縄文人の反乱 日本を大事に

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今日 パソコンの入れ替えする

2014年08月28日 13時28分34秒 | 色んな情報

今日 パソコンの入れ替えする
XPが使えにくく成ったのでウインドウズ8.1に変える。
システムが完全に違うようだから当分慣れそうもない。
日記の更新が出来るように成れば良いけれど。
気長にやります。
なるべく早く更新出来るようにします。
それまでこきげんよう


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2014年08月28日 13時06分39秒 | 色んな情報

      夫婦別姓 裁判

楽仙堂さんの日記

2011年01月06日17:11

夫婦別姓で精神的に苦痛を受けたのは、
憲法違反であるという裁判が起されたそうです。

《いわゆる夫婦別姓が認められず、姓を同じにしなければ婚姻届が受理されないのは、婚姻の自由などを保障した憲法に違反するとして、富山県などに住む5人の女性が訴えを起こすことが分かりました。夫婦別姓を認めるよう求めて訴えが起こされるのは初めてです。

訴えを起こすのは、富山県の塚本協子さん(75)のほか、東京や大阪、それに京都に住む30代から70代のあわせて5人の女性です。民法では、婚姻届を出す際に夫か妻、どちらかの姓を選ぶよう定められています。塚本さんたちは夫の姓で婚姻届を出しましたが、自分のもともとの姓を名乗れないことで精神的な苦痛を受けたなどとして、「同じ姓にしなければ婚姻届が受理されないのは、婚姻の自由などを保障した憲法に違反する」と主張し、国や自治体にあわせて500万円余りの賠償や、夫婦別姓での婚姻届の受理を求めて、近く、東京地方裁判所に訴えを起こすことにしています。塚本さんは「名前を変えることは私が私でなくなることです。

別姓の夫婦でも結婚できるように認めてほしい」と話しています。弁護団によりますと、夫婦別姓を認めるよう求めて裁判が起こされるのは初めてです。夫婦別姓については、「家族の一体感が薄れ絆がなくなる」とか「子どもに悪い影響を与える」といった反対意見も多く、世論調査でも賛否はきっ抗しています。政府は、同じ姓を名乗るか別の姓を名乗るか選択できる「選択的夫婦別姓制度」の導入を検討していますが、政府の中でも意見は分かれ、結論は出ていません。議論が平行線をたどるなか、初めて司法の判断が求められることになります。》

国会で夫婦別姓法案を突破させるために、からめ手で攻めてきているとしか
思えないません。
なんなんでしょうね、このタイミングは・・・・。

 


2011年
01月06日
しまっぽい黒犬
姓が変わったことでの精神的苦痛???
愛する人と同じ姓になって何で精神的苦痛がおきるの?自分の姓をかえたくなかったのなら相手に自分の姓になってもらう事だってできたはずです、その話あいも出来ないような夫婦関係だったのが精神的苦痛の原因じゃないんですかね(呆)

まさしく夫婦別姓法案をだすためのからめ手ですね!本当に腹立しいです(`・д・)


●香水(こうすい)とは

2014年08月28日 09時36分00秒 | 色んな情報

●香水(こうすい)とは
  香水(こうすい)は、体や衣服に付け、香りを楽しむための化粧品の一種。
ウィキペディアより
概説
もともと宗教的な用途や薬用として使われていたが、近代以降、楽しみやたしなみとしての香水が生まれた。香料をアルコールなどの溶剤に溶かして作られるものが多いが、他にもワックスに練り込まれた固形状の物などもある。現在では数多くのブランドが生まれている。

装飾品同様、定番のブランドがある一方で、新商品、季節限定商品が市場で注目されることも多い。女優などが自分の名前を冠した商品やブランドを立ち上げることもある。

香水は付けた人間の体臭と混ざり合って香りを演出するので、液体の香りそのものからは身に付けた際の香りを知ることはできない。肌の酸性度(pH - ペーハー)、水分量、皮脂量が各人異なるうえ、皮膚を構成するタンパク質の末端のアミノ酸の違いで飛ばされる香料と残される香料に個人差がある。また、香りは時間がたつにつれて変化する。香水をつけて10分くらいの香りをトップ・ノート、少し時間が経って20分から30分ぐらいの香りをミドル・ノート、大分時間が経って消えてしまうまでの香りをラスト・ノートという。変化のしかたや早さは、濃度や商品によってさまざまである。

揮発性を利用することから、一般的には体温の高い脈打つ場所につけるとされる。特にひじの内側につけると皮膚温が高く、動作のある為、効率よく揮発する。同じ静脈でも手首は衣服や物に触れる事が多く、案外消えが早くなる。また香りの変化や持ち・目的に合わせてつける場所も変える。しかし香水の成分には光毒性(光感作)のあるものも多く、シミの原因にもなるので直射日光の当たる場所につけるのは勧められない。特に鼻と両肩を結ぶトライアングルを形作る部分はタブー。香りは体の位置の低い部分から高い部分へ立ちのぼるのでつける部位と分量は十分な配慮が必要である。自分でも香りが分かるようではつけ過ぎのことが多い。またハンカチやスカートのすそなど、衣服につける場合もある。この場合は香水によるシミができることがあるので、使用後の衣服の取扱いに注意が必要となる。皮膚の敏感な人は直接膚につけずコットンなどにしみ込ませて下着の間、ポケットなどに忍ばせると良い。

香水の調合を職業とする者を調香師(パフューマー、parfumer)と言う。フランスでは、極めて評価の高い調香師をさす「ネ」(仏:nez; 「鼻」の意)という称号がある。石鹸、シャンプー、洗剤等の日用品や、清涼飲料水等の食品に添加する香料を調合する人はパフューマーではなくフレーヴァリスト(flavorist)と言う。

日本でも香水は化粧品の一種として広まってはいるが、欧米ほど使用が一般的になってはいない。これは、食生活や入浴頻度などの文化的経緯から臭い、味覚に敏感であり、無臭が好まれているためである。また、そもそも欧米人と比較して、日本人の多くを占めるモンゴロイド(特に弥生人にあたる新モンゴロイド)には腋臭が少ない人が多いためとも考えられる。その結果、香水そのものの認知やにおいに対するマナーの違いなどにも影響を与え、香水の普及に歯止めをかけていると言える。日本の化粧品会社の製品もあるが、人気商品の多くは代理店などによって海外から輸入されたものである。

歴史
紀元前1850年頃に香水を製造していたとされる最古の工場跡地はギリシアで発掘された。[1]

アルコールに溶かす香水が作られるようになったのは、イスラム社会でアルコールの製造法がヨーロッパに伝えられてからである。それまでは油脂に香りを吸着させた香油やポマードが使用されていた。14世紀にハンガリー王室で使用された、ローズマリーを原料としたもの(ハンガリアンウォーター)がそれである。その後、ルネサンス期のイタリアで発展し、ヨーロッパ各地に広まっていった。

16世紀から19世紀までのヨーロッパ(特にフランス)では、風呂に入ると梅毒などの病気になりやすいと信じられたため、入浴という行為が一般的でなく(国王ですら一生で3回しか入浴しなかったという記録がある)、そのための体臭消しとして発達していった。また、なめし革の臭いを取るためにも使われた。

分類
香料による分類
ひとつの香水には平均して50~200種類もの香料が含まれている。更に、それらの香料はまた何百という香りを構成する成分からなっている。莫大な種類の成分が複雑に組み合わされることで香りが出来上がるため、その成り立ちの面から見ると、似た香りはないといえる。

基本的に、天然の香料はその希少性から高価であるため、化学的な調香もよく行われる。

天然香料
植物性香料:花、葉、果実、樹皮、根などを原料にする。
動物性香料:動物の生殖腺分泌物等から。ムスク(麝香、ジャコウジカ)、シベット(霊猫香、ジャコウネコ)、アンバーグリス(龍涎香、マッコウクジラの腸内結石)、カストリウム(海狸香、ビーバー)、ジャコウネズミの5種が知られており、シベットのみエチオピア産の天然香料が使われることがある。それ以外は、現在ではほぼ合成へ移行している。
合成香料
合成香料:自然界の香りの成分を分析し、同じ構造の化合物を原料から化学的に合成する。あるいは天然には無いものを合成する(例: 白檀の天然香料はサンタロールという物質であるが、非常に稀少であり合成も難しい。そのため、イソカンフィルシクロヘキサノール、フランスのジヴォダン(Givaudan)社が開発したサンダロア、スイスのフィルメニッヒ(Firmenich)社が開発したポリサントールなどの物質が用いられている)。
単離香料:天然の香料から成分を部分的に分離させる(例:ハッカからメントールを造るのがこの方法)。

香調による分類
香水はその香りのタイプ(香調)によっていくつかに分類される。複数の香調を組み合わせて作られた香水も多い。

シトラス:主にレモンやライムの香りでオー・デ・コロンに多い。
フローラル:バラ、ジャスミン、スズランなどの花の香り。
アルデヒド:合成香料類の総称。フローラル系の濃厚な香りを指す。
シプレ:ベルガモット、オークモスを基調とした香り。コティ(Coty)社の香水「シープル」に由来する。
フゼア:ラベンダー、ゼラニウムを基調とした香り。ウビガン(Houbigant)社の香水「フゼア・ロワイヤル」に由来。多く男性用。
オリエンタル:バニラ、没薬(ミルラ)や乳香(オリバナム、フランキンセンス)等の天然樹脂系を基調とした香り。
アニマリック:ムスク、霊猫香等を基調にした香り。
ウッディ:白檀、パチュリなど香木を基調とした香り。男性向けに多い。
オゾン:マリンノート・アクアノートとも言われる。1990年代に登場したキャローンと呼ばれる完全な合成香料により実現した、自然界には実在しない全く新しいノート。海やスイカ、干している洗濯物などをイメージさせる透明感のある瑞々しい香り。主に男性向けだが、最近はユニセックスの香水にも多く使われる。
濃度による分類
パルファン (parfum(s)) またはエクストレ (extrait(s))
狭義の「香水」。parfumは英語のパフューム (perfume) と同語源だが、英語ではperfume extractまたはextraitという。
濃度15 - 20%、アルコール75 - 80%、蒸留水0 - 5%、持続時間およそ5 - 7時間
オードパルファン (eaux de parfum, EdP)
ブランドによりパルファンドトワレとも言う
濃度10 - 15%、アルコール80%、蒸留水5 - 10%、持続時間およそ5時間
オードトワレ (eaux de toilette, EdT)
濃度5 - 10%、アルコール80%、蒸留水14 - 15%、持続時間およそ3 - 4時間
オーデコロン (eaux de Cologne, EdC)
濃度2 - 5%、アルコール90%以上、蒸留水5% - 10%、持続時間およそ1 - 2時間
練り香水
濃度による分類とは言いがたいが、パルファンやコロンと同様に香料の種類を示す。液体ではなく、蜜蝋などに香を混ぜた固形物であるのが大きな特徴。
商品により「オードトワレ・レジェール」「オードレジェール」と呼ばれる分類のものもあるが、濃度上では上記のオーデコロンに相当する。 (レジェールはフランス語で「軽い」「優しい」「穏やかな」等の意)

使用者の性別による分類
大きく男性用と女性用に別れるが、共用(ユニセックス)の商品も多い。異性向けの香水を身につけることも、現代では決してタブーとはされない。ただ、この感覚は国によって異なる傾向がある。例えば、現代の日本では比較的タブー意識が薄いが、アメリカ合衆国では特に男性が女性用香水をつけるとゲイと受け取られるケースがある。その一方で、イギリスでは老舗であるヤードリーやクリード、フローリス、ペンハリゴンズなどが男性が付けるためのフローラルノートを発表している。

日本ではユニセックスのものが比較的良く売れる傾向があるが、フランスでは男性用か女性用にきっちり分けられ、共用を謳ったものはほとんど発表されていない。

また、フランスやイタリアではトップノート~ミドルノート~ラストノートと変化が明確なものが好まれるが、アメリカ合衆国では逆にほとんど変化のしないものが好まれる傾向にある。

フレグランスホイール
1983年にマイケルエドワーズによって考案された香りの分類方法である。[2]

香水入れなど
香水は通常、瓶に入っているが、携帯するためや香水を出しやすくするために別の容器を使用することがある。主にアトマイザーが多い。

ボトルタイプ
小瓶の香水入れ。
ロールタイプ
香水を直接塗る。量を調節しやすいが香水の匂いが変わりやすい。
スプレータイプ
口の部分がスプレーになっている。8分目くらいが目安。
香水の登場する映画など
嫉妬の香り
パフューム ある人殺しの物語
小説であり映画にもなって一世を風靡した『風とともに去りぬ』では主人公スカーレット・オハラが自分の酒臭さを消すために香水でうがいをするという、彼女の破天荒だが目的に対する強い意思力を表現するために印象的に香水を使った場面がある。
映画『ワーキング・ガール』で、主人公のキャリアウーマンが元恋人をベッドに誘うためにシャリマー/SHALIMAR(ゲラン)をつけるシーンがでてくる。
映画『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』の中では、クラブ歌手の女性が匂いに耐えかねインドゾウに香水をかけるシーンがある。
マリリン・モンローが「寝るときは何を着ているのですか?」という質問に対し「シャネルの5番(香水の商品名)をつけている」(英語で衣服を身に着けることも香水を付けることも「wear」という動詞を使う。一種の言葉遊び)と答えたという有名なエピソードがある。
「オイディプスの刃」
ウィキペディアより

 

トイレの話は以前書いたけれども日本は凄く発達していてフランス人が江戸へ来てビックリしていた。
昔はフランスにトイレが無くてドコでも構わずしていた。
宮殿の中にトイレは無い。

アパートなどにもトイレは無くてバケツにして二階以上は道路に捨てていた。
本当は道路まで持って降りて開けるのだけど誰も守らず窓から捨てる。
それをパリ市がかき集めてセーヌ川に流していた。
衛生観念は殆ど無かった。
スペイン風邪などはそれで大流行した。
セーヌ川は今でこそ綺麗だけど当時どぶ川だった。

余りにもクサイので匂いごまかしに香水が発達した。
今でこそ西洋人は格好いい事言ってるけれども汚くて野蛮人が多かった。
白人の殺した人数十億人できかないという。

日本は昔から綺麗な国だった。

これは余り文献に載っていないと思う。

 

 

 

 

 


こうずい
香水 (仏教) - 仏教において供養に用いられる水。

香水 (仏教)
香水(こうずい)は、寺院や仏壇において、仏に捧げられるものの一つであり、多くは金銅製の瓶に入れて、もっとも仏の近くにまつられる。

しばしば閼伽と混同されるが、単なる水ではなく、樒という照葉樹の一枝を刺すことによって水が香水となることを、鑑真によって伝えられた。

 

シキミ(樒、櫁、梻 Illicium anisatum)はシキミ科の常緑高木である。かつてはモクレン科に分類されていた。有毒。仏事に用いるため寺院に植栽される。

地方によりシキビ、ハナノキ(カエデ科にも別にハナノキがある)、ハナシバなどともいう。 学名にはリンネが命名したIllicium anisatum L.と、シーボルトが命名したI. religiosum Sieb. et Zucc.("religiosum"は「宗教的な」という意味)が存在するが、リンネのものが有効となっている。

 


閼伽(あか)は、仏教において仏前などに供養される水のことで六種供養のひとつ。サンスクリット語のargha(アルガ)の音写で、功徳水(くどくすい)と訳される。閼伽井から汲まれた水に香を入れることがあり、閼伽香水とも呼ばれることもある。

インドでは古く、来客に対し足をそそぐための水と食事の後口をすすぐための水が用意されたといい、それが仏教に取り入れられ、仏前や僧侶に供養されるようになったものである。

閼伽を汲むための井戸を「閼伽井」、その上屋を「閼伽井屋」、「閼伽井堂」と称される。また、閼伽を入れる瓶(びん)を水瓶(すいびょう=軍持)と称し、閼伽を入れる器を「閼伽器」、閼伽を供える棚を「閼伽棚」と称される。

サンスクリットの原語は東へ伝わって閼伽となる一方、西にも伝播してラテン語の"aqua"(水)となったという説が広く知られているが、それは語源俗解に過ぎないとする説もある。

ウィキペディアより


●灰買い屋を皆さん知ってマスか

2014年08月28日 08時35分04秒 | 色んな情報

●灰買い屋を皆さん知ってマスか

我が家は昔 ウドン屋をしていた。
小学校何年生かまで「灰買い屋」が竈の灰を買いに来ていた。
中学生になった頃にヤットガスに変った。
始め火を付けるのにいちいちマッチを擦ってガス栓ひねり出してから火を付ける。
これがなれない内タイミングがナカナカ合わなくて付かなかったら付いてもボットとか時には爆発したのかと思う様な大きな音がしたモノ。
当時爆発した人もいたようだ。
何とかなれるようにはなったけど今でもあの頃怖い思いをした事を思い出す。
さて本題に戻り灰買い屋の話。
何ヶ月かに一度 買いに来た人が竈の奥まで顔突っ込んで小さなホウキで隅まで綺麗に履いて灰を持って帰った。
いくらで取引されていたのかは知らない。
大きな竈で2㍍に3㍍四方くらいだったかな。
お湯湧かす一番大きな鍋で1㍍以上の直径で朝から晩まで炊いていた。
よく火の番もさせられた。
直径六十くらいの窯が真ん中の奥にありダシを保温していた。

春日八郎の「お富さん」
玄冶店(げんやだな)  
  春日八郎の「お富さん」が大ヒットしたのが、昭和29年のことだそうですから、もうこの歌謡曲を知っている人は少ないのかもしれません。でも歌詞の中の一部分「----死んだ筈だよお富さん、生きていたとはお釈迦様でも知らぬ仏のお富さん、ええさほう、玄冶店」という有名な文句だけは聞いたことがある、という人は結構いらっしゃるのではないかと思います。

歌詞の一節「死んだ筈だよお富さん」は流行語にまでなった。


実はこの「お富さん」の歌詞は、歌舞伎ファンなら誰でも知っているというほど有名なせりふの一部なのです。「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」源氏店(げんやだな)の場で、切られ与三郎と異名をとる"与三郎(よさぶろう)"がチンピラ仲間の"蝙蝠安(こうもりやす)"に連れられて小銭を強請(ゆすり)に入った妾宅に、かって自分の女だった"お富"が誰かの囲われ者として暮らしているのを見た"与三郎"が"お富"に向かって言うせりふです。

 
  妾宅の造りも歌にある通りの「粋な黒塀、見越しの松」のある「玄冶店」です。"お富"はといえば風呂上がりの、まさに「婀娜(あだ)な姿の洗い髪」です。

鏡に向かって化粧をするお富からは、中年増の色気がたっぷりと発散される場面です。与三郎の体には全部で34ケ所の切り傷があるのですが、この傷ももとはと言えば、3年前、当時やくざの親分の妾だったお富と、人目を盗んで契りを結んだことがバレて切り刻まれたことによるものなのです。

 
  (与三郎)もし、御新造さんえ、おかみさんえ、----お富さんえ、イヤサお富、久しぶりだなあ。
(お富)そういうお前は。
(与三郎)与三郎だ。
(お富)えっ。
(与三郎)おぬしァ俺を見忘れたか。
(お富)え、------。
(与三郎)しがねえ恋の情けが仇、命の綱の切れたのを、どう取りとめてか木更津から、めぐる月日も三年(みとせ)越し、江戸の親にゃァ勘当受け、よんどころなく鎌倉の、谷七郷(やつしちごう)は食い詰めても、面(つら)に受けたる看板の、疵(きず)がもっけの幸いに、切られ与三(よそう)と異名(いみょう)を取り、押し借り強請(ゆすり)も習おうより、慣れた時代の源氏店(げんやだな)、その白化(しらばけ)か黒塀の、格子作りの囲いもの、死んだと思ったお富たァ、お釈迦様でも気が付くめえ。よくまァおぬしは達者でいたなァ----。

自分の意志とは関係なく、巧まずして男を迷わせ、男を虜にし、男の運命を翻弄する女。いい女。それが、お富なのです。

なお、歌舞伎では「玄冶店」が「源氏店」となっていますが、この「玄冶店」というのは江戸の地名だそうです。場所は、現在の日本橋堀留町の辺りだそうですが、幕府お抱え医師"岡本玄冶法印(おかもとげんやほういん)"の屋敷跡で、ここに芝居関係の人が多く住んでいたということです。

 
『与話情浮名横櫛』(よわなさけ うきなの よこぐし、旧字体:與話情浮名櫛)は、歌舞伎の演目。世話物の名作のひとつに数えられる。通称に『切られ与三』(きられよさ)、『お富与三郎』(おとみ よさぶろう)、『源氏店』(げんじ だな)など。

三代目瀬川如皐作、全九幕三十場。今日では前半の「木更津海岸見染の場」と「源氏店の場」のみが演じられることがほとんどとなっている。

 
この中で竈の中の灰のは今でお前にやらないという台詞がある。
芝居の中にまで取り入れられていた。

 

 

 

江戸のリサイクル業
http://www.gakken.co.jp/kagakusouken/spread/oedo/02/kaisetsu3.html

江戸の水道技術
http://www.gakken.co.jp/kagakusouken/spread/oedo/01/index.html

江戸の再生紙とリサイクル
http://www.gakken.co.jp/kagakusouken/spread/oedo/02/index.html

「灰買い」という商売が成り立ったわけは?
http://wishpafupafu.blog110.fc2.com/blog-entry-168.html

江戸の町にはさまざまな回収専門業者
http://wishpafupafu.blog110.fc2.com/blog-entry-168.html

 「江戸の職人に学ぶ修理再生の心」
http://senjoushi.yoka-yoka.jp/e431320.html

バキュームカーが無い時代はどうやってたんですか?
http://okwave.jp/qa/q6389704_1.html
http://okwave.jp/qa/q6389704_2.html
http://okwave.jp/qa/q6389704_3.html

「江戸版 三丁目の夕日」を観たい
http://blog.kajika.net/?eid=996860

江戸時代のリサイクル
http://www.simofuri.com/recycle/recycle.htm

江戸時代のリサイクル業者
http://www.new-agriculture.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=130009

 

高校生地球環境論文賞
受賞論文【佳作】「江戸時代から学ぶこと」| 高校生地球環境論文賞の結果について TOP |
北海道 立命館慶祥高等学校
3年 岩井美緒
はじめに
「無から有は生じない」これは、自然界の大原則である。これをよく表しているのが、"ミクロコスモス"という実験である。水・空気・砂・小石などを入れたガラスの容器に小魚と水草とバクテリアを入れる。外から入るのはガラス越しから入る光と熱エネルギーのみという状態にする。そうすると、光と熱エネルギーにより水草は酸素を出し始め、魚はその水草を食べ、排泄をする。また、その排泄物をバクテリアが食べる。魚が増えすぎたり、水草が足りなかったり、少しでもバランスが崩れればこのサイクルは成立しない。非常に危なっかしい世界であるものの、全てが循環するシステムが成立している。私たちの住んでいるこの地球もこのミクロコスモスと根本的には全く一緒で、ボウルのサイズが大きくなり、中に住む生物の種類が増えただけである。しかし私たちはこの世界の不安定なバランスを理解せず、せっせと水草を抜いたり、水を濁したりしている様なものである。便利な生活を得るために膨大なエネルギーを消費し、無から有は生じない、というごく簡単な自然原則さえをも無視した生活を送っている。
 日本の中だけで全てを生産、そして消費をして生活していた鎖国の頃、この頃の日本人は自然を食い潰すことなく200年にわたって安定した社会を維持し続けた。単なる偶然ではなく、ミクロコスモスの原理を彼らはかなりはっきりと理解していたことが伺える。わずかなエネルギーを効率よく使い、その中で繊細で優美な現在にも受け継がれる文化をも発展させた。今回は、ミクロコスモスのように、全てを循環させていた江戸時代の生活システムを見直し、私たちのこれからの生活スタイルを考えていきたいと思う。

1.江戸時代の人々にとっての米
欧米の影響を受け私たちの食生活は多様化し、今では日本にいながら世界各国の料理が食べられるまでになった。しかし、日本人にとっての米の大切さに変化はない。米は、私たち日本人の生活を2000年に渡って支え続けてきた。江戸の人々にとっての米は、小麦粉やじゃがいもが普及していない分、重要な炭水化物として現在よりもさらに重宝されていたことだろう。支出に占める割合も米が一番高く、江戸時代の大工の収入から考えると、収入の約4分の1に相当した。また米は、日本人の主食であっただけではなく、庶民の娯楽=酒の材料でもあった。米を収穫し終えた後の稲わらは、肥料になったり、畑を覆うための"畑カバー"になったりと、農耕材料としても利用され、米自身を保存したり運んだりするための俵にもなった。ものをしばるために使われた縄はもちろん、草履にも稲わらが使われた。驚くことに、馬にも蹄鉄を履かせる代わりにわら草履を履かせていたそうだ。家を建てる時には稲わらを細かく刻んで土に混ぜ、壁を塗るために使っていた。このように収穫後の米ですら衣食住全ての場面で使われ、文字通り"米なしでは生きていけない"生活を送っていたことが分かる。今の私たちが江戸時代を見習い、わらでできた靴を履いたり、家を建てる時わらを使ったりすることはもちろんできない。しかし現在の日本は深刻な米離れが進み、米の一人当たりの生産量は、1962年ピーク時の半分にまで減少している。食糧自給率も41%と、私たちが普段口にしている物の半分以上を輸入に頼っている状態である。少なくとも私たちは日本人にとっての米の大切さを考え直し、米という一つの作物から衣食住すべてを賄って生活していた江戸時代の人々の知恵を見直すべきである。"無駄のないように使えるものは徹底的に使う"これこそが今の私たちが江戸時代の人々から学ぶべきことではないだろうか。

2.あかりの大切さ
昼間から煌々とついている電気、もはや付いていることが当たり前となっている。スイッチを軽くひと押しするだけで、私たちは夜も昼も快適な生活を送ることができる。江戸時代の人々にとって、夜に明かりを保つことは何よりも大変であった。この時代の庶民にも普及していた一般的な照明器具は、行灯である。小さな皿に油を入れ、芯を浸して点火をする。使う油は菜種油や魚油であった。菜種油は本来食用油で、燃やすにはもったいないほどの高級品であり米よりもはるかに値段が高かった。魚油は菜種油と比べれば値段は安いものの、燃える時にくさい匂いを出したそうだ。それでも低所得者の人々にとっては、明かりを得るためには苦ではなかったらしい。得られる電力はと言うと、行灯を50~100個並べてやっと60ワット電球一個分ほどであったらしいので、行灯1個から得られる光というのは本当に微々たるものであったと思う。行灯よりも明るい光が必要な時は蝋燭が使われた。しかしこの時代の蝋燭は作るだけでも1カ月以上かかり、かなりの高級品であった。もちろん、魚油を使っていたような家庭には縁もない品である。蝋燭の貴重さを表しているのは、当時の江戸に"蝋燭の流れ買い"という職業があったことからも明らかである。彼らは蝋燭の台や提灯の中に流れ出て固まった蝋燭のしずくや燃え残りを一軒一軒回り、買い集めていた。蝋燭のカスをまとめて再生するだけで一つの商売が成立していた。使える資源を徹底して利用する彼らの素晴らしさが、ここからも垣間見ることができる。
資源を効率よく使うということだけでなくここでもうひとつ重要なことは、植物油も魚油も蝋燭の材料も全てが国産で、しかも使用量に応じた分しか生産していなかった、ということである。つまり、植物や魚が毎年新しく作り出せる量の範囲内で生産を行っていたと言える。当時の人々がミクロコスモスの生態系に影響を与える心配はほとんどなかったことが分かる。一方私たちは、使えるものでも気に入らなくなったり、型が古くなったりしたらどんどん捨て、それらの処理に膨大なエネルギーを費やしている。また石油などのエネルギー資源はほぼ100パーセント、外国に頼っている状況である。私たちは使用する電力を江戸の人々を見習い、行灯や蝋燭に変える必要はないが電気を大切に最大限有効利用する努力や、明かりを得られることへの有難みを思いだす必要があると思う。

3.江戸時代、ゴミ処理方法の究極性
江戸時代の人々が行っていた資源の徹底利用の中でも生活からでたゴミ処理の方法は、なんといっても究極である。
資源を徹底的に利用しているためゴミがほとんどでない。紙屑でさえゴミになることはまずなかった。当時作られていた紙は、繊維がとても丈夫だったため漉き返せば何度でも紙として再生することができた。そのため"蝋燭の流れ買い"と同じように、紙屑やほご紙を買い集める"屑屋"が徹底的に買い集めた。また"屑屋"として買い集めるほどの資金もなくて、道に落ちている紙屑を拾い集める仕事をする専門の職業もあったそうだ。こう考えると道端に落ちている紙きれも立派な商品であり、決してゴミではなかった。一度使ったトイレのちり紙でさえ、ゴミではなかったというから驚きである。専用の屑かごにちり紙を捨てさせ回収し、最下級のトイレットペーパーとして再生していた。紙でさえこんなにも徹底した再利用がなされていたため、紙よりも高価な金属類はどんなものでも買いあさっていたらしい。川底やゴミ捨て場に落ちている金属を専門に集める"よなげ屋"という商売があったり、使えなくなった鍋や古くなった包丁を買う"古鉄買"という専門職があったりもした。さらに、古くなった下駄は鼻緒が取り換えられて再び売られ、古くなった傘も張り替えて売り、着古した衣類も布切れとして売っていた。この他にも、かまどでできた灰を専門に買う"灰買い"や、燃えるごみを拾って歩く"湯屋の木拾い"と呼ばれる職業、提灯の紙の張り替えを専門とする業者など、挙げればきりがない。このように現在から見るとゴミでしかないものも全て再利用され、ゴミとして扱われることはまずなかった。
江戸時代のゴミ処理方法は、"ゴミ処理"と言いながらも処理するものがほとんどない、"捨てない"という方法だと言うことが分かる。本当に捨てるものがある時でも、ゴミを運ぶ人、ゴミを埋め立てる人が職業としてあり、ゴミ処理システムが確立されていた。

おわりに
江戸時代の生活システムを振り返ってみると、現代の私たちの生活はいかに無駄に溢れゴミを出さずに資源を有効利用しようという意識がどれだけ欠けているかに気づかされた。"江戸時代と現代は生活システムが違う"と一言で言ってしまえばそれまでであるが、私たちの先祖が何百年もの間慎ましい生活を送り維持してきた日本を、私たちが壊滅的とも言える状況にしてしまっても良いのだろうか。決して、社会の仕組みや技術の発展のせいだけとは言えないと思う。例えどんなに技術が発展し、豊かな生活を手に入れようとも、私たちの地球や環境に対する意識だけは変化してはいけなかった。私たちが今から江戸時代の生活に戻ることはできない。しかし、だからといって現在の状況を"しょうがない"の一言で済ますのではなく、意識だけでも江戸の人々の感覚に戻すべきである。無駄のないように使えるものは徹底的に使う。資源を最大限に有効利用しとうとする努力、豊かな生活を得られることの有難み、私たちが忘れ去ったことを今、江戸を振り返ることで学びとるべきではないだろうか。

 

他のさいコメントとの

2011年 01月07日
1: Tack!@長野県第4区
こうしてみると、「昔はあったのに今ではなくなってしまった職業」というのが随分あるんですね。

自分は壊れた電気製品を直したり、調子の悪いパソコンをメンテナンスするのが好きです。そして友人から、「凄いね!仕事にしちゃえばいいのに!」と言われることがあります。
そう言われると、「この程度のことが仕事になったら苦労しないよ!」といって笑いますが、「壊れたら買い替えた方が安い」ということや「ちょっとした補修をすることが商売にならない」ということが当たり前の現在が、なんだか少し寂しく感じることもありますね・・・。


2011年 01月07日
2: Hisashi
昔に戻ることはできない, 知恵を以て前に進むしかない.
でも, 西洋の度肝を抜いた"最先端の大都市"江戸をはじめ, 昔の日本人に学び, 現代の知恵を融合してそれを最大限に生かすことが必要な時なのかもしれない, そう思います.
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志葉楽(シバラク)
2011年01月08日 
お尻を拭くのはちり紙か落とし紙。
それが無い時は現在何千万円で取引されている
北斎や歌麿の版画だった。
昔は今の金銭に直すと何百円で有った。
外国からコウ言う思想が入るまでは
美術品でも庶民感覚だった。
ミケランジェロなんていくらで絵一枚書いたのかな。
西洋の画家は総て人殺しと取ってきた金で支払っている。
教会建設もソウだった。
他人のモノは私のモノ。
これが白人 キリスト教者の思想。
白人地上主義はここから来ている。
有色人種を見下し足蹴にして。

現在の大半のスポーツのルールは白人有利に作成されている。
オリンピックなどでも白人以外 日本人が優勝したりすると
スグに次の大会までにこちらの不利なルールにしてくる。

モノの考え方が全然違う人種。

ダカラ肥だめの肥は腐敗し易くて肥料に出来た。

当時フランスではクソ道に捨てるモノ。
集めてセーヌ川に流していた。

宮殿や城ではあのスカートの中で垂れ流していた。
衛生観念なんて無かった。
風呂へも余り要らない。

ダカラ臭くてしょうがないから誤魔化しに香水が発展した。


●お江戸の古着屋

2014年08月28日 08時17分43秒 | 色んな情報

●お江戸の古着屋
  「ロハス」という言葉、健康な暮らしと持続可能な社会を心がける暮らし方の総称だそうだ。かつての日本にもそういう時代があった。
 そんな発想から文化の日の十一月三日、東京で「江戸文化歴史検定」が実施される。地域の歴史や文化、自然などについての知識を問う、はやりのご当地検定の一種である。
 ただし、特定の地域ではなく、元禄期を中心に、二百六十五年の長きにわたって続いた太平の世として知られ、庶民の文化が大きく花を咲かせた江戸という時代に絞り、当時の暮らしぶりに焦点を当てるのが特色だ。
 その「江戸検定」の模擬問題から、

 「江戸の町はリサイクル都市だったといわれています。では、享保年間(一七一六-三六年)の江戸の町で、幕府公認の商人が一番多かったのは、何でしょう?」とあって、質屋、古着屋、古道具屋、古鉄屋から答えを選ぶ。

 正解は古着屋。

 


着物は竹馬に載ってやって来る
 物を無駄にしない江戸では、着物も古着が当たり前です。現在も繊維業関連の問屋が並ぶ日本橋富沢町は、古着屋の軒が連なり大きな市も立つ町でした。日常着や各地の名産織物、大名クラスの豪華な着物もここに集まり、また全国へと買われていったのです。なお富沢という名は、鳶沢陣内(とびさわじんない)に由来します。彼は名うての大泥棒でしたが、ついに御用となった時にお上はこれを許します。改心した彼は手下を集め、元吉原のそばで古着買いの商売を始めたのです。そうやって商売をしながら、彼は隠密の務めを果たしていたのだとも言われています。真相はともかく「鳶沢町」は着物の集まる町として発展し、そしてやがて「富沢町」と呼ばれるようになりました。

 江戸を歩きながら、古着を売って回る商人たちもいました。竹で作った馬のような形の物に古着や古布をかけて歩く「竹馬古着売り」が長屋にやって来ると、おかみさんたちがいそいそと出て来て竹馬を取り巻きます。かつては腕に古着をかけて歩いていた商人が、腕が疲れるので竹の馬を使うようになりました。江戸から生まれたこのスタイルは、やがて京都や大坂にも伝わっていきました。

 


江戸庶民は モノを使い切るリサイクルの達人だった
 江戸時代の人はすごいな、と感心してしまうことの一つにリサイクルがある。毎日の生活に欠かせない着物の再利用を例に、驚くべきリサイクルを紹介しよう。

 まず江戸の人は、着物をどこで買っていたのだろうか。新しくあつらえる場合は、「呉服店」や「太物(ふともの)店」で反物を購入する。呉服は絹もの、太物は木綿ものの意味である。既製のものはなく、この反物を自分で仕立てるか、仕立てに出して着ることになる。ちょっとやっかいである。この絵は、太物店(木綿店)の店先の様子、店構えもなかなか立派だ。

 もうお分かりのように、ここまでのお話は、一部のお金持ちの場合である。新調された着物もやがて古くなると、古着の仲買人がやって来て、今度は「古着屋」の店頭に並ぶことになる。この段階からが庶民の登場である。庶民は通常、着物を古着屋で買った。当時、古着は恥ずかしいものでもなく、苦にすることもなかったようだ。

 古着屋は、神田川沿いの柳原土手あたりに軒を連ねてあった。柳原土手は有名な古着屋街で、江戸周辺の人々も買いにやって来たという。その他にも、古着屋街は江戸にはたくさんあった。

 着物の本格的な再利用の旅は、ここから始まる。大人用の着物を古着屋で買ったとすると⇒古くなれば使える部分で子ども用に作り直す⇒次の子どもが生まれたらオシメに⇒オシメがとれたら雑巾に⇒たき付けに⇒灰になったら洗濯に、肥料に……という具合である。もっとも、作り直す際に出る端切れは「端切れ屋」が買ってくれたし、灰も買っていく業者がいた。燃やして灰になってからもまだ使うというのは、究極の再利用である。

 このようなリサイクルが可能だったのは、一個人や家庭の心がけのレベルでなく、江戸の社会の仕組みがそうなっていたからである。

 新しい物がどんどん売れないということは、経済が停滞すると思いがちだが、そうではない。雇用も生まれてくる。壊れた物を修理する職人、不要になった物を買う業者、それを運ぶ人、加工する人、販売する人。そしてまた、それを買う庶民がいた。これが繰り返される。いろいろな仕事や職人を大都市江戸は必要としたのである。江戸に職人が多くいたのもうなずける。

 現代人が、リサイクルとか再利用について考えるとき、江戸時代は数多くのヒントを与えてくれる時代だろう。生活様式がまったく違うから、一概に江戸時代の手法をそのまままもってくることはできないが、学ぶべきところはいっぱいありそうである。


古い布きれも立派な商品である
 洗濯物を干しているわけではない。これは、れっきとした店舗である。いろいろな布を取り揃えてディスプレイし、客を待っているところである。
 この布を「古裂れ(こぎれ)」と呼ぶ。古裂れとは、着物を再利用して仕立て直しをしたときに出る「端切れの布」である。傷んだ着物の使える部分を切り取ったものもあり、主に継ぎあて用に使われた。江戸の再生・再利用の経済は、「古裂れ屋」「端切れ屋」と呼ばれる商売を誕生させた。彼らは「古裂れ掛け」を担いで町を売り歩いた。布がとても貴重であったことが分かる。
 写真に向かって右側に吊してある古裂れに注目してみよう。欄外にも示したように、これは有名な江戸の文様だ。小さなことにこだわらない心意気「構わぬ」を「鎌わぬ」と洒落てデザインしている。継ぎ接ぎ(つぎはぎ)の古着を想像すると、貧乏くさい気もするが、こんなところにも江戸っ子らしさが出ていて面白い。

 


http://blog.goo.ne.jp/hardworkisfun/e/8f15becc5e92a7c3b7e7ebc15b1891aa
江戸の古着屋


古着屋総兵衛影始末(ふるぎやそうべえ かげしまつ)は、徳間文庫から書き下ろしで刊行されている佐伯泰英の時代小説シリーズ。

第11巻の最後で「第一部 了」とされており、現在は新刊は発行されていない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E7%9D%80%E5%B1%8B%E7%B7%8F%E5%85%B5%E8%A1%9B%E5%BD%B1%E5%A7%8B%E6%9C%AB

 概要
この小説は、徳川家康から影旗本として密かに徳川家を護持する事を命じられた鳶沢一族と時の権力者・柳沢吉保との暗闘が物語の主軸となっている。

富沢町の古着屋を、「武」と「商」に生きる鳶沢一族として描くこの物語の着想は、三田村鳶魚の『江戸語彙』にある「鳶沢某なる夜盗が家康に許されて鳶沢町を造ることを許され、古着商いの権利を得た」という、短い記述から得られた物だということである(1巻『死闘!』・11巻『帰還!』あとがき)。リサイクル都市であった江戸の古着の流通に携わった者たちは、かつては『水滸伝』に登場するような英雄豪傑であり、そんな武士(もののふ)が商人(あきんど)に変わった言い伝えを物語に発展できないかというのが、この作品を書く発端であったとしている(1巻『死闘!』あとがき)。

この『古着屋総兵衛影始末』が第11巻『帰還!』で第一部終了となったのは、シリーズを通しての宿敵である柳沢吉保の失脚が最大の原因であると書かれている。『帰還!』のあとがきは、構想を練って再び読者にお目にかかれる日が訪れることを切望している旨が語られて終わっている。

あらすじ
慶長8年(1603年)、徳川家康が造営に着手した江戸の町は、戦国の気風を残し、町に入り込んだ浪人や無頼の徒により無法の地となっていた。毒をもって毒を制すべく、家康と側近の本多正純は、江戸を荒らす盗賊の中で西国浪人鳶沢成元(とびさわなるもと)を捕えて、命を助ける代わりに無法者達を一掃させた。そして江戸の町に古着屋を開き、それを隠れ蓑に徳川家の密偵として情報収集をするよう命じた。

元和2年(1616年)、死の床にあった家康は、鳶沢成元を呼び出し、自分が葬られる久能山に所領を与え、その隠れ里の分家と共に、徳川家危急の折に働く隠れ旗本となる事を命じた。

家康の死から85年後の元禄14年(1701年)、江戸城中松之廊下で刃傷事件が発生した年からこの物語の本編は始まる。鳶沢成元が富沢町に開いた古着屋・大黒屋は、6代目の鳶沢勝頼が主人となっていた。大黒屋が影旗本として暗躍している事を知り、また古着屋としての大黒屋に集まる金と情報に目をつけた柳沢吉保が、その力を己の物とすべく、鳶沢一族に攻撃を仕掛けてきた。家康との密約を守るため、影旗本としての矜持を賭けた大黒屋総兵衛勝頼の戦いが繰り広げられる。


たまには時代小説も読むのも一考でないかな。

 


●御朱印船(ごしゅいんせん)

2014年08月28日 08時12分00秒 | 色んな情報

>●御朱印船(ごしゅいんせん)
徳川将軍家が発行した朱印状(海外渡航許可証)を携帯し,貿易に従事した商船。朱印状は室町時代の琉球貿易船にも下付(かふ) されたが,この制度を完備したのは徳川家康。
朱印状を携帯する日本船は当時日本と外交関係があったポルトガル、オランダ船や東南アジア諸国の支配者の保護を受けることができた。

南北朝時代や戦国時代には九州・瀬戸内海方面の武士や海賊が中国、朝鮮沿岸を荒らしまわり、倭寇と恐れられた。16世紀後半になるとポルトガル船が日本に来航するようになって海外への関心が高まり、東南アジア方面にまで進出する日本人も現れた。天下統一を達成した豊臣秀吉は日本人の海外交易を統制し、倭寇を禁圧する必要から、1592年に初めて朱印状を発行してマニラ、アユタヤ、パタニになどに派遣したとされるが、この時のことはあまり資料がない。

朱印船制度の創設 [編集]

朱印船(寛永年間)関ヶ原の戦いに勝利して覇権を確立した徳川家康は海外交易に熱心な人物で、1600年豊後の海岸に漂着したオランダ船の航海士ウィリアム・アダムスらを外交顧問として採用したほどである。1601年以降、安南、スペイン領マニラ、カンボジア、シャム、パタニなどの東南アジア諸国に使者を派遣して外交関係を樹立し、 1604年に朱印船制度を実施した。これ以後、1635年まで350隻以上の日本船が朱印状を得て海外に渡航した。朱印船は必ず長崎から出航し、帰港するのも長崎であった。なお、明帝国は日本船の来航を禁止していたので、中国は(ポルトガル居留地マカオを除けば)朱印船渡航先とはならず、朝鮮との交易も対馬藩に一任されていたので、朱印状は発行されなかった。

朱印船渡航先 [編集]

復元朱印船模型 1/10スケール安南 当時北ベトナムを領有していた黎氏を擁立するハノイの鄭氏政権である。東京(トンキン)ともいう。
交趾 当時実質的に中部ベトナムを領有していたフエの阮氏政権である。広南国ともいう。その交易港はホイアン(会安)及びダナンであった。
占城 ベトナムによって南ベトナムの一隅に押し込められていたチャンパ王国である。
暹羅 タイのアユタヤ王朝である。アユタヤには大きな日本人町が形成され、山田長政が活躍する。アユタヤからも交易船が長崎に来た。
柬埔寨 メコン河流域のプノンペンを首府とするカンボジア王国である。
太泥 マレー半島中部東海岸のマレー系パタニ王国である。当時は女王が支配し、南シナ海交易の要港であった。
呂宋 スペインの植民地ルソン島である。首府マニラが新大陸とのガレオン貿易の要港で、中国船の来航も多かった。
高砂 当時ゼーランディア城を拠点にオランダ人が支配していた台湾である。台湾も中国商船との出会いの場であった。
いずれも赤道以北に限られていた。渡航先集計によると交趾(73回)で最も多く、暹羅(55回)、呂宋(54回)、安南(47回)と続く。

朱印船貿易家 [編集]
商人:最も数が多く、記録に残る限り65名、さらに婦人2名、琉球出身者1名を数える。代表的な人物は京都の豪商である角倉了以、茶屋四郎次郎、大坂の末吉孫左衛門、長崎の末次平蔵らである。
大名:九州(亀井のみ山陰)の大名ら10名を数える。島津忠恒、松浦鎮信、有馬晴信、細川忠興、鍋島勝茂、加藤清正、亀井茲矩、五島玄雅、竹中重利、松倉重政らである。
武士:長崎の村山等安や堺の今井宗薫、大坂と平戸の武士4名にも朱印状が与えられている。
明人:日本在留の明国商人11名にも朱印状が発行された。明は中国人の日本渡航を禁止しており、これら中国人は密貿易で渡来し、在住する者であった。著名な者としては福建の海賊・李旦がいる。
欧州人:ウィリアム・アダムス、ヤン・ヨーステンら日本在住のオランダ人、イングランド人、ポルトガル人12名にも発行された。
朱印船乗組員 [編集]
朱印船に乗り組むのは船長以下、按針航海士、客商、一般乗組員らであるが、とりわけ航海士には中国人、ポルトガル人、スペイン人、オランダ人、イギリス人が任命されることが多く、一般乗組員にも外国人が入った。もちろん日本人もいた。

交易品目 [編集]
東南アジア諸港へ赴く朱印船の多くは意外なことに中国産の生糸や絹の輸入が目的であった。日本でも絹は古代から産出したが、中国産に比べると品質が悪く、太平の世の到来で高級衣料である中国絹に対する需要が増大したためである。他方、かって倭寇に苦しんだ明は日本船の中国入港を禁止しており、朝鮮の役で敵対国となってからはなおさらであった。明は中国商船の日本渡航も禁止していたが、これは徹底せず、密かに来航する中国船もあったが、十分な量ではなかった。このため明国官憲の監視が及ばず、中国商船は合法的に来航できる東南アジア諸港で日本船との出会い貿易が行われたのである。中国製品以外にも武具に使用される鮫皮や鹿皮、砂糖など東南アジア産品の輸入も行われた。

見返りとして、日本からは銀、銅、銅銭、硫黄、刀などの工芸品が輸出された。当時中国では銀が不足していたため、朱印船の主要な交易相手である中国商人は銀を欲した。しかも当時、日本では石見銀山などで銀が盛産されており、決済手段として最も適していた。ベトナムなどには日本の銅銭も輸出された。

朱印船に使われた船 [編集]
朱印船として用いられた船は、初期には中国式のジャンクが多数であった。後には末次平蔵の末次船や荒木宗太郎の荒木船に代表されるジャンクにガレオンの技術やデザインを融合させた独自の帆船が登場し、各地で製造され運用されることとなる。

それらの船のサイズは大抵500~750tであり、乗組員はおおよそ200人であった(人数が判明している15隻の平均人数は236人である)。また、東南アジア貿易が盛んであった時には、木材の品質もよく造船技術も優れていたシャムのアユタヤで大量の船が注文・購入された。

朱印船貿易の終末 [編集]
江戸幕府の鎖国政策の進展により、幕府公認の朱印船の海外渡航すら難しくなり、1633年老中奉書船以外の海外渡航や帰国を禁止する第1次鎖国令が発令され、1635年にはすべての日本人の海外渡航と帰国を禁止する第3次鎖国令が発令されて朱印船貿易は終末を迎えた。この措置によって東南アジアで朱印船と競合することが多かったオランダ東インド会社が莫大な利益を得、結局は欧州諸国としては唯一、出島貿易を独占することになる。

 

か‐ふ 【下付】

[名](スル)金品・書類などを役所から下げ渡すこと。「証明書を―する」「―金」

ズイブン昔から有ったようで昔はルールを簡潔に用意していたモノ。


研究社 新和英中辞典
ごしゅいんせん 御朱印船
【日本史】 a trading ship [vessel] authorized by the shogunate.

JMdict
御朱印船
読み方:ごしゅいんせん
ご朱印船 とも書く
(名詞) shogun-authorized trading vessel (authorised)


ガレオン船(Galleon)とは、16世紀半ば~18世紀ごろの帆船の一種である。単にガレオン・ガリオン・ガリアンなどとも表記される。戦列艦の原型にもなった。

カラックから発展した船形で、カラックに比べて幅と全長の比が1:4と長く、吃水が浅いためより速度が出るが同時に転覆もしやすくなった。カラックより小さめの船首楼と大きい1~2層の船尾楼を持ち、4~5本の帆柱を備え、1列か2列の砲列があった。

速度も出て積載量も多く、また砲撃戦にも適したガレオン船は西欧各国でこぞって軍艦・大型商船として運用され、スペインはこれを大型化して新大陸の植民地の富を本国に護送するために使った。フランシス・ドレイクが世界一周に使用したゴールデン・ハインド号などは有名なガレオン船である。

1613年に仙台石巻で建造され、ローマ教皇のもとに遣わされたルイス・ソテロおよび支倉常長以下の使節団を太平洋を横断してメキシコ, アカプルコへ送りとどけ、同使節団の帰途にもメキシコから日本へ連れ帰ったサン・フアン・バウティスタ号は日本で最初に建造された西洋式の大型帆船でありガレオン船であるとされているが、マニラからアカプルコへ向けての航行中に台風に遭い、房総の御宿海岸で遭難し地元民に救出されたフィリピン総督ドン・ロドリゴが、その後帰還する際使用したサン・ブエナ・ベントゥーラ号もウィリアム・アダムスによって作られている。

 

 

英語にするとドウイウ言葉を並べてあるのかは判らないけれども凄くややこしそうだ。
一年の一学期もマトモニ卒業出来ていないモノにはサッパリ。
デモこれだけの余分なモノ付けないと伝わらないのでは外人さんとなすのは大変だ。
色んなモノの繋がりの先にこの船が出来てきている。
歴史は紐解いて見ないと何がどうなっているのか判らない楽しみがある。
今 権力握ってタイル人達がこの先 地球が日本が存続していたらどのような感じで見られ扱われるのか。
縄文の流れの中の一コマには過ぎないけれど。
人生 楽しんで生きないと罰が当たる。
又 年寄りのグチがこぼれる


●ありがとう  ●ございます   ドウイウ意味かな

2014年08月28日 07時57分30秒 | 色んな情報

●ありがとう  ●ございます   ドウイウ意味かな
●ありがとう
ありがとうとは、日本語で感謝を表す時に用いられる挨拶である。

ありがとうの語源は、形容詞「有り難し(ありがたし)」の連用形「有り難く」がウ音便化したものである。「有り難し」とは、本来「有ること」が「難い(かたい)」、すなわち「滅多にない」や「珍しくて貴重だ」という意味であった。『枕草子』の「ありがたきもの」では、「この世にあるのが難しい」という意味、つまり「過ごしにくい」といった意味でも用いられている。

●中世になり、仏の慈悲など貴重で得難いものを自分は得ているというところから、宗教的な感謝の気持ちをいうようになり、近世以降、感謝の意味として一般にも広がった。感謝の意を直接に述べず、仏教用語である婉曲的な表現が日本語の感謝の意味を表す語になっているのは、他の言語と比較しても非常に面白い。
●しかし感謝の意を表す言葉は方言などを含め多岐に及んでおり、「ありがとう」が日本全国で感謝の意味を持つ筆頭単語として使われだしたのは最近のことである。

●ポルトガル語の「オブリガード(obrigado)」が語源であるという俗説があるが、ポルトガル人が訪れる以前から使われていた言葉がポルトガル語に由来するはずはなく、「オブリガード」と「ありがとう」の音が近いというだけのジョークである。

 

●ございます 

 基本語は「ござる」という尊敬語です。それに「ます」を加えた「ござります」が生まれ、とても敬意の高い尊敬語として相手の動作に使われていました。

 殿がござりました (来るの尊敬語)
 座敷へござりませ (行くの尊敬語)

 「ございます」は「ござります」が変化して生まれた語です。江戸時代の終わり頃から使われ始めているようです。よくよく調べてみると、「ござる」→「ござります」→「ございます」というように、だんだん変化したという単純な流れではないようです。「ござる」は尊敬、「ござります」はとても強い丁寧な尊敬で、「ございます」はくだけた表現というように、使い分けられているのが用例からうかがえます。整理すると、それぞれの表現は似ていますが、別の言葉としてきちんと使い分けられていたことがわかります。

●ござる 「御座ある」が変化したもの。「ある」「いる」「行く」「来る」の尊敬語。ほかにも、空腹になる、夢中になる、恋をする、腐る、変化する、だめになる・・など多数の意味に用いられていたり、「身どもは京の者でござるか」などのように丁寧語としても用いられた。
●ござります 「ござる」+「ます」で、とても高い敬意を表す。「それは誠でござりますか」などの表現は、「ござる」を使う人よりも身分や地位の高い人にしか使わなかった。
●ござり申す 「ござる」+「申す」で、特に敬意を高めるのではなく、丁寧さを前面に出した表現。自分側に使うことも多かった。
●ございます 「ござります」から生まれたが、敬意はずっと低く、ちょっとした丁寧語としてだけ使われていた。さらに省略して単に「ござい。」と使うことも多かった。

 さらに時代が進んで「です」が使われるようになると、「ございます」は古風に感じられるようになり、口語ではあまりつかわれない表現になりました。しかし、「です」が広く普及するにしたがって「です」はだんだんあたりまえになって敬意が感じられなくなってきた。そこで、「”です”をさらに丁寧にした表現」ということで「~でございます」が新しい丁寧表現の代表として再び広まりました。「特別丁寧体」や「御丁寧体」として特別扱いする学者も多くいます。このように、ちょっと込み入った経緯がある言葉ですので、尊敬か、謙譲か、丁寧か、正しいのか間違っているのかわかりにくいのです。単純にまとめてしまうと次のようになります。

   「ござる」「ござります」「ござり申す」「ございます」はそれぞれ発生の時期が違うが、別々の役割のある言葉として使われていた。昭和になって男性的、古めかしい表現だとしてだんだん使われなくなったが、「です」の敬意がなくなるにつれ、さらに丁寧な表現として「~でございます」が普及しはじめた。
 一方で、やはり古風に感じられる表現であるということと、相手の動作に使うにははっきりとした尊敬の意を表した方がいいという流れの中で、丁寧と尊敬が混在している「ございます」より、明確な尊敬語である「~でいらっしゃる」という表現が少しずつ普及し、置きかえられつつある。


困ったときには「ございます」の部分を、基本形に置き直してみるとわかりやすいと思います。

  1.なんでもございません。 (なんでもありません)
  2.私は中澤でございます。 (中澤です)
  3.あちらのテーブルにございます。 (テーブルにあります)
  4.村上様はあちらのテーブルでございます。 (テーブルです)
  5.2階でございます。 (2階です)
  6.書いてございます。 (書いてあります)
  7.その商品はございます。 (商品はあります)

どんな言葉に続いているかという別の視点から表現をみると

  A.~でもございません。 (ありません)
  B.~にございます。 (あります)
  C.~はございます。 (あります)
  D.~でございます。 (です)

となり、A.B.C.は尊敬語としての用法で、Dの「~でございます」だけは、前に続く語には関係なく丁寧語としての表現なのだとわかります。


語源というのは、はっきりしないことが多くてどこか怪しげ・・・だからこそ、おもしろい
語源説が「正しいか間違っているか」にはあまりこだわらずに
「言葉の成り立ちに関心をもって楽しむ」ことを目的にして
語源を探ってみることは楽しいよ
http://www3.kcn.ne.jp/~jarry/


●遊び(あそび)とは

2014年08月28日 07時51分14秒 | 色んな情報

●遊び(あそび)とは
遊び(あそび)とは、楽しむ、娯楽、休養、リラックス、ストレス解消などの目的で生物がする行動の総称。普通は生命活動を維持するのに直接必要な食事・睡眠や、自ら望んで行われない労働などは含まれない。なお、遊興(ゆうきょう)とも称される。

ほとんどの高度な知性を持った動物には、主に成熟前に遊びが見られる。これは生物が生きていく上で必要な体力、知識、経験などを自然に得るために備わった性質だと考えられる。動物は遊びの中で狩りやコミュニケーションの方法を学んでゆく。ヒトは成熟後も遊びを行なうのが一般的である一方、ヒト以外の動物は成熟するとあまり遊ばなくなるが、ペット化(家畜化)された犬や猫などの動物は成熟後も遊びたがる傾向があるようであり、野生動物でもカラスには、成熟した個体に遊びと思われる行動が見られる。

本項では主に人間(社会にあるヒト)の遊びに対して説明するが、遊びは様々な局面において人間性と関連付けて扱われる傾向も見られる。

人間の遊び
他の高度な知性を持った動物に比べ、人間(ヒト)は特に遊びが多様化、複雑化しており、成熟後も遊びを多く行ない、生きていく上ではまったく不要と思われるような行動も多く見受けられる。これを他の生物との区別と捉える考えがある。遊びは大きな文化として確立しており、また商品の売り手にとっても市場を左右する要因としても重要である。個人の日常化した遊びを特に趣味と呼ぶ。遊びは個人の性質に大きく左右されるので、全ての人間に共通して楽しまれる遊びはない。

人間は他人から強制されて勉強や訓練されるのは苦痛だが、遊びの中で習得していくことは楽しい。そのため、遊びながら学習する方法がとられることがある。

オランダの歴史家ホイジンガ(ハイツィンハ)は著書『ホモ・ルーデンス』で、子どもの遊びだけでなく、企業活動、議論、戦争、人の活動のあらゆる局面に遊びのようなルールと開始と終わりのあるゲーム的性格が見られると指摘しており、「人は遊ぶ存在である」という所説が評判を呼んだ。フリードリッヒ・シラーも、「人は遊びの中で完全に人である」という有名な言葉を著書『人間の美的教育について』において残している。

 


遊びの種類
遊びは非常に多岐にわたっており、適当に分類することは難しい。遊びには自然発生的に形成され、世代や地域ごとに伝えられていくものと、パッケージ化・商品化して提供されるものがある。パッケージ化されたものは人間の創造力の成長を阻害するとして、批判の対象にされることもある一方で、広大で多様な市場を形成しており、いわゆる玩具など遊びに用いる器具は、素朴なものから複雑で最新の技術を導入したものまで、様々な物品が流通している。また、この玩具と遊びを通して教育や能力開発を行おうという考え方もあり、知育玩具のように遊びを通して成長を促そうという分野も存在する。

フランスの思想家、ロジェ・カイヨワはホイジンガの著書「ホモ・ルーデンス」に影響を受け、「遊びと人間」を執筆した。その中でカイヨワは遊びを次の4つ要素に分類している。

アゴン(競争):運動や格闘技、子供のかけっこ
アレア(偶然):くじ(宝くじなど)、じゃんけん、ギャンブル(競馬など)
ミミクリ(模倣):演劇、物真似、ごっこ遊び(ままごとなど)
イリンクス(めまい):メリーゴーランド、ブランコ


昔の遊び
http://www2.ocn.ne.jp/~happyman/

遊び
http://www1.cts.ne.jp/~amaenbou/asobi.htm

遊びのデータバンク
http://www.kodomo-next.jp/plays/category

仲間あそび大図鑑
http://www.children.ne.jp/%E4%BB%B2%E9%96%93%E3%81%82%E3%81%9D%E3%81%B3%E5%A4%A7%E5%9B%B3%E9%91%91/

遊びを通して人は成長する。
機械のゲームでは何が欠落するのかな。


●私は昔 映画少年であった

2014年08月28日 07時38分12秒 | 色んな情報

●私は昔 映画少年であった
実家が食堂していて交差点の角家で玄関は大通りに面していて
細い道に面した壁に映画の宣伝ポスターが大きく貼られていた。
一週間に一度 町に三つ有った映画館の看板を張り替えに来ていた。
その時に映画のタダ券を何枚か置いていく。
客にやったりしたけど祖母が大好きで私を連れて行くために何枚か残しておいた様だ。
結構高い料金なので貧乏だったので普通はいけないけど私は行くことが出来た。

赤胴鈴の助 笛吹童子 月光仮面 鞍馬天狗
洋画も見ていたように思う。
今のように娯楽で選択肢はほとんど無い時代で後は新聞くらいかな。

夏はよく夜暑いので夕涼みがてら隣町まで歩いて散歩。
家の前に床机(しょうぎ)長いすのことで縁台とも言った。
この上に将棋盤が置かれていてよく将棋の相手をして貰ったモノ。
へボ将棋と言って上手くもないのに大好きだった。
いつも負けてばかりで最後には泣いて帰ることもシバシバだった。、

『赤胴鈴之助』(あかどうすずのすけ)は、福井英一と武内つなよしによる漫画で、ラジオドラマ化や映画化、アニメ化もされた。

『笛吹童子』(ふえふきどうじ)は、北村寿夫原作の新諸国物語の1作として書かれた小説。

1953年にNHKラジオでラジオドラマが放送され、以降、何度か映画化やテレビドラマ化された。

『月光仮面』(げっこうかめん)は、KRテレビ(現TBSテレビ)と宣弘社が制作し、『タケダアワー』第一作として1958年(昭和33年)2月24日から1959年(昭和34年)7月5日まで放映された、同名のスーパーヒーローを主人公とするテレビ冒険活劇番組。日本初のフィルム製作による国産連続テレビ映画である。川内康範原作。

『鞍馬天狗 』(くらまてんぐ)(小説) - 大佛次郎原作の時代小説の題名。またその主人公の通称。上記2者のイメージによってつけられた。映画化、テレビドラマ化もされている。


私にとっては今で言うヒーローであった。
月光仮面では風呂敷を家から持ち出して頭巾のように被りバイクに乗っているマネをしてその辺を駆け回って追いかけっこをしていた。
http://www.youtube.com/results?search_query=%E6%9C%88%E5%85%89%E4%BB%AE%E9%9D%A2&aq=f

 

鞍馬天狗もホッカムリして腰に母のオビの腰紐巻くかバンドをして棒を突き刺して馬にまたがり駆け回る感じでやはり追いかけっこをしたモノ。
http://www.youtube.com/results?search_query=%E9%9E%8D%E9%A6%AC%E5%A4%A9%E7%8B%97&aq=f


赤胴鈴之助は簾藤の胴衣を主人公は来ているのだけど何かで作りそのような感じで身につけてチャンバラをしたモノ。
http://www.youtube.com/results?search_query=%E8%B5%A4%E8%83%B4%E9%88%B4%E4%B9%8B%E5%8A%A9+&aq=f


笛吹童子はどうしていたのかハッキリしない。
横笛の名人のような子供が主人公だったかな。
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/fuefukidouji.html
ここに主題歌がある。
http://video.search.yahoo.co.jp/search?st=&s=dateold&p=%E7%AC%9B%E5%90%B9%E7%AB%A5%E5%AD%90&dr=&pd=&vt=&vaop=&ei=UTF-8  動画はここ。
久しぶりに聞いて懐かしくなった。
ヒャラリヒャラリコ ヒャリコヒャラレロ
誰が吹くのか ふしぎな笛だ
ヒャラリヒャラリコ ヒャリコヒャラレロ
音も静かに 魔法の笛だ
ヒャラリヒャラリコ ヒャリコヒャラレロ
タンタンタンタン タンタンタンタン
野こえ 山こえ


時代劇モノが多かった時代。
怪傑ハリマオ エイトマン 狼少年ケン などに繋がり 鉄人28号 鉄腕アトムなどに繋がっていく。
この先にウルトラマンやマジンガーなどの現代のモノに繋がっているのかな。
宇宙戦艦ヤマトのようなモノもこの道の先にあるのかな。
専門家ではないのでその中の事は誰かに解説して貰わないとだめ。


今の子供たちは余りゆめが持てて居ないように思える。
漫画でもアニメでも映画でも私たちの時はそこから色んな妄想が生まれてきたけれども今は作者のイメージそのまましか受け取れて居ないように思える。
想像力が発達し難い世の中なのかな。


●私の妄想癖

2014年08月27日 21時31分23秒 | 色んな情報

●私の妄想癖
◆私は妄想癖が強くて有る大学の学園祭に見学に出かけた時の話しです。
学生が水の研究発表会をしていました。
図々しくもそこで水一杯ご馳走して貰い水について彼等に質問した。
「水はこの世に何種類有るか」
http://urx.nu/bnE0
に「重水と軽水」が出てきた。

普通は
1. 酸性・中性・アルカリ性
2. 硬水と軟水
これくらいしか知らされていない。

昔読んだロシアの水博士の本には確かこの地球上には100種類有ると。
本無くしたので題名も何もほとんど覚えていない。
実験室でその当時で二十種類は作られていると書かれていた。
「重水と軽水」の話しをしたわけだけど。
水にはソモソモ重水と軽水とに分ける分野があり
漢方で煎じるというのは軽い軽水を蒸発させて重い重水を残す為に煮沸する。
http://urx.nu/bnE2 ウィキペディアなどでは
重水は原子炉の減速材として使われる。
と書かれている。
漢方のことは書かれていない。
この残った重水が漢方薬には良くて出てきた汁の効用をより促進させる。
土瓶一杯の水を半分まで沸騰させると軽水は全て蒸発してしまう。

こんな話しから入り言葉遊びの話しや当時知っているだけの宇宙の話しやその他諸々。
一時間講義してしまった。
学生たちは身じろぎもしないで私の口から出てくる言葉に耳を傾けていた。
私のアタマの中は取り留めもないほど色んな事が涌いてきて不思議とそれが繋がっている。
普段は考えすぎて言葉が繋がらず長続きしない。
妄想が始まると湧き水が涌くようになってしまう。

だから昔から大風呂敷と言われる。

【大風呂敷(おおぶろしき)を広・げる】
現実に合わないような大げさなことを言ったり、計画したりする。
誇張していうこと。?を広げる=ほらをふくこと。

【風呂敷 ふろしきの歴史 由来 起源】
室町時代、将軍足利義満が大名たちをもてなした大湯殿で、脱いだ着物を布に包み、入浴が終わるとその上で着替えをしました。それが「風呂敷」の語源とされています。

【富山県の薬売りと風呂敷 ふろしきの歴史 由来 起源】
元禄時代には、包み、運ぶための風呂敷となり、富山の薬売りをはじめとする商人たちの必需品となりました。
屋号を染め、商品を包んで背負い、江戸の町を歩くことで宣伝効果が大いに上がったようです。


嘘つきという意味も有るようだ。


私の知識は決して奥深くて詳しくはない。
風呂敷のように包んであった雑多なモノを結びを紐解いて並べて見せるのが私。

余り突っ込まないで下さいね。

 
◆安心サロン
2011年01月18日
水は、奥深いですよね。

言葉の波動を記憶するようですしね。

良い言葉を使うように心がけたいものですね。

人間の身体も、大人は約60%は水分ですから。
 
◆nelcco
2011年01月18日
水のようにこんこんと湧き出るものは "よい知識である" と、ぼくは勝手に考えます。なぜって論理的に矛盾もなく感情もヘッタクレもない機械口述みたいな博士論文なんかを読むより、よっぽど生きた人間のクチから流れ出る話の方が人生に役立つということを、短くはない人生経験から知っているからです。

だから志葉楽さんのように生命の言葉を吐き出せる人が、よっぽど博士号の有識者と呼ばれる人たちの薄っぺらいだけの言葉よりも、尊くみえます。なんだかんだ言ってもやっぱりロジックより、レトリックなんだと思います。ハートに響く言葉っていうものは。


●妄想(もうそう)

2014年08月27日 21時19分45秒 | 色んな情報

●妄想(もうそう)
普通に使われる言葉の意味ではエッチな事を指すことが多いけれども
私は思考巡らすことだと思っている。
色んな想像力を働かせて色んな事を考える。
正式というのかどうか判らないけれども 精神医学用語 になるらしい。
下記に詳しく書かれたモノをWikipediaより写した。
⇒まよい【迷い】  ⇒ざつねん【雑念】 ⇒そうぞう【想像】 
と言う意味も有る。
妄想も良い済理陽が揃っていないと簡単には出来ない。
私は国語辞典を普段から読み材料を沢山用意しておく。
タダシ新しいモノは一切ダメ。
横文字や最近の言葉が多く収録されている。
仕事言われている言葉に良い言葉が多い。
私の持っているのは昭和34年発行の旺文社の国語辞典。

時代劇見るのに戦場で武将が座っているいすの名前を知っているだけでも違う。
床几と呼び今では簡易携帯折りたたみイスとでも呼ぶのかな。
床机と呼ぶイスもある。
長いすのことで江戸時代は縁台と呼んだ。
何度か書いたけれども夏は夕涼みに此上で座って将棋を指したモノ。
今同じ読みの言葉を三つ書きました。
判りましたか。
もう一つのしょうぎは娼妓と書く。
娼妓(しょうぎ) [ 日本大百科全書(小学館) ]
.売春婦の異称。遊女屋を娼家、遊女を娼女・娼妓と別称することは江戸時代にも散見し、洒落(しゃれ)本に『娼妓絹(きぬぶるい)』(山東京伝著・1791刊)の題名もある。
しかし明治維新後、従来一定の名称をもたなかった公娼を、娼妓の名に統一したので、以後はおもにその意味で用いた。
1872年(明治5)の娼妓解放令は形式的な宣伝にすぎなかったから、以後も娼妓は存続した。娼妓を管轄していた各府県の規則をみても、年齢制限(15~16歳)と検黴(けんばい)(黴毒などの性病検査)の義務とが加わったほかは、接客は貸座敷内、住居は遊廓(ゆうかく)指定区域内に限り、外出も大幅に制限を受けるなど、従来の遊女の条件と実質的に大差なかった。
1900年(明治33)救世軍による廃娼運動が展開されたが、これまでの唯一の権利であった自由廃業も、同年の娼妓取締規則(内務省令44号)で削除された。
前借金無効の判決は出たが廃業の実行は困難であり、稼ぎ高の貸借帳簿は作成されたが、内容不明の借金が追加されて拘束を逃れることはできなかった。
しかも娼妓数は増加し続け、1920年代には全国に5万人以上が在籍した。
一方で娼妓の質的な低下が遊客の下落を招き、社交女性の地位は芸者に移った。1946年(昭和21)2月に娼妓取締規則が廃止されたので、娼妓の名称もなくなった。
[ 執筆者:原島陽一 ]

花魁もこの中に入り源氏物語を読むほどの教養を身につけていた。
歌舞伎は高級娼婦の出雲の阿国が歌と踊りを披露したのが始まりとされている。

又 妄想が始まりそうだ。


●妄想(もうそう)とは、非合理的かつ訂正不能な思いこみのこと。妄想を持った本人にはその考えが妄想であるとは認識しない(病識がない)場合が多い。精神医学用語であり、根拠が薄弱であるにもかかわらず、確信が異常に強固であるということや、経験、検証、説得によって訂正不能であるということ、内容が非現実的であるということが特徴とされている。日常的な会話でも用いられることもあるがそのときはいかがわしい考えや空想を表し、必ずしも病的な意味合いを含むわけではなく軽い意味で使われている。

妄想と一言にくくっても、その内容や程度は個人差が大きい。軽度で生活に支障をほとんど来さないものから重大な支障を来すようなものまで様々である。本人が妄想であるとは自覚していない(「病識」がない)ことが多いが、漠然と非合理性に気づいている場合(いわゆる「病感」がある状態)、あるいは他者の前では隠すことができ生活に適応している場合(いわゆる「二重見当識」)など様々である。

●妄想の分類
●原因による分類
様々な精神疾患(統合失調症、躁うつ病、うつ病、痴呆、せん妄、あるタイプのてんかん、急性薬物中毒、覚醒剤乱用など)に伴って生じることがある。しかし、健常者においても断眠や感覚遮断など特殊な状況に置かれると一時的に妄想が生じることもある。

また、原因となる基礎疾患によっても生じる妄想の種類が異なる傾向があり、統合失調症に多いのは被害妄想、関係妄想、誇大妄想などで、うつ病に典型的なのは罪業妄想、心気妄想、貧困妄想であるとされているが、必ずしも全例に当てはまる訳ではない。

●「一次妄想」と「二次妄想」
古典的には、まったく根拠を持たない妄想を一次妄想(「あの人はまだ自分がxxであることに気づいてない。」「おれはナポレオンの生まれ変わりだ」「近所の人たちが私を電波で攻撃している」など)、何かしらの経験と関わりがある妄想を二次妄想(「私の病気は不治の病なのだ」「皆の不幸は私のせいなのだ」など)と区別している。しかし、一次妄想と考えられる妄想にも本人なりの理由が存在している場合も多く、真の無意味で根拠のない妄想はまれである。了解可能か否かで一次妄想と二次妄想を区別するという定義もあるが、「私の病気は不治の病なのだ」という妄想も抑うつ気分から悲観的妄想が出現していれば理解可能であるが健康なひとがそのような妄想をもっていれば了解不能であるため、これらの区別は難しい。偏見との区別も難しく、考えの根拠を聴取し、ひとつひとつ反証していくことで妄想と明らかになるが、文化が異なる反証であるとその方法は有効ではなくなる。

さらに一次妄想は以下の5つに細分化されている。

・妄想気分:周囲がなんとなく意味ありげで不気味と感じる。形容ができないがそこから具体的な判断がおこり妄想となる。
・妄想知覚:正常な知覚に特別な意味づけがなされる。それが強固な確信となり訂正が不可能である。
・妄想表像:とんでもないイメージを抱く。
・妄想覚性:途方もないことを察知するが実体には何も理解できていない。
・妄想着想:ある考えや古い記憶が突然思いがけない意味をもって思い出され、強固な確信に至ること。
妄想知覚などは統合失調症でよくみられる現象である。具体例は漫画ブラックジャックによろしくなどで詳しく描かれている。二次妄想はうつ病でよく見られる現象である。心気妄想、微小妄想などが有名である。「なんとなく胃が痛い、病院にいって検査しても異常がない、心療内科の受診を勧められ、それでうつ病と診断される」こういったエピソードが心気妄想には多い。

●内容による分類
●誇大妄想
誇大妄想は、現実的な状況から逸脱し、自己を過剰評価したり、実際には存在しない地位・財産・能力があるように思い込んでいる状態である。躁病によく見られる。
●被害妄想
他人から悪意をもって害されていると信じる妄想。何らかの犯罪的な干渉を受けていると信じこみ、事業や就職などにおいて失敗しても、他者からの攻撃で失敗したと考えたり、「脳内に何らかの機器を埋め込まれ、意識や行動を操作されている」と考えたりする。被害妄想も参照のこと。
●注察妄想
「常に盗聴されている」とか「隠しカメラで監視されている」と思い込む妄想。
●関係妄想
周囲に起こっている現実を自らに結びつけて考える妄想。
●盗害妄想
自分の物を盗まれたと思い込む。認知症によく見られる。
●罪業妄想
自分は非常に悪い存在だ、罰せられるべきだ、皆に迷惑をかけているなどと思いこむ妄想。うつ病によく見る。
●心気妄想
自分の身体の一部が病気にかかっていると思いこむ妄想。実際に病気に罹っていても、その症状が自分の思っているより非常に軽い場合もこの種類に分類される。うつ病によく見られる。
●貧困妄想
現実にはそうでないにも関わらず、自分は非常に貧しい、借金を抱えてしまったなどと信じる妄想。うつ病によく見られる。
●宗教妄想
誇大妄想の延長上、またはひとつの症状として考えられる。統合失調症のひとつの症状としても考えられているが、自分自身に何か超次元的で特別なパワーがあると信じたり、霊界のような所から特別な預言や啓示を受けた、またはあらゆる病気を癒す力を授けられたなど、内容が極めて非日常的で壮大なものであり、訂正不能な強固な確信があることが特徴である。例えば自分はイエス・キリストの再来であるとか、釈迦の生まれ変わりであるとか、人類滅亡から世界を救うための救世主または預言者であるとか、現実世界からは考え得ることのできない壮大なスケールによって描かれる妄想が大半である。つまり自分自身を“神”であると信じてしまう症例である。人格崩壊まで至るケースは稀であるが憑依妄想を共に発症するケースがある。これが極端になると新興宗教の教祖にまでなってしまうケースも見受けられる。
その他
不死妄想、Capgras妄想、被毒妄想、恋愛妄想、血統妄想など(詳しくは統合失調症参照)。嫉妬妄想は隠される場合が多い。


●妄想の原因
●生物学的に
統合失調症では中脳辺縁系のドパミン神経の過活動が妄想、幻覚の発生に関与していることが示唆されている。うつ病やせん妄に伴って生じる妄想に対してもドパミン遮断薬である抗精神病薬が有効であることなどから、それらの疾患でもドパミン神経系の過活動が関与していることが推測される。

●精神力動学的に
戦争や災害の被災者や凶悪事件等の被害者が、一時的に妄想状態に陥ることがある。これは、現実から遊離する事によって精神的なダメージを回避しているとみなすこともできる。統合失調症などの疾患においての妄想ですら、過剰なストレスが精神を破壊しないようにするため逃げ場であるという見方すらできる(ジョン・シュタイナー「こころの退避」参照)。但し安全装置という観点では妄想の代わりに衝動性が生じることもある(いわゆる、キレる状態)。

しかし安全装置であるとはいえ病的な方法であることには間違いなく、治療が必要である。

そして、本人にとっては安全装置であったがゆえに、治療の途中で激しい抵抗に遭うことは珍しくない。それなりに安住の地であった妄想の世界から現実の世界を直視することは苦しみを伴うのである。ここでいかに本人のペースを尊重しつつ、希望や安心感を与えつつ現実と折り合いをつけてもらうかが、精神科医や援助者の力量が問われるところである。

●妄想の弊害
その妄想に対して否定的な現実を敵視したり、妄想を認めない他人に攻撃的になることがある。ときには暴力に結びつくこともある。周囲からみれば異常な行動をとり、周囲に疎まれ孤立したり攻撃されたりする危険がある(例としては「警察に電波で盗聴されている」と思い込み、警察に「そのような捜査が許されるのか」と乗り込んだり、それで相手にされなかったり警察が否定すると警視庁のトップや大臣、果ては総理大臣に記録が残るかたちで質問状を送る、当然相手にされるはずがないが、それで満足な回答が得られないと「答えられないのには理由があるはずだ」などと極めて強引かつ自分にいいように解釈するというものがある。インターネットのウェブサイトやブログ上でその主張を公開する者も多い)。本来、社会的動物である所の人間が社会から逸脱する事は、当人にとっても周囲にとっても非常にダメージが大きい。妄想が回復した後の社会復帰にも支障が残ることもある。

ただし、だからといって疑うことをやめてしまうと、実際に他者にいいように利用される可能性もあるため、妄想とそうでない場合との線引きは事実上難しいといえよう。

「自分は空を飛べる」などの妄想に支配され転落したり、「頭の中に埋め込まれた装置を取り出す」ために頭部を自傷するなど自らを傷つける危険性もある。

●仏教における妄想
仏教では妄想を「もうぞう」と読むことが多い。妄想は心を曇らして煩悩を増幅せしめる最大の原因として厳しく戒められている。精神医学でいわれる病的なものとは異なり、仏教における妄想は範囲が広く、健常者が日常的に行っていることである。過去を悔やんだり、未来をあれこれ気にしたり、主観的な価値判断や断定をしたり、考えてもわからないことを頭の中であれこれ思考することなど多岐に及ぶ。

元寇の脅威にさらされていた鎌倉時代、大軍勢の外敵とどのように戦えばいいのか苦慮していた執権北条時宗に対し、禅僧無学祖元は「莫妄想」(妄想することなかれ)と諭したといわれる。

●関連語句
健常者の(しばしばくだらない、あるいは淫らな)空想のこと。妄想癖(もうそうへき)とも言う(例:性的妄想)。
想像の域を出ない主観的な決め付けのこと。しばしばインターネット上で多用される。


●マッサージについて

2014年08月27日 21時05分13秒 | 色んな情報

●マッサージについて
◆マッサージについて書いて欲しいとリクエストが有り久しぶりに調べて見ることにした。
下に転載などしておいた。
私が最初に師事した師匠が始めに
「人はお腹が痛いと直ぐそこに手を当てる。これを手当という。応用として世の中ではしたことに対して見合う金銭などをお手当としている。傷を消毒したり湿布薬を貼ることを手当としている。アタマをぶっつけたり足をモノにぶっつけてりした人に「手当てしたか」と言うのもこれに通じている。(手入れ)と言うのは痛いところなどに手を当てて手で治療することに当たる。機械などの手入れをすることにも応用されている言葉である。(修理)これも手当と同義語に当たる。車などを直すことを修理というのは言葉の応用である。人の体にした行為などのしぐさがそのまま言葉として今は使われている。病院へ行くと貰える薬袋に内服 外服 と記載されているが元々 麻服などを着て薬とした事から始まっている。ドンナゴロス(ドンゴロスはインド産の粗い麻布や、それで作った麻袋のことを言います。語源はdungaree(ダンガリー)。ダンガリーは麻布ではなく、デニムに似た綿布で、カジュアルなシャツやスカートなどにも使いますが、語源はヒンディ語のようです。銀行で取扱う大量の硬貨を入れる袋もドンゴロスと言っています。)人が着るシャツよりも大きくて底に首の入る穴を開けて手を通すアナを横に開けた。膝くらいまで被る長さのモノで薬として使ったようだ。これ買いまでも残っていて服という字で表している。ちなみにシャワーも入浴も西洋では薬として重宝していたのが一般に広がり清潔にする諸作に成った。西洋人は江戸時代以降まで貴族も一般市民も汚い人が多くて臭いので腋臭も含めて興水が発達した。日本人は有史以来清潔でキレイにする人は多かったようだ。この辺りの事も調べると大変な量になり書ききれなくなるのでこれくらいにしておく。
こんな話しを最初に聞かされたモノ。
キット人の体を触るときは心して神聖な気持ちで触るようにと暗に含んで居たのだと思う。
人の体は触れば触るほど神秘に感じ奥が深い。
そのくせ触っている私はその体の中でどう変化してどう感じているかは三十年余りこの仕事していてさっぱり判らない。
推測するだけ。
堅いモノが柔らかくなり動き憎かった人が軽くカラダを動かす。
この様子見ていて楽に成ったのかなと思うだけ。
触っているだけでも柔らかくなり凝りが解れていく。
以前犬などの肩を触ったことが何度もある。
始め私の手を噛みそうにしていたのにその内気持ちよさそうに私を見つめて何か言いたそうでだるくて何も言えない。そんな感じに見えるしぐさをする。
猫もソウだった。
何匹も触ったけど人と一緒で元から気持ちよさそうにするのと痛がるのと有る。
動物は他に触っていないけれども総て一緒ではないかと思う。
不思議で奥の深い生物である。

手技の事も書きたかったけれどもこれ以上かけないので次回にします。

東洋医学治療法の発生・発展と陰陽・五行思想の解答解説
http://ameblo.jp/nara-m/entry-10057045193.html
マッサージ事典
http://yasaibox.ti-da.net/e1528216.html
按摩(あんま)-用語解説集
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%B0%8E%E5%BC%95%E6%8C%89%E8%B9%BB&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=ush-jp_dic&x=wrt
鍼(はり)の起源
http://www6.ocn.ne.jp/~jinendoh/acu03.html


若し興味が有れば調べて見て
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●按摩(あんま)とは、なでる、押す、揉む、叩くなどの手技を用い、生体の持つ恒常性維持機能を反応させて健康を増進させる手技療法である。
按摩の按とは「押さえる」という意味であり、摩とは「なでる」という意味である。

また、江戸時代から、按摩の施術を職業とする人のことを「按摩」または「あんまさん」と呼ぶが、視覚障害者の間では、これを盲人に対する蔑称と受け取る向きもあり、あまり使わない方がよい言葉になっている(マスコミ等ではマッサージ師と言い換える事もある)。
一方、外国語である「マッサージ」に対比する日本語の意味である按摩という言葉を否定するのは、日本古来の施術法の否定であり、いわゆる言葉狩りでしかないとして、日本古来の施術方を伝承・継承する意事から、あえて按摩師と称して営業する施術師もいる。

法令で手技・治療法は規定されていない。
それは、立法当時において手技による施術を行う者が「あん摩マッサージ指圧師」しか存在しなかったためである。

日本最初の按摩を行った按摩生は、包帯法も行っていた。

●按摩にまつわる誤解の例

按摩の按は瀉法(しゃほう【瀉法】漢方で、亢進した機能を抑制したり、過剰物質を排除する治療法。実証に対して行う療法。⇔補法)を意味し摩は補法(ほほう【補法】漢方で、弱っている臓腑または経絡に刺激を与えて正常にもどす療法。)を意味すると按摩手引には記載されており、経絡(けいらく)に沿って「虚」「実」を判断し、按と摩を使い分けて、身体の気血を循環させる事により自然治癒力を高め、健康を維持・促進させる事を基本的な考え方をしている。
しかし、按摩手引を詳細に読むと、経脈についての誤った記述があること、あるいは、この書自体が一般向けに書かれたもので専門家向けではないことを考えると、按と摩を瀉法と補法に分けるのは、東洋医学的に根拠が希薄と考えられる。

教科書には、上から下に施術していくとあるが、これは着物を常用していた時代に、はだけるのを防ぐためにそうしていただけであって、臨床的な意味は全くないものと思われる。

●按摩の歴史
先史時代に人々の生活において、自然環境の中で生きていく上で様々な理由によって負傷して瘀痛(疼痛)や腫痛に苦しむ事も少なくなかったと考えられる。
そんなときに、人々は自分あるいは仲間の患部を手で撫でたり擦ったりすることによって、外傷による瘀痛を散らして腫れをひかせて痛みを和らげる効果があることを発見した。
当時においてはこれも有効な外科治療の一環であり、これが按摩術のルーツであると考えられる。

世界最古の医学書である黄帝内経には、いくつかの部位に按摩の文字が書かれているが、具体的な手法については記載がない。
・「導引按蹻は中央より出ず」とあり、この導引按蹻(導引は太極拳の元となったもの、按蹻は按摩と気功を指しているようで?)が按摩とする人がいるが誤りである。
他にも「導引とは筋骨を揺がし支節を動かすを謂う。按は皮肉を抑え按ずるを謂う。
蹻とは手足を捷挙するを謂う」ともあるように、これは現在でいう気功のことであり、按摩そのものを指す記述ではないと思われる。
また、骨折・脱臼の治療などの今日の外科・整形外科の分野に属する治療や包帯法などに関する分野も扱っていたと考えられている。

中国においては隋の時代には按摩は独立した専門科として扱われるようになった。
当時の医師達は按摩を「外邪の滞留を体内から除き、負傷によって体内に侵入する事を防ぐ」方法として内科・外科・小児科を問わずに行われた。
朝廷内でも按摩博士、按摩師、按摩生が設置された。北宋以後においては、按摩の理論的な発展が見られ、『宋史』芸文志によれば按摩の専門書が書かれたとする記事がある(但し、現存せず)。
明以後には医学における按摩行為を特に「推拿(すいな)」とも称されるようになった。

・日本には養老令において、唐王朝をまねて典薬寮に、按摩博士、按摩師、按摩生をおいたとされる。
この養老令は大宝令と全く同様のものとされるため、少なくともその時代には按摩が存在したと思われる。しかし、その当時の按摩と現在のものが、どのような類似性があるのかは不明である。
ただ、同時代の文献によると、当時の按摩には現在でいう包帯法も含まれていたと考えられる。

江戸時代になると、宮脇仲策『導引口訣鈔』や寛政11年(1799年)藤林良伯『按摩手引』、文政10年(1827年)太田晋斎『按腹図解』などにより、按摩は体系付けられた。特に『按腹図解』の中の『家伝導引三術』では「家法導引の術に三術あり」として「解釈、利関、調摩」というそれぞれ「揉捏法、運動法、軽擦法」の基礎になっている術が記載されている。

按摩の流派には、関東において江戸時代には吉田流按摩術と杉山流按摩術が有名であるが、少なくとも関西ではこのような流派はない。

GHQは「按摩・鍼灸は非科学的であり、不潔だ」として按摩・鍼灸を禁止しようとした。これに対し、業界や視覚障害者などは約60日に渡る猛抗議を行った。その和解案としてあん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律が作られた。

現代の各種法令では、流派を名乗る事は許されていないので、コマーシャル的に意味が無い状態である。


● 按腹図解
按摩(あんま)術の一様式である腹部按摩法(按腹)の術式を図解説明したもの。1冊。
太田晋齋(しんさい)著。1827年(文政10)刊。江戸初期よりこの時期まで、自己流の按摩術が乱立し、古来の疾病治療という目的を失う方向にあったものを修整しようという意図のもとに著された。
このなかでは按摩について「専(もっぱ)ラ一元気ノ溜滞(りゅうたい)ヲ活溌ニシ、臓腑(ぞうふ)ヲ安住シ、腸胃ヲ調和シ、血脉(けつみゃく)ヲ融通シ、骨節ヲ和利シ、筋絡ヲ舒暢(じょちょう)シ、肌膚ヲ潤澤(じゅんたく)シ、飲食ヲ進メ、二便ヲ利シ、気力ヲ盛ニスル」と述べ、按摩術を施すことは、人体の生理的作用を円滑に運ばせ諸病の治療に適すること、とくに癇(かん)(神経病、精神病)および疝(せん)(腹痛)などには治効があると記されている。

 


● 推拿(すいな)
中国大陸明代以後、医療行為としての按摩は推拿(すいな)と呼称されるようになった。
これは日本では中国整体と呼称されるものであり、現在の中国政府も公式な中医学の医療用語として「推拿」を採用している。現在、日本国内の按摩と中国大陸の推拿は、技法は近似でも用法が全く違うので要注意である。

日本において中国整体という民間療法が行う技法の多くは、推拿の一部の専門手法を用いた推拿式整体療法といえる。しばしば中国整体を日本でいう按摩と誤解される場合があるが、それは按摩が推拿の技法に一番近いことも関連する。現在では、数は少ないが推拿専門の教育機関も存在している。

「推」には手を一方向へ押し進めるという意味があり、「拿」にはその押し進めた手で掴みあげるという意味がある。中医学では、その理論に基づいて経絡や筋肉・関節などに様々な手技(後述の按摩の基本手技と同一のものも多い)を用いて疾病の予防・治療を行っており、鍼灸と並んで「推拿科」として治療をしている病院も多い。
また、中国には法的にも推拿師・保健推拿師・推拿医師という資格がある。

 

●按摩とマッサージの違いについて
あん摩マッサージ指圧理論の教科書には、按摩とマッサージの違いに付いて、按摩は遠心的(心臓に近い方から遠い方に向けて)治療し、マッサージは求心的に行うと書かれている。
そのほかには、按摩が衣服の上から(首筋や手足の先などの露出部分は、わざわざ日本手ぬぐいを架けて行うこともある)行うのに対し、マッサージは滑りをよくするため、タルク(汗知らず)やマッサージオイルをつけることはあるが、原則として膚に直接行う。
また、按摩は経絡理論に従うが、マッサージは西洋医学の解剖学をよりどころとする、按摩は「もみりょうじ」とも呼ばれるように、もむ手技が多いが、マッサージは軽擦法などこする手技が多いなどと言われる。
しかし例外はいくらもあり、本来起源の違う両者を比較するのがおかしいのだが、後述するように、「あんま」の呼称が視覚障害者に嫌われ、実際は按摩をしていても「マッサージ」の看板を出している人が多いため、こうしたことが言われるようになったものである。


●マッサージ(英語:massage)は、直接皮膚に求心的に施術することにより主に静脈系血液循環の改善やリンパ循環の改善を目的にした手技療法である。
マッサージは、フランスで生まれた手技療法(フランス語:massage マサージュ)を指すが、同様の効果を得られるものとしてタイ式や韓国式のマッサージも便宜的に「マッサージ」と呼ばれる。

現在、マッサージは通常医療の場でも(リハビリテーション等々)、代替医療の場でも、様々な健康増進目的で個々人が自分自身に行う形(セルフマッサージ)でも行われている。

● 効用
マッサージには静脈・リンパ循環を促進する効果がある。
スポーツ・運動時前後には、筋肉緊張をほぐしたりするためにマッサージが用いられる。

他にマッサージによる(適度な)刺激などにより、緊張の緩和をもたらし、筋肉痛を和らげる、排便を促す、気分が和らぎ眠りを誘う、等がある。

●歴史
● 世界

Massage in a bath house (1890-1891) John Singer Sargent (1856-1925)マッサージはギリシャ語のマッシー(揉む)、ラテン語の手、アラビア語のマス(押す)、ヘブライ語の触るが語源とされる。

紀元前4世紀頃、ギリシャの医聖ヒポクラテスが他の医師たちに対し、「マッサージの研究をすべきである」と必要性を説いた。しかし、その後医学としてのマッサージが伝わる事はなく、民間療法として止まった。

16世紀後期、フランスの医師である、アムグロアスバレーがマッサージの効能や必要性、医療術を研究し、フランス中にマッサージの効力を強く、主張するに至った。この主張によって、マッサージ療法は、医療法としてだんだん見直されるようになり、広まっていった。

18世紀~19世紀頃になると、スウェーデンのバー・ヘンリック・リングが治療体操を用いてマッサージについても研究をし、スウェーデンマッサージの基礎を作り上げる。これをもとにマッサージはオランダ、ドイツ、フランス、ポルトガルなど、欧州に広まっていった。

その後、マッサージ医療が医療術の一つとして現在に至っている。

● 日本
日本においては元々按摩が用いられてきた。

明治時代、軍医である橋本乗晃がフランスのマッサージを視察し、研究した。
その後、日本にマッサージを医療法の一つとして導入された。

現在、運動前後に筋肉を解す為にマッサージをすることも多い。

●現在の「あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律」において、あん摩マッサージ指圧師免許もしくは医師免許(共に国家資格)がなければ日本においてマッサージを業として行うことはできない、とされている。

●◆あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律(あんままつさーじしあつし、はりし、きゆうしとうにかんするほうりつ
成立…昭和22年12月20日(法律217号)
施行…昭和23年1月1日
主にあん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師としての業務、義務に関して規定している。以下に主な規定を概説する。


●◆昭和22年12月20日法律第217号)とは、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の資質を向上し、もって医療及び公衆衛生の普及向上を図ることを目的とする法律である。
GHQが「あん摩や鍼灸は非科学的であり、不潔である」とあん摩や鍼灸を禁止しようとしたため、業界や視覚障害者の約60日間に渡る猛抗議の末に和解案として作られた法律である。
1964年(昭和39年)には、あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師、柔道整復師等に関する法律が制定されるが、1970年(昭和45年)に柔道整復師法が単独法となったので、現在の名称となった。
◆●◆
第1条 あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の免許
医師以外の者であん摩、マッサージ、指圧、はり、きゅうを行う場合は免許を必要とする
第3条 相対的欠格事由
心身の障害、麻薬、大麻、あへん中毒、罰金以上の刑に処せられたもの、第一条に関する犯罪、不正を行ったもの
第3条の2 登録
あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の名簿の登録
第3条の3 免許証の交付
あん摩マッサージ指圧師国家試験、はり師国家試験、きゅう師国家試験に合格した者の申請であん摩マッサージ指圧師名簿、はり師名簿、きゅう師名簿に登録され、厚生労働大臣が免許を与えた時は免許証を交付する
第7条 施術所の広告の制限
第7条の2 守秘義務
第12条の3 医業類似行為の停止または禁止
医業類似行為 [編集]
医業類似行為(いぎょうるいじこうい)とは、「医師」「歯科医師」「あん摩マッサージ指圧師」「はり師」「きゅう師」「柔道整復師」以外が行う医業又は類似する診察・治療行為のことをいう。

他方、カイロプラクティック、整体等では、資格を有するとしても民間資格であって、これら無資格者による医業に類似した行為を医業類似行為と呼称。法的には、刑事罰の対象となる無資格診療にあたる。

以上 ウィキペディア その他からの抜粋 転載

 
◆シバラク
2011年02月01日
日本という国は何一つ取っても歴史でも名称も引っ掛かりが有り直ぐに差別にされてしまう。
変な国にいつの間にか成ってしまった。
田舎にいるとたで起きている事にトンと疎くなって知らない内に法令で決められたりしている。
これも総て反日の仕業である。
サンカデモ書いたけれども昔はそんなことなくて皆楽しく生活していた。
いろんな事を調べていると神代文字と言われる古史古伝も古墳などでも規制が入ったりいがみ合いしたりしている。

神社などで出しているお札などは神代文字で書かれていると言うことを知り 国学で否定されている文字が今生きている私たちの生活に密着している。
何の気無しに送っている日常生活からマダマダ日本は無くならない。

若い人がチャランポランナ生活を辞めて邪魔くさいけれども有意義な結城優の流れの中で培って来た日本人の生活の知恵を取り入れる生活をして欲しいモノ。
スィッチ一つで何でも出来る世の中は生活とは言えないのではないかな。
物事一つしたことでなにかを感じるそんな夢みたいな生活。
 
◆nelcco
2011年02月02日
昨晩、下の子が「よだれを飲み込み過ぎて上腹がくるしい」というので僕は自分の腹の上に寝かせて背中をさすってやりました。痛みが消えたのか、安心したのか、気持ちよさそうに寝息を立てて寝入りました。

たぶん痛みが消えたのではなく、安心したのだと思います。もしこれが日本の現状の痛みを示唆するなら、おなじ治療が必要である気がいたします。すなわち痛みを消そうとするのではなく、心を癒やすべきであると。

そもそも僕は全く政治的な人間ではありません。そればかりか厳しい社会でよく生きていけると疑われるほど、精神世界に生きて来た人間です。だから周囲からは「生っちょろい」と精神論のヤワさをよく他人に揶揄されるんですが、僕はそうは思いません。他人の精神を気遣うことには人間本来の強さがあると思うからです。

活動家ではありませんから国家の痛みをぬぐう薬はありません。薬は大事であることはわきまえています。ですが人を介抱する心が最終的な結果を左右することを知っています。

子の痛みを癒やすのに薬が必要なのは当然ですが、痛みが消えるのはその子の治癒力があるからです。国も、具体的な処方の重要性は疑いなくとも、その心を汲み取る集団がいなくては、国民の痛みは永遠に消えません。

活動家でなくてもできることは、他人の気持ちを察することの出来る人であれば誰でもできる活動に思います。身近な日常の同居人に手を差し伸べることは、したがってヤワなことでも何でもなく、国の未来を左右する立派な活動であると信じます。
 
◆シバラク
2011年02月02日
nelccoサン良い話しありがとう。
すごくうれしくなりました。
わざとにひらがなにしました。
日本はヤハリひらがなじゃないかな。
何でも包み込んで行く国。

友愛と言っている政治団体が有るけれども本当の意味を知らないのではないかな。
日本語は彼等の言う薄っぺらなモノではない。
奥が深くてはまり込んだら少し不安になるくらいの深さ。
底がないと言っても良いのまではないかな。

ここへ集まる人 そして私と関わった人は素晴らしい魂の持主。

みんな精一杯に生きているね。

反日と言われる人はかわいそうだね。
心の安まる時が無いのではないかな。
本人は感じていないだけ。

縄文て本当に素晴らしい思想で有り有りがたいモノ。

日本に生まれて良かったね。

子供さん大事にして上げて下さい。
こんな素晴らしいパパだもの。


皆さんありがとう


●日本民族って馬鹿なのそれともとてつもない利口なのかな

2014年08月27日 20時40分44秒 | 色んな情報

●日本民族って馬鹿なのそれともとてつもない利口なのかな
日本とは不思議な国で裏の世界と表の世界 古史古伝と記紀 歴史と生活
色んなモノが混じり合い縦糸と横糸を無し織りなされて来た文化である。
神代文字が判らないのに大好きで調べて見るとドンドンと深みにはまっていく。
日本人とは知らない内にそう言うモノと何処かで関わってきている。
反日の人でも朝鮮人でもシナ人でもその他の外人でも。
この国に住んでいる間はそれから抜けることは出来ない。
イヤなら この国から逃げ出さないといけない。
それでも一度は関わると二度と抜けることは出来ないと思う。
とんでもないという人は多いけれども色んな言語にに古史古伝などが関わっているから。
色んなサイトをしたに列挙してみた。
とても上げきれるモノではない。
自分で後は探して見て下さい。
馬鹿なと思ながらはまること確実です。
秋の夜長にどうぞ。
どうせ暇なら是非見ては。

.【謎?】日本最後の秘境といえば岩塔ヶ原だろ【サンカ?】 .
https://www.youtube.com/watch?v=plidCt4lJ04
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【資料】 サンカ(山窩)とは 転載
http://www.asyura.com/sora/bd3/msg/468.html
★阿修羅♪ Ψ空耳の丘Ψ3 ]

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投稿者 ○○○▽ 日時 1999 年 9 月 11 日 23:44:57:

サンカ(山窩)とは

 明治以降明らかにされた時点では、川筋伝いに村から村へと渡り歩き、主に蓑つくり、笊(ザル)つくりなど竹を主原料とする製品を作り、農家で穀物と交換する、といったことで生計を支える、関東以南から九州までをテリトリーとする漂白集団だった。定住しないため、テントをもって移住し、一夫婦と子供で一家族六~七人、五家族くらいの単位で共同歩調をとった。
サンカの語源はいろいろあるが、サンケチ(三つの職掌区分)からきたとする説もある。サンカ自身は自分たちをセブリ、(テントの意味、一セブリ=同居する家族)セブリモノなどと呼ぶといわれる。
 ミツクリの一(カミ)(蓑つくりの総領)
 フキタカの一(笛つくりの総領)
 エラギの一(遊芸の総領)

 サンカは徹底的な秘密集団組織として生きてきた。外部の者にはけっして自分たちのことを話さず、特殊な隠語を用いて話し、他の仲間への連絡には、特別の符合で書かれたアブリ出しを地面に埋めるなどして行う。その結束は固く、独自の行政・裁判法をもち、一般の倭人とは異なる習慣、信仰、伝承を維持し、しっかりとした相互扶助システムをもって全体の生活を安定させている。そして古くから戸籍を持たず、昭和期に至ってもなお届出を行わない者たちが多かった。
 いわば、国家の中にあって国家権力の枠の外にある、完璧に自立した漂白共同自活集団とでもいうべき存在なのだ。かつてそのように生きる人たちがたくさんいた。その多くは遊芸者であり、神の女として春の恵みを売る巫女たちであり、木工製造・鍛冶・狩猟・沿岸漁業・川漁などにたずさわる人たちであり、呪術的宗教者であり、渡り商人たちであった。
 巨大組織サンカの強固な組織連帯性の中核にあるのが純潔の保持である。サンカは決してサンカ以外の者たちと混血する事はなかった。
 サンカには有名な伝承の蝮部伝承がある。蝮(タジヒ)とはマムシの事であり、このマムシを捕って生活の害を除き、精力剤を作る職業が蝮部という古代の職業であり、かつてのサンカの主要な職掌の一つだった。古伝承によるとサンカの祖は火明で、隼人(ハヤト)の一派がサンカの系統につながっている、となる。
 五木寛之の小説「戒厳令の夜」「風の王国」は、明治維新以後現在に至るおよそ一二○年間に、公的権力に組み入れられることによって、まるで風のように姿を消してしまった漂白の人々が、どこへ行ったわけでもなく、実は私たちの身近な日常性の中にとけこんで実在しているという想像から展開されている、といってよいだろう。
 延々と独自のコンミューンを保ち生き続けてきたサンカが、現在どのような形でこの高度資本主義社会にトケこんでいるのか。
 一説によると現在一般の”非占領社会”にまぎれこんでいる彼らの数は、人口の一五パーセント以上、およそ二○○○万人以上に達するとみられている(1986年)
 昭和三年、官憲のサンカ対策が目立ってきたため、東京のクズシリ(頭)隅田川一を長として東京一円を中心にシノガラ(忍びのヤカラ)と名付けられるサンカ秘密結社が結成されたという。シノガラは外面的には社会での職業生活を送りながらも、サンカ一族の堅固な結束を維持する重要な役割を負って生み出されたものだ。
 このシノガラが中心となり、表の顔として財団法人全国蓑製作者組合が昭和二四年に組織され、まるで欧米のフリーメーソンのような形態をサンカ一族はとるようになっていった。時代のすう勢からこれまでサンカ一族が出しあってつくられた相互扶助のための基金を、全額アングラ・マネーとして積んでおくわけにはいかなくなったからでもあったからか。そのため一部を組合基金として浮上させたのである。
 この共同基金の金額は、昭和三六年の時点で実に二億四九万一○一一円となっている。当時の大学初任給は二万円にも満たなかったから現在でいえば一五億円くらいに相当するが実際の額の一○分の一という見方もある。この基金はシノガラの手によって年一割二分の利回りで運用されているという。現在では基金の年々の増加と運用上の増加を考えれば、莫大な金額になっていることが予想される。また昭和五七年の時点で各自が最低一○○○円以上を収入に応じてシノガラに収めており、総額は五兆円を越すものとされている。サンカ一族はこの資金をフルに活用し、シノガラが日本の根幹として根を張りめぐらし日本の中枢を握ることを目的としている。(すでに達成されたものと考えられる)少なくとも昭和三六年の時点でシノガラの三分の一は官公史、次いで学会人、財界人が多数を成した。ある銀行の幹部がシノガラに独占され、組合から「逆差別」だといわれたエピソードなど体制化・権力化への道をたどっていると指摘されている。
(資料とさせて頂いた1986年出版の本は現在、絶版となり入手不可能。)

-ビラの内容はここまで-
*テキスト化するにあたって、一部表記を変更した個所があります。

▽ ▽ ▽

コメント:
私がもらった事のある、あらゆるカルト宗教や政治団体のビラ等とも様相が異なっていたので掲載しました。
このビラの配布者およびその意図はまったく不明です。
その方面のネタには私は詳しくはないのですが、
わが国の国家主権を好き勝手に蹂躙する悪魔ロッジ系メーソンの汚い魔の手に対し、
彼らが真っ向から主張しつつある歴史的転換点に、今到達しているのだろうか。
山窩は毒蛇の天敵のようですね。
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投稿者 たいやき 日時 1999 年 10 月 13 日 00:24:41:

回答先: おいしそうな本がたくさん並んでいますね。 投稿者 たけしくん 日時 1999 年 9 月 12 日 12:35:04:

> この出版社はおいしそうな本がたくさん並んでいますね。

五木寛之の「風の王国」新潮社 もサンカを上手に物語り
にしてます。肩がこらなくてわかりやすいですよ

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一般的には平仮名、片仮名ともに漢字から作成したということですが、
片仮名はとても漢字に(充てられた)に似ていますが、平仮名はどうも
似ていないような...

 


下のサイトでいくつかの文字はフォントとして使えるモノがダウンロード出来る。


神代文字5個
http://www.vector.co.jp/vpack/browse/person/an046460.html


神代文字の事(阿比留文字、「日文」(ひふみ)中心)
http://kstn.fc2web.com/kamiyomozi.html


古代文字
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/08/000285.html

日本史における不思議な出来事、奇談。 うつろ舟
http://www34.atwiki.jp/kidan/pages/16.html
天津教古文書の批判
http://www.aozora.gr.jp/cards/000866/files/3039_23980.html
「神代文字」の歌碑♪
http://plaza.rakuten.co.jp/sueyasumasa/diary/200904230002/
神代文字は「かみよもじ」と読みます
http://ameblo.jp/kamiyo567345/theme-10004765903.html
山と書いて三とも耶麻台とも云う
http://kouhoka.exblog.jp/m2008-10-01/
謎の神代文字
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0294.html
5.神代文字について
http://www.ican.zaq.ne.jp/euael900/episode05.html
神代文字 by ARATI-WORLD(アルティーワールド)
http://www.arati-world.com/kamiyo-moji.htm
古事記の神々の言霊ー2
http://blog.goo.ne.jp/auwa108/m/200603
神代文字2
http://enacap.seesaa.net/article/29982857.html
神代文字で書かれた、全国のお宮・神社の御札です。
http://homepage3.nifty.com/utukusinomori/newpage12-2.html
「弘観道」650万年 カタカムナ 宇宙法則 内在神 皆の衆(笑)
http://plaza.rakuten.co.jp/kagoshimalife/diary/200901250000/
薬師寺の歴史
http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/history/jinzya/index1.html
日本 縄文時代の真の姿とは? ムー・レムリア・ペトログラフ (^^ゞ (3)
http://plaza.rakuten.co.jp/kagoshimalife/diary/201305060000/
これって神代文字?〈ホツマ文字の石板発見〉
http://blogs.yahoo.co.jp/doctor3044/23453920.html
十種の神宝・ヒフミ祝詞・3種の神器・トホカミエミタメ祝詞などの秘義を語る神代文字の神典
http://nihonrekishiken.com/moji.htm
韓国語(ハングル)の起源は日本だ
http://blogs.yahoo.co.jp/i1hito/27889210.html
石戸の神代文字石/阿賀町
http://blogs.yahoo.co.jp/rekisi1961/45715080.html
“沈んだ島”の虚像と実像
http://homepage3.nifty.com/boumurou/island/10/uryujima1.html
日本古代文字〜漢字以前の世界
http://ameblo.jp/soragoto/entry-10206664882.html
ホツマツタエ
http://www.hotsuma.gr.jp/index.html
壱岐の笹塚古墳
http://www.ikishi.sakura.ne.jp/ikisasazukakofun.html
古代文字・神代文字の真実
http://homepage3.nifty.com/utukusinomori/newpage3-1.html
「昨日はいろは呼吸書法で神代文字を書いたり和歌を降ろしたりしました。」  勉強したこと
http://angel.ap.teacup.com/yukoji/410.html
与那国文字
http://nishigo.ti-da.net/e2362881.html
豊科「神代文字碑」説明文
http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%A5%9E%E4%BB%A3%E6%96%87%E5%AD%97&rkf=2&ei=UTF-8&pstart=1&b=61
これって神代文字?〈ホツマ文字の石板発見〉
http://blogs.yahoo.co.jp/doctor3044/23453920.html
超巨大ドルメンの謎
http://blogs.yahoo.co.jp/doctor3044/23428074.html
日本古代文字〜漢字以前の世界
http://ameblo.jp/soragoto/entry-10206664882.html


日本人の心の故郷(ふるさと)神社「神道」に触れてみませんか (*^_^*)v
http://isuzujinja.blog103.fc2.com/blog-entry-53.html
超古代文明について
http://www.t-xxx.com/msg122n2/msgbrd.cgi
神代文字存在説とその歴史
http://hakujya.blog.ocn.ne.jp/hakujya2/cat11398640/index.html
アイヌ文字 、アイノ文字、北海道異体文字
http://blog.goo.ne.jp/flatheat/e/fe96a6ccd7dee9e8b57541fd785885f1
記紀によって偽書に追いやられた日本の超古代文書たち
http://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=626
4.竹内文書について
http://www.ican.zaq.ne.jp/rekishi/episode04.html
南朝と竹内文書
http://f35.aaa.livedoor.jp/~shinri/nantake.html
竹内文献とは?
http://ikuno.lolipop.jp/piramido/hon/no01/part1/01-03takeuchi.htm
九鬼文献と高御位山と大本と「ウシトラの金神」
http://msouken.blogspot.com/2007/12/blog-post_18.html
 
東三河と徐福伝説
http://homepage2.nifty.com/kodaishinto/page006.html
■ウエツフミには由緒正しい『底本』が存在した!
http://search.yahoo.co.jp/search?fr=sb-kingbrw1&ei=UTF-8&p=%E4%B8%8A%E8%A8%98%28%E3%82%A6%E3%82%A8%E3%83%84%E3%83%95%E3%83%9F%29
サンカ (民俗学)「山窩」「山家」「三家」「散家」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%AA%A9
サンカ(山窩)を考える
http://www.kumanolife.com/History/kenshi1.html
魂よ蘇れ サンカ(山窩)への想い
http://www.kumanolife.com/History/kenshi.html


『脳天氣なプチナショ』より【朝日新聞を追い詰めるには】

2014年08月27日 20時05分46秒 | 色んな情報

『脳天氣なプチナショ』より【朝日新聞を追い詰めるには】
朝日新聞を追い詰める一番効果的な戦術は、朝日新聞の新聞広告主にクレームを寄せることである。
在特会などの諸活動で、一番、効果が有ったのは、ロート製薬や花王への不買運動、クレーム活動だった。
当該企業の担当者は、相当、こたえたらしい。
かの安田浩一も著作「ネットと愛国」で書いている。
朝日新聞の広告主には、朝日新聞の論調に賛同して広告を寄せている企業も有る。
岩波書店などがそうだ。
こういうところに抗議しても、あまり効果は無い。
効果が望めそうなのは、読者が直接、購入してくれる”商品”を広告している企業だ。
健康食品やツアー旅行会社、保険会社が狙い目である。
クレーム活動というと電凸(電話突撃)が有名だが、これは初心者向けではない。...
FAXが効果的だが、FAX番号を開示していない企業も多い。
ならば、すぐれてアナログ的だがハガキが有効かもしれない。
改めて、新聞紙上の広告を確認して驚いたことは、いわゆる健康食品の占める割合が大きいことである。
しかも、一面ぶち抜きの広告である。
自分は広告業界に疎いので、現在、新聞広告の一面ぶち抜きがどれくらいの費用がかかるのか知らない。
しかし、相当な高額だろう。
我々は、健康食品を購入する際に、よくよく考えるべきである。
この健康食品の価格のどれくらいの割合を広告料が占めているのかを。
健康食品の原材料費、加工費、研究開発費、人件費、輸送費、包装費、物流費、そして広告宣伝費。
一個¥1000の健康食品のうち、経費を比較的圧縮可能なのは、広告宣伝費だろう。
不景気になって、真っ先に削減されるのは、広告宣伝費なのだから。
しかしながら、それでも、高額な広告宣伝費を投入することに踏み切っているのは、製品の売り上げと広告宣伝費が明確に比例するからであろう。
広告宣伝費をかけた分だけ、製品の売り上げに直結するのであろう。
また、健康食品の広告が多いという一点から見ても、新聞の”お得意様”が高齢者であることが云える。
20代、30代の関心事は、ダイエットである。
だから、成人病に関心が出てくる40代以上の高齢者が、現在、新聞の”お得意様”と云える。
さて、今後、我々が為すべきことは、いかに朝日新聞を追い詰めるかという一点に尽きる。
この千載一遇の好機を絶対に無駄にしてはいけない。
それには、「一点集中、集中突破」である。
焦点を朝日新聞、一つに絞らなくてはいけない。
確かに、新聞でも、毎日、東京(中日)、日経は左傾化著しい。
TVに目を向ければ、NHKもTBSもテレ朝も、腹立たしい限りである。
だが、ここ1、2か月は、対朝日新聞に攻撃を集中すべきであると愚考する。
しかも、朝日新聞を攻撃する手口は、「反日だから」とか「売国だから」という論点を控える。
とにかく、「嘘の情報を報道した。裏付けの調査をしなかった。32年間も嘘と解りながらも訂正をしなかった。」
ということに論点を絞る。
そして、「これは報道機関として、断じて許し難い。」と指弾するのだ。
「反日だから」「売国だから」と云うと、左翼側からは、「極右が報道の自由を攻撃している。」とレッテルを貼って来る。
だが、焦点を朝日新聞に絞り、報道機関としてあまりに拙劣であったという一点で攻撃すれば、左翼側は反撃が困難になる。
朝日新聞を追い詰めるには、先述したように、朝日新聞の新聞広告主を狙い撃ちにすべきである。
「嘘、捏造の記事を掲載して訂正しない朝日新聞に広告を載せると、貴社の貴商品の信頼性が疑わしくなりますよ。自分は、朝日新聞に広告を載せる限り貴社の商品を絶対に買いません。友人知人にも不買するように説得します。」と訴えるのである。
電凸は、心理的に抵抗感が有る人は、FAXかハガキで意志を表明しよう!
次に、朝日新聞の報道がいかに嘘なのかをビラにして、ポスティングするしかないだろう。
ビラは、既に、そういった制作サイトが有るようなので、そちらを当たって欲しい。
デモや街宣は、自分はあまり、効果が無いと思う。
デモや街宣は、やり方によっては、「怖い人」「変わった人」というイメージを与えてしまい、逆効果に成る場合も有り得るからである。
あとは、ネットでの攻撃である。
ちなみに、「脱原発や護憲について、今、一生懸命に記事を載せているのは、朝日新聞じゃなくて東京新聞なんだよ!」という事実を拡散すべきである。
左翼は、厳然として存在する。
決して減ることはない。
ただ、今は、対朝日新聞に特化すべきなので、現在朝日新聞を購読している層を、朝日新聞から引き剥がすことが肝心である。
例え、毎日新聞や東京新聞の購読者が増えても、朝日新聞の購読者が減れば、それで良い。
とにかく、朝日新聞をとことんまで追い詰めることが肝要なのだ。
朝日新聞の新聞広告主への抗議は、「朝日新聞紙上に広告を掲載することによって、ブランドイメージが損なわれる、商品への忌避感につながる」ということを、当該企業に訴えれば良いのである。
「絶対に買わない!」という文言でもなくとも、「何故、朝日新聞に広告を載せないといけないのですか?」と云った文言でも良いように、自分は思う。
広告主の数は多数にのぼるため、全社を行う必要は無い。
この中の1社でも、抗議活動によって、朝日新聞への広告出稿を取りやめることが出来得れば、成功だと思う。
抗議をする際には、FAXが一番有効らしい。某政治家のスタッフが云っていた。
メールなら、例え一万通殺到しても、クリック一つであっという間に削除出来る。
だが、FAXならば、確実に印刷されてかたちになる。
もし、印刷を停止してメモリーにしても、メモリーがパンクしてしまう。
物理的にFAXが壊れるという事態まで発展する。
これは痛打らしい。
しかも、FAXで100通来たら、結構、こたえる。
特に抗議FAXに不慣れなところなら、尚更である。
また、0120ナンバーのFAXならば、通信費まで負担することになるので、抗議された方はとても辛いと思う。
注)一部企業で、FAXを外すところが出てきました。
ソニー損保と阪急交通社は、8月25日の広告にはFAX番号が記載されていましたが、26日には有りません。
ご注意を。
(平成26年8月25日月曜日)の朝日新聞朝刊の新聞広告主の中で比較的大きいものは以下の通り。
株式会社KADOKAWA(角川書店)
再春館製薬所(0120-444-444)(FAX0120-444-104)
はせがわ(霊園)(0120-11-7676)
株式会社富山常備薬グループ(お肌の医薬品)(0120-272-093)(FAX0120-844-093)
日本予防医薬(イミダペプチド・健康ドリンク)(0120-160-793)(FAX0120-189-565)
茶の葉通信(お茶葉)(0120-118-864)(FAX0120-548-020)
マルシマ(生姜杜仲茶)(0120-931-877)(FAX0120-60-2363)
自動車保険チューリッヒ(0120-860-362)(FAX0120-676-759)
三井住友信託銀行(0120-181-536)
カルピス(乳酸菌錠剤ビオマイン)(0120-591-775)(FAX0120-591-037)
ソニー損保(0120-37-9195)(FAX0120-706-109)
オリックス生命保険(0120-679-250)(FAX0120-377-211)
阪急交通社(旅行・トラピックス)(FAX03-6745-1899)
アサヒ軽金属工業株式会社(フライパン製造会社)(0120-70-2220)(FAX0120-80-2203)
株式会社クリスタルジェミー(美肌ファンデーション)(0120-44-6600)(FAX03-3403-4474)
大正製薬(大麦若葉青汁)(0120-51-8428)(FAX0120-28-3748)
山田養蜂場(蜂の子ソフトカプセル)(0120-38-38-38)(FAX0120-38-8318)
(平成26年8月25日)の朝日新聞夕刊の主な広告主
(別刷り)阪急交通社(旅行会社・トラピックス)(FAX03-6745-1399)
サンスター株式会社(健康食品「野菜の力」)(0120-000-203)(FAX0120-280-893)
株式会社ピュール(白髪染めシャンプー)(0120-8000-70)(FAX0800-500-6000)
ホテル日航東京(川越達也・河合隆良シェフのディナーショー)(03-5500-5635)
郵船トラベル(船旅クルーズセンター)(03-5213-9987)(045-640-6560)(
cctweb@ytk.co.jp)(ccy@ytk.co.jp)
(平成26年8月26日)朝刊の主な広告主
株式会社医食同源ドットコム(潤貴妃、プラセンタとツバメの巣配合の健康食品)(0120-149-003)(FAX0120-149-151)
フィデリティ証券株式会社(投資信託)(0120-140-460)
ティーライフ株式会社(白髪染め)(0120-81-1968)(FAX0120-59-0964)
大塚製薬(ポカリスエット)(0120-550708)
ソニー損保(0120-919-919)
サントリー(オメガメイド、健康食品)(0120-372-390)(FAX0120-456-303)
マイケア(イタドリ、健康食品ひざ関節)(0120-188-188)(FAX0800-100-1188)
SMBCフレンド証券(外国債券)(0120-917-035)(0120-61-2010)
通販のユーコー(布団専用ダニ掃除機)(0570-666-552)(FAX03-3945-5017)
株式会社ユーグレナ(緑汁、健康食品)(0120-14-4907)(FAX0120-77-4907)
ゲンダイダイレクト(炊飯なべ)(0120-884-622)(FAX03-3461-5016)
HIS(旅行会社)(050-5833-2826)
株式会社バスクリン(薬用育毛剤「髪姫」)(0120-555-321)(FAX0120-99-4128)
アフラック保険(医療保険)(0120-889-440)
株式会社全国通販(0120-977-176)(FAX0120-172-807)
陶陶酒本舗(薬用酒)(0120-039-064)(FAX03-5229-2046)
株式会社ヴェントゥーノ(健康食品「快朝酵素」)(0120-60-4000)(FAX0120-888-650)
平成26年8月26日夕刊の主な広告主
(別刷り)日本水産株式会社・海の元気倶楽部(DHAドリンク「みんなのみかた」、ニッスイ「イマークS」)(0120-231-100)(FAX03-6741-6060)
サントリー(健康食品、セサミン)(0120-372-390)(FAX0120-456-303)
森下仁丹株式会社(腸まで届く「ビフィーナS」)(0120-181-209)(FAX0120-132-249)
協和発酵バイオ(健康食品オルチニン)(0120-04-8585)(FAX0120-80-227)
阪急交通社(03-6745-1877)
株式会社ダリヤ(白髪染め)(0120-57-2152)
平成26年8月27日水曜日朝刊の主な広告主
ビクトリノックス東武池袋店(スイス製登山用品ブランド)(03-6907-3990)
伸和ピアノ株式会社(ピアノ買います)(0120-050-151)
三菱マテリアル(純金積み立て)(0120-49-3214)
田中貴金属工業(純金積み立て)(0120-67-5432)
えがお(健康食品、黒酢にんにく)(0120-027-027)(FAX0120-77-7733)
株式会社ダリア(白髪染め)(0120-57-2152)
興和(排尿困難、夜間尿、頻尿改善薬、「レディーガードコーワ」「ジェントスル―コーワ細粒」)(03-3279-7755)
再春館製薬所(ドモホルンリンクル)(0120-444-444)(FAX0120-444-104)
生和コーポレーション株式会社(賃貸住宅経営)(0120-800-312)
森下仁丹株式会社(ビフィズス菌「ビフィーナS」)(0120-181-209)(FAX0120-132-249)
株式会社てるみくらぶ(海外旅行会社)(050-3777-4859)
ユーキャン(愛蔵版DVD全集「神秘の大宇宙」)(0120-55-0000)
ウェルベスト(健康食品「新谷酵素」)(0120-989-888)(FAX0120-122-556)
ヤーマン株式会社(美肌薬用ファンデーション)(0120-084-008)(FAX0120-740-882)
エーザイ株式会社((健康食品、「ユベラ贅沢ポリフェノール」)(0120-024-831)(FAX0120-831-195)
株式会社クイーポ(鞄ブランド、ゲンテン)(03-3268-9199)
株式会社セレコーポレーション(アパート経営)(0120-057-057)(FAX03-3562-3031)
ECCジュニア(英会話ホームティーチャー申込み)(0120-415-144)
※後は、朝日新聞の配達所の折り込みチラシ攻撃としては、スーパーの投書箱に、「朝日新聞への折り込みチラシはやめてください」と書いてみるのはどうだろうか?
※実は、朝日新聞は絶対に潰れない会社である。
何故なら、今迄に新聞や雑誌でしこたま稼いだ大金で、たんまり資産を蓄えているからである。
具体的には、不動産である。
日本全国に広大な土地や建物を幾つも所有している。
だから、いざとなれば、そういう不動産を処分していけば、何年でも食いつないでいくことが出来る。
しかしながら、その不動産部門を痛打されると、致命的になる。
現に、先日の「フラッシュ」合併号に於いて、「朝日新聞が、この時期に、釈明特集記事を掲載したのは、大阪の新ビル開発に支障をきたさないためである。」と書かれていた。
こちらのブログで、既に、朝日新聞の不動産部門への攻略を書かれた御仁が居られるので、ご紹介する。
http://migigimi.blog.fc2.com/blog-entry-538.html
なお、自分の私見としては、不動産部門への攻撃は、対テナントでないと効果が無いと考える。
対テナントの作戦となれば、ビルの周辺で抗議集会を開くといった大掛かりなものになるかもしれない。
また、朝日新聞のビルのテナントにどんな企業が入居しているか、調査し、その上でないと駄目だろう。
但し、極めて効果的な作戦だと、自分は思う。
(ポスティング用です)朝日新聞の捏造報道チラシ
http://mikoup.ebb.jp/src/file934.pdf


●道徳

2014年08月27日 19時48分29秒 | 色んな情報

●道徳
◆どう とく【道徳】
① ある社会で,人々がそれによって善悪・正邪を判断し,正しく行為するための規範の総体。法律と違い外的強制力としてではなく,個々人の内面的原理として働くものをいい,また宗教と異なって超越者との関係ではなく人間相互の関係を規定するもの。
② 小・中学校において,道徳教育を行う教育課程。1958年(昭和33)に設置。
③ 〔もっぱら道と徳とを説くことから〕 老子の学。
「道徳」に似た言葉» 類語の一覧を見るモラリティー  徳行  道徳性  倫理  人倫
 
◆どうとく 【道徳】  世界宗教用語大事典
人の行うべき倫常の道。倫理と同じ。老子は根源的原理(道)と万物育成の造化作用(徳)とを説いたので、『老子』を『道徳経』ともいう。仏教でも道徳の語を借用して正法を道とし、それを保持するのを徳とする(悟りの本質)。中世末期のヨーロッパに栄えた教訓的宗教劇を道徳劇ともいう。作者は聖職者が多い。アメリカのルター派牧師ブックマン(一八七八~一九六一)は道徳再武装運動(Moral Re Armament=略称MRA)を起こし、道徳的回心を説いた。
 
◆道徳  地名辞典
読み方:ドウトク
所在 高知県高岡郡四万十町
 
◆道徳  駅名辞典
読み方:ドウトク
所在 愛知県(名古屋鉄道常滑線)
 
◆姓 読み方
道徳 どうとく
 
◆道徳(どうとく、英: morality)http://urx.nu/bnrx
道徳的規範や道徳性などのこと。倫理はいくつかの意味をもち、道徳を表すことが多い。モラルとも称される。
 
◆『●どうとく【道徳】』⇒ http://urx.nu/bnrU
 
◆騙す 取る 殺す     http://urx.nu/bnrT