あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

ガード発見!

2011-01-10 14:05:17 | 熱海高原ロープウェイ
難航すると思っていたが
あっさり見つかりました。


(道路から見たところ)

もっと草木が生い茂っているかと思っていましたがそうでもない。

画像左下のビニール袋がある所から降りられる。



おお!これが探していたガードです!

ロープウェイ在りし日の「熱海60年代」は多くのレジャー客がこのガードをくぐった事だろう。

ガード下に立ち往時に思いを馳せる。

『・・・・・・・・・・・・』

と、そんな事してたら仲間は先に行ってしまった(涙)

あの…もっと感動して欲しいんですけど…
(単独での探索だったらこの場所で3分は過ごしたい)




ガード自体は特に古さを感じさせない。
やはりこの道を通る人もいないのか獣道のようになっている。




草をかき分けて進む。

池まで近づくと大勢の話し声が聞こえてきた。

藪を抜けるとハイカー達20名程が弁当を広げていたが

私を見て
「そんな所から…道あるの?」

と言いたげな目をしていたのは気のせいではないと思う。
矢印が通ってきた道。

氷ヶ池に到着


昨年の夏に波さんに案内されて来た時は誰もおらず心が洗われるような清々しさに感動をした。
その時はブログに書いてしまうのがためらわれた程。

この場所なら1.2時間はボンヤリ過ごせます。


(昨年、波さんが撮影した夏の氷ヶ池。青いシャツが感動している彩雲)

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そのガードを探せ

2010-12-25 00:05:59 | 熱海高原ロープウェイ
人類はどこから来たのか

NHK特集にそのようなタイトルを見た覚えがある。

それよりも私には
60年代に熱海高原ロープウェイに乗り山頂駅舎で降りた観光客は貸しボートや観光用牧場もあったレジャー施設「氷ヶ池」までどこから来たのか
という事の方が大事だ。

玄岳ドライブインも閉鎖された現在、駅舎跡から氷ヶ池を目指すと伊豆スカイラインを渡らなければならない。
しかし、自動車専用道路としての道に歩道も無ければ横断歩道もない。

自動車が今ほど走っていない時代には気にしなかったのだろうか。

以前にこんなコメントをくださった方がおられました。


2009-07-19 02:00:35

『いつも楽しく拝見しております。
玄岳ドライブインから氷ヶ池に行くには伊豆スカイラインの下をくぐる玄岳ICからの自動車用ガードとは別にハイキングコース用の小さな歩行者用ガードがあります。
今は使われていない一部のハイクコースは藪に覆われた獣道となってますので夏場はおそらくたどりつけないと思いますが
氷ヶ池に下りるかもしくは反対側の丘にあるPからは小さなガードが見えると思います。
氷ヶ池には昔から何度か行っておりましたが、池の周囲は半分ほど芝生地帯やハイクコースとなっており
また昔使われていたであろう今では原型を留めていないボート桟橋があったり、オタマジャクシや鯉のような魚がたくさんいたり文字通り冬場は氷が張るなどとても静かでのどかな場所です。
湖岸の芝生広場はとても綺麗でキャンプでもしたくなるような素敵な場所でした。しかしその反面、蛇や野犬などの姿も多々見られ危険であることでも知られているようですね』

コメントを下さった「通りすがり」さんありがとうございました。

この情報によるとスカイラインの下を通るガードがあったとの事だ。
しかし昨年の夏に氷ヶ池を訪れてもそれらしいトンネルやガードなるものは見当たらなかった。

もう人知れず埋もれてしまったのだろう。

先月の事、航空写真を見ていたらガードらしきものがある事に気づいた。

昭和51年に撮影されたという写真には駅舎にも赤い搬器が残る。




伊豆スカイラインを熱海峠から走って玄岳料金所に抜ける側道に分岐する地点に影が見える。


これだ!

これが氷ヶ池に抜けるガードなのだろう。
冬の今なら草木もそれ程邪魔にならず通れるかもしれない。


今回最大の目的は
「玄岳駅舎から氷が池にどうやって訪れたのか」
という謎を解く為でした。

そして以前に掲載した絵葉書を拡大してみる。






高空写真の道をインターチェンジ側から見ると
ドライブインからは上記青線のように下りてこられるのだろう。

福島屋旅館で一泊し熱海駅で弁当を買い熱海新道を通り伊豆スカイラインに入る。
氷ヶ池前に車を置きガードと思しき地点へ向かう。



彩雲探検隊はガードを見つける事が出来るのか?

つづく



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秘密指令883

2010-06-17 00:09:07 | 熱海高原ロープウェイ
熱海高原ロープウエイの動く姿というのを見た事がありません。

映画のロケにでも使われていないだろうか、と思っていましたが
それらしいのを見つけました!

===============================

秘密指令883 ロケ

ニューフジヤと熱海高原ロープ

毎週火曜日午後八時から同五十六分までフジテレビをキイ局に
全国九局にネット放映されている
「秘密指令883」のロケがニューフジヤホテルと
熱海高原観光ロープウェイを舞台に、きよう十五日から二十日まで五泊六日の
日程で行われる。

出演者は川口浩、本郷巧次郎、力石勝彦のレギュラーの他に姿三千子、
野添ひとみ、成田三樹男などで、熱海でロケしたのは新春一月二日
午後八時から放映される。

サンデータイムス 昭和42年12月15日

===================================

秘密指令883というドラマらしい

883と書いて「ハヤミ」と読ませるらしい

第12話『初日に海が燃えるとき』がそれらしい

60年代のニューフジヤと熱海高原ロープウェイなんて夢の共演です(笑)

かつてCSで再放送もあったようですが実際に出てくるのかな?

どなたかご覧になった方はおられますか?
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みそのビルの最後

2010-05-01 23:59:29 | 熱海高原ロープウェイ
熱海銀座の名建築「みそのビル」もついに終焉の時を迎えます。

昭和58年4月3日の熱海新聞より

--------------------------------------------------

-温泉や郷土観光物産館-

-噴水の”ふれ合い広場”等-

― 銀座に新名所ビル ―

-老朽ビル解体で新建築!!-

あつと言う間に消えた老朽ビル
もうありません!!




老朽化して付近住民から危険だから改造をと云われ県や市も
所有者に対して改造するよう再三の指示を行っていたが所有者が
言を左右にして放置していた「みそのビル」が解体作業が進められ
殆ど作業が終わりに近づき長年の懸案をとなっていた事が解決に
近づき県も一安心。

これは老朽化したビルに手をやいている事を聞いた鉄建建設が協力することになり、
このほど同ビルの所有者柏木商事と売買契約をすませ工事を進めていたもので、
取りこわしが終了した時点で市内の有志と協議し観光地熱海の名に
恥じないものを建設していく意向だという。

聞くところによると、一階はビル内に公園をということで噴水を
あしらったふれ合い広場、上のフロアには温泉資料館、郷土資料館、
観光物産館等を設けていくもようである。

解体工事は近代工法で騒音もなく、あっと言う間に写真の旧ノッポビルが
なくなり、近く新ビルが建設される。

昭和58年4月3日 熱海新聞


やっとみそのビル解体の記事を見つけました。

もちろん「火事騒動」の記事も探しましたが見つけられませんでした。
ボヤ程度の小さな火事だったので記事にならなかったのでしょう。

さて今回の記事発掘で長年の疑問が解けました。




今回は前回のビル画像よりもはっきりと写っています。

さまひさんから
『2階部分に木が生い茂り不気味だった』
と聞いていたのですが
私は「2階の内部に放置された観葉植物が自然増殖したのか」
と思っておりました。

しかしこれを見ると・・・



ビル内部ではなく歩道上のアーケード部分に熱帯植物っぽい木々があります。

さまひ少年が見た『不気味な木』と言うのはこれだったのでしょう。

みその社長は熱海高原観光株式会社を経営されていたので
『熱海サボテン公園』のイメージも合わせたのでしょうか。

こちらは約15年前の昭和42年7月16日
熱海例大祭を報じるサンデータイムス。


後方にみそのビルが見えます。

熱海高原ロープウェイの開業は同年10月なのでビル内は
活気に満ちていた事でしょう。

拡大してみましょう。


ガラスは割られているのではなく開いています。
木の大きさが解体前と変わらないように思えるので
『作り物』だったのかもしれません。

そして時は平成へと変わっても



噴水や資料館も出来る事はなくパチンコ店の駐車場となり今に至ります。
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みそのビル解体へ 

2010-04-30 15:27:42 | 熱海高原ロープウェイ
ひさびさの「みそのビル」ネタです。



老朽化がいちぢるしく、危険ビルとして県からも再三にわたって
改善命令が出され周囲の商店をはじめ住民から早く改善するようビルの持ち主に
要望するなどの動きがあり市民の関心を集めていた銀座町の「みそのビル」が
このほど東京の大手業者が購入し、滞納市税も納入、決着がついたので入居者との
間の話し合いが続けられていたが、県、市、住民への協力ということで、
先に解体工事を行おうというほぼ了解点に達したもようで、
近日中に解体工事に入ることになった。
跡地の利用については協議中である。

昭和58年1月頃(日付確認し忘れ・・・) 熱海新聞


解体された時の新聞記事が見つかりました。
近日アップします!
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「みそのビル」廃墟時代

2010-02-25 15:42:23 | 熱海高原ロープウェイ
前略 
さまひ様

貴兄がお探しの「みそのビル」廃墟時代の新聞記事を発見致しました。




十年以上も放置され、壁などの崩落の危険のある熱海銀座町の
「みそのビル」問題で、県、市は二十日、所有者の太洋エンタープライズ会社
(本社・東京都港区赤坂)を呼び、防災対策を話し合った。

席上、同社側は「一階のみやげ物店などが移転すれば取り壊したい」
との意向を明らかにしたが、この移転問題は、補償などで難航が予想され問題解決の
キイポイントとなっている。

同社では、当面の対策として「ビルの周りに崩落を防止するネットを張り、防災診断も実施する」
と前向きの姿勢を示し、同ビル問題は一歩前進した

同ビルは、熱海温泉の中心街の国道一三五号線沿いにあり、
鉄筋コンクリート建て地下一階、地上八階、延べ約二千百平方メートルの建物。
27年に建設され、ホテルなどに使用されていたが、
四十二、三年ごろホテルが倒産、一階のみやげ物店を除いて
二階以上は使われないまま放置された。

このため、窓や壁は荒れ放題。
国道に壁のタイルが落ちるなど危険な状態になり、県が再三改善勧告していた。
取り壊し費用は約八千万円かかる。
【写真はみそのビル】

昭和54年8月22日 熱海新聞より


-----------------------------------------------------------


私は幼少の頃にドリーム交通のモノレール線跡を見て
それが今日の縁となり貴兄との出会いとなりました。

酒の席で貴兄から
 「幼少の頃、家族で熱海に行くとボロボロのビルがあった。
  ビル内に木が生い茂り気味が悪く
   壁には大正時代のような古い字体で『熱海銀座』と
    書かれていた。
 そのビルは『みそのビル』というらしいという事は分かったが
  いくら検索してもその写真は出てこない」

遠い夏の日に見た幻を語るかのようでした。

普段は冷静な貴兄がその事を語る時は
ほんのちょっと熱くなっているように見えました。

 「幼き日の家族旅行での思い出」

いいですね。
私も同じように楽しい家族旅行でドリームランド線を
見たものですから。
貴兄の思い出に親しみのようなものを感じていました。

そしてお世話になったある出来事のお礼もあり

 なんとかその画像を見せてあげたい・・・

そんな思いで昭和50年代の新聞を捜しました。
ヒントになったのは
同じく同年代の波さんから
「壁などが落下していて熱海新聞でも『どうするんだ』とか書かれていたのを
子供の頃に読んだ」
と情報を得て
DMRさんからは
「火災があったのは鮮明に覚えています。
今から25年位前だと思います」
とコメントを頂きました。

私達の世代で子供の頃。
新聞を読むような頃・・・
25年前?

それだけを手がかりに探したのが今回の記事です。

新聞紙面からなので不鮮明ではありますが
幼少時の光景が再び甦れば
こんなに嬉しい事はありません。

 
 かしこ









この記事によるとビル内部にはホテルがあったようです。
そして地下部分もあったとは初耳でした。

白黒の新聞でも廃墟感が伝わってきます。
右には「レストランみその」らしき字が見えて
窓ガラスが割れているようです。
さまひさんが見た「熱海銀座」の文字はどこになるのでしょうか。
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熱海 老朽ビル問題

2010-02-22 17:49:12 | 熱海高原ロープウェイ
熱海銀座みそのビル関連の記事を見つけましたので掲載致します。




老朽ビル撤去と糸川の都市公園化


熱商で58年度県要望

観光振興特別対策継続も


熱海商工会議所(山田善久会頭)は14比常議員会を開き58年度の県商工行政施策に対する
要望を次のように行う事にした。

①熱海市中央部にある老朽ビルの撤去について
熱海市中央部にある老朽ビル(銀座みそのビル)は、観光地の美観を損ね
商店街振興の障害となっているばかりでなく、地震対策上極めて危険なビルである。

これを市によって撤去する場合、地震対策特別交付金を交付するなとの助成により
一日も早く撤去できるよう、ご配慮とご指導を願いたい。

熱海新聞 昭和57年10月16日より抜粋


さて、福島屋旅館のご主人WGさんからお父様が撮影された
貴重な画像の中にみそのビルがありました。

福島屋旅館さんのご好意によりここに掲載致します。


真ん中のビルがみそのビル



熱海市役所からの撮影。
画像左手に建設中の建物が富士屋ホテルでしょうか。
撮影年月は不明


拡大


福島屋旅館御主人によると
「それが確かかは分からないが子供の頃は『熱海初のビル』と言われていた」
との事。

屋上に女性の像があった、と聞いて「自由の女神」かと思っていたが
「自由の~」では無いようです。



壁にはかすかに「ホテル」の文字が見えます。

みそのビルにはホテルも入っていたと聞いておりましたが
なんという名称だったのでしょう。

それにしても貴重な画像です。
真ん中に桜みたいなのが咲いているのが糸川でしょうか初川でしょうか?

熱海銀座近く日帰り入浴¥400の福島屋旅館さん 画像提供ありがとうございます。

写真の[福島屋旅館]の文字は私が入れました。
(予告:老朽ビルと呼ばれて朽ち果てた姿をさらす同ビルの新聞記事を見つけました。
近日公開です)


昭和30年頃の地図
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昭和45年1月1日 熱海新聞より

2010-01-01 22:58:35 | 熱海高原ロープウェイ


あけまして
 おめでとうございます

いつも私のブログをご覧いただきまして
まことにありがとうございます。

今年もよろしくお願い致します。

さて今回の画像は昭和45年1月1日の熱海新聞の紙面です。
「新春のクロタケロープウェイ高原観光駅」
長い駅名ですな

「乙女たちは元気いっぱい!!『ボール投げ』」
いいですね、このコピー!

実際にこの季節にあの場所で遊んでいられるのだろうか
という疑問も残ります。
ぜったい寒いよ。

この年の6月に熱海高原ロープウエイは倒産してしまいますが
正月には最後の大見得を切っていたのでしょう。

左の女の子の右上にロープウェイ搬器が写っていますが
見辛くて残念。

「夏休み旅行記」ですが「今度こそ一気に書き上げよう」としましたが
年末で忙しかったりでまたまた休止中です。

年明けのブログはホテルエンパイアの最終回を書くつもりでしたが
それもすっかり忘れていました。
エンパイアはまた来年という事で。

今年も残すところあと364日となってしまいました。

ではまた!



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「飛躍の像」に熱海高原ロープウェイを見た!

2009-11-10 18:47:54 | 熱海高原ロープウェイ
改札口での見所はやはり壁のタイルと飛躍の像。


まさに東海道新幹線開業時からのもの。
前回は見られなかった裏側を存分に見られる。

どなたの作品だろう?




あれ?



あ、あなたは…!

熱海の純喫茶 田園
のモニュメントと同じ製作者じゃないですか!



 館野弘青(こうせい)

  別名 館野観光(ちかみつ)

   日展参与、日展評議員、日彫会員、審査員

    1916年(大正5年)栃木県小山市に生まれる

  喫茶 田園にあるプロフィールより


かつてこのブログでも取り上げたがこんな所で繋がるとは…
(因みにお宮の松で有名な熱海海岸の金色夜叉の像も館野さんの製作です)

この像は当初新幹線ホームに設置されていた事が
当時の新聞記事から分かります。

天神山からクロタケに至るロープウェイを着工している熱海高原観光では
熱海駅新幹線ホーム『飛躍の像』わきに高さ三米もある南洋の椰子を贈り
観光客に南国ムード熱海をかきたてている

熱海新聞 昭和41年2月3日

新幹線ホーム上にあった飛躍の像の隣には熱海サボテン公園の
宣伝用ヤシの木が!

ここに来てあの熱海サボテン公園とは!
そう、あの熱海を語るうえで欠かせない東洋一の
熱海高原ロープウエイがあったあれです。

去年この像を発見した事がこんな繋がりに展開するとは…

 

つづく


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熱海三道物語? 伊豆スカイライン 玄岳付近

2009-09-25 22:25:39 | 熱海高原ロープウェイ
すっかりサボってしまいました

8月23日

過去にブログで取り上げた熱海高原ロープウェイ現役時代の
伊豆スカイライン玄岳付近。




絵葉書からですが「高原道路」という雰囲気がよく伝わってきます。

そして現在の姿。


同じ場所で写真を撮りたいと願っていたらついに実現できました。

基本的に変わっていませんが
木々が生い茂っています。

かつて開通間もない頃(昭和37年開通)をご存知の方が
今走れば「もっと見通しが良かったのでは?」
と思われるのではないでしょうか。




この路肩の石は変わっていないのではないでしょうか?


続いては玄岳ドライブインの様子

(初めてこのブログをご覧の方はこちらの過去記事に往時の姿を書き込んでいますので宜しければご覧下さい)http://blog.goo.ne.jp/saiun4gou/e/aefb9631ab3ff7a2845dffd132456f96

所有者が代わって(再び閉鎖・・・)屋根の色も変えたようです。


入り口も大改修?されていました。


今後どうなるんだろう・・・

【玄岳ドライブイン-私の思い出】

うんと小さな頃から存在は知っていました。
伊豆方面にドライブする時によくトイレ休憩で使うドライブイン
だったから。

特異な形状に幼心にも「古いんだな」と認識しており
このドライブインに立ち寄るのが楽しみだった。

当然だが今よりももっとキレイだった。

最後に「利用」した時の事は今でも覚えている。
伊豆方面からの帰り道。

いつものように立ち寄った。

「ドライブイン」なのでトイレ休憩を口実に
お菓子か何かを買ってもらおうとしたが
『トイレだけ』と先手を取られた。

以前はアイスかホットドック等を買ってもらえたのに
その時は『ダメ』だったのである。

買わないのにトイレだけを利用するのが貧しいとか
お店に悪いんじゃぁ・・・

と思った事は今でも覚えている。

そして更に強烈だったのが今までは気付かなかった裏にあった
コンクリート製の断崖。

その時は
「ゴミ捨て場?」と思った。

何かの施設を作ろうとしたのか
それとも何かがあったのか判らないが
窓から見えたそれは強烈なインパクトがあった。

それがロープウェイの発着場だった事を知るよしもない。

もしもあの時に
ロープウェイの搬器が残っていたらと今思うと
残念でならない。

更に強烈な印象となって私の心を支配したでしょう。

そしてそれから
再び伊豆に出掛ける事となり
あの変な形のドライブインに寄れる事を楽しみにしていたが
見えてきたのは
窓に「恐竜展」だか「恐竜博覧会」と大きく書かれ
薄汚くなってしまったドライブインだった。

粗雑に書かれたその字体に嫌悪感を抱き
ドライブインが変わってしまった事を悲しんだ。

「恐竜展」を見たいとも思わなかった。
  どうせ粗末なハリボテだろう
   別に恐竜を好きな訳でもないし・・・

何故だかその後の事は記憶に無い。
免許を取ってから自分の運転で伊豆スカイラインを通って
いるので見ているはずなのだが
「恐竜展」の事で興味を無くしてしまったのだろう。

再びこのドライブインに興味を持つようになったのは2004年頃。
なんとなく一人で探索に行き
翌年に有志を募りお泊り探索旅行が開かれ
結果そのメンバーでバンコク旅行までするようになった。
あの4人との関係はこのドライブインが無ければ
違ったものとなっていたのかもしれない。


昭和45年8月5日の東名新聞

倒産した後の新聞ですが「熱海高原観光」から
「熱海観光」となっております。

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昭和45年12月 玄岳ロープウェイついに・・・

2009-08-19 22:01:50 | 熱海高原ロープウェイ
熱海新聞 昭和48年10月18日



来春から新会社で再開

名所の少ない観光地熱海で熱海城とともに
(注:熱海城は一度倒産しています)その灯を消すなと
云われていた熱海高原観光のロープウェイが復活することになり
観光施設に従事する人達は勿論、熱海市民にも喜ばしいニュースである。

熱海高原観光は去る四十二年十月に
『伊豆スカイラインと熱海を十分で結ぶジェットコース』
として世界最大百二十一人乗りのロープウェイと約3千種のサボテン公園を
キャッチフレーズに華々しく営業を開始したが、余りにも大規模な施設のため資金回収が
出来ず、経営困難となり四十五年六月五日に社長の○○××氏夫妻が行方不明となり
同八日に事実上の倒産となりその日から一債権者の東京都赤坂永信物産の山崎清氏が
営業を継続したが、同年十二月ロープウェイも創業を停止となった。

だが、熱海市内の債権者の暖かい協力と旧従業員の努力で今年五月、
駅前セントラルホテルで株主総会が開かれ、執行部が誕生し
長洲広氏が代表取締役に就任し、九月二十九日に山崎氏より業務を引き継いだ。

この新しい執行部の誕生で旧従業員が半数以上も復帰し、玄岳ドライブイン、
サボテン公園等で新規巻き直しとばかりに張り切って仕事をしている。

また玄岳まで二千六百五十メートルの距離を空中遊泳するロープウェイも、
現在東電などとの交渉も順調に進み、整備、点検の終わる来春早々には復活する事も
決定している。
このロープウェイも規模を縮小してジャンボで売るんではなく、標高七〇〇メートルの
雄大な景色を見てもらおうというもの。


-----------------------------------------------------

営業を再開した昭和45年6月の半年後
12月に再び運転が止った。

それから3年後の昭和48年に新会社として復活への道を模索したが
実現には至らなかったようだ。

最後となった運転が1970年12月の何日だったのかは分からない。
しかし今まで不明とされていた年月だけでも判明した。

昭和40年5月着工
昭和42年10月1日 開業
昭和45年6月9日 運転中止
    7月1日 運転再開 
昭和45年12月 再度運転中止


熱海銀座に今はパチンコ店の駐車場となっている場所がある。
そこに伊東と熱海でみやげ屋を営んでいた「みその」があった痕跡は全くない。

夏、観光客で賑わう熱海。
駐車場となった空間に「みその商店」があった事を知っている人が
今はどれだけいるのだろう。
かつぎ屋から商店に発展させ熱海高原観光を
設立したというのだから相当な実力者だったのだろう。
往時を知る地元の方々も高齢化によりその記憶は薄れていく。

今も残る熱海高原ロープウェイの施設は
山頂駅だった玄岳ドライブインと
天神山駅地下のタイムトンネルだけ。

そしてまた夏の日の家族旅行で伊豆スカイラインを走り
奇抜な姿をさらし廃墟となった駅舎を目にした子供の誰かが
興味を抱くのだろう。
あの時の私がそうだったように。


おわり
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昭和45年7月1日 熱海高原ロープウェイ動く 

2009-07-18 00:02:19 | 熱海高原ロープウェイ
世間は大阪万博で賑わっていた1970年6月9日。
突然運行を休止した玄岳高原ロープウェイはその後
奇跡の?復活をします。

熱海新聞 昭和45年7月2日




ロープウェイ動く

熱海、伊東両市ではさきに経営不振と赤字で倒産状態となつた熱海高原観光KKの
会社更生法適用を沼津地裁へ依頼すると共に、熱海市では
三十日観光課で債権者に営業の再開を依頼した結果、六月九日から
休業していたサボテン公園とロープウェイはきのうから債権者により一応
団体客を中心に営業を再開した

玄岳ドライブインは既に営業を再開している。
玄岳氷池の観光牧場は既に牛や羊を処分し従業員も
不足なのでまだ休業している。
同社の従業員七十余人のうち約四十七人が債権者と契約仕事をしている。

なお、大阪方面に姿を消しているといわれる○○社長は伊東署へ捜索願いが
出されているが、まだ行方がわからない

_________________________________________________________

1970年6月9日で動かなくなったと思いきや
奇跡の復活を遂げていたとは意外でした。


>>氷池(こおりがいけ)の観光牧場は既に牛や羊を処分し~
なんかこの部分がリアルですね

ところで私は未だに氷ヶ池に行った事はありません。
ふと思ったのですが玄岳高原駅(玄岳ドライブイン)から
同池に行くには伊豆スカイラインを渡らなければなりません。

前にも掲載した絵葉書ですが

左が氷ヶ池、右は玄岳ドライブイン

どうやって渡ったのでしょう?
横断歩道とかがあったようには見えませんが
誘導員でもいたのでしょうか。
「堂々と」突っ切るには怖いものがあると思うのですが


勝手な推測ですが
開業した高度経済成長期の昭和42年
モータリゼーションによりマイカーやバス客が増え始めた。
熱海から玄岳には高いロープウェイではなく観光バスで
登る観光客が増えたのも倒産に追い込まれた一因だと思います。
それでも今よりは自動車の通行量も少なく
スカイラインを横切っても問題はない今よりノンビリとした時代だったのかもしれません。

さらにつづく
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高原ロープウェイ 負債額は十三億五千万円?

2009-07-08 01:31:19 | 熱海高原ロープウェイ


熱海新聞 昭和45年7月21日

26日に債権者大会

天神山-玄岳間のロープウェイ、サボテン公園の熱海高原観光KKの
倒産により熱海、伊東両市で約二百件(熱海約百件)の商品納入業者があり
熱海だけでも約三千万円の債権額があり
現在会社側からは何の通告もなく、このままで行っては連鎖倒産発生の
危険が出て来たので、きのう商工会議所へ代表がその
善後策についての相談のために陳情を行つた。

なお熱海の業者大会は二十六日午後一時より文化会館で
集まつてひらくことなつているが、
高原観光はその負債額十三億五千万円と云われるのに債権者には
一度も通知がなく不渡りを出した六日以後も商品の納入を行わせていたという。
なお全債権者による大会も一度も開かれておらず、中小業者はこのままでゆくと
共倒れになつてしまうとうつたえている。

また同社の従業員数十名も賃金未払(約二百万円)について
労基署と相談を行つているが告訴する用意もあると云われている。

_____________________________________

当時で13億5千万円ですか・・・
とてつもない金額ですね

そして更に「つづき」があるんです!
(引っ張るな~)


さて
先月のある日
コルトで熱海に行ってきました。

あいにくの雨でしたが
福島屋旅館に着く前にいろいろとドライブをしてきました。
熱海ロープウェイ」のりばで
伊豆箱根バスの旧塗装車を見つけました。







この左横にはこんなお店もあります。

いつか訪れてみたいです。


ところでこのロープウェイは秘宝館と熱海城行きなのですが
発掘作業中にこんな映画広告を見つけました。



日活ロマンポルノ「温泉穴場さがし」

背景のお城は熱海城でしょうか?
って事はこの映画の舞台は昭和45年の熱海が出て来るのでしょうか?
もの凄く気になりますがビデオ化されていないようです。
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昭和45年6月9日 高原ロープウェイ休止

2009-07-03 22:07:49 | 熱海高原ロープウェイ
ついに見つけました!
熱海名所
高原ロープウェイの運転休止記事です。



熱海新聞 昭和45年6月11日

読みやすいように起こしてみました。

===================

経営不振で倒産騒ぎ

伊東市湯川の○○××氏が社長をしている『熱海高原観光KK』
(天神山サボテン公園、ロープウェイ、玄岳駅売店)と
その同系会社である『みその商店』(熱海銀座、伊東駅前みやげ食堂)が
このほど倒産状態となり閉店休業、ロープウェイも九日から運転を中止している。

同社には多数の債権者が押しかけ、同店員約六十名、高原観光約七十名の社員も
先月の月給をもらつて以来今月から自宅待機となり。
中には先を見限って辞めてゆくのもかなり出ており
高原観光の社員有志はよりより梅園へ集まつて対策を協議している。
○○社長夫妻は行方不明となつて姿を消している。

同社幹部の話では高原観光の全株式の八十六%(二億円)は○○社長のもので文字通りの
ワンマン経営、その施設投資額は約十三億にのぼつている。

同社長は終戦後、一介のかつぎ屋から伊東熱海で『みその商店』を
開き立志伝中の人物として賞賛されていたが、数年前
熱海高原観光を巨大投資して以来、過大投資と放漫経営のため
経営不振となり、最近遂に不渡り手形を出して
今日の倒産状態となつたとみられる。

熱海商工会議所では
『市内の債権者で心配な方はどしどし相談に来て欲しい、
連鎖倒産防止のための融資あつせん等、前向きの姿勢で解決の相談に乗る』
と言つている。
同社幹部の話しでは
『○○社長は五日ごろから姿を見せず、代理のような人が会社に来ていろいろの
処置をしている』
と言う。

熱海銀行協会は九日、高原観光の不渡りで取引停止通知を行った。

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これによると昭和42年10月に開業した高原ロープウェイは
昭和45年6月9日に休止した事にが判ります。

開業日は判っていたけれどいつ廃止になって
実際はどれ位の期間運行をしていたのか謎でした。

かつてこのブログの2005年4月10日に昭和46年頃まで運行されていたのでは
と書きましたがあのガイドブックが出ている頃には既に休止していたのですね。

玄岳に今も駅舎を残す高原ロープウェイは
昭和45年6月9日に休止!

という結論ではなく
続きがあるんです!

つづく


さて熱海といえば静岡県。
静岡県といえば5日に静岡県知事選挙の投票が行われます。

自民、公明両党推薦の前参院議員坂本由紀子氏

熱海の街で見た選挙ポスターには「しあわせしずおか県民党」だそうで自民・公明両党が推薦とは
表立って書いていないのね。
当選したら「実は自民でした」の千葉県知事みたい。

この方といえば総工費500億円以上、毎年約20億円の赤字で有名な
「わたしの仕事館」設立を推進した人
というイメージが強い。

他にも5回も領収書を使い回した

とニュースで聞いて自分の職場でやったら
即、クビだなと思うもそのパワーに驚きました。

建設業界に人気があり現状の最低制限価格や低入札価格調査基準価格の見直しの必要性を訴えておられるので
ここは是非とも第二静岡空港ならぬ「第二熱海高原ロープウェイ」の建設を願いたい。
詳しくはこちらを↓
http://www.kentsu.co.jp/shizuoka/news/p02180.html

対する民主党が推薦する川勝平太さんはこんな人↓
http://www.k-heita.com/

どちらも頑張ってください。


















コメント (13)
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新しい名所 熱海 その4 最終回

2008-04-18 17:46:23 | 熱海高原ロープウェイ
絵葉書には熱海サボテン公園のドーム内の写真もあった・



特に面白くもないので掲載しようか迷ったがサボテン公園内部を見て
懐かしく思う方もおられるかもしれないと思い掲載しました。


服装に時代を感じます。

熱海の夜景

夜景は良いけど何でサボテン公園の絵葉書に含まれているの?
と思ったがよく見ると左上に・・・



夜のサボテン公園がライトアップされていた。
その上に見える明かりが山ノ上駅舎なのだろう。

「熱海100万ドルの夜景」にはサボテン公園のドームも含まれていた時代が確かにあったんですね。
キレイだったんだろうな

この写真で注目して戴きたいのが熱海ビーチラインの熱海側出口。


見た事の無いゲートみたいなものが見えます。
その右側には形こそ現在と異なるけれども今もある給油所が。


最後に搬器の写真を載せて終わりとします。


熱海高原ロープウェイの搬器は「世界最大」の大きさだったという。
熱海からあの玄岳に行くだけのものなのにその大きさは必要無かったのでは
と、言われますが高度経済成長時代といわれるあの時代

「大きいことは良いことだ」

という考えもあったのかも。

【終わり】





コメント (8)
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