NPO法人さなぎ達ブログ

横浜市寿地区や近隣地域を中心に社会的生きづらさを抱えている人々を対象としながら活動を行っているNPO法人です。

「さなぎ達」とは

日本三大寄せ場の一つである、横浜市寿地区、寿周辺地区を中心に、路上生活者及び路上生活に至るおそれのある人々が、自ら自立に向かいやすい環境を整える「自立自援」を主な目的とし、メンタルを一番大切にしながら「医・衣・職・食・住」の各方面で活動しているNPO法人です。

「さなぎ達通信」は来週発送します

2012年03月26日 | 日記
今日は冬の寒さですね。
とはいっても、南から、西から、桜の開花の便りが届いています。
春はもうすぐ、新年度、みなさんはどのように迎える予定ですか?

*お知らせ*
「さなぎ達通信」3月発行予定でしたが、諸事情により来週の発送となりました。
楽しみにして下さっている方には、お詫びいたします。
もう少しお待ちください。

前号の通信で、お米のご寄付を呼び掛けたところ、たくさんのお米が集まりました。
改めて、お礼申し上げます。
ありがとうございます。

おかげさまで約3ヶ月の間ご寄付だけでまかなうことができましたが、先日ついに在庫が無くなってしまいました。
引き続き「お米」及び「お米券」のご寄付を緊急募集中です。
(国産米でお願い致します。玄米でも可。量は少量でも構いません。)
お米の高騰により、お米の仕入が大変厳しい状況にあります。
スタッフともども、試行錯誤している状態です。

野菜のご寄付も引き続き募集しています。
(毎日使用する野菜:玉ねぎ、キャベツ、人参、じゃがいも、大根、長ネギ、サニーレタス、もやし、ゴボウ 等)

※「さなぎの食堂」で使用する「お米・野菜等」の食材購入専用寄付口座を開設致しました。
口座名称: さなぎの食堂
口座記号番号:00200-1-116876

こちらも重ねて宜しくお願い致します。

〒231-0026
住所:横浜市中区寿町2-7-7 神埼ビル1階 (9時~18時まで受付)
電話番号:045-228-1055(事務局)
mail:sanagitachi@nifty.com

BE WITH YOUさなぎ達

墓石の一文字

2012年03月23日 | さなぎ達理事長 山中 修
去る3月18日久しぶりのふるさと伊勢に。
2年前に亡くなった父の墓石がようやく完成。
除幕と納骨。
墓石には一文字。

「和」
2年かけて父親手書きのノートの文章から 一つ選んだ。


和やか、 平和、 和み、 昭和。 

大正9年生まれの親父は徴兵で台湾から満州に連れて行かれた。
沖縄に命令が出ていたが、みんな沈められて行く船がなく、釜山から帰国した命拾い組。
ことあるごとに、戦争はイカン、平和がいい、と。

ひょうひょうと、「誰が入ってきてもええよ。ここで和やかにやりましょ」と言う人なんで、「山中家代々の墓」にしなかった。

親父はボールペンのインクがついてこれないほどの早書きの名手。手書きの字はいつも省略形の元祖丸文字。
「和」のノギヘンは独特の崩しで、つくりも「口」ではなく「○」。ノギヘンの最後の画が○に重なっている。
横置き墓石でデカク一文字「和」。かっこいい墓になった。ユニーク。


帰り道の新幹線、私の長女(オハイオ大学にいる)がおもしろいこと言った。

「人を漢字一文字で表現するとはおもしろい。」
おじいちゃんは本当に「和」。パパは音楽好きだから、「楽」、おばあちゃんはなんでもくれるから「与」、さとしは「屁」、ジェィミはくいしんぼうだから「食」、んでママは「疲」だそうな。
人生一文字表現方法、生き方考えるのに良いかもしれない。

天皇ならば責任の「責」、皇后は「従」かな?
寿だと「孤」か「独」、「恥」も「儘」も、「酒」も「煙」も、「某」も「暴」もいるな。
けど「懐」も「楽」も「笑」も居る。
あの人、こういう人だよな、一文字でいうと「?」
あなたの場合、他人は何の字を入れる? 自分は何の字だと思う?

寿でもソトブキでも結局はその人の生き方次第だ。



10年未来の町、寿から

2012年03月15日 | 日記
 山中理事長(ポーラのクリニックの院長)から、みなさまへ。



「10年未来の町、寿から」

 かの大戦からの復興、高度経済成長と日本列島改造、バブルの崩壊、失業・夢なくした依存症、生活保護、高齢化、孤独死孤立死、福祉介護、そして行き着いたところは、みまもりとみとりまで。かつては“寄せ場”とよばれ、日本3大ドヤ(簡易宿泊所)の街と称された寿町は、NPOや行政が大きく介入することにより、いつしか東京の山谷や大阪のあいりん地区と路線を異にした歩みをするようになった。日本社会の未来を10年先取りして走り続ける街、寿。ここから日本が占える。そんな町である。なぜ断言できるのか? 

 「ソトブキ」から眺めた寿は総じて、「汚い。暗い。怖い。」の陰のイメージであろう。しかし、この町に関わって12年、入って医師としての仕事をして8年足らず、回周遅れの落ちこぼれランナーである寿選手が、実は時代の最先端を突っ切って走って居ることに気づかされる。2年前に胃がんで亡くなった戦後の寿で中華料理屋を営んだ老婆はこう言った。「そりゃ先生、儲かったよ~。だって24時間お店開けててもお客が来るんだもの。ここの人達は24時間を二交代で勤務するじゃん。だから、仕事前の腹ごしらえと仕事後の寝る前に一杯と。 今の店とは大違い。」
 かつての寿では、戦後の日本を底辺で支えた男達が全国から集まって、寝泊まり飲み食い打つ買うの経済活動が繰り広げられた。若く、力みなぎる男達が原発をつくり、高圧送電線の鉄塔を、高速道路を、高層ビルを建てた。日本を創った。ベビーブームー以降の戦後生まれの世代は、彼等がみなとで汗して運んだバナナを貴重品のように遠足の時、病気の時食べさせてもらったのである。現場で強風のため鉄塔から落下して命を失った者も少なくないとおじさんからは聞かされる。作業中のアスベストによる肺がんとおもわれる患者もいる。寿のおじさん達は歳とともに動けなくなり、稼げなくなり、家族からは孤立し、みんな寿でしか残り時間を過ごせなくなった。

 モノに光が当たる時、必ず影が生まれる。寿は陰影の町。時代の流れに応じて顔を変えた繁栄の影の部分だけを一手に引き受けた街である。車が快適に高速道路を走るとき、その光の向こう側には必ずCO2という影が生まれる。
 昨年の震災後に、被災しなかった日本人は、「安心」の担保の下、こぞって募金だ、支援だ、絆だ、と「ハレ」の部分に身を置き、東日本の人々に対してある種の優位性の心情で、「私のできることで勇気を与えたい」と一年を過ごし、被災者の忍耐力とともに海外からの賞賛を浴びた。しかしながら反面、このような国民性に反して、街の復興には瓦礫の処理が必要となることを、人は認めたがらない。 瓦礫の受け入れは、自分の身に降りかかる「ケ」である。
 「ケ」の部分は「けが」「ケガレ」として風評否定してしまうのもこの国の人々の影の一面であろう。不要な「不安」を招き入れたくないのである。あの統制不能の日々に原発事故の重大さを正確に情報開示することなく、可及的にことなかれ主義で済ませてしまおうと、「ケ」の回避のため本能的に動いたこの国の指導者達もまた代表的日本人である。

 この12年間に寿から私が学んだことは、震災後の一年ではっきりと集約証明されたように思えてならない。「ハレ」だけで人が生まれ、生き、死ぬことはできない。「ハレ」の裏側にある「ケ」を否定しないで、見つめながら毎日をしっかり生きることが、いま発信されるべきではなかろうか? 一見、社会から捨てられた様にみえる寿町。
 ここで7年間、人生最期の日々を過ごす人々を数多く看取った。また、その後にも家族を持たないあるいは家族に捨てられた、ニート、精神、身体、発達などの障害者や各種依存症の患者さんなどの多数の若者が寿に流れ込んでくる。「ケ」の街寿から学ぶことはいっぱいある。

 これからの日本が向かう方向性は?どこを目指すべき? 震災後ちょうど一年経った昨日、黙祷しながら考えていた。いつでも10年未来の街、寿がそれを教えてくれそうだ、と。

街の清掃 同行記

2012年03月08日 | 日記
「さなぎの家」のおじさん達と近郊の街の清掃に参加してきました。

2月20日は、高速道路狩場線の下を流れる中村川の周辺、27日は中村町の駐車場の清掃をしました。
一番目についたゴミは『煙草の吸殻』でした。
明らかに火を消さず投げ捨てられた物も多く見受けられました。
近頃、喫煙者は肩身の狭い思いをしていると思いますが、マナーをしっかり守って頂きたいと感じました。
また、中村川周辺では、人目につきにくい植え込みの中に、不要になった家庭用品や衣類や空き缶も目につきました。

参加された方には、「さなぎの家」で作成した『スタンプカード』を渡しています。
清掃などのボランティアに参加されるごとにスタンプを1個押し、5個溜まったら『さなぎの食堂』の食券を差し上げる仕組みです。

「さなぎの家」で茶菓をつまみながら談笑するだけでなく、自分たちが暮らしている近郊に役立つ事が出来、必要とされていると自覚していただけるような作業に参加していただけるよう考えて行きたいと思っています。

出来れば、作業に参加して頂いた方に僅かでもお礼の賃金が払えればと思っていますが、現状では食券を差し上げるのが精一杯です。

                              

仕出し弁当の販売は終了しました

2012年03月02日 | 日記
≪さなぎの食堂 仕出し弁当終了のお知らせ≫

総売上個数 4117食 寄付金総額 380.147円
 
※仕出し弁当販売の際に頂いたその他の寄付も含む

おかげさまで1267枚の無料食事券を路上生活者へ配布し、
「さなぎの食堂」で温かい食事を提供することが出来ました。


2月29日をもちまして、仕出し弁当業務を終了させて頂きました。
お買い上げいただいた皆さま、本当にありがとうございました。

終了を惜しむ声も頂き、本当にありがたいことと感謝しています。
今後、無料食事券の配布は「はらぺこ基金」へのご寄附により続行致します。
関内周辺の路上生活では、驚く方もいらっしゃるかと思いますが、多くの方が食に困ることはないと聞きます。
寿地区を始めとした周辺地域で、毎日のように炊き出しが行われたり、パトロールなどで食品の提供が行われたりしている結果です。
なので、わたし達が無料食事券を配布しなくなっても、食に困る方が出てくるわけではないかもしれません。
しかし、わたし達は、屋根のある場所で温かい食事を提供することにこだわっていきたいと思います。
それは、「さなぎの食堂」の原点です。
路上生活者にも、屋根のある場所で、3食温かい食事を摂ってもらいたい。
台所事情をお話すれば、食堂の経営状況は火の車です。
しかし、その思いで、「さなぎの食堂」は営業を続けていきます。

「さなぎの食堂ブログ」をすでにご覧いただいた方もいらっしゃるかと思いますが、店長の土谷が2月いっぱいで退職することとなりました。(内容に関しては、次号の「さなぎ達通信」にも掲載しますのでここでは控えさせて頂きます。)
3月からは、新しく岡野慶充を店長に、ボランティアさん、アルバイトさんと力を合わせて頑張っていきますので、変わらぬご支援を宜しくお願い致します。

食堂専用口座のお知らせ
新しく、食堂で使用する食材(お米や野菜など)購入のご寄附専用口座を開設いたしました。ご協力お願い致します。
郵便振替口座 「さなぎの食堂」00200-1-116876


BE WITH YOUさなぎ達

おじさんたちの好きなもの

2012年03月01日 | 日記
今日から3月
暖かい春は、もうすぐ!のはずです・・

木曜パトロール実施します。
昨日の雪は、もう溶けてしまっていますが、念のため、滑りにくい靴で参加されることをおススメします。

3月より春物衣類募集開始しました。
毛布については、少量であれば受付可能ですのでお問い合わせください。

先日、支援者の方からホームベーカリーでの手作りパンが「さなぎの家」に届きました。
事前にメールでご連絡頂いていたので、いつ届くかと楽しみにしていました。

届いて早速、トースターで少し温めて。
「どうぞ~」と、テーブルの上へ。
食べ終わった方に「どう?美味しかったですか?」感想を聞いたところ、
「ふわふわしていて本格的なパンだったよ。」
「美味しかった。」と大好評!
2日に分けて出させて頂いたのですが、あっという間に無くなってしまいました。

ちなみに、寿のおじさん達は、パンが大好きです。
その理由は、歯が丈夫でなかったり、歯が無かったりする方が多いから。
やわらかいパンは好評のようで、買い物の付き添いに行っても、パンの購入率は高いんです。

お菓子などのご寄附は、このように「さなぎの家」で利用者さんに提供させて頂いています。
憩いの場としての効果も高まり、利用者さんの楽しみにもなっています。
「たくさん頂いたんだけど食べきれない・・・」
「美味しいお菓子を作ったから、誰か食べてくれないかな」
など、ご寄附頂ける食品がございましたら、おじさん達が美味しく消費させて頂きます。
※受け取れない場合もありますので、事前にお問い合わせ頂くようお願い致します。
BE WITH YOUさなぎ達