前々回このブログを読んだ方の大半は「小雀信号所って何?」と思っている事と思われます。
ブログを開設するにあたりいつかは書こうと思っていたモノレールの話しです。
横浜は戸塚の住宅街にこのような建築物があります。
初めて御覧になる方は「?」と思う事でしょう。
実はこれ単線モノレールの交換施設なのです。
60年代の大遊園地「横浜ドリームランド」と国鉄大船駅の5.3㌔を結んでいました。
通称「ドリームランド線」とか「ドリームランドモノレール」と呼ばれています。
昭和41年5月に開通し翌年の42年9月に「休止」となり一昨年に正式に「廃止」となりました。
まさにドリーム、夢のモノレールでした。
休止だったのでモノレール施設は殆どそのままに放置されて周辺には住宅が出来てしまいました。
家の前に走らないモノレールのレールと橋脚がある、という異様な世界が展開されていました。
今ではその殆どが撤去されてしまい中間地点の「小雀信号所」だけが何故か残っていた。
この「ドリームランドモノレール」の事を語ってしまうと止まらなくなりますので省略致します。
(いつか書こうと思います。)
今回、訪れてみようと思ったのはその小雀信号所も取り壊されようとしている、と情報が入ったからです。
昼間は渋滞している国道1号線も夜遅くともなるとさすがに空いている。
渋滞の名所「原宿交差点」を難なく通過するが雨足はますます強まってくるばかりだ。
かつてはドリームランドモノレールと一国が交差した場所に既にレールはない。
レールのあった頃には行きも帰りもここまで来ると
「もうここまで来たんだな」と一つの目安となっており楽しみにしていたのだが、それも今はない。
少し先の「am.pm」を左折して目的地の小雀信号所を目指す。
極端に車の数が減った暗い道を走っていると雨も手伝ってか
「既に信号所は無くなっているのでは」
と不安が頭をよぎり、この頃は足を運んでいなかった事を後悔した。
信号所近くになると「工事中」の看板が目に付きだす。
狭い道を抜けると信号所の周りは工事用のフェンスで囲われていた。
「やはり解体工事が始まっていたのか・・・」
周囲にひと気は無く雨の音だけがする。
見ると2本のレールの下にあった信号所のコンクリート造りの小屋が無くなり
ショベルカーが鎮座していた。
コルトを停めエンジンを切ると雨音は更に激しくなった。
舗装されていない足元に注意しながら傘を差しコルトから出る。
何度、何度ここに来たのだろう
小雀信号所を初めて訪れたのは小学六年の時だったと思う。
現在レールが残っているのはこの信号所の2本だけ。
いつか書こうと思っているがこのモノレールは私の少年時代の大切な夢と思い出が詰まっている。
それが今、目の前から完全に消えようとしている
残ったレールと橋脚のコンクリート表面は、あの頃の私と友達を確かに見ていた筈なのに
場所を移動してみると遠くに黒い物体が見えた。
信号小屋があった時にはこの角度からは見えなかったドリームランドのホテル・エンパイアだった。
窓の灯りは全て消えて外部電源で点灯する航空機障害灯だけが点灯している姿は
今日は異様に見えた。
どうしようもない寂しさが込上げてきた
帰ろうと振り返り雨に打たれるコルトを見ると思い出した。
「(ドリームモノレール)大船駅舎解体時も雨の中コルトで来たっけ」
今から13.4年前に雨の中、ガスバーナーで解体される駅舎を見て居たたまれなくなった時
振り返るとコルトはヘッドライトを点灯しワイパーを時折り動かしながら待っていた。
あの時のコルトの佇まいは普段のコルトとは違うものだった。
その姿はとても優しく慰めてくれるようだった。
けっして忘れる事のないコルトの姿だった。
そんな事を思い出しながら車内に戻った。
レールを見るのはこれが最後になるのかもしれない。
「君ともいつまで一緒にいられるのかな・・」
消え行くモノレールを見ていつか来るであろうコルトとの別れをふと、思った。
「モノレール」という字体にも何故か60年代な趣きを感じてしまうのは私だけでしょうか?
ブログを開設するにあたりいつかは書こうと思っていたモノレールの話しです。
横浜は戸塚の住宅街にこのような建築物があります。
初めて御覧になる方は「?」と思う事でしょう。
実はこれ単線モノレールの交換施設なのです。
60年代の大遊園地「横浜ドリームランド」と国鉄大船駅の5.3㌔を結んでいました。
通称「ドリームランド線」とか「ドリームランドモノレール」と呼ばれています。
昭和41年5月に開通し翌年の42年9月に「休止」となり一昨年に正式に「廃止」となりました。
まさにドリーム、夢のモノレールでした。
休止だったのでモノレール施設は殆どそのままに放置されて周辺には住宅が出来てしまいました。
家の前に走らないモノレールのレールと橋脚がある、という異様な世界が展開されていました。
今ではその殆どが撤去されてしまい中間地点の「小雀信号所」だけが何故か残っていた。
この「ドリームランドモノレール」の事を語ってしまうと止まらなくなりますので省略致します。
(いつか書こうと思います。)
今回、訪れてみようと思ったのはその小雀信号所も取り壊されようとしている、と情報が入ったからです。
昼間は渋滞している国道1号線も夜遅くともなるとさすがに空いている。
渋滞の名所「原宿交差点」を難なく通過するが雨足はますます強まってくるばかりだ。
かつてはドリームランドモノレールと一国が交差した場所に既にレールはない。
レールのあった頃には行きも帰りもここまで来ると
「もうここまで来たんだな」と一つの目安となっており楽しみにしていたのだが、それも今はない。
少し先の「am.pm」を左折して目的地の小雀信号所を目指す。
極端に車の数が減った暗い道を走っていると雨も手伝ってか
「既に信号所は無くなっているのでは」
と不安が頭をよぎり、この頃は足を運んでいなかった事を後悔した。
信号所近くになると「工事中」の看板が目に付きだす。
狭い道を抜けると信号所の周りは工事用のフェンスで囲われていた。
「やはり解体工事が始まっていたのか・・・」
周囲にひと気は無く雨の音だけがする。
見ると2本のレールの下にあった信号所のコンクリート造りの小屋が無くなり
ショベルカーが鎮座していた。
コルトを停めエンジンを切ると雨音は更に激しくなった。
舗装されていない足元に注意しながら傘を差しコルトから出る。
何度、何度ここに来たのだろう
小雀信号所を初めて訪れたのは小学六年の時だったと思う。
現在レールが残っているのはこの信号所の2本だけ。
いつか書こうと思っているがこのモノレールは私の少年時代の大切な夢と思い出が詰まっている。
それが今、目の前から完全に消えようとしている
残ったレールと橋脚のコンクリート表面は、あの頃の私と友達を確かに見ていた筈なのに
場所を移動してみると遠くに黒い物体が見えた。
信号小屋があった時にはこの角度からは見えなかったドリームランドのホテル・エンパイアだった。
窓の灯りは全て消えて外部電源で点灯する航空機障害灯だけが点灯している姿は
今日は異様に見えた。
どうしようもない寂しさが込上げてきた
帰ろうと振り返り雨に打たれるコルトを見ると思い出した。
「(ドリームモノレール)大船駅舎解体時も雨の中コルトで来たっけ」
今から13.4年前に雨の中、ガスバーナーで解体される駅舎を見て居たたまれなくなった時
振り返るとコルトはヘッドライトを点灯しワイパーを時折り動かしながら待っていた。
あの時のコルトの佇まいは普段のコルトとは違うものだった。
その姿はとても優しく慰めてくれるようだった。
けっして忘れる事のないコルトの姿だった。
そんな事を思い出しながら車内に戻った。
レールを見るのはこれが最後になるのかもしれない。
「君ともいつまで一緒にいられるのかな・・」
消え行くモノレールを見ていつか来るであろうコルトとの別れをふと、思った。
「モノレール」という字体にも何故か60年代な趣きを感じてしまうのは私だけでしょうか?