週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
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寄り添うということ

2011-04-12 02:44:01 | ひとりごと

現在、宮城の仙台別院には浄土真宗本願寺派のボランティアセンターの本部が設置されていて、全国から僧侶のボランティアが集り活動しています。
彼らは届けられた物資を仕分けて避難所に届けたり、炊き出しをする他、依頼された場所に赴き、撤去作業や清掃作業を請け負っているそうです。

先日の研修会にて、前日まで宮城の被災地で活動していた人たちの話を聞くことができました。

皆さんは一様に「言葉がない」「言葉にできない」と言います。
活動していたときのことを、まとめて話そうとしても、自分の許容量を遥かに超える現実を前に、到底まとめることができないのだそうです。
それでも、具体的な質問にならば答えてくれました。

そのうちの一つに、テレビでは伝わないけれど、凄い臭いが立ち込めているとのこと。
腐った海水のような異臭のするヘドロを掻き出す長時間の作業には、さすがに悲鳴をあげそうになったと言います。

そして、休憩中に周辺を歩いていると、被災された地域の方が気さくに声を掛けてくれるそうです。
「どこから来たのか?」という世間話に始まり、自分の家があった場所を教えてくれたり。
けれど話すにつれ、震災当日へと心が戻り、走って逃げる大勢の人波の中で、前の人を押し退け、かき分け、必死に高台へ逃げて助かった安心感の後に襲ってきた、見捨ててしまった人たちへの罪悪感を吐露する方もいらっしゃったと言います。

その方の話を聞いたのは私の後輩にあたる僧侶ですが、彼もまた「何も言葉にできなかった」と言っていました。
同時に、「【被災者に寄り添う】なんて簡単に言えない」とも言いました。

私を含めてですが、いま頻繁に【寄り添う】という言葉が使われます。

【被災者の心に寄り添う】
【被災者の悲しみに寄り添う】

故郷を失い、住む家を失い、仕事を失い、愛する人を失い、思い出も流され、遺影にする写真さえも奪われた。
写真がないということは、在りし日の姿を、二度とこの目で見ることができないということ。
全てが記憶の中にしか残っていないということ。

こういう言葉から、なんとなく想像はできるけど、その想像は想像の域を出ることはありません。
そして、その想像を超えた現実が、被災者の人数分だけあるのです。

後輩は、その想像を超えた現実を前にして、「寄り添っていたつもりになっていただけで、実際は寄り添うことのできない自分に気がついた」と、宮城での日々を振り返りました。


東日本大震災から、昨日で1ヶ月。
未だに大きな余震の恐怖に苛まれている被災された方々の心情を思うと、「頑張ろう」と軽々しく言うことはできません。
けれど、そういう気遣いを初め、時には被災者への後ろめたさや遠慮の思いや慮った行為が、イコール【寄り添う】ことのように言われていますが、それはあくまで私たち目線の【寄り添い方】でしかないのかもしれません。

多くの人が身に起きたことを話したがっている、後輩はそう感じたようです。
そして、何も言えなくとも、何も言わなくても、ただ聞くという姿勢、ただ聞き続けるという姿勢をもって、傍らで静かに思いを受け止めること、それこそが本当に望まれている【寄り添い方】だったと思ったといいます。

受けた深い傷の痛みや悲しみは、私たちには決して量りしえないものです。
理解しようとしても、普通の日常に帰ることのできる者には、理解しえないものもあります。
「仕方がないよ」という慰めでは、傷口から溢れ出る血を止めることはできません。

その中で、望むような寄り添い方ができない今の私ができることは何なのか…。
僧侶としての私の有りようが、問われているように思います。

ただ今は、1ヶ月という節目に合掌。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏



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