NPO法人さなぎ達ブログ

横浜市寿地区や近隣地域を中心に社会的生きづらさを抱えている人々を対象としながら活動を行っているNPO法人です。

「さなぎ達」とは

日本三大寄せ場の一つである、横浜市寿地区、寿周辺地区を中心に、路上生活者及び路上生活に至るおそれのある人々が、自ら自立に向かいやすい環境を整える「自立自援」を主な目的とし、メンタルを一番大切にしながら「医・衣・職・食・住」の各方面で活動しているNPO法人です。

さなぎ達終息のお知らせ

2018年03月05日 | さなぎ達理事長 山中 修
2001年の誕生以来、16年間にわたってご支援いただきました「さなぎ達」は昨年春をもって活動を停止し、本年二月に理事会にて解散の決定がなされたことをここにご報告申しあげます。
長い間のご支援にたいして深く感謝申しあげます。大変ありがとうございました。

「さなぎ達」の前身は、1984年、中学生による山下公園ホ-ムレス殴打事件をきっかけに「さなぎ達」初代理事長である桜井武麿が参画した夜回り活動「木曜パトロール」です。
寿地区周辺の路上生活者への夜回り活動を経て、1999年、家族と疎遠で独居を余儀なくされている人達の衣医食職住に関して,特にメンタル面を主眼としてサポートする組織を創ろうとする人達が集まり、2001年にNPOとしての「さなぎ達」が生まれました。

 以降、歴代3人の理事長とのべ20名以上の理事の方々はすべて無報酬・交通費無支給にて年11回の理事会を定期的に開催しながら、その時点その切り口での寿地区に必要な支援方法を絞り考えて実行して参りました。
その結果。さなぎの家、さなぎの食堂、横浜市とのSOS斑協同支援事業、てふてふ就労支援事業、ことぶき緑化、みまもりのボランティア事業、その他にコンサートやフェスタ、シンポジウムの開催などなど数多くの活動が産まれました。

 行政との二人三脚や寿に支援活動する他団体との協力で、この20年足らずで寿地区は大きく変貌しました。 
かつての危険な「ドヤ街」は女性ヘルパーや看護師が出入りできる街となり、飲み屋やギャンブル屋がデイケア施設となりました。
路上生活から社会復帰する人々や、介護ヘルパーやさなぎの食堂の職員となって、お世話される側からする側へ育っていった人々も数多くいます。
時の流れによって生じるこの地区の変容現象にたいして、支援する側が敏感に対応することにより、寿地区は労働者の街から福祉の街へとの変化脱皮できたことは「さなぎ達」の誇りです。

 活動が社会的に注目されて組織が大きくなるにつれ、外部からは一見安定して見える反面、事実上、運営に不可欠な助成金や協同事業支援金は減り、特に東日本大震災以降は寄付金も減って大変厳しい状況となりました。
さなぎの特質はみなさんからのご寄附によって成り立つことでありましたが、成長した組織の人件費を含めた固定費との収支バランスは危機的な状態となり、残念ながら昨年春に活動停止、本年2月に解散、これから破産管財人の指導の下、事後処理を行っていくことになりました。

今後は「さなぎ達」としては終息の方向へと粛々と進んで参りますが、さなぎの前身である木曜パトロールはその後も桜井武麿氏の主導で今も継続されております。
「さなぎ達」のおかげで女性が安心して寿地区に入れるようになりました。簡易宿泊所内でのみとり・みまもり活動は、介護ヘルパーやケアマネジャー、薬剤師や看護師の訪問など、女性が多数かかわるチームメンバ-の協力の下、ポーラのクリニックの使命としてこれからも続けて参ります。

「さなぎ達」発足以来の、個人、学校、教会、会社企業、行政、近隣の活動組織、社会福祉団体など本当に全国数多くの方々からのこれまでの多大な資金援助やボランティアのご支援にたいして感謝御礼を申しあげると共に、終息という残念な結果に導いてしまったことをNPO責任者としてお詫び申しあげます。

これまで本当にありがとうございました。
末筆ながら皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申しあげます。

NPO法人「さなぎ達」
代表 山中 修
平成30年3月5日

残薬反省

2015年07月14日 | さなぎ達理事長 山中 修

タッパウエア一杯に持ってきた!

先日から問題の患者。ムコスタ、レバミピド、リーマス、クレストール、 アムロジン、アムロジピン・・・

ウチで出した薬も入ってる。



風が吹けばオケ屋が儲かる的な話。



60歳代後半の男性。


アルコール依存で 他院通院中。


アルコール以外に知的障がいも。



知的障がい→居場所喪失・家族喪失→単身アルコールにのめりこむ。→生活保護→

精神科受診→就労支援の名の下に→横浜郊外のやさい農園の作業療法→やさい栽培が大好きになってのめり込む。

→ある日転倒して肩骨折→野菜農園で働けないためイジメられる→ 農園に行けなくなりアルコールに逃げる。薬飲まなくなる。

→先生に悪くて、「薬余ってると言えない」→大量の残薬。



この患者の治療法は?

どこにとっかかり?



答えは:


早く肩を治して、大好きなやさい農園を再開すること。



残薬にあきれることより、薬飲めと指導するより、居場所であるやさい農園で一日中土いじりにのめり込める環境にもどしてあげること。


この患者さんにかかわるのは、役所のケースワーカー、介護会社のケアマネとヘルパー、精神科のドクター、私、ナース・・といっぱい。

この地区独特のみまもりチーム。


残薬しないように、みんなで注意しなくっちゃ。

とうとう歩いた! 息子よ、見てみろ!

2015年06月08日 | さなぎ達理事長 山中 修
病名)アルコール依存症歴(精神疾患・末梢神経障害)、 直腸癌骨盤内全摘回腸導管増設 (2005.7) 人工肛門(腸重積) 膀胱がん手術尿瘻 脳髄膜腫(2008 経過観察中) 睡眠障害 脂質異常症 紫色蓄尿バッグ症候群 胃がんにて幽門側(B-1)切除(2009) 栄養障害性末梢神経障がい 腹部頻回術後癒着性イレウス 下肢廃用性萎縮と尖足による歩行障害 胆嚢炎

3年前、車いすで初診来院。生保を受けることなく、酒もたばこも医療費も年金で捻出していたから、ある一時期はよく働いたんだろう。酒によるふらつきとしびれで車いすに。
酒が原因で家族と離縁。むすこからは、「危篤以外は会わない」と言われて寿に住み、酔っ払っては溝に落ちて近くの病院にお世話になっていた。

2005-2009までに直腸がん 胃がん 腸重積 脳腫瘍 人工肛門 膀胱がん 尿瘻。
「こんな状態で酒のまずにやってられるか!!」
と、最初はすさんでいた。入院しては暴言、退院させられては飲酒。
とうとう、行くところ無くなってヘルパーにつれて来られたポーラの外来でも暴言連発。

暴言はただ無視することにして根気よく対応した。

ある日、ロンドンのパラリンピックをテレビで見た翌日から、人生が変わった。
「オレも歩けるかもしれない」
酒もやめた。たばこもやめた。
人に押させていた車いすを自分で押すようになった。

断酒禁煙とともに体調は改善、とうとうつかまり立ちができるようになった昨年一月。
腹痛・イレウスにて緊急入院。
癒着性イレウスは2ヶ月間入院の内科治療に反応せず、右鎖骨下静脈にポート設置。
簡易宿泊所で生きてくエネルギ-の供給源は血管栄養となった。
冷房も暖房もない旧式の簡易宿泊所の一室で以来半年以上、耐えた。
「食いてえよ~」「いつまで点滴だよ~」
訪問診療の度に訴えられた。

水分と内服のみが彼の口に入るもの。「腹減ったよ~なんかくいてーよ~」が彼の口から出るもの。
訪問診療の度に腹のグル音の説明をした。
「まだだめだ。」「まだはやい。」をくりかえしてなだめた。
「あるきて~」って禁酒禁煙できたことを誉めた。

腹の状況を見て、おもゆから始めた。
「うまいよ~。入院してもいいからもっと食いて~よ」
に変わった。

今年に入り、ポート輸液もやめた。
年金受給者は生保をうけられないので、食費がない。
簡易宿泊所のほかの住人のおかゆやおかずのあまりを食べて生活して居る。
それでも暴言など一切無い。
「もっとくいてー」「やせちゃったよ~」「仕方ないよな~」

が、最近「ありがと~」「あるきてー」になった。
訪問看護師が付き添って 尖足ながらあるける様になった。

在宅訪問診療を卒業し、本日3年ぶりにヘルパーに連れられて外来受診した。
車いすではなく、尖足を支えられて歩いて診察室に入った。

「オレはあんたのこと尊敬するよ」
が彼に最初にかけた言葉だった。

このブログへの顔も名前も人生経歴も、ぜんぶOK.
「いいよ」
のひとことだった。

失うものがなくなったときに人はとてつもなく強くなれるのだろう。

設楽関也 63歳。
息子さんブログみるかな??

オヤジは変わったよ。
今日の顔をみてやってくれ。




やさしさの棄て場所

2015年05月26日 | さなぎ達理事長 山中 修


山下公園を歩くと「カモメにえさをあげないでください」との看板がある。
その横でニコニコとカモメにパンくずをあげているオヤジが一人ならずといる。
このオヤジさん達はまずコトブキから散歩に来てるひとだと思って間違いはない。


ポーラのクリニックにも数人いる。
最近カモメをやめて、巷で少なくなったスズメにはまっているオヤジが言った。
「カモメやハトは大きいから」
どうも、小さいものを応援したくなるらしい。
そういえば、さなぎの家でも飼ってるのはメダカである。
こっそりとベランダでウサギを飼ってるおじさんもいる。

通院中の71歳のIさん男性はうつと高血圧。
かつては診察室の私のゴールデンの写真を見ては、うらやましそうにしていた。
最近ずいぶん元気で明るいなー 
と思ったら、簡易宿泊所内で豆柴を飼い始めたのだそうだ。

簡宿でイヌを飼うのは手続きが大変だ。
帝国ホテルで飼うよりは簡単なのだろうが、
まずは役所の生活保護担当者とその上司のお墨付き、次に簡宿の帳場さんの許可、そして本人の一筆誓約書。「犬で問題が起きたら即刻退去・・・」にサイン。

実はあまりにクリニックで写真をほめてくれるんで、以前役所へ推薦状をかいた。
「精神的治療上 イヌを飼うことをおすすめします・・・」
この一筆が効いたらしい。よかった。治療著効。

殺伐とした簡宿にひとりすんでいると、ウツウツとするにちがいない。
外に出ても近所つきあいするわけでもない。
誰に話しかけることもなく、話しかけられることもない。
誰にやさしくされることもなく、やさしくすることもない。

カモメやめだか、ハトやすずめ、ウサギ、豆柴など、
コトブキのオヤジさんの何人かは、やり場のないやさしさの棄て場探しをして自分を癒やしているのかもしれない。

死を見ることで変貌した街

2015年05月14日 | さなぎ達理事長 山中 修
寿は10年先を歩んでいる。

巷では少子高齢化がすすみ団塊世代が終焉を迎える際に起こる現象が、すでに10年すすんだ寿では今や死は茶飯事。

かつては腐乱や白骨で発見されたが、いまはそれも減っている。つまり誰かが見届けている。

今日、さなぎ事務局長の川崎と二人で、寿町内のY荘の帳場に挨拶に行った。
さなぎへのご寄付のお礼で伺ったのであるが、帳場の女性達と、必然的に入居者の介護みとり話に花が咲いた。

帳場をつとめるのは30代前半の美しい(コトブキにはまれに見る)女性二人。

「何人もここで、あるいは病院で見送りましたが、病院に入れるとすぐに元気がなくなっていくので、ここに戻したいんです! ここでみとりたいんです。私たち」
「でも私たちがここにいられるのは9-17時なんです。」

現場の意見は切実だ。
傾聴した後にこう説明したかったが・・

「病院に入れると元気がなくなるのは、みんなそうだよ」
「病院に入れると“闘病”に変わってしまうからね。」
「闘病行為は人間の活きるエネルギーの最後のしずくを奪ってしまうんだよ」
「とくにコトブキの人は独りだから、独り闘病はきつい」
「みんなの気持ちとチーム作りで9時5時でもみとりはできますよ」


ていねいなせつめいをするには時間が無く、とにかく
「困ったらまずはポーラのクリニックに電話して」
と、結論した。

若い女性たちが、日常茶飯事に死を直視できる街 コトブキ。

川崎事務局長も30代女性。
3人の女性達は、教育者でも、政治家でも、医療介護関係者でもない。
そんな彼女たちでも、死を直面せざるを得ないまいにちを過ごしていると、「やらなければいけないことが見えてくる。コトブキが有無を言わさず彼女たちを変貌させていく。



「ことぶきみまもりボランティアに力を入れないとだめですね。」
これが、川崎の感想だった。
そのとおりです。


出ました!! 1000ポイント

2015年04月28日 | さなぎ達理事長 山中 修
先日から クリニックや家でみんなにお願い。
「ポチッとね。お願いしますね。さなぎは貧乏なんでね」
とGOODDOの支援クリックをお願いしてました。

なんと、出ました!! 1000ポイント本日。
ポーラのクリニックの第二診察室のPCを訪問看護のMナースがポチッとした瞬間、
「すごーい! 千点!!」
と。


思わず、見に行きましたよ。
確かに!
1000点。

一挙にランキング順位があがったですよ。

宝くじならな・・・・

みなさんも、「ポチッと」毎日お願いします。
地道にコツコツ。


いや~驚いた!!

2015年04月09日 | さなぎ達理事長 山中 修

このたびポーラのクリニックのHPをようやく作った(paulasclinic.com)。これまで作らなかった理由は、簡単。
寿の人たちはインターネットみて受診しないから。 

開院10年、今回ようやく作った理由は、禁煙外来希望者のご案内、あるいは当院を訪れる米軍退役軍人さんへの情報提供としてのサービスの一環。

これまで、さなぎ達とクリニックのLINKは認定NPO法人の監査上まずいかな??と自粛していたが、
今回、HPの作成時になんと!!! アフリカにもPAULA’S CLINICがあるhttps://www.youtube.com/watch?v=xQTBdfurJnUことがわかったこれってすごくね
あんまりびっくりしてので、例外的にこちらに載せました。


アフリカのポーラのクリニック、みてみてください。野外で素朴な食料配給やカウンセリングしてます。いやー立派なクリニックです。ウチもがんばろ。

北嶋さんのリハビリ

2015年03月26日 | さなぎ達理事長 山中 修
脳梗塞で右半身まひになってしまった簡易宿泊所住まいの北嶋さん(本名で本人OK)。
がんばってます!

装具をつけて歩行練習。
開始以降 足のむくみも減りました。

なにを思い立ったか・・
「書けるようになりたい」

と利き手でない左手で習字を始めました。


訪問診療に行ったら、畳一面に半紙がいっぱい!

テーブルには 「山中」の半紙が。

気をつかって主治医の名前を書いてくれてました。

持ち帰ってクリニックの診察室に張ってます。

富士のホーム

2015年03月03日 | さなぎ達理事長 山中 修
かつてHOMELESS だった富士には今はこんな立派な家があります。
今日の富士は、屋外のこの家と簡易宿泊所の事務所室内をうろうろと往来していました。


主治医の指示で、 簡易宿泊所の帳場さんや 利用者さんが散歩をスタート。

幾分スリムになってきました。


富士の前に見た患者さんは、金曜に 「入院か?!?」

と、思ったのですが、 お薬が効いてきて、顔面浮腫や 腹水もとれてきました。


すこし食べられるようになってきました。

失語症のため、全く話せませんが、意志の疎通はできます。


「入院したくない」


は簡易宿泊所生活の人々の異口同音です。

名前は 富士

2015年02月19日 | さなぎ達理事長 山中 修

とある簡易宿泊所の癒やし犬です。

右耳をかみちぎられ、保健所送りになるところを、譲り受けて飼われるようになりました。

最近メタボ!

いつも、往診最後にみる患者さんです。

富士はもちろんタバコはすいませんが、運動不足。

禁煙とあるきしか言わない医者ですので、富士には「あるけ!」
と毎回ムンテラしています。

独居高齢者の介護の現場

2015年02月05日 | さなぎ達理事長 山中 修


訪問診療先のとある簡易宿泊所では、 献身的介護会社が独居のお年寄りの食事からおむつの世話まで、全部しています。


ここの同じ階に住む●●さんもうちの患者さんです。

最近認知がすすんで、簡易宿泊所の生ゴミをもってって食べてしまいます。


他に方法がなく、本人へ名指しで警告。

そしたら、生ゴミを持って行くことが減って、ごはんを食べるようになったそうです。


認知症の介護の現場を、ご紹介。

笑えるようで全く笑えない記事です。(x_x;)
寿だけが特別??
いーえ!そんなこと言ってられる時期はとうの昔に過ぎ去ったんです。



理事長 山中 修 (ポーラのクリニック医師)


「NPO法人さなぎ達」では、利用者さんにより良いサポート及び継続的に運営を行うための「寄付金」を大・大・大・大・大・大募集中!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
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2015年度NPO法人さなぎ達 理事長あいさつ

2015年02月02日 | さなぎ達理事長 山中 修
  いつもNPO法人さなぎ達へのご支援をいただき、本当にありがとうございます。
 さなぎ達は横浜市中区寿町及び、その周辺に生きる路上生活者、あるいは、そうした境遇に陥りそうな人々の、生き方や逝き方までをも伴走支援しております。

 2001年に誕生し、今年で15年目を迎えます。
 長い間には多々の危機を経験しましたが、その都度、原点を思い起こしてまいりました。
 さなぎ達の原点とは、30年以上も前に桜井武麿理事(初代理事長)が始めた木曜路上パトロール(通称、木パト)です。
 週一回、関内駅、横浜公園周辺などを夜回りし、路上生活の人々に必要な物を提供しながら、安否確認を続けて参りました。少しでも助けになりたい、寄り添いたいという気持ちからスタートしたもので、多くのボランティアに支えられております。
継続の危機を感じた時はこの原点に立ち戻り、七転び八起きしてまいりました。

現在のさなぎ達の具体的な活動は、以下の通りです。

1. 路上パトロール
2. さなぎの家(路上生活者の立ち寄り所。寄付の衣類や日用品を提供)
3. どこに相談したらいいの?と困り果てた時のONE STOPサービス 寿町なんでもSOS班事業
4. 安価で美味しくバランスのとれた食を、温かい状態で提供するさなぎの食堂
5. 家族もなく、簡易宿泊所に住み、孤独で不便な生活を余儀なくされている人々への見守りサービス(KMVP)。
6. 身体、精神・知的など各種障害のため社会に適合できず、路上生活を余儀なくされている人、家族の支えがない状況で依存症とたたかいながら簡易宿泊所生活を続けている人々の就労支援をする、寿JUMP活動。
7. 寿JUMP活動を発展させた就労継続支援B型事業「てふてふ」。
8. 簡易宿泊所内で、ひとり死を迎える人への介護や看護、往診の提供や必要時の入院先への交渉やお見舞い、役所が開いてない時間帯の葬祭会社への取り次ぎなど。

 このように、たいへん多岐にわたっています。
さらに、近年は、このHP情報をご覧になって、遠方からの電話や訪問のお問いあわせも多くなりました。
「うちの子が精神的疾患を持ちながら、アルコール依存症で毎日困っている。なんとかさなぎ食堂やてふてふで働けないか?」といった内容のご相談もありました。 
さまざまなご相談に接するたび、「問題点は決して寿だけではない。日本全国にある。」と痛感させられます。

 これまで数知れない人々が、さなぎ達と縁を結んできました。
路上から食堂勤務を経て介護の管理責任者となり、活躍している人、患者さんとしてSOSに助けを求め、クリニックにつながり、元気になって食堂ボランティアを毎日続けている女性など、具体的事例は枚挙に暇がありません。
もちろん、わたし達は万能ではなく、力及ばずで唇を噛みしめることも多くあります。
それでも「誰もひとりぼっちにしない」というスローガンのもと、理事長、理事、職員、そしてボランティアが力をあわせ、できる限りのことをしてまいりました。

 さて、昨日の1月31日、さなぎ達の総会が行われました。
毎年1月の最終土曜日に開催されます。そのため、理事長の年頭挨拶が、いつも2月になってしまいます。
 ご支援いただいている方々から、「もっと早くに挨拶を」とアドバイスをいただきますが、毎年の活動を総会で認証いただくことは、NPO法人としての大切なつとめです。
どうか、その点をご理解いただければと存じます。

 昨年秋以来、さなぎ達の理事会では、活動資金の問題、多岐化したサービスによる職員の疲弊化などを痛感いたしました。活動内容の縮小も検討してまいりました。
 しかしながら、職員全員一致の「このまま続けたい」という強い思い、また、年末からの皆様からのご寄付ご支援の結果もふまえて、昨年度通りの活動内容をめざしていくことに決定いたしました。
 
 活動の質を低下させないため、理事と職員の連携強化、HP上での、日々の活動内容の紹介、各部門の経費の節減努力、関係各所への「てふてふ」や「食堂」の活動内容のご案内と協力要請などなどが必須であることも、あらためて確認し合いました。

 理事と職員のみならず会員の方々、そして会員の方々のお知り合いの人々、HPを訪れ、さなぎ達の理念と活動に共感してくださる方々に、心からお願いいたします。
満15歳となるさなぎ達が、いつか蝶々となって羽ばたき、世の中を明るくする存在になれるよう、どうか見守ってください。一緒に歩んでください。
2015年が、思いやりに満ちた年になりますように!

特定非営利活動法人さなぎ達
理事長 山中修




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横浜遊技場組合

2013年09月13日 | さなぎ達理事長 山中 修
さなぎ達は、
「寿は日本の縮図」「寿の問題点は10年先取り」

を合い言葉に、
「誰もひとりぼっちにしない」とのグランドデザインで活動をしています。


多くの介護・看護・DAY CARE、訪問診療、訪問マッサージの人達が町に流入し、高齢者孤独死問題はもはや過去の問題となりました。

寿では今、また時代を先取りして変化しています。

おびただしく亡くなっていく高齢者のあと、
刑期修了や、各種依存症の人々が、社会的な居場所を失って、数多く流入してきています。


寿地区にはボートピア、大型パチンコ店が2軒、また私営ギャンブル場などが密集しています。
これらの場所は、社会的な居場所を失った人々が集いやすい場所でもあります。

そのお膝元において、「さなぎ達」はその方々の居場所をつくり、その人達と丁寧に話しをして、一緒に出口探しをする活動を開始し始めました。
高齢者孤独死問題の次は、居場所と家族を失った依存状態の若者。
さなぎ達のこれからの活動の中心となります。


一年以上の時間をかけて、横浜遊技場組合へプレゼンテーションの機会をいただいて、また、同組合の理事の皆様が来寿されて「さなぎの食堂」をご見学いただき、私どもの活動をご評価いただきました。 

横浜遊技場組合はパチンコ業を営む会社の役員の方々から構成されていますが、「寿に居場所を求める、各種依存状態の人達の出口創り」のために、とご寄付をいただきました。

パチンコ遊技場組合がこうした形でNPOや地元地域貢献・支援に乗り出したという例は、全国でも例がありません。ご英断に感謝しつつ、一同あらためて鉢巻きを締め直しています。


講演会に参加して

2013年07月04日 | さなぎ達理事長 山中 修
7月2日、仕事帰りに寿町勤労者診療所の越智先生の講演を聴きに行った。
最近、薬屋さん主催の勉強会や講演会はあまり行かないのだが・・。
今回のは寿地区の「ろばと野草の会」主催。
講師の越智先生は私よりも10歳ぐらいお若い、元気な精神科医。
ということで、興味深く出かけた。
長~いタイトル「ここ15年の寿町における精神障がい者の変遷。あるいは、社会情勢や精神科医療福祉のや支援者の変遷」。

開港記念館に200人くらい満席!
熱気を帯びたお話。
サマリ-は講演タイトルに集約されている。
○ここ15年の寿町における精神障がい者の変遷
 いわゆる寿のの名物人間が減った。 昔の寿には荒くれ者も多く、広いスペクトラムで、いろんな変わり者が居た。 「精神疾患の豊かさ」みたいな、患者さんから苦痛も楽しさももらえた、みたいな。
最近は他の地域から役所事情で送りこまれて来る人達が多い。

〇社会情勢や精神科医療福祉の変遷
世界の精神科医療自体も大きく変わった。グローバリズム、ネットによる情報のスピード化は「標準化」を招き、標準からわずかにはずれれば「異常」と診断されがちな診断基準で人の“正常性”が評価され、投薬の対象となる。
また、生保バッシングのごとく、ある種の極右化現象は、「自立化」や「社会適応」のかけ声の号令下に社会全体が大きくその方向に動いている。この流れの中で、不適応は精神障がいに、発達障がいはその人の一生を通じての縦軸レッテルに、人格障がいは人間関係としてその人の横軸レッテルに。人は縦横、縦横無尽にレッテルを貼られて生きざるをえなくなっている。

〇支援者の変遷
ことぶきで変わらないこと:①あらゆる社会的マイノリティが住める場所②ほどほどの距離感の「自閉的交流」③越冬や人民パトロールや炊き出し④支援者同士は現場で仲が良い。
昔から、寿は仲間同士のつながりがあり、いろんな職種が垣根を越えて、みんなが「よってたかって」「もれなくついてきて」、酒や煙草で心の穴を埋める代わりに人々がその穴を埋める伝統がある。
「当事者と支援者」の力関係、行政からの支援について、いわゆるアメリカ的な合理的・実証効率的支援方法の危うさを感じる。つまり、各人に対して個別の、上から目線の支援対策になりがちではないだろうか?
各人ではなく、まず「人とはなんだ?」から 伴走的支援方法を組み立てる必要性がある。


このような、支援体制をことぶきに関わる人達が意識する必要があろう。

というような、内容でした。

さなぎを始めて、13年、ポーラのクリニックを始めて8.5年。
ある種の疲労とマンネリズムを感じはじめていた小生の頭には、新鮮な響きの基調講演であった。
自分の立ち位置、さなぎの立ち位置、を改めて感じ、帰路についた次第である。

ことぶきに関わらない方々には分かりづらい内容で恐縮ですが、こんな変遷のご紹介もたまには必要と思って投稿しました。

おいでいただくと実感としておわかりになると思います。
社会勉強のためにもなります。
ぜひ、寿に来て下さい。見てください。自分らしく生きるためのヒント、社会に自分の居場所を見つけるための糸口が見つけやすい町です。

キャッチコピー

2013年02月25日 | さなぎ達理事長 山中 修
「誰もひとりぼっちにしない」

神奈川県「世直しいいにゃ」の12NPO法人中、
最も字数が少なく
最も漢字数が少ない
さなぎのキャッチコピーが
獲得投票数先端を走っている。

何のご褒美もないのは残念だが、
皆さんに認められたのは嬉しいことだ。
光栄なことだ。

このことばは、さなぎの理事である山崎洋子さんによるもの。
理事就任以来一年間、物書きとしての目というより、ひとりの女性として、じつに微細にさなぎをみていてくださった。
コピー作りに際して、
「なるべく簡素なことばで。」
「先生(山中)はいつも理念的に訴えるから・・」
「もっとみんなに響くことばで。」
結果、
「さすがはプロ」と皆が感心するさなぎのキャッチコピーが巷にデビューした。

一日働いて疲れ果てて帰宅の電車の中、ふと、中吊り広告を見ると、
「誰もひとりぼっちにしない」

ひとりひとりの心に響いたのであろう。
「ひとりぼっちはヤダヨね」
響いたのはさなぎの詳細な活動内容ではなく、
ことば自体であったのだろう。

あらためて、ブログにミッションを記載しておくが、
さなぎの活動は、路上生活者や孤独死になりそうな独居生活者や、
社会に居場所を失った障がいを持つ人達のみまもりである。


「ひとり」と「ひとりぼっち」はちがう。
四六時中みられているのはいやなものだ。
しかし、「ひとりぼっち」はもっといやなものだ。

寿から発信する「ひとりぼっち」にしない社会つくり。
さなぎの活動を是非ご支援ください。