週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
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そのまんま

2011-11-29 00:37:57 | 法話のようなもの

女の人って、結婚する前とかは好きな人に会うとき、一生懸命お化粧して、綺麗な格好するけどさ。
結婚しちゃって、お互い年を重ねれば、お化粧もしないで、だらしない格好して、テレビの前でゴロゴロ寝っ転がったりするようになるもんですよね。

でも、たまに二人で良い所にお出掛けするときは、奥さんも気合い入れて、念入りにお化粧したり、着飾ったりしちゃうでしょ。
旦那さんも「お前、綺麗だね」なんて言ってみたりして、奥さんも「あらやだ、あなたもね」なんて返したりして、結婚前の気持ちを思い出したりなんかしてみたりしてね。

けど、帰りの車の中で旦那さんが、「今日楽しかったな」って助手席の奥さんに声を掛けてみると・・・。
奥さんは、服のシワも気にせずに、お化粧も崩れてボロボロの顔のまま、口をパカーって開けて寝てたりする。

さてさて、奥さんは何でそんなみっともない格好のまま寝ていられるか分かりますか?

それはね、旦那さんが車で家まで連れ帰ってくれると信じてるからですよ。
途中で道に捨ててったりしないって信じてるんですよ。
自分を旦那に任せきってるんです。

どんなにみっともない姿をしていても、旦那さんはそのままの自分を、家まで連れてってくれるってね。

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自分の力で救われようと修行しても、私の煩悩はなくなることはありません。

「自分はこれだけやったんだ」
「善いことをしたんだ」

普通の人間は、そんなふうに積み重ねていったものに満足してしまいます。
それは例えば、一生懸命自分を着飾ってお化粧するようなもので、ふとした拍子にボロボロに崩れ落ちてしまいます。

お浄土に往生するために、仏となるために、自分の力で何とかしよういう思いは捨てて、煩悩のまま、みっともない姿のまま、そのまんまの私を阿弥陀さまの大悲におまかせする。
どんな私であろうとも、このようにしか生きられなかった私を、決して見捨ず救いとってみせるという阿弥陀さまの願いに、そのまんまの私をおまかせする。

そして、そんなみっともない自分の姿に気づき、それでも救われてゆく道が開けていることが、どれほどのご勝縁であるかに気づかされたとき、私の元まで届いた阿弥陀さまの願いが「南無阿弥陀仏」のお念仏となって、私の口から溢れ出す。

それが、感謝の思いと共にある浄土真宗のお念仏です。

しかし、旦那さんは阿弥陀さまではないので要注意。
気を抜きすぎると、寝ているまま道に捨てられる可能性もなきにしもあらず。

結婚3年目にして、すでにみっともない姿を日々さらし続けていますが、全体重で寄りかかって、おまかせしていいのかどうか・・・。
まぁ、甘えすぎちゃダメってことでしょうねぇ・・・反省しましょう(笑)