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どこに居ても真央さんを応援させて頂きます。(微笑)
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面白いコラムがでましたのでご紹介させて頂きます。
J-Sportsのウインタースポーツ コラム&ブログより
トリノ五輪より振り返るとありますが日本におけるフィギュアスケートを語る時に最も大事な方を忘れている歴史にちょっと文句はありつつ、ただ、10年と期限を切られれば、伊藤みどりさんを語らなくてもやむおえないかもしれませんね。
しょうがないです。我慢致しましょう。(笑)何故?上から(すみません。)
トリノ五輪から数えて10年目となる企画ものですね。
ただ、書いて頂いて嬉しい方が大勢いらっしゃいますので嫌いな方は省いて好きなフィギュアスケート選手の皆さんだけ転載させて頂きます。
ディケイドを彩るフィギュアスケーター達の形勢逆転 女子シングル編
2006年トリノ五輪から早10年。フィギュアスケートはどのように隆盛してきたのか。過去10年の歴史=ディケイド(decade)を彩るトップスケーター達が逆境や後続からトップに立ち、“突き抜けた”瞬間を振り返る。
欧州史上最強女子
イリーナ・スルツカヤ(ロシア)【シニア活躍時期:1995-2006】
フィギュアスケート女子シングルの歴史を語る上で忘れてならない選手のうちのひとり、イリーナ・スルツカヤ。欧州選手権最多優勝、ISUグランプリシリーズ最多優勝記録を保持する。彼女はとても強かっただけではなく、現役中に結婚、病気による離脱、出産を経験したという極めて稀なスケーターだ。1995年世界ジュニアで優勝すると、翌シーズンからシニアに移行、3ルッツ+3ループという高難度コンビネーションジャンプを武器に、出場したほとんどの大会で表彰台に上ってきた。そんな中20歳の若さで知人男性と結婚。また2003年には自己免疫疾患を患い、約1年競技から離れた。再び試合に出ること自体難しいと思われていたにも関わらず、2004-2005シーズンに本格復帰すると、以前にも増した強さでグランプリシリーズ、グランプリファイナル、ロシア選手権、欧州選手権、世界選手権、全ての試合で優勝を果たした。さらに2007年には第一子を出産。それでもまだ競技への再復帰を考えていると話したが、実際に復帰することはなく今に至る。ミッシェル・クワン(アメリカ)同様、無敵の強さを誇りながらも3度の五輪ではついに金メダルを手にすることはできなかったスルツカヤ。残してきた偉大な経歴が、金メダルなど必要ないと言っているようだ。
粘り強さが支えた氷上のアクトレス
村主章枝(日本)【1996-2014】
長年、日本女子シングルを牽引してきた村主章枝。特にここ一番での精神力の強さが印象深い。その最たるがトリノ五輪代表選考を兼ねた2005年全日本選手権だろう。この大会は今でも伝説として語り継がれる大熱戦であった。代表争いは村主、荒川静香を始め、安藤美姫、恩田美栄、中野友加里で争われ、また代表権は無いものの向かうところ敵なしだった浅田真央にも注目が集まった年だ。このシーズン、村主は怪我の影響から、序盤の大会でジャンプがほとんど跳べず、五輪出場は難しいと思われていた。若手の台頭もあり、全日本選手権でよほど良い演技をしなければ、96年から死守し続けてきた表彰台にも上れるかわからない状況であった。そんな中、SPもFSもほぼ完璧な演技をし、終わってみれば表彰台の一番高いところに立っていた。
母に捧げた渾身のタンゴ
ジョアニー・ロシェット(カナダ)【2003-2010】
2016年メダルウィナーズオープンにて、ロシェットは2連覇を果たした。その演技は今すぐにでも現役復帰できそうな完成度の高さだった。もともと安定したジャンプが持ち味の選手だった。バンクーバー五輪を共に戦ったキム・ヨナや浅田真央のように高難度ジャンプは持っていなかったが、「私には5種類の3回転ジャンプがある」とその正確さには自信を持っていた。母国開催の五輪に向けて着実にキャリアを積み上げて照準を合わせてきた。前年にはついに世界選手権で表彰台に乗った。強いという印象はあまりなかったが、とにかく着実に確実に五輪のメダルへと歩み寄ってきた数シーズンだった。しかし、五輪の本番を目前に思いもよらぬことが起こる。SPの2日前、母親が心臓発作で急死。誰もが棄権するものと思ったが、予定通り姿を見せたロシェットは、落ち着いた様子で完璧なSP『ラ・クンパルシータ』を滑ってみせた。最後のポーズをとった後、「ママ!」と言って初めて涙を見せた。翌日のFSでも上位2人に食らいつく演技をし銅メダルを獲得。「最後のジャンプはママが持ち上げてくれた」と語った。
早咲きであり遅咲きでもあったフィギュアスケートの申し子
カロリーナ・コストナー(イタリア)【2003-現在】
「全員がミスなく滑ったらコストナーが優勝するだろう」とこれまで他の選手のコーチたちが口にしたことは数知れない。カロリーナ・コストナーはそんな類い稀な才能の持ち主だ。ジュニア時代、あまりのスピードの速さに「イタリアのスポーツカー」と言われたこともあったとか。才能、技術、表現力を兼ね備えていたコストナーに唯一足りなかったのは強い精神力だった。出来るはずのことが本番で発揮出来ない。そんな試合が続き、母国開催のトリノ五輪で9位、バンクーバー五輪で16位に沈むと国内で多くのバッシングを受けた。それでも競技を続けてきたのは、本当は自分は出来るのだと、自分のスケートを信じていたからではないだろうか。アメリカに拠点を移したり、メンタルトレーナーをつけたり、試行錯誤を続けながら2012年、ついに世界選手権で優勝を果たした。そして27歳で迎えた3度目の五輪、ソチで銅メダルを獲得。その演技は間違いなく歴史に残る、“これこそがフィギュアスケートなんだ”という素晴らしいものだった。
我が道を行く天才ジャンパー
安藤美姫(日本)【2004-2013】
トリノ五輪後のシーズンは何と言ってもシニアデビューした浅田真央とキム・ヨナ(韓国)の話題で持ちきりで、五輪15位に終わった安藤はもはや世間から見放された存在になっていた。しかし五輪後、以前のコーチと共にジャンプの再構築に取りかかると、あっという間に本来のキレを取り戻し、3ルッツ+3ループという女子最高難度コンビネーションをバンバン決め始めた。新しくコーチについたニコライ・モロゾフの影響もあり、特にメンタル面でこれまでにない安定感を見せ始めた。体型の変化も落ち着き、浅田真央の存在もあってかマスコミからの執着も影を潜めるなど、ありとあらゆる好条件が揃った時、本来の天才的な才能が大いに発揮された。そして迎えた2007年東京開催の世界選手権、SP2位で迎えたFS、最終滑走でほぼ完璧な演技をし、逆転優勝を果たした。最終順位が発表された瞬間キス&クライで感嘆の声を上げる様子は、記憶に新しい。
七転びすらも美しく胸に響く
浅田真央(日本)【2005-現在】
浅田真央は世界で最も多くの栄光を掴んできた選手のひとりであると同時に、最も多くの失意を味わってきた選手だ。
2005年グランプリファイナルで15歳にして世界の頂点に立ってから、山あり谷あり、その折れ線グラフは上ったり下がったり本当に色々なことが起きる。
特にバンクーバー五輪後のシーズンは新しいコーチ探しから始まり、ジャンプやスケーティングの見直しという、世界女王になり五輪で3アクセルを3回決め銀メダリストにまでなった選手としては異例のチャレンジに挑んだ。
その挑戦は想像をはるかに超える困難なものであり、試合に出ては転倒を繰り返し肩を落とした。
翌シーズンには東北で大震災が起こり、浅田自身被災したわけではないが、多くの人が生活もままならない状況に胸を痛めた。
そんな中、ずっと浅田のスケート人生を導いてきた母親が他界。
3年振りの出場となったグランプリファイナルを直前に棄権した。
転んでは起き、再び輝くために自身のスケートを磨き続けてきた数シーズン。
ようやくジャンプにも安定感が戻ってきた頃、気づけば本来の高い表現力は深みを増し、素晴らしいベテランスケーターとなっていた。
ソチ五輪の直前には数年振りに3フリップ+3ループのコンビネーションジャンプも取り戻し、十分に金メダルを狙える構成のプログラムを滑るまでになった。
そして五輪本番ではSPで16位と過去最低順位に沈むも、今や伝説となったFS『ピアノ協奏曲第2番(ラフマニノフ)』をミスなく滑り、改めて世界にその存在を知らしめた。
1年の休養を挟んで復帰した2015-2016シーズンも、3アクセルが決まったり決まらなかったり、上手くいったりいかなかったり、やっぱり辞めようと思ったり続けようと思ったり。
浅田真央の折れ線グラフはまだまだ上ったり下がったり、見るものを飽きさせない。
そんな単純な事では無く、まじめに、真摯に技に取り組むスケーターは、今は、真央さんだけでしょう。見本となるスケーターが一緒に滑る選手の皆さんは、大分楽だと思いますよ。
そのためにも真央さんが必要とされて居るなら、ファンとしては、嬉しい事ですからね。(微笑)
余談ですが、何故?韓国の八百長ブスにひれ伏す?意味が分かんね~ぞ!J-スポ!(怒)真央さんの次に本編で紹介されているブスは、フィギュアスケートの歴史から消すべき選手ですね。
どうしたって応援したくなる諦めない姿勢
アシュリー・ワグナー(アメリカ)【2007-現在】
アシュリー・ワグナーはジュニア時代から頭角を現し、15歳で初出場した2007年世界ジュニアでいきなり銅メダルを獲得。2007-2008シーズンからはシニアに移行し、全米選手権で3位に入り世界選手権にも出場を果たした。しかし翌シーズン、全米選手権で4位になると再び世界ジュニアへ派遣されてしまった。翌2010年バンクーバー五輪代表権を逃すと、ジャンプの矯正を始めた影響もありなかなか良い成績を残せない試合が続いたが、2011-2012シーズンから復活劇が始まる。それも、長く緩やかに上昇する『アシュリー・ワグナー伝説』だ。2012年全米選手権初優勝。その時本人が語った「これまでの私はthe almost girl(いつもあとちょっとの子)だった」という言葉はとても印象的であった。全米選手権優勝を果たした後も世界での“あとちょっと”は続いたが、毎年技術面表現面でのチャレンジを止めることなく、ベテランと呼ばれ始めた2016年、ついに母国開催の世界選手権で銀メダルを獲得したのだった。
彗星の如く現れた才能は未来へ続く
長洲未来(アメリカ)【2008-現在】
彗星の如く現れる選手というのがたまにいるが、長洲未来の彗星っぷりはなかなかのものだった。2007-2008シーズン初参戦のジュニアグランプリシリーズで2連勝すると、グランプリファイナルも制し、勢いそのままになんと全米女王にまでなってしまったのだ。翌シーズンは身長が伸びたことの影響もあり少し調子を落とすが、コーチを名将フランク・キャロルに変更して挑んだ2010年バンクーバー五輪では、FS最終滑走で持ち前のキレのある演技と笑顔を存分に発揮し、総合4位と大健闘した。その後は度重なる怪我や練習拠点の変更により、なかなかコンスタントに成績を残せないシーズンが続いた。ソチ五輪代表選考を兼ねた2014年全米選手権ではコーチ不在のまま挑んだにもかかわらず、3位に入り3年振りに全米の表彰台に上った。ところが4位に終わったアシュリー・ワグナーの実績が考慮され、五輪の代表には選ばれなかった。その大会のエキシビションでは会場中から大きな声援や拍手が捧げられ、演技後にリンクの上で大粒の涙を流した。この頃岡山県のリンクで無良隆志(無良崇人の父でコーチ)の指導を受けていたこともあり、日本を拠点にするのではという噂もあったが、2014年シーズンオフに拠点をコロラドスプリングスに、コーチをトム・ザカライセックに変更。そして2016年全米選手権で2年振りにメダルを獲得、四大陸選手権で5年振りにメダルを獲得、実に6年振りにパーソナルベスト更新するなど、ここへきて歯車がかみ合ってきた。以前から度々口にしていた3アクセルへの挑戦も明言しており、天才少女の大復活劇がこれから見られるかもしれない。
まだこの先にある理想の演技を目指して
村上佳菜子(日本)【2010-現在】
グランプリファイナルという大会は、他の主要な国際大会と違い、ジュニアとシニアが同時に行われる。2009年東京の代々木第一体育館で行われたグランプリファイナルは、ジュニアの試合にも大いに注目が集まった。この年のジュニア男子シングルは羽生結弦が優勝、そしてジュニア女子シングルは村上佳菜子が優勝した。翌シーズン、15歳でシニアデビューを果たすとグランプリシリーズ2戦目のスケートアメリカでいきなり優勝、グランプリファイナル3位、全日本選手権でも3位に入る快進撃を見せ、世界選手権の出場権も獲得した。海外の関係者や記者からも「日本にまた良い選手が出てきたね」と言われるほどのニューフェイスの快進撃だった。その後は常に第一線で活躍をするも、なかなかタイトルを取るところまで行けずにいた。特に苦しんだのは回転不足の判定だ。上手くいったと思っても、点数が伸びずに肩を落とすことが度々あった。特に深刻だったのは2014年12月の全日本選手権。「狂ったように練習してきた」と挑んだが、SPで2アクセル以外全てのジャンプに回転不足を取られ、躍動したジュニア勢の下、SP9位総合5位に沈んだ。3ヶ月後の世界選手権では、SP演技後のキス&クライで点数を見るのが怖いと顔を伏せた。結果、回転不足は取られず高得点で4位につけた。全日本選手権後のジャンプの修正に励んだ成果が実り、コーチと抱き合って泣いた。
生まれ持った星の強さがさらなる栄光をもたらすか
アデリナ・ソトニコワ(ロシア)【2011-現在】
ソトニコワはジュニア時代から天才少女と言われていた。しかし成績には常にムラのある選手でもあった。また国内の代表争いも激しく、代表に入る保証があったわけでもなかった。現にソチ五輪の団体戦では調子の良かったリプニツカヤが出場。期待通りの演技を見せ、金メダル獲得に貢献した。個人戦でもメダルの可能性が高いと思われていたのはリプニツカヤの方だった。金メダル候補として挙げられていたのはキム・ヨナ、カロリーナ・コストナー、浅田真央、リプニツカヤだ。しかしムラのある分誰にも負けない爆発力もあり、まさに台風の目となる存在だった。そしてこの大舞台で大爆発したのだった。こんなにも痛快という言葉が当てはまる演技はないだろうという気持ちの良いスピード、高さ、笑顔。きっちり滑りきっちり点数を取ったSP1位のブスを台風が吹き飛ばした試合だった。
新しい環境からの再飛翔
ユリア・リプニツカヤ(ロシア)【2012-現在】
2014年、母国で開催されたソチ五輪で、リプニツカヤは栄光と挫折の両方を味わった。2011-2012シーズン、恐ロシア第二世代の筆頭としてジュニアの主要大会を勝ち続けてきたリプニツカヤ(「恐ロシア」:「恐ろしいほど強いロシア女子シングル」の意で、スケートファンの略語)。代名詞であるキャンドルスピンと共にその名を一気に世界に知らしめた。絶頂期で迎えたソチ五輪では団体戦のSP・FS共に出場し金メダル獲得に多いに貢献した。しかしそれが逆に個人戦へのネックになったのかもしれない。期待と注目を一気に浴び、個人戦に向けての調整は大変難しいものとなった。間違いなく金メダル候補のひとりだったが、結果、金メダルを獲得したのは団体戦に出場しなかったソトニコワで、リプニツカヤは5位に終わった。翌シーズンからは急激な体型の変化もありコンディションが整わず、激化する国内の代表争いに加わることの出来ないシーズンが続いた。そんな中、コーチをアレクセイ・ウルマノフに、拠点をソチに変更するという一大改革を行った。練習での調子も徐々に戻り、新しい環境での一からのスタートで、以前のような輝きを取り戻すことが出来るか楽しみである。
「私はもう若くない」
エレーナ・ラジオノワ(ロシア)【2013-現在】
ここ数年活躍した多くのロシア女子選手はジュニア時代から頭角を現し、世界ジュニアでメダルを獲得し、シニアに移行してきた。それでも世界ジュニアを連覇したのは後にも先にもラジオノワただ一人だ。向かうところ敵なしだった2012-2013シーズンは出場した国際試合の全てで優勝、唯一優勝を逃したのはロシア選手権だった。翌シーズンからシニアに移行、以来ほとんどの試合で表彰台を確保し続けている。しかし国内の競争は激化、ロシア選手にとっては国内で勝つことが一番難しい時代だ。そして2014-2015シーズン、グランプリシリーズを唯一の連勝でファイナル出場を決めると、銀メダルを獲得。翌月のロシア選手権ではついにロシア女王の座を手にした。グランプリファイナル終了後の会見時、8歳年上のワグナーの隣で「私はもう若くない、もうすぐ16歳だが、3回転+3回転を跳ぶもっと若い子たちがいる」と語ったことが話題になった。事実その後のシーズンでは国内の後輩らの活躍が目覚ましく、ミスなく滑っても一年下のメドヴェージェワに勝てない試合が続いている。来シーズンからシニアに移行してくる才能豊かな若手もいる中、ラジオノワがどのような戦いを見せてくるか注目だ。
出来過ぎた16歳のこれから
エフゲーニャ・メドヴェージェワ(ロシア)【2015-現在】
現在FSのワールドレコード保持者であり、非の打ちどころがないスケーターであるメドヴェージェワ。16歳とは思えない完成された技術と表現力は、才能の宝庫であるロシア選手の中でも群を抜いている。2013-2014シーズンはジュニアグランプリシリーズ初参戦でいきなり連勝、世界ジュニアで銅メダルを獲得、翌シーズンにはジュニア国際大会の全てで優勝した。メドヴェージェワの強さは、高難度ジャンプを軽々と跳ぶのはもちろんだが、若くしてプログラムの見せ方をよく知っていることだ。見るものを自分の世界へと引き込む演技やゆったりとエッジを効かせた滑りを織り交ぜてくる。現行の採点方式で、点数が伸びざるを得ない演技なのだ。そしてシニアデビューの2015-2016シーズンはグランプリシリーズ・ロシア杯でラジオノワに次いで2位になった以外、7試合で優勝を飾った。初出場の世界選手権ではSPで珍しく冒頭のジャンプをミスするも、きっちりとリカバリーをして3位につけ、FSでは圧倒的な強さで2010年、ブスがバンクーバー五輪で出したワールドレコードをついに更新した。
~ いろいろなTurn the Tables(形勢逆転)~
サラ・マイヤー(スイス)、映画さながらの引退試合
女子シングルの歴史の中で、驚きの優勝といえば真っ先にこのシーンが思い浮かぶ。2011年スイス・ベルンで開催された欧州選手権、サラ・マイヤー現役最後の試合だ。90年代後半から第一線で活躍してきたベテランのマイヤーだが、それまで国際試合での優勝は、ジュニアグランプリシリーズで一度、シニアグランプリシリーズで一度だけだ。腰痛やアキレス腱痛など故障が続き、満身創痍で出場する試合も多かった。前年のバンクーバー五輪は15位、世界選手権は26位、このシーズンも唯一出場したのがこの欧州選手権で、試合前に引退を表明していた。SP3位と好位置につけ迎えたFSは最終滑走。母国開催のビッグイベントでの引退へ、舞台は整った。登場から大歓声、本人は落ち着いている様子で次々とジャンプを決め、得意のスピンでは大いに湧いた。演技終了後はもちろんスタンディングオベーション。日本でもテレビの前で涙し拍手した人は多かっただろう。キス&クライではコーチ共に清々しい表情だった。最後に上手く出来て良かったねと。そして出された点数・順位を見た瞬間、本人も会場も悲鳴を上げた。まさに、まさかの、出来過ぎたシナリオでの優勝、引退劇だった。
“ミスごぼう抜き”浅田真央の逆転劇
SPの出遅れをFSで挽回するというジャイアントキリングもフィギュアスケートでの醍醐味だが……とこれだけで「浅田真央のことだな」と思った人も多いだろう。最近ではもちろんソチ五輪のSP16位からFS3位という特大ごぼう抜きが記憶に新しいが、浅田はこれまでに何度も大逆転でのメダル獲得を成し遂げている。中でも印象深かったのは2007年初出場の世界選手権東京大会。既に国民的ヒロインとなっていた浅田は全日本選手権も制しており、間違いなく優勝候補だった。ところがSPはコンビネーションジャンプのミスにより5位と出遅れた。このままでは終われないと挑んだFS、難しい入りの3アクセルに始まり、次々とジャンプを決め、当時のワールドレコードを出し銀メダルを掴み取った。また、翌シーズンは3フリップ+3ループの成功率が下がり始め、2007年グランプリファイナルでもSPで失敗。60点に乗せることも出来ず最下位の6位に。しかし迎えたFSでは1番滑走で高さ流れ着氷共素晴らしい3アクセルを決めてFS1位となり、最終的に銀メダルを獲得した。
シニア初優勝がワールド、キミー・マイズナー(アメリカ)
アメリカ開催の2016年世界選手権でアシュリー・ワグナーがアメリカ女子として実に10年振りにメダルを獲得したが、金メダルを獲得したのは10年前のキミー・マイズナーが最後である。2種類の3回転+3回転を持っており、国内試合では3アクセルも決めているジャンパーだった。トリノ五輪で6位入賞した直後、16歳で初出場した2006年世界選手権がマイズナーのジャイアントキリングとなる。五輪準優勝のサーシャ・コーエンや同4位の村主章枝がSP1位2位とリードする中5位と出遅れるも、FSで3フリップ+3トゥループと3ルッツ+3トゥループを決めるという驚異的な構成で、技術点では当時の最高得点をマークして金メダルを獲得。シニアデビュー後初の優勝が世界選手権(ワールド)という稀な記録を残した。
魅力的過ぎるアンバサダー、エレーネ・ゲデヴァニシヴィリ(ジョージア)
高知県ほどの大きさで人口400万人ほどの小さな共和国ジョージア(グルジア)、その名前をスケートファンの間で馴染み深いものにしたのが、エレーネ・ゲデヴァニシヴィリの存在だ。元々ロシアで練習をしていたが、政治情勢の悪化によりロシアを追われアメリカへ移ると、以後コーチや拠点の変更を繰り返してきた。不遇な環境の下、初出場のトリノ五輪でSP6位に入り、FSを最終グループで錚々たるメンバーと共に迎え注目を浴びた。高い柔軟性とスピードを活かした高いジャンプが持ち味だが、魅力のひとつである豊満なボディが度々豊満になり過ぎてジャンプの邪魔をすることもある。環境もボディも不安定ではあるが、長年活躍をしているゲデヴァニシヴィリはファンも多く、国内では間違いなく英雄だ。以前「子どもたちが練習できるようにジョージアにリンクを作りたい」と語っていたが、ジョージアのフィギュアスケートの道を切り開いてきたゲデヴァニシヴィリの活躍を今後も期待したい。
すべてに賛同出来るものではありませんが確かに!と感心させられる事も書いていらっしゃいますので、是非、ご一読ください。
リンク先にジャンプしてもあまり面白い選手が居りませんよ!ってね!(笑)
転載先URL:http://www.jsports.co.jp/press/article/N2016051110370506.html
昨日の舛添要一情報。
もうそろそろ辞任の話題があって当然のレベルに達しましたね。
正直、政治家には多い不正です。
しかし、ほかの政治家と違うのは、政治家を最大限に気取っていると言う点。
政治学者の肩書があるのなら完全に逝かれた政治家と言わざる負えません。
昨日の情報を書き留めます。
異常なほど脂ぎった禿げおやじのしょぼくれ具合、見たいですね~、今まで都民を馬鹿にした分、馬鹿にしてあげるよ!要一!
加速する「舛添降ろし」 “天敵”の都議会自民党が虎視眈々
“公用車週末別荘通い”に続き、政治資金で家族旅行していた疑いが浮上した東京都の舛添要一知事(67)。11日も「調べないと分からない。精査が終わったらコメントする」と釈明に追われた。
発売中の「週刊文春」によると、舛添知事は都知事就任前の13年と翌14年の正月、千葉県木更津市の「龍宮城スパホテル三日月」に“会議費用”として計約37万円を支出している。ところが、実際は家族旅行で子供たちと温水プールで遊んでいたというから、ア然とする。
「政治資金収支報告書に会議費用として記載しながら、家族旅行をしていたとすれば、虚偽記載に問われる可能性があります。公訴時効は5年だから、まだ罪に問える。収支報告書を精査し、不正金額が100万円単位まで積み上がりそうだったら、東京地検特捜部も重い腰を上げるかもしれません」(元大阪高検公安部長の三井環氏)
もっとも、検察が動く前に都議会で“舛添降ろし”が加速する可能性がある。6年前、自民党を離党して除名処分となった舛添知事は、もともと都議会自民党と折り合いが悪い。14年2月の都知事選で自民党が舛添知事を担いだのは、脱原発を訴えた細川護煕を勝たせたくなかったからに過ぎない。事実、都知事になってから、舛添知事と都議会自民党は事あるごとに衝突している。
「3月には自民の反対を押し切る形で、舛添知事が韓国人学校を増設するための都有地を韓国政府に貸し出す方針を決め、両者の対立が浮き彫りになりました。新国立競技場などに関する質疑でも、都議会に説明をしないままツイッターで情報発信したことに対し、自民は猛反発しています。6月1日から始まる都議会本会議は、大荒れ必至でしょう。野党が辞職勧告決議案を出したら、それに自民党が乗っかりガンガン攻めるかもしれないといわれています」(都政に詳しいジャーナリスト)
■辞職した猪瀬前知事と同じ構図
2年前、猪瀬直樹氏が都知事を辞職した時は、野党ではなく、自民党が疑惑追及の先頭に立って追い詰めた。あの時の構図が再現しそうなのだ。
「今夏の参院選に出馬するはずだった乙武洋匡氏にある程度、政治経験を積ませたら、自民党は20年の都知事選に担ぎ出す計画だったようです。都議会自民党にとっては、猪瀬氏や舛添知事のように威張り散らし、小うるさい都知事は目障りでしかない。早く担ぎやすい神輿に交代させたくて仕方ないのでしょう」(都議会関係者)
醜い争いともいえるが、浮世離れした“舛添感覚”で税金をムダ遣いする都知事には、一刻も早くお引き取り願うしかない。
やはり美濃部さんの時代が良かったな~。国政とは別ですからね、国会議員気取りで威張り散らす知事など本当に無用です。
◆日刊ゲンダイ記事URL:http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/181161/1
そして、お前が口出しするとすべてが反対に思えます。
下手に舛添が絡むとこじれるで~!手遅れでしょうけど、どうせ最後には、猪瀬の時代だと言うのでしょう。
五輪招致で金銭「ない」=舛添都知事
おいおい、そこは違うだろ、「今調べさせるから待って欲しい」だろう。(笑)
◆浅田真央さんを中心にあらゆるジャンルの動画のご紹介です。何度も同じものを更新しますので何度もお付き合いください。
動画主の皆さま、ありがとうございます。ご紹介させて頂きます。(微笑)
★HKT48 「誰かのために~What can I do for someone?~」 うたコン
★ミュージックフェア HKT48
★リスペクトされる浅田真央 ロシアのフィギュア界で一体何が起きているのか?
★浅田真央、佐藤信夫コーチは語る、真央は誰にも劣らないすごい精神力の持ち主
★山田満知子 「(浅田)真央はボーイフレンドもいないし、やることないから復帰するんじゃないかと」
★【感動】フィギュア浅田真央を影で支えてきた、コーチ佐藤信夫(信夫先生)の覚悟とは・・・
最後まで読んで頂きましてありがとうございます。
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2006年トリノ五輪から早10年。フィギュアスケートはどのように隆盛してきたのか。過去10年の歴史=ディケイド(decade)を彩るトップスケーター達が逆境や後続からトップに立ち、“突き抜けた”瞬間を振り返る。
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イリーナ・スルツカヤ(ロシア)【シニア活躍時期:1995-2006】
フィギュアスケート女子シングルの歴史を語る上で忘れてならない選手のうちのひとり、イリーナ・スルツカヤ。欧州選手権最多優勝、ISUグランプリシリーズ最多優勝記録を保持する。彼女はとても強かっただけではなく、現役中に結婚、病気による離脱、出産を経験したという極めて稀なスケーターだ。1995年世界ジュニアで優勝すると、翌シーズンからシニアに移行、3ルッツ+3ループという高難度コンビネーションジャンプを武器に、出場したほとんどの大会で表彰台に上ってきた。そんな中20歳の若さで知人男性と結婚。また2003年には自己免疫疾患を患い、約1年競技から離れた。再び試合に出ること自体難しいと思われていたにも関わらず、2004-2005シーズンに本格復帰すると、以前にも増した強さでグランプリシリーズ、グランプリファイナル、ロシア選手権、欧州選手権、世界選手権、全ての試合で優勝を果たした。さらに2007年には第一子を出産。それでもまだ競技への再復帰を考えていると話したが、実際に復帰することはなく今に至る。ミッシェル・クワン(アメリカ)同様、無敵の強さを誇りながらも3度の五輪ではついに金メダルを手にすることはできなかったスルツカヤ。残してきた偉大な経歴が、金メダルなど必要ないと言っているようだ。
粘り強さが支えた氷上のアクトレス
村主章枝(日本)【1996-2014】
長年、日本女子シングルを牽引してきた村主章枝。特にここ一番での精神力の強さが印象深い。その最たるがトリノ五輪代表選考を兼ねた2005年全日本選手権だろう。この大会は今でも伝説として語り継がれる大熱戦であった。代表争いは村主、荒川静香を始め、安藤美姫、恩田美栄、中野友加里で争われ、また代表権は無いものの向かうところ敵なしだった浅田真央にも注目が集まった年だ。このシーズン、村主は怪我の影響から、序盤の大会でジャンプがほとんど跳べず、五輪出場は難しいと思われていた。若手の台頭もあり、全日本選手権でよほど良い演技をしなければ、96年から死守し続けてきた表彰台にも上れるかわからない状況であった。そんな中、SPもFSもほぼ完璧な演技をし、終わってみれば表彰台の一番高いところに立っていた。
母に捧げた渾身のタンゴ
ジョアニー・ロシェット(カナダ)【2003-2010】
2016年メダルウィナーズオープンにて、ロシェットは2連覇を果たした。その演技は今すぐにでも現役復帰できそうな完成度の高さだった。もともと安定したジャンプが持ち味の選手だった。バンクーバー五輪を共に戦ったキム・ヨナや浅田真央のように高難度ジャンプは持っていなかったが、「私には5種類の3回転ジャンプがある」とその正確さには自信を持っていた。母国開催の五輪に向けて着実にキャリアを積み上げて照準を合わせてきた。前年にはついに世界選手権で表彰台に乗った。強いという印象はあまりなかったが、とにかく着実に確実に五輪のメダルへと歩み寄ってきた数シーズンだった。しかし、五輪の本番を目前に思いもよらぬことが起こる。SPの2日前、母親が心臓発作で急死。誰もが棄権するものと思ったが、予定通り姿を見せたロシェットは、落ち着いた様子で完璧なSP『ラ・クンパルシータ』を滑ってみせた。最後のポーズをとった後、「ママ!」と言って初めて涙を見せた。翌日のFSでも上位2人に食らいつく演技をし銅メダルを獲得。「最後のジャンプはママが持ち上げてくれた」と語った。
早咲きであり遅咲きでもあったフィギュアスケートの申し子
カロリーナ・コストナー(イタリア)【2003-現在】
「全員がミスなく滑ったらコストナーが優勝するだろう」とこれまで他の選手のコーチたちが口にしたことは数知れない。カロリーナ・コストナーはそんな類い稀な才能の持ち主だ。ジュニア時代、あまりのスピードの速さに「イタリアのスポーツカー」と言われたこともあったとか。才能、技術、表現力を兼ね備えていたコストナーに唯一足りなかったのは強い精神力だった。出来るはずのことが本番で発揮出来ない。そんな試合が続き、母国開催のトリノ五輪で9位、バンクーバー五輪で16位に沈むと国内で多くのバッシングを受けた。それでも競技を続けてきたのは、本当は自分は出来るのだと、自分のスケートを信じていたからではないだろうか。アメリカに拠点を移したり、メンタルトレーナーをつけたり、試行錯誤を続けながら2012年、ついに世界選手権で優勝を果たした。そして27歳で迎えた3度目の五輪、ソチで銅メダルを獲得。その演技は間違いなく歴史に残る、“これこそがフィギュアスケートなんだ”という素晴らしいものだった。
我が道を行く天才ジャンパー
安藤美姫(日本)【2004-2013】
トリノ五輪後のシーズンは何と言ってもシニアデビューした浅田真央とキム・ヨナ(韓国)の話題で持ちきりで、五輪15位に終わった安藤はもはや世間から見放された存在になっていた。しかし五輪後、以前のコーチと共にジャンプの再構築に取りかかると、あっという間に本来のキレを取り戻し、3ルッツ+3ループという女子最高難度コンビネーションをバンバン決め始めた。新しくコーチについたニコライ・モロゾフの影響もあり、特にメンタル面でこれまでにない安定感を見せ始めた。体型の変化も落ち着き、浅田真央の存在もあってかマスコミからの執着も影を潜めるなど、ありとあらゆる好条件が揃った時、本来の天才的な才能が大いに発揮された。そして迎えた2007年東京開催の世界選手権、SP2位で迎えたFS、最終滑走でほぼ完璧な演技をし、逆転優勝を果たした。最終順位が発表された瞬間キス&クライで感嘆の声を上げる様子は、記憶に新しい。
七転びすらも美しく胸に響く
浅田真央(日本)【2005-現在】
浅田真央は世界で最も多くの栄光を掴んできた選手のひとりであると同時に、最も多くの失意を味わってきた選手だ。
2005年グランプリファイナルで15歳にして世界の頂点に立ってから、山あり谷あり、その折れ線グラフは上ったり下がったり本当に色々なことが起きる。
特にバンクーバー五輪後のシーズンは新しいコーチ探しから始まり、ジャンプやスケーティングの見直しという、世界女王になり五輪で3アクセルを3回決め銀メダリストにまでなった選手としては異例のチャレンジに挑んだ。
その挑戦は想像をはるかに超える困難なものであり、試合に出ては転倒を繰り返し肩を落とした。
翌シーズンには東北で大震災が起こり、浅田自身被災したわけではないが、多くの人が生活もままならない状況に胸を痛めた。
そんな中、ずっと浅田のスケート人生を導いてきた母親が他界。
3年振りの出場となったグランプリファイナルを直前に棄権した。
転んでは起き、再び輝くために自身のスケートを磨き続けてきた数シーズン。
ようやくジャンプにも安定感が戻ってきた頃、気づけば本来の高い表現力は深みを増し、素晴らしいベテランスケーターとなっていた。
ソチ五輪の直前には数年振りに3フリップ+3ループのコンビネーションジャンプも取り戻し、十分に金メダルを狙える構成のプログラムを滑るまでになった。
そして五輪本番ではSPで16位と過去最低順位に沈むも、今や伝説となったFS『ピアノ協奏曲第2番(ラフマニノフ)』をミスなく滑り、改めて世界にその存在を知らしめた。
1年の休養を挟んで復帰した2015-2016シーズンも、3アクセルが決まったり決まらなかったり、上手くいったりいかなかったり、やっぱり辞めようと思ったり続けようと思ったり。
浅田真央の折れ線グラフはまだまだ上ったり下がったり、見るものを飽きさせない。
そんな単純な事では無く、まじめに、真摯に技に取り組むスケーターは、今は、真央さんだけでしょう。見本となるスケーターが一緒に滑る選手の皆さんは、大分楽だと思いますよ。
そのためにも真央さんが必要とされて居るなら、ファンとしては、嬉しい事ですからね。(微笑)
余談ですが、何故?韓国の八百長ブスにひれ伏す?意味が分かんね~ぞ!J-スポ!(怒)真央さんの次に本編で紹介されているブスは、フィギュアスケートの歴史から消すべき選手ですね。
どうしたって応援したくなる諦めない姿勢
アシュリー・ワグナー(アメリカ)【2007-現在】
アシュリー・ワグナーはジュニア時代から頭角を現し、15歳で初出場した2007年世界ジュニアでいきなり銅メダルを獲得。2007-2008シーズンからはシニアに移行し、全米選手権で3位に入り世界選手権にも出場を果たした。しかし翌シーズン、全米選手権で4位になると再び世界ジュニアへ派遣されてしまった。翌2010年バンクーバー五輪代表権を逃すと、ジャンプの矯正を始めた影響もありなかなか良い成績を残せない試合が続いたが、2011-2012シーズンから復活劇が始まる。それも、長く緩やかに上昇する『アシュリー・ワグナー伝説』だ。2012年全米選手権初優勝。その時本人が語った「これまでの私はthe almost girl(いつもあとちょっとの子)だった」という言葉はとても印象的であった。全米選手権優勝を果たした後も世界での“あとちょっと”は続いたが、毎年技術面表現面でのチャレンジを止めることなく、ベテランと呼ばれ始めた2016年、ついに母国開催の世界選手権で銀メダルを獲得したのだった。
彗星の如く現れた才能は未来へ続く
長洲未来(アメリカ)【2008-現在】
彗星の如く現れる選手というのがたまにいるが、長洲未来の彗星っぷりはなかなかのものだった。2007-2008シーズン初参戦のジュニアグランプリシリーズで2連勝すると、グランプリファイナルも制し、勢いそのままになんと全米女王にまでなってしまったのだ。翌シーズンは身長が伸びたことの影響もあり少し調子を落とすが、コーチを名将フランク・キャロルに変更して挑んだ2010年バンクーバー五輪では、FS最終滑走で持ち前のキレのある演技と笑顔を存分に発揮し、総合4位と大健闘した。その後は度重なる怪我や練習拠点の変更により、なかなかコンスタントに成績を残せないシーズンが続いた。ソチ五輪代表選考を兼ねた2014年全米選手権ではコーチ不在のまま挑んだにもかかわらず、3位に入り3年振りに全米の表彰台に上った。ところが4位に終わったアシュリー・ワグナーの実績が考慮され、五輪の代表には選ばれなかった。その大会のエキシビションでは会場中から大きな声援や拍手が捧げられ、演技後にリンクの上で大粒の涙を流した。この頃岡山県のリンクで無良隆志(無良崇人の父でコーチ)の指導を受けていたこともあり、日本を拠点にするのではという噂もあったが、2014年シーズンオフに拠点をコロラドスプリングスに、コーチをトム・ザカライセックに変更。そして2016年全米選手権で2年振りにメダルを獲得、四大陸選手権で5年振りにメダルを獲得、実に6年振りにパーソナルベスト更新するなど、ここへきて歯車がかみ合ってきた。以前から度々口にしていた3アクセルへの挑戦も明言しており、天才少女の大復活劇がこれから見られるかもしれない。
まだこの先にある理想の演技を目指して
村上佳菜子(日本)【2010-現在】
グランプリファイナルという大会は、他の主要な国際大会と違い、ジュニアとシニアが同時に行われる。2009年東京の代々木第一体育館で行われたグランプリファイナルは、ジュニアの試合にも大いに注目が集まった。この年のジュニア男子シングルは羽生結弦が優勝、そしてジュニア女子シングルは村上佳菜子が優勝した。翌シーズン、15歳でシニアデビューを果たすとグランプリシリーズ2戦目のスケートアメリカでいきなり優勝、グランプリファイナル3位、全日本選手権でも3位に入る快進撃を見せ、世界選手権の出場権も獲得した。海外の関係者や記者からも「日本にまた良い選手が出てきたね」と言われるほどのニューフェイスの快進撃だった。その後は常に第一線で活躍をするも、なかなかタイトルを取るところまで行けずにいた。特に苦しんだのは回転不足の判定だ。上手くいったと思っても、点数が伸びずに肩を落とすことが度々あった。特に深刻だったのは2014年12月の全日本選手権。「狂ったように練習してきた」と挑んだが、SPで2アクセル以外全てのジャンプに回転不足を取られ、躍動したジュニア勢の下、SP9位総合5位に沈んだ。3ヶ月後の世界選手権では、SP演技後のキス&クライで点数を見るのが怖いと顔を伏せた。結果、回転不足は取られず高得点で4位につけた。全日本選手権後のジャンプの修正に励んだ成果が実り、コーチと抱き合って泣いた。
生まれ持った星の強さがさらなる栄光をもたらすか
アデリナ・ソトニコワ(ロシア)【2011-現在】
ソトニコワはジュニア時代から天才少女と言われていた。しかし成績には常にムラのある選手でもあった。また国内の代表争いも激しく、代表に入る保証があったわけでもなかった。現にソチ五輪の団体戦では調子の良かったリプニツカヤが出場。期待通りの演技を見せ、金メダル獲得に貢献した。個人戦でもメダルの可能性が高いと思われていたのはリプニツカヤの方だった。金メダル候補として挙げられていたのはキム・ヨナ、カロリーナ・コストナー、浅田真央、リプニツカヤだ。しかしムラのある分誰にも負けない爆発力もあり、まさに台風の目となる存在だった。そしてこの大舞台で大爆発したのだった。こんなにも痛快という言葉が当てはまる演技はないだろうという気持ちの良いスピード、高さ、笑顔。きっちり滑りきっちり点数を取ったSP1位のブスを台風が吹き飛ばした試合だった。
新しい環境からの再飛翔
ユリア・リプニツカヤ(ロシア)【2012-現在】
2014年、母国で開催されたソチ五輪で、リプニツカヤは栄光と挫折の両方を味わった。2011-2012シーズン、恐ロシア第二世代の筆頭としてジュニアの主要大会を勝ち続けてきたリプニツカヤ(「恐ロシア」:「恐ろしいほど強いロシア女子シングル」の意で、スケートファンの略語)。代名詞であるキャンドルスピンと共にその名を一気に世界に知らしめた。絶頂期で迎えたソチ五輪では団体戦のSP・FS共に出場し金メダル獲得に多いに貢献した。しかしそれが逆に個人戦へのネックになったのかもしれない。期待と注目を一気に浴び、個人戦に向けての調整は大変難しいものとなった。間違いなく金メダル候補のひとりだったが、結果、金メダルを獲得したのは団体戦に出場しなかったソトニコワで、リプニツカヤは5位に終わった。翌シーズンからは急激な体型の変化もありコンディションが整わず、激化する国内の代表争いに加わることの出来ないシーズンが続いた。そんな中、コーチをアレクセイ・ウルマノフに、拠点をソチに変更するという一大改革を行った。練習での調子も徐々に戻り、新しい環境での一からのスタートで、以前のような輝きを取り戻すことが出来るか楽しみである。
「私はもう若くない」
エレーナ・ラジオノワ(ロシア)【2013-現在】
ここ数年活躍した多くのロシア女子選手はジュニア時代から頭角を現し、世界ジュニアでメダルを獲得し、シニアに移行してきた。それでも世界ジュニアを連覇したのは後にも先にもラジオノワただ一人だ。向かうところ敵なしだった2012-2013シーズンは出場した国際試合の全てで優勝、唯一優勝を逃したのはロシア選手権だった。翌シーズンからシニアに移行、以来ほとんどの試合で表彰台を確保し続けている。しかし国内の競争は激化、ロシア選手にとっては国内で勝つことが一番難しい時代だ。そして2014-2015シーズン、グランプリシリーズを唯一の連勝でファイナル出場を決めると、銀メダルを獲得。翌月のロシア選手権ではついにロシア女王の座を手にした。グランプリファイナル終了後の会見時、8歳年上のワグナーの隣で「私はもう若くない、もうすぐ16歳だが、3回転+3回転を跳ぶもっと若い子たちがいる」と語ったことが話題になった。事実その後のシーズンでは国内の後輩らの活躍が目覚ましく、ミスなく滑っても一年下のメドヴェージェワに勝てない試合が続いている。来シーズンからシニアに移行してくる才能豊かな若手もいる中、ラジオノワがどのような戦いを見せてくるか注目だ。
出来過ぎた16歳のこれから
エフゲーニャ・メドヴェージェワ(ロシア)【2015-現在】
現在FSのワールドレコード保持者であり、非の打ちどころがないスケーターであるメドヴェージェワ。16歳とは思えない完成された技術と表現力は、才能の宝庫であるロシア選手の中でも群を抜いている。2013-2014シーズンはジュニアグランプリシリーズ初参戦でいきなり連勝、世界ジュニアで銅メダルを獲得、翌シーズンにはジュニア国際大会の全てで優勝した。メドヴェージェワの強さは、高難度ジャンプを軽々と跳ぶのはもちろんだが、若くしてプログラムの見せ方をよく知っていることだ。見るものを自分の世界へと引き込む演技やゆったりとエッジを効かせた滑りを織り交ぜてくる。現行の採点方式で、点数が伸びざるを得ない演技なのだ。そしてシニアデビューの2015-2016シーズンはグランプリシリーズ・ロシア杯でラジオノワに次いで2位になった以外、7試合で優勝を飾った。初出場の世界選手権ではSPで珍しく冒頭のジャンプをミスするも、きっちりとリカバリーをして3位につけ、FSでは圧倒的な強さで2010年、ブスがバンクーバー五輪で出したワールドレコードをついに更新した。
~ いろいろなTurn the Tables(形勢逆転)~
サラ・マイヤー(スイス)、映画さながらの引退試合
女子シングルの歴史の中で、驚きの優勝といえば真っ先にこのシーンが思い浮かぶ。2011年スイス・ベルンで開催された欧州選手権、サラ・マイヤー現役最後の試合だ。90年代後半から第一線で活躍してきたベテランのマイヤーだが、それまで国際試合での優勝は、ジュニアグランプリシリーズで一度、シニアグランプリシリーズで一度だけだ。腰痛やアキレス腱痛など故障が続き、満身創痍で出場する試合も多かった。前年のバンクーバー五輪は15位、世界選手権は26位、このシーズンも唯一出場したのがこの欧州選手権で、試合前に引退を表明していた。SP3位と好位置につけ迎えたFSは最終滑走。母国開催のビッグイベントでの引退へ、舞台は整った。登場から大歓声、本人は落ち着いている様子で次々とジャンプを決め、得意のスピンでは大いに湧いた。演技終了後はもちろんスタンディングオベーション。日本でもテレビの前で涙し拍手した人は多かっただろう。キス&クライではコーチ共に清々しい表情だった。最後に上手く出来て良かったねと。そして出された点数・順位を見た瞬間、本人も会場も悲鳴を上げた。まさに、まさかの、出来過ぎたシナリオでの優勝、引退劇だった。
“ミスごぼう抜き”浅田真央の逆転劇
SPの出遅れをFSで挽回するというジャイアントキリングもフィギュアスケートでの醍醐味だが……とこれだけで「浅田真央のことだな」と思った人も多いだろう。最近ではもちろんソチ五輪のSP16位からFS3位という特大ごぼう抜きが記憶に新しいが、浅田はこれまでに何度も大逆転でのメダル獲得を成し遂げている。中でも印象深かったのは2007年初出場の世界選手権東京大会。既に国民的ヒロインとなっていた浅田は全日本選手権も制しており、間違いなく優勝候補だった。ところがSPはコンビネーションジャンプのミスにより5位と出遅れた。このままでは終われないと挑んだFS、難しい入りの3アクセルに始まり、次々とジャンプを決め、当時のワールドレコードを出し銀メダルを掴み取った。また、翌シーズンは3フリップ+3ループの成功率が下がり始め、2007年グランプリファイナルでもSPで失敗。60点に乗せることも出来ず最下位の6位に。しかし迎えたFSでは1番滑走で高さ流れ着氷共素晴らしい3アクセルを決めてFS1位となり、最終的に銀メダルを獲得した。
シニア初優勝がワールド、キミー・マイズナー(アメリカ)
アメリカ開催の2016年世界選手権でアシュリー・ワグナーがアメリカ女子として実に10年振りにメダルを獲得したが、金メダルを獲得したのは10年前のキミー・マイズナーが最後である。2種類の3回転+3回転を持っており、国内試合では3アクセルも決めているジャンパーだった。トリノ五輪で6位入賞した直後、16歳で初出場した2006年世界選手権がマイズナーのジャイアントキリングとなる。五輪準優勝のサーシャ・コーエンや同4位の村主章枝がSP1位2位とリードする中5位と出遅れるも、FSで3フリップ+3トゥループと3ルッツ+3トゥループを決めるという驚異的な構成で、技術点では当時の最高得点をマークして金メダルを獲得。シニアデビュー後初の優勝が世界選手権(ワールド)という稀な記録を残した。
魅力的過ぎるアンバサダー、エレーネ・ゲデヴァニシヴィリ(ジョージア)
高知県ほどの大きさで人口400万人ほどの小さな共和国ジョージア(グルジア)、その名前をスケートファンの間で馴染み深いものにしたのが、エレーネ・ゲデヴァニシヴィリの存在だ。元々ロシアで練習をしていたが、政治情勢の悪化によりロシアを追われアメリカへ移ると、以後コーチや拠点の変更を繰り返してきた。不遇な環境の下、初出場のトリノ五輪でSP6位に入り、FSを最終グループで錚々たるメンバーと共に迎え注目を浴びた。高い柔軟性とスピードを活かした高いジャンプが持ち味だが、魅力のひとつである豊満なボディが度々豊満になり過ぎてジャンプの邪魔をすることもある。環境もボディも不安定ではあるが、長年活躍をしているゲデヴァニシヴィリはファンも多く、国内では間違いなく英雄だ。以前「子どもたちが練習できるようにジョージアにリンクを作りたい」と語っていたが、ジョージアのフィギュアスケートの道を切り開いてきたゲデヴァニシヴィリの活躍を今後も期待したい。
すべてに賛同出来るものではありませんが確かに!と感心させられる事も書いていらっしゃいますので、是非、ご一読ください。
リンク先にジャンプしてもあまり面白い選手が居りませんよ!ってね!(笑)
転載先URL:http://www.jsports.co.jp/press/article/N2016051110370506.html
昨日の舛添要一情報。
もうそろそろ辞任の話題があって当然のレベルに達しましたね。
正直、政治家には多い不正です。
しかし、ほかの政治家と違うのは、政治家を最大限に気取っていると言う点。
政治学者の肩書があるのなら完全に逝かれた政治家と言わざる負えません。
昨日の情報を書き留めます。
異常なほど脂ぎった禿げおやじのしょぼくれ具合、見たいですね~、今まで都民を馬鹿にした分、馬鹿にしてあげるよ!要一!
加速する「舛添降ろし」 “天敵”の都議会自民党が虎視眈々
“公用車週末別荘通い”に続き、政治資金で家族旅行していた疑いが浮上した東京都の舛添要一知事(67)。11日も「調べないと分からない。精査が終わったらコメントする」と釈明に追われた。
発売中の「週刊文春」によると、舛添知事は都知事就任前の13年と翌14年の正月、千葉県木更津市の「龍宮城スパホテル三日月」に“会議費用”として計約37万円を支出している。ところが、実際は家族旅行で子供たちと温水プールで遊んでいたというから、ア然とする。
「政治資金収支報告書に会議費用として記載しながら、家族旅行をしていたとすれば、虚偽記載に問われる可能性があります。公訴時効は5年だから、まだ罪に問える。収支報告書を精査し、不正金額が100万円単位まで積み上がりそうだったら、東京地検特捜部も重い腰を上げるかもしれません」(元大阪高検公安部長の三井環氏)
もっとも、検察が動く前に都議会で“舛添降ろし”が加速する可能性がある。6年前、自民党を離党して除名処分となった舛添知事は、もともと都議会自民党と折り合いが悪い。14年2月の都知事選で自民党が舛添知事を担いだのは、脱原発を訴えた細川護煕を勝たせたくなかったからに過ぎない。事実、都知事になってから、舛添知事と都議会自民党は事あるごとに衝突している。
「3月には自民の反対を押し切る形で、舛添知事が韓国人学校を増設するための都有地を韓国政府に貸し出す方針を決め、両者の対立が浮き彫りになりました。新国立競技場などに関する質疑でも、都議会に説明をしないままツイッターで情報発信したことに対し、自民は猛反発しています。6月1日から始まる都議会本会議は、大荒れ必至でしょう。野党が辞職勧告決議案を出したら、それに自民党が乗っかりガンガン攻めるかもしれないといわれています」(都政に詳しいジャーナリスト)
■辞職した猪瀬前知事と同じ構図
2年前、猪瀬直樹氏が都知事を辞職した時は、野党ではなく、自民党が疑惑追及の先頭に立って追い詰めた。あの時の構図が再現しそうなのだ。
「今夏の参院選に出馬するはずだった乙武洋匡氏にある程度、政治経験を積ませたら、自民党は20年の都知事選に担ぎ出す計画だったようです。都議会自民党にとっては、猪瀬氏や舛添知事のように威張り散らし、小うるさい都知事は目障りでしかない。早く担ぎやすい神輿に交代させたくて仕方ないのでしょう」(都議会関係者)
醜い争いともいえるが、浮世離れした“舛添感覚”で税金をムダ遣いする都知事には、一刻も早くお引き取り願うしかない。
やはり美濃部さんの時代が良かったな~。国政とは別ですからね、国会議員気取りで威張り散らす知事など本当に無用です。
◆日刊ゲンダイ記事URL:http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/181161/1
そして、お前が口出しするとすべてが反対に思えます。
下手に舛添が絡むとこじれるで~!手遅れでしょうけど、どうせ最後には、猪瀬の時代だと言うのでしょう。
五輪招致で金銭「ない」=舛添都知事
おいおい、そこは違うだろ、「今調べさせるから待って欲しい」だろう。(笑)
◆浅田真央さんを中心にあらゆるジャンルの動画のご紹介です。何度も同じものを更新しますので何度もお付き合いください。
動画主の皆さま、ありがとうございます。ご紹介させて頂きます。(微笑)
★HKT48 「誰かのために~What can I do for someone?~」 うたコン
★ミュージックフェア HKT48
★リスペクトされる浅田真央 ロシアのフィギュア界で一体何が起きているのか?
★浅田真央、佐藤信夫コーチは語る、真央は誰にも劣らないすごい精神力の持ち主
★山田満知子 「(浅田)真央はボーイフレンドもいないし、やることないから復帰するんじゃないかと」
★【感動】フィギュア浅田真央を影で支えてきた、コーチ佐藤信夫(信夫先生)の覚悟とは・・・
最後まで読んで頂きましてありがとうございます。
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他の外国籍のかたが 気分が悪いでしょう 嫌なら 本国へお帰りを 住んでいる国を責めたら居心地悪くなるの当たり前 日本もアメリカのように政治家には日本籍4世代遡ってチェックした方が良いのでは公務員には日本をスパイ防止法も厳しく罪を厳罰にして…追い出さないと…獅子心中の虫を 尖閣諸島問題沖縄基地問題 中国の緩やかな侵略 言わずと 知れた 竹島問題 何とかしないと 子孫に残す日本が大変なことに 戦争で 犠牲になった方達に申し訳ない 戦後のGHQの政策とおかしな教育で 日本人はずっと貶められ続け 世界規模で 韓中に貶められたまま 福沢先生 は正しかった! すいません長々と 本当に心配なんです 子孫世代以降のことが
先人は日本は勿論ですが、必死にアジアをも守りました。
今も平和なアジアがあるのはまさに日本の先人のお陰だと思っています。
恩を感じる事はあっても文句を言われる筋合いは一切ないと言う事も言えますね。
嫌なら出て行け~!
気化したなら日本人だろう!在韓を恥じる事が筋かと思います。
コメントありがとうございます。(微笑)