6月6日
都電荒川車庫に保存されている6086号が外観修復されて
「路面電車の日(6月10日)」のイベントにて公開されるというので
出勤前に見に行ってきました。
二年ぶりに対面したお姿は・・・
おお!素晴らしい・・・(涙
二年前と比べると歴然です。
http://blog.goo.ne.jp/saiun4gou/e/4b1b354280ac5e3a7d1a15c2662e5fa7
【参考】二年前のイベント時
戻ってきた時は痛んでいても当時のままの塗装で保存してくれれば、と
思っていましたがここまでキレイになると
やっぱり塗り直して良かったですね。
それにしてももの凄い人の数でした。
前は写真を簡単に撮れましたが多すぎて無理、無理。
後ろから手を伸ばして何とか撮りました。
それに仕事もあるので1時間しかその場にいられませんでした。
そしてこの日は大阪の阪堺電車との「PR相互乗り入れ」開始イベントが
行われ阪堺電気軌道の塗装に塗られた都電がお披露目されました。
大阪に通っていた数年前。古い路面電車に乗りたいが為だけに何度か天王寺から
乗ったのでちょっと懐かしいです。
2004年撮影
PR相互乗り入れについてはこちらをご覧下さい↓
http://www.hankai.co.jp/topics/pdf/100514_2.pdf
黄色に赤帯の都電。
60年代の東京を走ったこの車体は文化遺産だと思う。
通勤時につかう道や職場の前を黄色に赤帯の電車が
モーター音をうならせて走っていたあの時代。
60年代の写真や映像に出て来るあの都電が目の前にある。
新車のようになった車体を間近に見ながら60年代に思いを馳せていました。
いつかコルトの運転席から併用軌道を走るこの顔を見てみたい。
車内の広告も剥がされたり消される事なく残っていました。
「旅荘 川ばた」泊まってみたい(笑)既に存在しないようですが)
せっかく来たので家にお土産をと買ったのが「都電もなか」
箱や中身が都電の形をしているだけでなくこの最中は旨いですよ!
新型の都電も追加されていました(右上)。
で!
ここでも熱海ネタです。
熱海城にかつて都電が運ばれ展示されていた、と聞いておりましたが
検索してもその画像もなく
『がけ崩れで壊れ処分された』としか分かりませんでした。
そしてやっと見つけた熱海新聞
熱海城へ都電
東京から二台やって来た
「熱海城では、きのう、きょう「6000型」の都電二輌
(九十五人乗り、座席二十二、重さ十六トン。6181号車と6189号車)を
展示してSLマニアの参観を歓迎している。
これは最近まで東京南千住、荒川、大久保を走って都民に愛されていた都電が
路線廃止となりスクラップとなるのを熱海城が払い下げをうけて九月下旬まで
化粧直しを行うものでマニアや子供達の人気をさらうことになろう
(写真は熱海城へ来た都電)」
昭和53年8月27日 熱海新聞より
>>SLマニアの参観を歓迎
SLって・・・
>>都電が路線廃止となり
荒川線がワンマン化された時に廃車となった車輌なわけで
路線廃止じゃぁ・・・
そもそも熱海になぜ都電だったのだろう?
と野暮なツッコミはさておき
展示場所は写真からすると駐車場の脇だったようです。
がけ崩れで被害を受けた記事は当該月日の記事も探しましたが
掲載されておりませんでした。
荒川線ワンマン化時に廃車となり
熱海城に運ばれた6181号車と6189号。
そして
再び荒川車庫に帰ってきた今回展示された6086号車。
6086号は実に幸運な車輌です。
この姿を後世に末永く残して頂きたいものです。
「どこかの公園に寄贈」では何の為に故・岸由一郎様がこの地に戻したのか意味が無くなってしまいます。
どうか末永く・・・
都電荒川車庫に保存されている6086号が外観修復されて
「路面電車の日(6月10日)」のイベントにて公開されるというので
出勤前に見に行ってきました。
二年ぶりに対面したお姿は・・・
おお!素晴らしい・・・(涙
二年前と比べると歴然です。
http://blog.goo.ne.jp/saiun4gou/e/4b1b354280ac5e3a7d1a15c2662e5fa7
【参考】二年前のイベント時
戻ってきた時は痛んでいても当時のままの塗装で保存してくれれば、と
思っていましたがここまでキレイになると
やっぱり塗り直して良かったですね。
それにしてももの凄い人の数でした。
前は写真を簡単に撮れましたが多すぎて無理、無理。
後ろから手を伸ばして何とか撮りました。
それに仕事もあるので1時間しかその場にいられませんでした。
そしてこの日は大阪の阪堺電車との「PR相互乗り入れ」開始イベントが
行われ阪堺電気軌道の塗装に塗られた都電がお披露目されました。
大阪に通っていた数年前。古い路面電車に乗りたいが為だけに何度か天王寺から
乗ったのでちょっと懐かしいです。
2004年撮影
PR相互乗り入れについてはこちらをご覧下さい↓
http://www.hankai.co.jp/topics/pdf/100514_2.pdf
黄色に赤帯の都電。
60年代の東京を走ったこの車体は文化遺産だと思う。
通勤時につかう道や職場の前を黄色に赤帯の電車が
モーター音をうならせて走っていたあの時代。
60年代の写真や映像に出て来るあの都電が目の前にある。
新車のようになった車体を間近に見ながら60年代に思いを馳せていました。
いつかコルトの運転席から併用軌道を走るこの顔を見てみたい。
車内の広告も剥がされたり消される事なく残っていました。
「旅荘 川ばた」泊まってみたい(笑)既に存在しないようですが)
せっかく来たので家にお土産をと買ったのが「都電もなか」
箱や中身が都電の形をしているだけでなくこの最中は旨いですよ!
新型の都電も追加されていました(右上)。
で!
ここでも熱海ネタです。
熱海城にかつて都電が運ばれ展示されていた、と聞いておりましたが
検索してもその画像もなく
『がけ崩れで壊れ処分された』としか分かりませんでした。
そしてやっと見つけた熱海新聞
熱海城へ都電
東京から二台やって来た
「熱海城では、きのう、きょう「6000型」の都電二輌
(九十五人乗り、座席二十二、重さ十六トン。6181号車と6189号車)を
展示してSLマニアの参観を歓迎している。
これは最近まで東京南千住、荒川、大久保を走って都民に愛されていた都電が
路線廃止となりスクラップとなるのを熱海城が払い下げをうけて九月下旬まで
化粧直しを行うものでマニアや子供達の人気をさらうことになろう
(写真は熱海城へ来た都電)」
昭和53年8月27日 熱海新聞より
>>SLマニアの参観を歓迎
SLって・・・
>>都電が路線廃止となり
荒川線がワンマン化された時に廃車となった車輌なわけで
路線廃止じゃぁ・・・
そもそも熱海になぜ都電だったのだろう?
と野暮なツッコミはさておき
展示場所は写真からすると駐車場の脇だったようです。
がけ崩れで被害を受けた記事は当該月日の記事も探しましたが
掲載されておりませんでした。
荒川線ワンマン化時に廃車となり
熱海城に運ばれた6181号車と6189号。
そして
再び荒川車庫に帰ってきた今回展示された6086号車。
6086号は実に幸運な車輌です。
この姿を後世に末永く残して頂きたいものです。
「どこかの公園に寄贈」では何の為に故・岸由一郎様がこの地に戻したのか意味が無くなってしまいます。
どうか末永く・・・