30日の報恩講でのご法話で、印象に残っている部分があります。
「葬儀はしなくちゃ駄目ですか?」
と問われたお坊さんが、
「どんな形であれ、葬儀はその人の人生の卒業式なので、勤めてあげたほうがいいですよ」
と答えました。
私的な感想ですが、なんだか、じんわりとくる言葉でした。
卒業式は終わりであり、始まりでもあります。
一つの区切りであり、ケジメをつける場でもあります。
人生の卒業式は、その人が、様々なご縁に支えられながら、自分なりの人生を生き切った先にあるもの。
そして、その先には、お浄土へと往生し、仏として、はたらき続ける世界が始まります。
大事なのは、この卒業式を勤められるのは生きている私たちしかいないということ。
それはつまり、ケジメをつけるのは私自身だということです。
たとえ形式的であろうとも、「行う」「行わない」では、その後の心の作用にきっと違いが出てくるはず・・・。
いつか心残りを感じるようになったなら、それはケジメがきちんとついていなかったということなのでしょう。
たぶん、お葬儀に限らず、恋愛もね(笑)
まぁ、それはさておき、お葬儀とケジメの大切さを改めて感じさせられたご法話でした。