サイコロの一点物日記、真央さんと共に!

美しい真央さん、元気な真央さん、どんな真央さんも応援します。良かったらご一緒に!

悪夢の平成23年3月11日。福島県の復興には、まだまだ皆さんのお力を貸してください。

平成23年3月11日14時46分18秒東日本大震災発生。 頑張れ!東北。頑張れ!福島。放射能の被害の甚大な福島県をず~っと応援します。◆ふくしま復興ステーション

柳本ジャパンのオリンピック12日目で終了。残念さと悔しさで複雑です。

2008年08月20日 00時05分01秒 | 日記と女性アスリート応援
変則な時間を組んでの応援しずらい時間帯での試合が続きましたが、いま一つ、乗りきれないうちに柳本ジャパンの結果が出てしまいました。
残念です。

北京五輪第12日目にあたる、19日、バレーボール女子準々決勝が行なわれました。
1次リーグA組4位の日本は、B組1位で世界ランキング1位のブラジルと対戦。
ストレートで敗れてしまい、アテネオリンピックに続いて5位が確定してしまいました。
1984年のロサンゼルスオリンピックでは3位に入りましたが、ロサンゼルスオリンピック以来のメダル獲得は無し、さびしい限りです。

中でも栗原恵さんの無念な気持ちが伝わってきます。「これが今の自分だと受け止めたい。」
オリンピック最後のコートでは1時間余りで決着。
エースとして悔しさを表に出さず、淡々と結果を受け止めたと言う事です。
「プリンセスメグ」の愛称で、全日本女子バレーの中心選手として活躍するも、アテネの時も準々決勝で敗れ、「全然通用しなかった」と号泣した4年前。
アテネオリンピック後、所属チーム(企業)を移籍し、バレーボール規約に触れたとして、1年間の公式戦出場禁止の措置を受け、そんな中、左足の指の骨折で選手生命も危ぶまれる怪我を必死のリハビリで復帰にこぎつけ今回の北京に夢を繋いだのです。
「プリンセスメグ」として注目されても、地道にやって来た4年間。
常に北京に掛けて練習の日々。
しかし、4年間の結果は、ブラジルにサーブ、アタックともパワーで圧倒され、栗原選手の見せ場も少なかった。
「力の差を見せ付けられた。そういう強いチームとできたのはうれしい」と最後のコメントを語ってくれました。
試合後、日本の選手の皆さんと柳本晶一監督はコート脇にたたずんで居たそうです。
柳本監督のコメント。
「この4年間、一緒の目標に向かってきたチームがきょうで終わり。最後に握手をした。」
「選手の成長が財産になった。最高の12人がコートに立ってくれた」と感謝したそうです。
お疲れ様でした。
木村沙織さんも親友への思いは4年後に持越しですね。
4年後、メンバーは変わるでしょうが、木村沙織さんが、また、全日本で元気な姿を見せてくれる事を楽しみにしています。
しばし、ゆっくり休んでください。

本日のサイコロの一点物作品も、東京ディズニーリゾートの画像です。
25周年記念グッズの紹介です。
園外を走る電車の1日券です。25周年という事での記念キップになっています。
お土産品が中心ですが、ゲームに参加したり、ある程度の金額を出して購入するとおまけに貰えるカードなども含めてご紹介が続きます。
しばらく、この記念品の紹介となりますので、お楽しみください。
ご覧下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする