あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

キングセイコー 5626-7113

2020-05-29 18:27:47 | Weblog

実家に行き物置であるモノの捜索と父のガラクタを処分をしているとプラケースに

何に使うのか分からない部品の箱が山のように入っていました。

何かに使えるかも、なんて思っているといつまで経っても物置が処分出来ないので

心を鬼にして捨ててます。

が、ある箱の底に腕時計が混じっている事に気付いた。

安っぽい金属バンドの付いた時計は汚れていて再使用はちょっと厳しいかな。

SEIKOのマークがあり昔のセイコー時計である事は分ったのだが

「ふ~ん・・・」

昔に父が使っていたものだろうがこんな所に入っているという事は

壊れているのだろう。振ってみると自動巻き特有の感触が伝わってくる。

電池式だったら液漏れしたり腐食してたりするのだが機械式なら大丈夫か。

しばらくすると秒針が動き出した。使えるのか?

とりあえず捨てずにアパートに持ち帰って汚れを落としてみる。

金属ベルトと時計本体を分けてベルトは歯ブラシに石鹸を付けてガシガシ洗ってみる。

ホコリと父の汗と油が落ちていく。

時計のベルトは時折掃除しないと汚れや匂いが酷くなるのだが

父さんは無頓着だったからなぁ

針は問題なく動き今の所止まったりもしない。

輝きを取り戻した時計は風防やケースに無数の傷。

それは父の付けた歴史なので問題ない。

出掛ける時に使うにはいいだろう。

文字盤に「KS」と記しがありネットで調べると「キングセイコー」というものだった。

(5626-7113)

そういえば聞いた事がある名前だ。

数年前から時計屋で「セイコー スカイライナー」という時計を見て国産アンティークの

腕時計が欲しくなり探した時期があった。

やはりコルトに乗る時にはハミルトン ↓もいいが

6,70年代の国産腕時計をはめて運転したい。

だがいかんせんベルトがショボいしガタツキもあるし…でも父が使っていたものだし

 

そこで思い出したこの時計

私が幼稚園生か小学校低学年の頃に父が使っていた「あの時計」だ!

父の時計にはカレンダーと曜日が表示されていたのだが

土曜日になると「」で青  日曜日になると「」で曜日の文字が赤くなるのが

何故か面白かった。旅行に出掛けて保養所で週末を過ごすと

「青くなった?」その翌日に「赤くなった?」と尋ね

その色が付いた曜日を見せてもらうのが楽しみだった。

そんな事があったなぁ 何故だか楽しかったんだ。

 

でもある時に父の時計が変わっていて、その時計は青も赤の曜日も付いていなかった。

 

もう週末に時計を見せてもらう事はなくなった。

それから父の時計はそれ程私の興味を引くようなモノはなくなり安っぽくなっていったのが

残念だった。そういった事にはこだわらない父だった。

それから十数年が経ちデパートで海外生産のセイコー5が売っているの見掛けた。

なんとなく「あの時計」に似ているかな、そう思い買っておき

数か月後の父の誕生日にプレゼントをした。

今まで父に誕生日プレゼントなんてした事はなかったので

父は「え?」と驚きながら開封すると

「時計?まさかメカ(自動巻)じゃないだろうな?あ、メカだよ!」と興奮し驚いて喜んでいた。

残念ながら曜日は英語表記だったが日曜日は「赤」だった。

そうだ、その時に「あの時計はどうしたの?」と尋ねたのだった。

「~がダメになったのでやめた。まだ捨てずに取ってあるよ」

これが「あの時計」で物置にあったとは。あやうく捨てる所でした

しかし何がダメになったのだろう?それはすぐ分った。

デイデイト機能が壊れていた。24時を過ぎてから自然に日付、曜日を送る事は出来るのだが

龍頭を一段引いてカレンダー調整が出来なかった。

針が動いてもクイックチェンジが無いと不便なので使用を止めたのだろう。

 

まぁいいか。コルトで出かける時に使おう!

しかしバンドがなぁ…ショボいのもリアルでいいか(笑

あ、バンドを黒の皮にしてみれば前に探していたセイコースカイライナーを買わずに

これで済ませられるんではないの?

単純な事に気付いてバンドを取り寄せる。

その間にケースを磨いたらキレイになっていった。

 

で、届いたバンドを取り付けたら・・・

おお!?

生まれ変わったかのようで、父の時計はそのまま生きている!

まさかこんなお宝時計が(金額ではない)が発掘されるとは

日差もあまりないようです。デイデイト機能はいずれオーバーホールを兼ねて

修理に出そうかと思いますがしばらくはこのまま使っていこう。

思いがけない父からのプレゼントだった。

  父はこの時計をして会社へ通勤し

仕事をして私達家族を養い育ててくれた。

その時に常に共にしていた時計。

父の苦労や有り難みを思い改めて感謝した。

(私がプレゼントした時計を父は亡くなるまで愛用してくれていました。

    今度はその時計を実家に探しに行きますかな)

 

 

 

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする