに、相手の前ではみじんもそんな気配を見せない。
 しかも彼女は、こうして親身になって看取った相手と、
いつも別れを余儀なくされる。
 相手の「死」という容赦ない現実を突きつけられて……。
 モトコさんもまた、ハードボイルド人生を余儀なくされている。

 この日はほんの顔合わせ。30分くらいで部屋を辞した。
「どっか痛いとこない? ほんとに大丈夫? 
あした、また来るからね」
 次の用事に遅れそうだというのに、モトコさんは、
ドアを閉めるまで何度も声を掛けていた。

「また来てくれよ。オレはいつでもここにいるから。
鍵もかけてないから。
 そんでさ、あんたも頑張るんだよ。頑張んなよね!」

 オババが声を振り絞るようにして、私に言った。
 「頑張れ」なんて、最近は誰かに言われたらムッとする。
 この歳まで私なりに頑張ってきたのに、なんでこれ以上、
そんなこと言われなきゃいけないのよと、
言い返すことさえある。
 だけど、寝たきりのオババが、精一杯、元気を装って言う
「頑張れ」は胸にこたえた。

 ねえ、オババ、ハードボイルド貫き通すのもいいけどさ、
たまには女同士、ぐしゃぐしゃの半熟卵人生も語り合おうよね。
 

「やんでる?」「よんでる?」

2012年06月22日 | さなぎ達理事長 山中 修
「よんでる?」
簡易宿泊所から外来に来た飲んべえのじいさん。
やや耳が遠い。
正月に飲み過ぎで床に倒れ、起き上がれなくなって踵にトコズレができた。
普通 できない場所にできた。
来たり来なかったり、不規則通院でやっと治った。
今日は朝から大雨警報。
それでもじいさんが外来終わって帰る昼頃、たまたまクリニックの表出口で一緒になった。

じいさん 雨心配して、「どおなんかな?」
「やんでる」って答えたら、
「ん?呼んでいる?」ってきき直すから、
「ん、呼んでるかも」って 空を指さして答えたら、
「もうそろそろいいっか」って。
にっこり笑って帰ってった。

こういう奴にはカマ持った死神はなかなか追いかけて来ない気がする。
寿にはのんべだけど、いい味出すじいさん達がまだ多く生存している。

衣替えのときに

2012年06月15日 | 事務局より
今朝「さなぎの食堂」へレジ金を届けに行くと「おはよ~」と元気な声で迎えられました。
声の主は「さなぎの家」の利用者さんで、少し前から食堂の掃除をお手伝いしてくれるようになったFくん。

食堂の手伝いができることにやりがいを感じているのが伝わり、うれしくなりました。
少しずつ自分のできることが広がっていくことを願います。

世話の焼ける彼ですが、元気な声は朝から笑顔になれます。
いい元気をもらいました!


*ご協力のお願い*
みなさま、衣替えはお済ですか?
ご不用になった衣類はありませんか?

現在、男性物の夏物を大募集中です!!
もちろん、古着も大歓迎。(※次の方がそのまま着れる状態の物でお願いします)
特に肌着・靴下が不足しています。


ご協力宜しくお願いいたします。

セカンド・ベスト 最終回

2012年06月12日 | さなぎ達理事長 山中 修
今回初めてみとりチームを組んだS介護会社のお二人のコメントをそのまま紹介します。
ちょっと長いですが、臨場感あります。
寿でのみとりの実態がお伝えできれば・・・。
家族が居なくても、セカンド・ベストは、周りの人のちょっとした力の結集で、そう難しいものではありません。
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初めて看取りをさせていただくこととなり、何を話してよいのか、自分に何ができるかという思いが始めにあり、不安な気持ちでした。初めて○○様にお会いしたのは、○○様自身が突然歩けなくなってしまった当日でした。それにもかかわらず、○○様は笑顔で迎えてくださいました。他愛ない世間話から身体の状態までいろいろ話してくださって「この人は自分の死を受け入れる覚悟が出来ているんだ」と思いました。

趣味は将棋と聞き、詰将棋の問題と盤と駒を持って行き、一緒にやりました。昔や今の名人の話をする時の活き活きとした目は少年のようでした。「将棋をやっていて本当に良かった。これのおかげでだいぶ暇つぶしができます。今度一局お願いします。」と嬉しそうにおっしゃってくださいました。何日かして対局する機会が出来ました。将棋は結構体力を使うものなので、私は○○様の体力を心配して早指しでやることにしました。○○様は一手指すごとに「うーん、そうきたか」といってとても楽しそうでした。しかし、早指しは将棋を雑にし、ミスを連発してしまって10分も持たずに負けてしまいました。レベルの違いもさることながら、遊び相手にもならなかったようで、「またやりましょう」と言った言葉に元気がなく、がっかりした様子でした。私は申し訳なく思い、将棋対戦はしばらくやめようと思いました。

○○様はとてもきれい好きで洗顔シートでこまめに顔を拭いたり、口臭をとてもきにされて歯磨き、うがいを何度もされたりしていました。そんな○○様が1番気にされていたのが排泄でした。下半身の感覚がなく、食べたり飲んだりするとすぐに便が出てしまうため、その都度「申し訳ない」とおっしゃっていました。私は「私たちは、毎日やっていることで全然苦にならないんですよ」とお伝えしましたが、とても気にされていました。便の匂いがしたら何度でもすぐに交換するように心がけました。

訪問した際、疲れていないときはたくさんお話をされました。ニュースを観ながら自分の意見を述べて、熱心に語ることもありました。話題は政治・経済、歴史等と幅広く、また福祉にも関心があるようで「お年寄りと子供たちが一緒にふれあえるような施設があればいいだろうな。お金のある人が資金を出して、S介護会社さん達のような人達が運営したらいいよ」と話して、私も同じ思いだったのでとても驚きました。
始めの頃、痛みに関しては波があるものの、座薬やオキノームでコントロールが出来ていたので「大分楽だ」と話していました。薬が効き始めるとよく眠れるようになり、「不眠症だったので、今までで一番よく眠れる。眠れることが本当にありがたい」とおっしゃっていました。ただ訪問した際、睡眠の邪魔をしてしまうことがあったので、気を付けるようにしました。訪問時、寝ているときは起こさず、少し時間をずらして再度訪問するようにしました。他にも「夜がとても長く感じるので朝はなるべく早くに来てほしい」との訴えがありましたので、訪問時間を早くするように調整しました。睡眠がきちんととれて、痛みや不安が少しでもなくなるように心がけるようにしました。

血便が出始めると、ほとんど食べることが出来なくなり、元気がなくなってきました。排便が頻回になり量も多くなってきたため、オムツの交換を何度もするので、その都度疲れが出るようでした。そして血便のため、座薬が中止になった時、「痛みが強く出るのではないか?」と不安が強くなりました。座薬から変更した痛み止めは即効性がなく「あまり効かない」と痛そうにされていました。痛みが出てくると「注射か何かで寝ている間に死ねたらいいなぁ」とこぼすようになりました。そんな時はなんと返事をしたら良いのか言葉が見つかりませんでした。暫くして、変更した薬の効果が出てきて痛みも和らぐようになり、血便も治まりました。すると、食べる意欲が出てきて、看護師さんに食べてよいものを訊いていました。おでんの大根やはんぺん、アイスクリーム…。少量ずつではありましたが、食べることが出来ることを本当に喜ばれていました。少し元気が戻り、「一局やりましょう」とまた声をかけてくれました。

元気が戻ったのも束の間でした。吐き気出るようになり、再び食事が摂れなくなってきました。オムツを留めるテープの位置が日に日に狭まり、ついには左右のテープが重なるようになりました。わずか数週間でこんなに痩せてしまうなんて…。腕の力も次第になくなってきて、オムツ交換時の体位交換がとても辛そうでした。そのような状態で、3度目の対局をやろうと言われた時はびっくりしました。とてもそんな体力が残っているように思えなかったからです。駒を並べるのを手伝い、対局が始まると真剣な目で一手一手指していました。時折、集中力が途切れるのかミスをすることがありました。私も全力で勝ちに行きましたがやはり○○様の勝ちでした。「あぶなかったなぁ。あそこでこう指されたら負けていた」ととても嬉しそうに感想を話していました。

次第に吐き気が強くなってきてとても辛そうにされようになりました。以前から飲んでいた吐き気止めから新しいものに変えたら効果があったようでした。そんな時、「色々な薬を試して、同じ病気で苦しむ人達の役に立てるかなぁ」と話していました。「もちろんですよ」と答えると「それならいいね」と笑顔で話していました。嘔吐することも度々ありましたが、吐くものがなくなると「今日はこれぐらいで勘弁してやるか!」と笑って言っていました。本当は痛み、吐き気と戦っていたんだと思います。

もう最後の数日は水分すらほとんど摂れなくなり、ぼーっとされることが多くなってきました。やがて話すことが出来なくなり、、問いかけにうなづくことしか出来なくなりました。酸素吸入の管をつけると険しい顔をされてすぐに外されてしまいました。無意識ではなく嫌だったんだと思いました。そして○○様に「また一局お願いします」と言うとにっこりと笑ってくれました。

痛みが強くて「もう、いいよ!」「寝たままポックリ逝ってくれないかな」等のことを言ったこともありましたが、最後の最後まで一生懸命生きようとしていたと思います。○○様に言ってはいけないことを言ってしまったこともありましたが、全て許してくれていたように思います。とても良い経験をさせていただきました。○○様、本当にありがとうございました。

S介護会社のリーダ-T氏:Sヘルパ-と内容が重複してしまうので、印象的だったことを書かせていただきます。

○○様のプロフィール
A県生まれで6人兄弟の4番目。20代前半から家族とは連絡を取っていない。寿に20年以上住んでいる。人付き合いは殆どなく、将棋とギャンブルと酒が趣味。生活保護になる前は給金が良いキツイ現場ばかりの肉体労働をしていた。若いころから不眠症でぐっすり眠れたことがない。

幼い頃、遊び場だった神社の帰り道に空からアオダイショウ(蛇)が顔をかすめて降ってきて、腰を抜かして驚いたそうです。その出来事が何かの啓示のように思い込み、自分の人生を変えてしまった。つまらない考えに囚われて人生を過ごしてきてしまった。それが自分の体や精神を蝕んでいたのかもしれない。今にして思えば、カラスかトンビが捕まえた蛇を落としてしまい、たまたま自分の目の前に落ちてきただけだったのに…。その話は今まで誰にも話したことがなく、ずっとずっと苦しめられてきたと泣きながらお話されました。話ができたことで胸のつかえが取れたようでした。
○○様に対しても、私たちは人になかなか言えない話や失敗談を心置きなく話しました。それは、○○様の残された命の長さを知っていたから「ここだけの話」として面白おかしく話すことが出来たのだと思います。他にも、趣味のギャンブルや将棋の話、時には人生観やこれからの人類の未来といった壮大なテーマについて等、多岐にわたって話をしました。たくさん話をすることで信頼関係が築けていったのだと思います。

お亡くなりになる4,5日前に訪問した時、「身体が痛くて苦しいけれど、皆に来てもらって今が人生で一番幸せです」とおっしゃって下さいました。本当にヘルパー冥利に尽きる嬉しい言葉をいただきました。4/19お亡くなりになった朝、先生がお見えになってご遺体に手を合わせて「お疲れ様でした」と言った時、私はまさしく「お疲れ様でした」のその一言に尽きるなぁとしみじみと思いました。そして、先生が○○様の顔を見て「とても良い顔をしている。珍しいですよ。こんなに良い顔をされているのは」と言ってくださった時、心の底から達成感を感じることが出来ました。後でスタッフにそのことを伝えると皆も同じ思いでした。本当に良いチームで素晴らしい看取りが出来たことに感謝いたします。ありがとうございました。

寿で、最新の簡易宿泊所に泊まってみた。

2012年06月07日 | ふらここ
 私が初めて寿町へ行ったのは、たしか2003年の終わり頃だった。
 ボランティアではない。あくまで「ドヤ街」というものへの好奇心だった。
 その好奇心は当然、「ここに泊まってみなければ」というところに及ぶ。
 しかし、好奇心で一泊二泊するのは、そう簡単なことではない。
 ヨコハマ・ホステルビレッジのように旅行客を相手にしているところは
別だが、簡易宿泊所といえば基本は長期滞在だ。
 つまり、フリの客はすんなり泊めてもらえない。ましてや私は一応、女。
 なにかトラブルが起きたら困ると、まず敬遠される。

 そこでNPOさなぎ達というコネを使い、二泊させてもらえるよう、
取りはからってもらった。まだ寒い冬の終わり頃だったと思う。

 H荘という古いそのホテルは、もちろんエレベーターなんかなかった。
 何階だったか忘れたが、私は電気あんかを入れたキャリーバッグを
引きずり、階段を上がった。
 ロビーに入った時から感じていたことだが、臭いが凄い。
 それが廊下にも、部屋にも充満していた。
 なにが原因なのかはわからないが、決して心地よい臭いではない。
 おそらくは、体臭、煙草、消毒薬などが入り交じったものだろう。

 部屋は二畳くらいの畳敷きだった。新聞紙片面ほどの三和土(たたき)
があり、そこで履き物を脱ぐ。
 小さなテレビと畳んだ布団があった。壁もその布団も染みだらけ。
 いったい何人が、この部屋で、この布団で死んだのかと、
いやな想像をせずにはいられなかった。
 窓を開けると、手を伸ばせば届く距離に隣のドヤの窓。
 夏でも締め切るほかない。
 薄い敷き布団と掛け布団、枕はあるが、シーツも枕カバーもない。
 切羽詰まった状況になれば別だが、そこまで追い詰められていない
私は、とてもこの布団で寝る気にはなれなかった。
 「さなぎ達」の人にシーツと枕カバーの調達をお願いし、
臭いに耐えながら、二泊三日を過ごしたのだ。
 たしか一泊1800円だったように思う。

 が、最近は寿町の高齢化を見越して、新しく建てられた
簡易宿泊所はバリアフリーの介護型に変化しつつあると聞いた。
 そこでどう変わったのか知りたくて、おととしできたばかりの
扇荘別館へ一泊。
 もちろんこれもコネを使って。

 扇荘別館(手前)。玄関の脇には椅子やテーブルを置いた
庭があり、いつも数人がそこで憩っている。


 自動販売機のあるロビーは、狭いけど明るい雰囲気。
 廊下もすっきりしていて、ごみひとつ落ちていない。


 だけどエレベーターの脇にはこんな表示も。
 「夜中に徘徊する人がいるかもしれないよ」
 とフロントで言われた。(実際にはそんなこともなかったけど)
 ちなみに、「両隣は女性」とのこと。


 部屋は三畳強くらい。板張り。とてもきれいに掃除されている。
 テレビ、冷蔵庫、エアコン、スチールの棚、非常用の押しボタンあり。
 シーツ、枕カバー付き。残念なことに掛け布団カバーはなし。


 嬉しかったのはベランダ。私の部屋は九階で、眺めが良いこと!
 正面は寿労働センター(職安)。
左に一部、見えている建物はホームレス自立支援施設の「はまかぜ」。
 一時的に、ホームレスに宿泊を提供する施設だ。


 眼下には保育園の庭も見える。


 職安のコンクリート広場には、昼も夜も人がたむろしている。
 しかしここへ来ても、仕事は高度経済成長期のようにいつも見つかるわけではない。
 夜はここで段ボールを敷いて寝ている人もいる。


 夕飯をと思い、さなぎ食堂へ行った。中を覗くと満席。
 そこで近くのファミレスへ。
 寿町っぽいおじさん達もちらほら席に。
 この日は生活保護の支給日だったらしい。

 部屋に戻ると、さすがにその狭さに息が詰まる。
 あたりは静かだ。トイレへ行き、調理場兼洗面所で
顔を洗って歯を磨く。どちらも掃除が行き届いており、ぴかぴか。

 トイレ。奥に身障者用と女性用がある。


 調理場兼洗面所。電子レンジ、魚焼き器、ガス台などがある。


 夜が更けた。テレビを観ていても所在ないので
ベランダに出て、2時間くらい外を眺めていた。
(おかげで少し風邪気味に)
 角の居酒屋は外にテーブルや椅子を出していて
客がいっぱい。カラオケも聞こえる。


 風呂場の磨りガラス越しに、おじさん達が体を洗う様子が
見えていた「はまかぜ」。十時には消灯した。


 パトカーが巡回している。二人の警官が、一軒の居酒屋を
しきりに覗き込み、ママさんらしき女性になにか言っている。
 ママさんは入り口に立ちふさがり、警官達を断じて中に入れない構え。
 20分ほど経過。警官達はあきらめたのか帰って行った。

 この町は体の不自由な人も多い。
 車椅子の人、よろよろとおぼつかない足取りで歩く人。
 弱い姿をありのままさらすことができるのもここならでは。

 11時。角の居酒屋も店仕舞い。立ち去りがたい風情の客達は
30分くらいも、そこに立ったままたむろしていた。
 女性の姿も意外と多い。この町の居酒屋で働く女性達だろう。
 みんな、きびきびしている。10時を過ぎた頃、バッグを
袈裟懸けにして、自転車や徒歩で町から出て行った。

 パチンコ屋の灯も11時には消え、代わりにぼんやりだった
月が明るさを増した。町は静かだ。私も寝よう。


 翌朝、8時にトイレへ行ったら、もう掃除の女性が来て
せっせときれいにしていた。
 さなぎ食堂はまだ開いていないが、店長が一人、店の前で
煙草を吸っていた。早くから仕込み、ご苦労様。
 手前の方に猫がいるんだけど、わかるかな?


 朝御飯をまた昨夜のファミレスで食べ、チェックアウト。
 フロントのFさんが、「うちはね、わたしが毎日、みまもり
してるから、部屋で知らないうちに亡くなってるということは
あまりないんだよ」
 介護型のホテルだけあって、廊下やトイレで車椅子の人と
よく行き会った。ここで最後を迎える人も多いのだろう。
 あの狭い部屋で毎日暮らすということを、思わず想像する。
 自分がそうならないとは決して言えない。
 どっちにしろ、私は独り者。山中先生と「さなぎ達」が
実施しているKMVP(寿みまもりボランティアプログラム)
を、この町の外へも広げていただきたいものだ。
 自宅に戻ると、我が家が広々として見えた。
 扇荘別館、宿泊費は2300円。
 

 


 

 

  

 

開けてびっくり!!

2012年06月05日 | モトコ
今日の出来事。

開けてびっくり!
「活動の足しにしてください」と舟券(競艇の券)が届いた。

こんなの初めて!
しかも三連単。
競艇はよくわからないけど、競馬の三連単と言えば金額が大きい。

ネットで当たっているか調べても、なかなか出てこない。
どちらにしてもこれを換金するには、ボートピア(舟券場)に行かなくてはいけない…

困った。

なんたって、私が日中、ボートピアに入っていくのはかなり目立つ。
しかもこれを利用者に見られたら、とんだ噂になってしまう。
(ただでさえ、最近さなぎの家と食堂で「来年結婚するらしい」というデマが流れているのにこれ以上噂は勘弁だ)

これは櫻井さん(60代後半の男性スタッフ)に頼もう。
櫻井さんだったら、ボートピアに入って行ってもなんだ違和感が無い。

そして櫻井さんに電話。
事情を話し「代わりに行ってきてほしい」と頼んだものの、大爆笑しながら「俺は嫌だよ」断られてしまった。

しかしせっかくいただいた舟券、無駄にはできない。
3枚の舟券を握りしめて、ソワソワ早足でボートピアにむかった。


初・ボートピア。

4レース開始5分前のアナウンス。
思っていた以上に人が多い。
「知っている人いないよな」とドキドキしながら、早足でオジサンたちをかき分け、払戻機械へ。

1枚、2枚、3枚と読みとるも「払い戻し 0円」。

「あれ!?ハズレ券か…」と思っていたら、
後ろから「反応していないですね。」と警備員。

「なに、反応してないって!!何かやらかしてしまったのか!?」と私(心の声)。

別に悪いことしているのではないだけど、ドキっとした。

もう一度、警備員が機械に挿入。
反応なし。

どうやら、60日経っているから「期限切れ」とのこと。
あとから調べたところ、ハズレ券だった。(3連複だったら当たっていたのに…)

この30分ほどの出来事は、G1レースを見ているよりドキドキし、私たちに夢と希望を与えてくれた。
何より「活動の足しにしてください」と、送ってきてくれた人の気持ちが嬉しかった。