ひょうごの在来種保存会

会員さんも800名を越えました。活動報告を発信します。

保存会通信17号(25年春)【活動報告】(2012年9月~2013年3月)

2013年06月16日 | 保存会通信17号
【活動報告】(2012年9月~2013年3月)

11月4日 

エビ芋収穫芋煮祭
今年は最悪に近い不出来。各地どこも悪かったというのが慰めみたい。
夏の焼け付くような乾きが大きな原因だったようだがーーーちょっと工夫努力も足りなかったのではと


11月7日

初めての神に感謝
姫路の護国神社の宮司(スローフードの平井さんの友人)気持ちよく受けてくれたので収穫物をお供えして神(自然)に感謝。
姫路のエビ芋、姫路ショウガ、神力米と龍力酒造の新酒、加西の大豆など供える。
来年からは23日の新嘗祭の日にということに。
護国神社を誤解しないでーーー皆さん近隣各地で身近な神社で祈りのときを持つのは無意味でないと思います。
護国神社= 右より思想――― 関係ありません。くれぐれも。
平井さん曰く護国は五穀ということでーーー。県内の神社はみな五穀豊穣祈願の神さんで。


11月10日

柳田さん宅へ。この日から10年の活動をまとめるための再訪問を始めたがその第1日目だ。
明日の篠山山の芋イベントの前日で夫婦で泊めてもらう。
美酒を頂きながら今までの話を確認する。
彼は当会の代表的なモデルでもあるし、私の最も大切な生産者の一人である。
いや生産者には止まってない活動家でもある。


11月11日

丹波山の芋を応援する会
大阪の住本君の呼びかけ、中村重男さんの男気で実現した一流シェフの料理会。
こんな心意気に感動した。詳細は別記


11月12日

鳥取のショウガ
年を感じさせない爽快な人と出会えた。
中原孝志さん(80)。
60年前に姫路から導入したのが始まりという縁に驚いた。
浜茶のも出会える。詳細池島君別記。

その後竹野海岸で昼食を用意してくれていると久保さんからの連絡。
流木を整理しそれで塩を作り地域活動にしている福田則雄さんと竹森明光さんには頭が下がる。
羽釜で炊けた飯に久々感動。
その後クワイがあるというので近くの笠浪幸壽さんを訪問したが、自家用を小さな溝に植えつけているだけだったので
増殖をお願いする。
ただこの人もマルチ百姓,自給生活に近く、すばらしい生活者だった。
但馬はすごい、すごい。


11月24日

駅前講座の最終日。4人入会


12月2日~3日

赤花そば、 井口さんとのお別れ
2日は北本夫妻と4人で赤花ソバの本田さん訪問、休業中の民宿にむりやり宿泊。
翌日もソバ談義と工場見学。

3日はイゴ芋の田野良幸さん訪問。
偶然井口さん入院と重なる。
詳細別記。


2013年1月11日

印南野学園講演 松島先生入会
25年来の知人で元播磨農業高校の池上先生と連絡とってくれ、入会してくれ地元西脇市で協力お願いする。


1月12日

大屋有機農業学校で講演。
あとの昼食会で種の話題が出て今後につながる。詳細別記。


1月21~24日

長崎、福岡の旅
私的な旅であったが長崎で岩崎さんの畑見学。
福岡で古野さんの畑見学。詳細別記。


1月26~27日

食「地の座」の市。
今年始めて展示を取りやめた。
スペースがなくなったこともある。
生産者は数人出展。大盛況でマンネリ打破の勢いだった。


2月2日

丹波若者百姓出会いの会
詳細別記。福岡と池島この会のことは何年も前から気になっていたが小沼会員が世話人の一人と聞き、初めて案内してもらった。毎年100人くらいの若い百姓が夜を徹しての集いを続けているからだ。
聞けば17年続いているというから驚きだ。
参加申し込んだところ逆に講演を頼まれることになったが実に感動的な集まりで、播磨と何らかの接点ができたらいいなあと実感した。
夜冷えるのも怖いし、その日のうちに帰ることにしていたが、だんだん帰りたくなくなってくるほど不思議な魅力があった。
こんなオジンがそんな気分になるんだからね。
何故だろう、まず自由であるこは言えるなあ。


2月6日

甦りのレシピの渡辺監督と農業会館で3月9日のシンポジウムで上映する映画の打ち合わせ。
監督といってもまだ30歳ちょっと新進気鋭これからの人だ。
自ら全国をPRして奔走しているようだった。


2月17~18日

引退記念イベント
岩崎政利さん船越建明さんを招いて。詳細は別に資料あり。
10年前から夏の江頭さんと三人で私のトリをやってもらおうと決めていた。
この日のためかなり労力を使ったが楽しいものだった。
参加180人余り、県外から研究者たちの参加もあり充実したものになった。
今になって気配りの足りなかったのは坂番さんと浜口さんが前日から姫路に宿泊していることを知らなかった。
多分岩手からの山田佳奈さんも前日からだろう、当日も交流会も出たのできっと姫路で泊まったことだろう。
酔って気が回ってなかったのは言い訳にならないな。反省。
初めてなので少し心配していた「かもめ食堂」船橋律ちゃんの弁当も好評を得た。
米や野菜も大半はメンバー栽培のものを使ってもらい、今後に自信をもてただろう。   
交流会の豆の蔵もいつものことだが60人近くで溢れかえったが大した不満も出なかったように思う。
参加者の皆様、手伝ってくれた皆様本当にありがとう。
翌日は田中君や牛尾さんの畑に行ってもいいと思っていたが天気も悪かったので朝食後ウチの茶の間で田中君、浜口さん合
流して昼間で喋っていた。
結構中身のある時間で却ってよかったかも。


3月3日

名古屋で
小用で東京に行っていた帰りに、先日の講演会に参加してくれていた金ごまの亀山さんと愛知在来種保存会設立に向けて活動を始めた高木さんとゆっくり話しようということで名古屋駅で会う。
高木さんは農業畑一筋で私なんかよりすべてに優れた人物だった。。
JA営農部で長い経験を持ち、名刺には23億売る直売所「あぐりタウン・元気の郷」のフードクリエーター、日本野菜ソムリエ協会講師、岐阜県立国際園芸アカデミー非常勤講師、調理師など多彩である。
裏面にも「種工房」とかコンサルタント有限会社「いちゆう」代表取締役とか。
話はすぐに核心に入り、自分の今までの人生を打ち明け、今からの為の現在の心境を話してくれたので、私のほうも同じような気持ちになっていた。
人の心をつかむ訓練ができているというか天性のものか「仕事の出来る男」だなと感心した。
種を扱って収入を求めるなら種屋をやればいいが、私としてはいつもの調子で
「アンタ、もう十分儲けてきているし、今後も講師料だけでもかなりあるようやから、もうお金儲けはやめてむしろ持ち出しになる仕事した方が豊かになりまっせ」と提案。
「ここですっきりふっきれました」ということで決着。
今後に向けては何の問題もなさそう。
立派な仲間ができたと実感できた1時間だった。


3月9日

食の研究会
甦りのレシピ上映と奥村彪生氏 今回は自分の提案も通り充実した内容を期待していたが、それ以上の成果があったように思う。映画は夏に再度姫路でやることになっているが、十分期待できる。
結局は江頭さんプロディースだが、それもとってもよかった。
彼もそれなりに絵になっていたし、学者的な硬さもなく自然体での語りが全体のレベルに一役買っていたように感じられた。
それにしても渡辺監督は若いのにうまくまとめているなあと感心。
今後我々の活動に教材としてとても役に立つことは間違いない、ありがとう。

奥村先生は今年の一月にそ早朝のNHKラジオ番組を夢うつつの中で聞いていたが、とてもいい話だったので、彼のことを思い出し、今日のイベントに呼んでくれるように頼んだ。
民俗学と伝統的な食の世界を自由に話している世界は他にはあまりない。
種のことも含め、我々現代人の今一番の問題は「どう生きたらいいのか、どこに向かって進んだらいいのか」であり、それはどこから生まれたかという基礎的な精神生活を失っているからだと思う。
根無し草だからどこに飛んでいくかが分からない。
単なる経済成長しただけ、科学研究での成果、あらゆるテクノロジーなどすべてがそのこと単体だから、行き先が分からないままなのだ。
そして誰も気づかず走り続けている。

伝統的な食と文化、民族の成り立ちを学び、そこに精神の基礎を置く。
また動物的にそのことに気づいているから歴史、先祖、存在の真実などの学びに目が行き始めたのだろう。
奥村彪生氏はその意味で日本でこの分野の第一人者であろう。
というより他にいない。
経歴自体は一流でないのと結構楽しみながらの生活だから学ぶものも軽い気持ちで受けてしまっているきらいがあるが、早急に学問の総合的な基礎にすえつけねばならないだろう。
文学、社会学、哲学、理学、工学、建築学、栄養学、環境学、すべてにおいてこの歴史を学んでおく必要があるだろう。
後の交流会にも付き合ってくれたが75歳、そう何時までもというわけにもゆかない。
ずっとお呼びしての勉強会を続けていく場を作り出そう。