縄文人の反乱 日本を大事に

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【世界を感動の渦に巻き込んだ教育勅語】

2013年11月30日 23時26分10秒 | 色んな情報

【世界を感動の渦に巻き込んだ教育勅語】
      大日本皇國
現代の第二の聖書として、
聖書の次に読まれている教育勅語
「The Book of Virtues」(道徳読本)

道徳教育としては、明治天皇が発表した『教育ニ関スル勅語』(通称・教育勅語)と「修身」の教科書があります。

明治36年に文部省より国定修身教科書という、修身の教科書が発行され、この教科書に基づいて「修身教育」が行われました。

修身教育は、明治、大正、昭和と3つの世代を通じて長い間日本人の精神形成の中心的な役割を担ってきました。

そして、修身は、昭和20年の敗戦にともない、同年12月31日の占領軍指令「修身、日本歴史及び地理停止に関する件」で授業の停止と教科書回収が決定され、日本の教育の現場から姿を消してしまいました。


「海外における修身の復活 W・ベネット氏」

日本では、既に過去のものとして社会から消え去ってしまった日本の修身が、アメリカでレーガン大統領の時代に米国の若者への道徳教育の為の新たな指針と言うことで、日本の修身が再認識され、米国の教育の道徳教育で使われるようになったのです。

米国の道徳教育改革を担っていた米国の文部長官を務めたW・ベネット氏は、レーガン政権の道徳教育の担当者としての知識を「The Book of Virtues」(道徳読本)という本にして出版しました。

また、イギリスのサッチャー首相(当時)も日本の『教育勅語』を用いて、乱れていたイギリスの教育を立て直した。されにドイツでも『教育勅語』は絶賛されています。

このベネット氏の本のオリジナルとなったのが、日本の教育勅語・修身の研究で有名な小池松次先生が、昭和40年代に出版された 『修身・日本と世界』でした。

この「The Book of Virtues」は、現代の第二の聖書と呼ばれるくらいにベストセラーになり、アメリカだけでなくドイツやイギリスにも広がりました。

日本の修身が、現代になって再び認められるようになったということは、日本の失われた道徳教育は正しいものであったということが証明されたので、非常に喜ばしいことです。

「教育勅語と修身 道徳教育」

「人間も動物だから、教えられてはじめて人間らしくなる」
その人間らしさを教育するのが道徳です。

日本の道徳教育の柱は先祖崇拝でありました。

「悪いことをしたら、ご先祖様に顔向けができない」という道徳感が戦前の日本人にはあった。

「先祖や年配の方には敬意を払わなければならない」という日本古来のあたりまえの教えが道徳なのです。

具体的な道徳教育の形としては、明治天皇が発表した『教育ニ関スル勅語』(通称・教育勅語)と「修身」の教科書があります。

この『教育勅語』と「修身」の教科書は、戦後の日本では廃止され、軍国主義の象徴として批判されていますが、そんなことはまったくありません。

日本では明治維新以降、一時西洋かぶれの時代が訪れ、日本の伝統文化が軽視される風潮がありました。

日本古来の論理道徳や武道精神などは、封建的で無価値なものだという偏見が横行したのであります。

このとき、全国知事会、文部大臣、総理大臣、明治天皇側近の大学者などが、知恵を出し合って完成させたのが『教育勅語』です。

教育勅語によって、日本の教育界が正常化しただけではありません。

教育研究者である小池松次先生によれば「世界の学者、為政者から絶賛され、欧米各国の国民教育の模範となった。それは100年たった現在でも続いており、知らないのは日本人だけである」と述べられています。

教育勅語が全世界に知れ渡ることになったのは、1908年9月にロンドンで開催された第一回世界道徳教育会議だと言われています。

そして、今日「日本を除き」主要先進国の教育の現場で生かされています。


●誼彌慈胤

2013年11月30日 22時46分47秒 | 色んな情報

●誼彌慈胤
★ぎ【×誼】
よしみ。したしみ。「―を通じる」
★ぎ【×誼】
[人名用漢字] [音]ギ(呉)(漢) [訓]よしみ
1 親しい関係。「旧誼・交誼・厚誼・情誼・友誼」
2 (「義」と通用)言葉の意味。「古誼」
◆「諠譁(けんか)」の「諠(けん)」は別字。
[名のり]こと・よし
★よし‐み【▽好み/×誼み】
1 親しいつきあい。また、その親しみ。交誼(こうぎ)。「―を結ぶ」
2 何らかの縁によるつながり。縁故。「昔の―で金を借す」
★よしみ【誼み】※語句のリンク先は大辞林(国語辞書)になります。
類語: 親しみ 交わり 好意 懇意 友好 親善 親睦(しんぼく) 友誼(ゆうぎ) 交誼 情誼 旧誼 旧情
⇒  コネ
★よしみ【×誼】
1 〔親しい付き合い〕
  おかしなきっかけで彼とよしみを結ぶようになった
2 〔縁故〕
  長年のよしみで嫌とは言えなかった
  彼とは同郷のよしみで親しくなった
  友達のよしみで金を貸した


★いつく・し【▽厳し/▽美し/▽慈し】
[形シク]《「稜威(いつ)奇(く)し」の意という》
1 神や天皇または貴人の威力が強く激しいさま。いかめしくおごそかである。
  「そらみつ大和の国は皇神(すめがみ)の―・しき国」〈万・八九四〉
2 容姿に気品があるさま。端正であるさま。
  「―・しき男子をまうけけり」〈伽・一寸法師〉
3 《室町時代ごろから「うつくし」と混同して用いられて》美しい。きれい。
  「卯の花の…垣根に咲き乱れたるは、―・しうおもしろければ」〈仮・露殿・下〉
★いつくしみ【慈しみ】
いつくしむこと。恵み。慈愛。「母の深い―」
★いつくし・む【慈しむ/▽愛しむ】
[動マ五(四)]目下の者や弱い者に愛情を注ぐ。かわいがって大事にする。「わが子を―・む」
◆平安時代の「うつくしむ」が、「いつ(斎)く」への連想などの結果、語形が変化し、中世末ごろ生じた語。
[可能] いつくしめる


★いん【×胤】
[人名用漢字] [音]イン(呉)(漢) [訓]たね
血筋。血筋をつぐ者。「胤裔(いんえい)/後胤・落胤」
[名のり]かず・つぎ・つぐ・つづき・み
★いん‐えい【×胤×裔】
血筋を引く者。子孫。後胤(こういん)。
★たね【胤】※語句のリンク先は大辞林(国語辞書)になります。
類語: 胤を付ける
⇒  ちすじ【血筋】


『▼神道(しんとう、かんながらのみち)とは     2010年12月24日』 http://p.tl/rdWB


『月見櫓』

2013年11月30日 21時09分30秒 | 色んな情報

『月見櫓』
  「韓国が如何にして成立したかを、韓国人は知らない」
     京免 史朗          2013/11/30(土) 19:00:00
韓国ウォッチャーの間では既に常識レベルの話ですが、韓国は自力で独立を勝ち取ったことがありません。韓国の反日は、そのためだとも言われます。日本に統治された韓国が、その屈辱を跳ね返すために正々堂々日本に宣戦して勝利し、自力で独立を獲得していれば、今日の韓国の反日はなかっただろうという説です。この説は、比較的韓国に好意的な知韓派が唱えることが多いように思います。

ただし、この説には多くの矛盾と言うか、無理が含まれています。まずそもそも、当時の韓国人(厳密には朝鮮人)に、日本と武力対決する意志はなかったということがあげられます。

もちろん「全ての韓国人がそうではありません」w いつの時代もどこの国にも、反体制派や天邪鬼は存在します。ですが、「一部を見て全体を判断しないでください」w 

日韓併合当時の朝鮮人が、総じて日本の統治を受け入れ、しかも概ね満足していたことは、歴史の事実として残っているのです。

「日本に統治された韓国人が、その屈辱を跳ね返すため、日本に正々堂々宣戦し、しかも勝つ」という物語が成立するためには、韓国人(当時は朝鮮人)が日本に統治された屈辱を跳ね返したいと思っていなければなりません。

当時の朝鮮人が、日本に統治されたことを屈辱と感じていなかったかどうかについては、いささか微妙な話になります。何故なら、以前も述べた通り、韓国人は上位者に支配されることを望みつつ、同時に上位者に支配されることを恨むからです。

ですから、日本の統治を当時の朝鮮人が屈辱と感じていた可能性がゼロだったとは、さすがに私も言い切れません。しかしだからと言ってその屈辱を雪ぐために自ら立ち上がり、日本と戦おうなどということは、ほとんどの朝鮮人が、妄想としてならともかく、現実としては考えませんでした。

一部の不逞の輩や反体制派、テロリストが反日活動(韓国人が言うところの抗日活動)をしていたことは事実のようですが、そういう連中はどんな国、どんな社会にも一定数存在します。そもそも現在の韓国人が言うところの「日帝強占期における抗日活動」とは、当時の朝鮮情勢を鑑みれば、「抗日」を看板にしただけの、単なる反社会行動であったと言うことも十分に出来ます。

終戦後、韓国人はそういう一部の不逞の輩や反体制派、テロリストを抗日家と称え、それが朝鮮の正義であったかのごとくに主張し、またそのように教育しています。その主張や教育におもねったのが、前述した「日本に統治された韓国が、その屈辱を跳ね返すために正々堂々日本に宣戦して勝つ」という説です。

しかもこの説では、「韓国が勝つこと」までが条件になっております。

勝負は時の運もありますから、日本と韓国がもし戦えば、必ず日本が勝つとまでは言いません。また日本には徴兵制がありませんが、韓国には徴兵制があり、韓国人の成人男子は概ね軍隊経験があるので、兵力としては韓国人の方が強いだろうという御託はしばしば耳にします。更に体格的にも日本人より朝鮮人の方が大きいと言われており、故に日本兵よりも韓国兵の方が強い(はずだ)という主張もよく聞きます。

しかし歴史を振り返れば、日本人は案外戦闘能力の高い民族です。また軍隊というのはチームワークが重要だと聞きます。個人の能力がどれほど高くても、チームワークが出来なければ、軍隊としての戦闘能力は下がるでしょう。

日本人と韓国人の、帰属する集団に対する忠誠心の高さを比べれば、圧倒的に日本人の方が高くなります。と言うか、韓国人の「帰属する集団」に対する忠誠心の低さが酷すぎると言うべきかもしれません。

そういう両国の民族性を鑑みれば、私個人としては、日本と韓国が戦争になった場合、必ず間違いなく韓国が勝つとは全く思えません。非現実的にならない程度に韓国に有利に考えたとしても、日本と韓国が戦えば、どちらが勝つかはやってみなければわからないというのが、誠実な(私的にはかなり韓国に偏った)考察でしょう。

その考察をすっ飛ばして、いきなり韓国が勝つことを前提とした反日解消策など、荒唐無稽にもほどがあるというものです。

更に言えば、仮に日韓戦争で韓国が勝ったとしても、その後はどうするのでしょうか。

韓国は、単に自力で戦って独立を勝ち取れなかっただけではありません。独立後の韓国の国家運営には、関係諸国の支援と尽力が極めて大きかったという事実があります。それは韓国が、自力で戦争も出来ないほどの弱小国でありながら、地政学的に微妙な位置にあるために、関係諸国が庇護せざるを得ないという事情があったためです。

日本と韓国が戦って韓国が勝った場合の仮想歴史を考えた場合、当然ですが日本が韓国を支援するという歴史はなくなるでしょう。つまり日韓戦争で韓国が勝った場合、戦後の韓国は日本の支援無しで国家運営を行なわなければなりません。

韓国が戦勝国として、日本から莫大な賠償金を獲得したとしても、それを元手に韓国が独力で経済発展することが出来るとは全く思えません。何故なら現実の歴史においても、日本から莫大な経済協力金を韓国は得ているのです。その上で更に日本からの技術支援等があり、また日本からの文化や技術の剽窃等があって初めて、今日の韓国があるのです。逆に言えば、それがなければ今日の韓国はありません。

日本は幾度となく韓国のことを「重要な隣国」と持ち上げていますが、実際には日本にとって韓国は、全く重要な隣国ではありません。それどころか、明日突然無くなってもそれほど大きな影響があるとは思えないほど、日本にとって薄くて軽くて上っ面な存在です。それは昨今の日韓関係の冷え込みが如実に証明しています。

逆に韓国にとっての日本は、最重要にして必要不可欠の隣国です。これもまた、昨今の日韓関係の冷え込みによって、如実に証明されています。

つまり韓国は、単に自力で独立を勝ち取れなかっただけではなく、自力で国家を発展させることが出来なかった国なのです。わけても日本の存在が、現在の韓国の成立に大きく寄与していることは論を俟たないでしょう。そういう事実を冷静に直視することが出来なければ、韓国が如何にして成立したのかを理解することは出来ません。

韓国人が、韓国は如何にして成立したかということから目を逸らし、あるいは全く教わることなく、安易な反日とあり得ない妄想によって得られる仮想の快楽に逃げ込んでいる間は、韓国は永遠にどこかの国の支援を必要とする半人前国であり続けることになるでしょう。
 


●私は妄想癖

2013年11月30日 20時56分22秒 | 色んな情報

●私は妄想癖
私は妄想癖が強くて有る大学の学園祭に見学に出かけた時の話しです。
学生が水の研究発表会をしていました。
図々しくもそこで水一杯ご馳走して貰い水について彼等に質問した。
「水はこの世に何種類有るか」
http://p.tl/XN-w
に「重水と軽水」が出てきた。

普通は
1. 酸性・中性・アルカリ性
2. 硬水と軟水
これくらいしか知らされていない。

昔読んだロシアの水博士の本には確かこの地球上には100種類有ると。
本 無くしたので題名も何もほとんど覚えていない。
実験室でその当時で二十種類は作られていると書かれていた。
「重水と軽水」の話しをしたわけだけど。
水にはソモソモ重水と軽水とに分ける分野があり
漢方で煎じるというのは軽い軽水を蒸発させて重い重水を残す為に煮沸する。
http://p.tl/xHep ウィキペディアなどでは
重水は原子炉の減速材として使われる。
と書かれている。
漢方のことは書かれていない。
この残った重水が漢方薬には良くて出てきた汁の効用をより促進させる。
土瓶一杯の水を半分まで沸騰させると軽水は全て蒸発してしまう。

こんな話しから入り言葉遊びの話しや当時知っているだけの宇宙の話しやその他諸々。
一時間講義してしまった。
学生たちは身じろぎもしないで私の口から出てくる言葉に耳を傾けていた。
私のアタマの中は取り留めもないほど色んな事が涌いてきて不思議とそれが繋がっている。
普段は考えすぎて言葉が繋がらず長続きしない。
妄想が始まると湧き水が涌くようになってしまう。

だから昔から大風呂敷と言われる。

【大風呂敷(おおぶろしき)を広・げる】
現実に合わないような大げさなことを言ったり、計画したりする。
誇張していうこと。?を広げる=ほらをふくこと。

【風呂敷 ふろしきの歴史 由来 起源】
室町時代、将軍足利義満が大名たちをもてなした大湯殿で、脱いだ着物を布に包み、入浴が終わるとその上で着替えをしました。それが「風呂敷」の語源とされています。

【富山県の薬売りと風呂敷 ふろしきの歴史 由来 起源】
元禄時代には、包み、運ぶための風呂敷となり、富山の薬売りをはじめとする商人たちの必需品となりました。
屋号を染め、商品を包んで背負い、江戸の町を歩くことで宣伝効果が大いに上がったようです。


嘘つきという意味も有るようだ。


私の知識は決して奥深くて詳しくはない。
風呂敷のように包んであった雑多なモノを結びを紐解いて並べて見せるのが私。

余り突っ込まないで下さいね。


●面白い事

2013年11月30日 20時34分43秒 | 色んな情報

●面白い事
      2011年01月18日
よく面白い事無いかなと言うけれども私は野次馬になって騒いだりする事もこの内に入るのでは無いかと思う。
人の不幸は面白いとも言う。
色んな場面に使うけれどもどういう訳でこの言葉が出来たのか気になった。
調べて見ると意外や意外 上代(じょうだい)から使われていることが判った。
古語が変化したモノで古い言葉だとも。
「面白し」が「面白い」に変化して意味は現代と同じ。
日本語とは楽しいモノだね。
 
 
上代(じょうだい)とは、日本史上の時代区分のひとつ。一般的には日本の文献が残されている時代、すなわち飛鳥時代 - 奈良時代を指すが、単に奈良時代以前を指す場合もある。
 
主に日本語学や文学史上で使われる用語である。
 
神道においては、桓武天皇までの現世にも神が君臨した時代をさし、上代(かみしろ)であれば神代(かみしろ)のことで、現世での神の存在する場所であり、上代(かみよ)であれば神世(かみよ)のことで、現世(うつしよ)と常世(とこよ)を含めた世界の全てを意味する。
ウィキペディアより
 
 
面白い(おもしろい)の意味・語源・由来を解説。
【意味】 面白いとは、楽しい。愉快だ。興味深い。心を惹かれる。滑稽だ。おかしい。
【面白いの語源・由来】
面白いは、「面白し」という語が原義で、現代の面白いとほぼ同じ意味で上代より使われているめ、語源は未詳であるが、以下の説が有力とされている。
「面」は目の前を意味し、「白い」は明るくてはっきりしていることを意味した。
そこから、目の前が明るくなった状態をさすようになり、目の前にある景色の美しさを表すようになった。
さらに転じて、「楽しい」や「心地よい」などの意味を持つようになり、明るい感情を表す言葉として広義に使われるようになった。
昔、火を囲んで話をしていたところ、面白い話になると皆が一斉に顔を上げ、火に照らされた顔は白く浮かび上がったところからなどといった説もあるが、「面」と「白い」から作られた後世の俗説である
 
 
 
「歌舞伎役者は顔を白塗りにする、それが語源で、面白い、と言う」
 
 
 
「面(おも・おもて)」は「表(おもて)」と同源で、表面とか、目に見える様子として表れること
を意味します。
「白し」は、はっきりしている、明るいなどの意味で、そこから色の「しろ」を表すようになりました。
「しるし(印。記す)」や、「いちじるしい」(←いち+しろし)なども同源と考えられています。
つまり「おもしろし」は、「様子がおもてにあらわれて、はっきりした感じ」というのが基本で、
そこから、
①見て心が晴れ晴れするさま。
②興趣がある。趣深い。
③興味がある。愉快である。おもしろい。
と意味が拡張したわけです。
「旺文社古語辞典」ほかを
 
 
テレビもなかった昔は夜、集まると色んな話をして過ごしていた訳です。退屈な話の時は燃える炎を眺めたり、焚き木を加えたりしている訳ですが、面白い話になると皆が顔を上げます。上げた顔は火に照らされて闇の中に白く浮かび上がりますね。ですから「面白い」訳です。
「ヤフー知恵袋より」
 
 
 
http://p.tl/rsQm
楽しいもの、愉快なものを見たときや感じたときの表現。漢字では「面白い」と書きます。平安時代には「強く興味がそそられるなんとも言えない素晴らしい感じがする」という意味で使われていました。
   
<1>面白説
 目の前がぱっと明るくなり顔が照らされ、気分が晴れるような感じから、「顔=面(おもて)」が白く照らされるという意味で使われるようになりました。
<2>思著説
 楽しい気分は心に強く感じられて残るので「思う」「著(しるし)」から「おもしるし→おもしろし」となりました。
<3>面知説
 気心が知れた顔見知りと過ごす時間はとても楽しいものです。そんな気分を表現した「面」「知る」気分という意味から「おもしるし→おもしろし」となりました。
<4>火に照らされる説
遠い昔、人々は火を囲んで話をしました。誰かが興味深い話を始めると皆が一斉に顔を上げます。それらの顔が火に照らされて一斉に白く浮かび上がり、楽しそうな顔が並んでいる状態を「面が白い→おもしろい」と言うようになりました。
<5>窒息説
笑いすぎて窒息して、顔面蒼白になったことから「面が白い→おもしろい」と言うようになりました。
<6>化粧説
女性が顔の化粧をしすぎて真っ白で、それをみて楽しかったから「面が白すぎる→おもしろすぎる→おもしろい」と言うようになりました。
 
【関連語】
可笑しい(おかしい)
戯ける(おどける)
面黒い(おもくろい)
顔(かお)
ギャグ
下らない(くだらない)
心(こころ)
滑稽(こっけい)
洒落(しゃれ)
しょうがない・しょうもない
冗談(じょうだん)
白(しろ)
醍醐味(だいごみ)
戯れる(たわむれる)7つまらない</a>
ひょうきん
ふざける
前(まえ)
漫才(まんざい)
目・眼(め)
ユーモア
寄席(よせ)
落語(らくご)
笑い(わらい)
 
 
 
面白い=心が晴れる=好い方向に向かっている=示唆に富んでいて興味深い=英語でインタレスティング、ですね。
 
面=メン(芽運)、ベン(邊運)、つら(津螺)、おもて(緒燃手)
面=一ノ口目=天の下に法の糸(意図)で下げ下された三位が育つ間=伊耶那岐命の顔から生まれた月讀尊、素戔鳴尊、天照日大神の三位三宝(人間=頭首胎)が津に螺(世間を縫って)して白(王=皇=朕)に育つ夢、
 
面の皮(殻田=黒い種=腹の虫の蝮=憂蛇野=ユダヤ=ブラツク怠け心=仇=鬼=穢場=エバ)が実になったのが白、仇がアダム(仇務)を育てる=鬼にものを云わせれば魂は真珠になる
 
面=三位の目が天の一(天意=あい=I)を迎えれば王となり、白となる=直面(フェイス)することを受けて行く=イエスは「私は渇く=ドライであった」と反省して、人々の差し出す酢い葡萄酒を受けたので天国に迎えられた。ユダヤ(憂蛇野=黒い腹)を治めた王(白=天能)となった。
 
創世記49-11(911テロに通ず);シロが顕れるまでユダの代は続く、雌ロバを良い葡萄の木(霊主体従の十字架)に繋ぐ
ヨハネ福9-11;「イエスというカ方が土(物品=殻田)に唾を吐いて作った泥を私の目に塗ってシロアムに行って洗えと言ったので、行って洗うと見えるようになりました」
 
面=表面的=肉体我利本能の腹黒=魂を育てる殻、を精神の聖智を使って首で選択して洗濯する=自分の着物を洗う者たちは幸いである=猿(獣の土ロ衣)→泥衣を洗濯して去る→人→神に'進化する。これが面白いという語源です。
尾も白い=アイオーンの光る雲に包まれたイエスの着物は純白となり、顔は輝いた=肉体と精神が確り戦ってクロスして本領を発揮した、旨い者になった=晴れ晴れとした、です。
 
●おもしろ・い 4 【面白い】
(形)[文]ク おもしろ・し
〔「面(おも)白し」で、目の前がぱっと明るくなる感じを表すのが原義といわれる〕
(1)楽しい。愉快だ。
「昨日見た映画は―・かった」「勉強が―・くて仕方がない」
(2)興味をそそる。興味深い。
「何か―・い話はないか」「最後にきて―・い展開を見せる」
(3)こっけいだ。おかしい。
「―・いしぐさで人を笑わせる」
(4)(多く、打ち消しの語を伴う)心にかなう。好ましい。望ましい。
「病状が―・くない」「―・くない結果に終わる」「私に―・からぬ感情を抱いている」
(5)景色などが明るく広々とした感じで、気分がはればれとするようだ。明るく目が覚めるようだ。
「十日あまりなれば、月―・し/土左」
(6)心をひかれる。趣が深い。風流だ。
「昔を思ひやりてみれば―・かりける所なり/土左」
[派生] ――が・る(動ラ五[四])――げ(形動)――さ(名)――み(名)
 


●江戸時代の生活彷彿 自然と生命の根源に目を

2013年11月30日 20時17分36秒 | 色んな情報

●江戸時代の生活彷彿 自然と生命の根源に目を
http://p.tl/qFgm    2011年01月20日
一ノ瀬 綾
女流作家 第12回農民文学賞、第16回田村俊子賞を受賞、著書「春の終り」「黄の花」「遠い朝」「独り暮らし」「それぞれの

一ノ瀬 綾のブログより転載

◆ 最近は江戸ブームだという。そのせいではあるまいが、私の住む江東区にも「深川江戸資料館」が誕生した。オープンしたのは去年(1986年)の十一月だが、予想以上の人気らしい。テレビで紹介されたそうだが私は見なかった。江戸ブームというのが、懐古趣味めいていて抵抗があり、ブームに乗せられたくない思いから無関心でいた。

◆ ところが先日、あるきっかけから入館する機会があり、一度で資料館の虜になってしまった。自宅から歩いても行ける近さから、数日後にはまた出かけてゆっくり見直してきた。江戸ブームはともかく、「深川江戸資料館」になぜ人が惹かれるのか、それを考えるだけでも面白い。

◆ この資料館のユニークさは、「情景再現・生活再現展示」という新しい展示技術を駆使した点にあるようだ。入館者は一歩踏み込んだ途端、百五十年前の江戸の下町に放り出された気分になる。地下一階から地上二階、三層にわたる高い吹き抜けの大空間に再現された町は、深川佐賀町下之橋の橋際を、沽券図によって構成復元したものという。

◆ 時代は天保の終わりごろで、建物は、建てられてから三十五年ぐらいの古びたもの。大川の水を引いた掘割には猪牙船が浮かび、堀端には船宿、脇の広場には火の見櫓がそびえ、足下の広場には水茶屋がある。

◆ 大通りには白壁の土蔵やお店、米屋や八百屋が軒を接し、小路を入ればドブ板をはさんで割り長屋が並んでいる。どの家にも当時の家具調度が配されていて、見学者は手に取るように眺められるのが人気の所以とか。

◆ 「ああ、この桶、流し、へっつい・・・懐かしいねえ・・・付け木や火吹き竹もあるよ」

◆ 溜息をつくのは五十代以上の年配者たちである。子供や若者にとっては、映画やテレビの世界だろうが、みんな熱心に覗きこんでいる。タイプ別の長屋には、それぞれ職人や船頭、三味線の師匠などが住んでいて、部屋に佇んでいると、彼らの話し声が聞こえるようだ。すすけた壁や釘に吊した半てん、竹行李や枕びょうぶ。土間の水ガメ、七輪に火消しツボ・・・。大方の家具や勝手道具には、見なれた懐かしさがわく。

◆ じっと見ていると、百五十年前ではなく、私の育った戦前の農家の生活が彷彿としてきて、胸が熱くなる。昭和十年代の山村は、まだ江戸時代の続きだったのかと改めて考えさせられた。思えば私たち日本人は、戦後の四十余年間、そこからの脱出を目指して、必死で働いてきたわけである。そして現在の物があふれ返る飽食の時代を招き寄せた。

◆ 悔いのないはずなのに、現代の日常は先が見えなくて、不安で虚しい。人間の心は荒れ、拝金主義が社会を蝕んでいく。この資料館に佇んでいると、不思議な人肌の温もりと安らぎが戻って来るのはなぜだろう。

◆ 二度目に行って気がついた。ここにはプラスチックに代表される合成物質が無いのだった。当然のことに人間が管理するコンピューターも無い。建物や道具はみんな自然の産物である。鉄材や木、竹や動植物の皮や繊維は、寿命がくれば壊れて朽ちる。燃えても毒ガスの出る心配はない。生きものの営みと同じに、消滅と再生をくり返すところに、人間は救いと安らぎを覚えるのではないだろうか。ある生物学者の説によれば、現在のバイオテクノロジーの粋を集めても、大腸菌一匹作れないのだと言う。生命の生かされる自然の仕組みは不思議に満ちている。

◆ 大地にものを育てる農業は、自然の意志に根差しているから尊いのである。科学技術を過信して、ビルの中で米や野菜を作るようにでもなったら、自然体系は狂い出すだろう。

◆ 日常生活の息苦しさに追い立てられた人々が、資料館の江戸時代に安らぎを覚えるとしたら皮肉である。都市生活者も農村の人も、今こそ胆に据えて自然と生命の根源に目を向ける時ではないだろうか。 
 
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近くの人は一度見てくると良いですね。
私は福井なので中々いけない。
近くなら直ぐにでも飛んでいきたいと思った。

作家の先生だからそのままの文で転載しました。

雰囲気が伝わってくるようで。

ヤハリ日本は良いモノです。

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・深川江戸資料館
http://p.tl/4pbf

・陶酔人の窯
http://p.tl/LUhG
・家庭を聖域にしてはいけない
http://p.tl/q5Hl
・江戸の町にタイムスリップ!
http://p.tl/Bbw0
・ITの利活用および江戸時代の生活様式の復活による
http://p.tl/QTsS
・なつかしい未来への道
http://p.tl/KcgF

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調べているといくら時間があっても足りない
皆さんも江戸にタイムスリップして
ゆるりとした時間を楽しんで下さい。


しぐさ【仕種/仕草】

2013年11月30日 20時06分27秒 | 色んな情報

しぐさ【仕種/仕草】
ミクシーの鈴音サンのコメントで     2011年01月20日
【「相手が見えなくなるまで見送るのは礼儀となっています。
其処には見送ってくれる人のそこはかとない優しさが滲み出ていてとても気持ちの良いものですね。
「客の帰路を案じる」という、とても奥ゆかしい姿だと思います。
振り返って、見守られているのが確認出来ると何故か後ろ髪を引かれる思いがし、思わず一礼をしますね。
この様な奥ゆかしい優しさは是非身に付けたいものです。】
と言うのがあり何となく優しさを感じたらしぐさ言う言葉を思い出した。
何処が動と言うことは言えないのだけども「おんなのしぐさ」
俺これさせると弱いんだ。
なんてことをよく耳にする。
気になり調べて見ると下記のようなモノが出てきた。

語源やことなりはどうして出来たのかも判らなかったけれども
「しぐさは仕草ではなく思草と表記する」
私は仕草と書くと思っていた。

今 江戸しぐさ が人気があるらしい。
学校で教えているとのこと。

江戸の町には、争いを少なくするようなルールやマナーがあった。
今もあるしぐさで「傘かしげ」「蟹歩き」「肩引き」

江戸では足を踏むとお互い様と「あやまり」愛をしたとのこと。

昔は、指切りげんまんの歌の最後に「死んだらご免」とつけたそうです。
これは、うそをついたり約束を破ったりしてはいけないということを教える「江戸しぐさ」でした。うそをついたり約束を破ったら、指を切っておわびします、げんこつ1万回の罰を受けます、針千本飲みます、という意味です。そのくらいきびしかったのです。ただし、自分が急な事故などで死んでしまったら約束は守れないので、「死んだときは守れないけどご免なさい」と言う意味で「死んだらご免」と言ったのです。

何か見ていると今の世界にこれを教えたくなった。
日本人てなんて言うことをしてきた民族だろう。

これも城門の流れなのかな。

 

1.し‐ぐさ【仕種/仕草】みぶり【身振り】 ⇒どうさ【動作】 
1 何かをするときのちょっとした動作や身のこなし。「なにげない―が印象に残る」2 舞台上の俳優の動作や表情。所作。
2.しぐさ‐おち【仕種落ち】
落語の落ちの一。言葉に出さず、動作や表情などで見せる落ち。
落語のしめくくり、すなわち落ちのうち、言葉でなく動作や表情だけで見せるもの。「首提灯」など。

●江戸しぐさ(えどしぐさ)は日本における江戸町方の商人道、生活哲学・道。

しぐさは仕草ではなく思草と表記する。もともと商人しぐさ、繁盛しぐさといわれ、商人道、哲学として語られる。多岐にわたる項目が口伝により受け継がれたという。現代の世相に鑑み江戸人の知恵を今に生かそうという観点から教育界などで注目され始めている。かつ、一部小中学校の道徳の時間にも取りあげる動きも広がっている。商家に伝わる門外不出の未公開の処世術あるいは、倫理観、道徳律、約束事ともいうべきものであろうが、未公開かつ口伝であったことから正確たる文書は現存せず芝三光(しば・みつあきら)(本名=小林和雄)とその後継者により普及されてきた。評論家の牛島靖彦によればそもそも商人(あきんど)しぐさを「江戸しぐさ」と命名したのは、江戸講最後の講師とされる、故・芝三光であるという。本件江戸しぐさを伝えてきたのはわずか『一人』であり、存在とか内容についても江戸時代の常識と一致しない部分があると批判する意見もあるが、商家の精神とか江戸人の知恵がちりばめられており、その本質とか存在意義を著しく損なうまでには至っていない。その後、芝の弟子の一人であった越川禮子が後継者として名乗りを上げ、NPO法人を設立し江戸しぐさの普及宣伝活動を行っている。

●主なしぐさ
◆傘かしげ
雨の日に互いの傘を外側に傾け、ぬれないようにすれ違うこと
肩引き
道を歩いて、人とすれ違うとき左肩を路肩に寄せて歩くこと
◆時泥棒
断りなく相手を訪問し、または、約束の時間に遅れるなどで相手の時間を奪うのは重い罪(十両の罪)にあたる
◆うかつあやまり
たとえば相手に自分の足が踏まれたときに、「すみません、こちらがうかつでした」と自分が謝ることで、その場の雰囲気をよく保つこと。
◆七三の道
道のど真ん中を歩くのではなく、自分が歩くのは道の3割にして、残りの7割は緊急時などに備え他の人のためにあけておくこと
◆こぶし腰浮かせ
乗合船などで後から来る人のためにこぶし一つ分腰を浮かせて席を作ること 
◆逆らいしぐさ
「しかし」「でも」と文句を並べ立てて逆らうことをしない。年長者からの配慮ある言葉に従うことが、人間の成長にもつながる。
三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる(江戸の養育法)
お心肥やし(おしんこやし)
打てば響く
三脱(さんだつ)の教え
はいはい
指きりげんまん、死んだらごめん


・しぐさでわかる性格判定
http://p.tl/MEed
・みなさんがキュンとくる異性のしぐさを教えてください!
http://p.tl/Nbj7
・女性心理をしぐさから知る方法
http://p.tl/O1PV
・しぐさの心理
http://p.tl/DoXm
・しぐさ
http://p.tl/tvsG
・「江戸しぐさ」に学ぶマナー  小学校道徳高学年対象
http://p.tl/ULdx
・「江戸しぐさ」
http://p.tl/0SZ4


【拡散】日中戦争が日米の国益となる9つの理由

2013年11月30日 19時48分19秒 | 色んな情報

【拡散】日中戦争が日米の国益となる9つの理由
  京免 史朗

1. 法改正による戦後レジームの脱却
2. 在日中国人・韓国人の一掃・強制帰国
3. 「妾村」など在米中国人を一掃・強制帰国...
4. 米軍・自衛隊の東アジアでの存在感発揮
5. 中国保有分の米国債をチャラに=デフォルト危機消滅
6. 中共幹部の在米資産没収で米国庫へ
7. 中国内の不満分子に武器を売り大儲け
8. 中国から巨額の賠償金で大儲け
9. 中国敗戦後の新しいマーケット開拓で大儲け

796 :名無しさん@13周年:2013/11/29(金) 12:29:56.51 ID:yw/9b/PU0
日米共にいらっしゃい状態だよw
日本はこれを機に
戦後のおかしな法規制を撤廃して
まともな国に生まれ変わるチャンスになるし
有事となれば国内のゴミを
一気に合法的に片付ける
こともできる
流石にアメリカも反対できないだろ
アメリカは在日米軍の東アジアでの
存在価値を誇示できてウマーだし

中国VS日本・アメリカ有事と言うことになれば、支那チョンを除く大半の国が日米側に付くことになる
すると中国共産党幹部が
欧米に移住させ国籍を取得させている
家族の身柄拘束と資産没収
なによりアメリカは
中国の保有する米国債を
全額チャラにすることが出来るから
対外債務の4割近くが消滅
するからメシウマ過ぎる

もし戦闘が1週間近く続けば
(日米が睨みを利かせて、半ば放置するだけ)
今がチャンスと言うことで外国勢力が支援して
ウイグル、チベット、
内モンゴルが独立戦争を開始
中国と国境を接する国が盗まれた領土を
回復するために兵を送り込む
中国国内では
不満を溜め込んだ国民が武力蜂起し、
地方軍閥は北京に向けて
戦車を送り込む

中国は、今自分が
どういう状況に置かれているのか、
まるで理解できていないwもっと見る


【フィリピンより~長い道のり~】

2013年11月30日 19時40分59秒 | 色んな情報
【フィリピンより~長い道のり~】

「荒廃は癒えることのない傷のようで、道端は瓦礫の山だ。子どもたちや家族は拾ってきた瓦礫で、利用できるものは何でも使って作った当座しのぎの住み家で寝起きしている。住む家を失った家族たちの状況は、時間が経つにつれて悪化する。収入の道がなくなり、支援物資に頼るほかなくなっている」

緊急支援の現場では、色々なスタッフが働いています。ロジスティックス専門スタッフ、セキュリティ専門スタッフ、水衛生の専門スタッフ、子ども保護の専門スタッフなどなど・・・...

被災地や支援活動の様子を写真や動画におさめ、被災した子どもたちや人々から話を聴いて世界に発信し続けているフィリピンのアーロン・アスピ スタッフはコミュニケーション専門スタッフ。

島から島を巡り奔走し続けている彼のブログの全文を、ぜひお読みください⇒ http://bit.ly/180rhtn

「奇跡にも近い私という生命」

2013年11月30日 18時59分25秒 | 色んな情報

「奇跡にも近い私という生命」
 ………………………………………………
 約30年前、
 産婦人科医院の一室で...
 母親学級を始めた助産婦の針間幹子氏。
「どんな母親のもとに生まれるかで、
 子どもの一生が決まる」
 という信念のもと、
 元気で賢く心優しい子を育てるための
 母親指導を行ってきた。

 子どもたちが授かった命を輝かせるために
 母親がすべきこととは――。
 ………………………………………………

 これはうちの末の娘が
 まだ小さかった頃の話です。
 魚の揚げ物を食卓に出したところ、
「いやじゃ、なんじゃ」と言って、
 食べようとしません。

 そこで私はこう言いました。
「このお魚かわいそうね。
 もしかしたらお母さんと一緒に
 お昼寝していたかもしれないし、
 お友達と一緒に遊んでいたかもしれない。
 それが運がいいのか悪いのか、
 漁師さんにすくわれて、
 お魚屋さんに並べられて、
 あなたに食べさせようとした
 お母ちゃんに買われて」

「ほんなら、かわいそうやから
 海に流しいや」
 と娘が言うので、

「そうね。
 でもあなたが遊びに出ていって、
 車にはねられたか何かで、
 死んでうちに帰ってきたら、
 お母ちゃん、どうする?」
 と問い掛けました。

「……泣くね」

「じゃあ、お魚のお母さんも泣くね」
 と言うと、
 娘は困った顔をして
 黙ってしまいました。

「だからね、このお魚に
“ごめんね、ありがとう”
 と言って食べてごらん。
 このお魚の命が
 あなたという人間の命に変わるのよ」
 そう教えた時、
 娘の目がきらっと輝き、
 以来好き嫌いを一切言わなくなりました。

 よく、
「子どもたちに命の大切さを教えたい」
 という声を聞きますが、
 自分の命は他の生物の
 命の上に成り立っていること、
 自分という命は奇跡にも近い確率で
 この世に誕生したことを
 教える以外にない、
 と私は思っています。

 約3億の精子と、
 200万個の原始卵胞から排卵された
 たった1つの卵子がめぐり合い、
 受精する。
 それがちゃんと着床し、
 流産もせず、
 堕胎もせずに生まれてきた――。
 何百億、何千億分の1の確率で
 自分という人間がこの世に
 誕生したと思う時、
 私は震えがくるほど感動し、
「選ばれた人生、頑張らなきゃ」
 と本気になります。

 ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・

 地元の小中学校や高校に呼ばれ、
 このような「生命の誕生」のお話をする
 機会もありますが、
 そのたびに子どもたちから
 こんな感想文が寄せられます。

「私が生まれてきたのは、
 東大に行くより
 倍率が高いと分かりました」

「両親が不仲で、
 つまらない人生だと思っていたけど、
 命にならなかった
 他の精子や卵子を考えると、
 僕はやらなきゃと思います」

 授かった命を
 精いっぱい輝かせて生きる。
 人にはそれぞれに
 あてがわれた環境があり、
 その中でどれだけ懸命に励むかという
 ことに尽きるのです。

 私は地方都市に住む
 1人の助産婦として、
 そして4人の子どもの母親として、
 精いっぱいできる限りのことを
 やって生きてきました。

 国家がどう、教育がどうといっても、
 人間がいなければ何も始まりません。
 いま子育てをしているお母さん、
 そしてこれから母になる
 若い女性の皆さん、

 あなたたちが
 産み育てる子どもたちが
 明日の日本をつくるのです。

 そう考えると、
 お母さんの仕事は
 一国の首相よりも任が重い。
 その自覚を強め、
 まずはお母さんが
 正しい知識をもって育児にあたること、
 そしてご自身がいまいる環境で
 精いっぱい命を燃やし、
 人生を輝かせてほしいと思います。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

「お母さん、
 あなたが産み育てる命が
 明日の日本をつくります」
 針間幹子(針間産婦人科医院)
             
『致知』2007年3月号
 特集「命の炎を燃やして生きる」より


・ソウリン

2013年11月30日 18時29分23秒 | 色んな情報

・ソウリン
★双輪【ソウリン】デジタル大辞泉
1 二つの車輪。前後または左右の車輪。
2 二つがそろってはじめて用をなす物事のたとえ。
「快楽と実用とは、文学の両翼なり、―なり」〈透谷・明治文学管見〉
 
●叢林
読み方:ソウリン
やぶやはやし
 
●歴史民俗用語辞典
・叢林
読み方:ソウリン
大きな寺。禅宗では京都鎌倉の大禅宗寺院。
--------------------------------------------------------------------------------
・相輪
読み方:ソウリン
仏塔最上層の屋頂に立つ最上端部。
別名 九輪
 

 

・かき 1 【下記】
ある記事の後に書き記すこと。また、その記事。
・かき 1 【〈牡蠣〉】
イタボガキ科の二枚貝の総称。
・かき 2 【垣/▼牆】
家の周囲や庭などを囲ったり仕切ったりする、竹・木・石などで作ったくぎり。かきね。
・かき 0 【▼柿】
(1)カキノキ科の落葉高木。山中に自生し、また果樹として古くから栽植される。
・かき くわ― 1 【火気】
(1)火があること。火のけ。
・かき くわ― 1 【火器】
(1)銃砲など、火薬を用いる武器の総称。
・かき くわ― 1 【花▼卉】〔「卉」は草の意〕
(1)花の咲く草。草花。
・かき くわ― 1 【花期】
花の咲く時期。また、咲いている期間。
・カキ 隠語大辞典
⑴【柿】〔花言〕希くは余を自然美のうちに置けとの意。
⑵【掻】手淫をすること。
花器
牡蛎
花卉


かき
垣/▼牆
火気
火器
 

 

★下北弁辞典
・ふとりめ 意味 一人前
      用例 ふとりめさなった。
用例の意味・備考 一人前になった。
★津軽語辞典
ふとりめ  意味 一人前、一人目

★下北弁辞典/辞典/ふ http://p.tl/_n3R  One of 青森県の方言!!下北弁辞典  http://p.tl/ALhy
★八郎潟町方言集17   http://p.tl/sWTj

★方言   http://p.tl/275z
地方独特の言葉の中に、その地の風土や人情が表れています。
 

 

★大七星 麻雀のローカル役  http://p.tl/CC3T
 大七星(だいちせい、ダイチーシン)は、字牌7種(東・南・西・北・白・發・中)をすべて使った字一色七対子である。七福星、字牌七対子[新現代 5]とも呼ばれる。
(例)東 東 南 南 西 西 北 北 白 白 発 発 中 中
メンゼンで作らなければならないため出現頻度は極めて低く、ダブル役満とすることもあるが[g 2]、各種麻雀団体・オンライン麻雀・ネット麻雀では役自体が採用されていない。とはいえこの手は字一色であり、大七星が採用されていなくても和了れば役満である。


★理化学的胎土分析による土器埴土の産地特定 http://p.tl/Bf8P 

★器用 貧乏 脱出

★十種の神宝 トホカ 囃し歌 典の付く言葉 音霊の活用 


【中国産使用の日本外食産業「厳格管理」も意味なし】

2013年11月30日 18時10分57秒 | 色んな情報

【中国産使用の日本外食産業「厳格管理」も意味なし】
                   2013.11.29 ニュース
 2013年は中国毒食品があらためてクローズアップされ、関連報道が相次いだ。11月に世間を震撼させた有名ホテルや老舗百貨店の「偽装表示」問題でも、数多くの中国産が使用されていたことがわかっている。
...
 中国産食品は、2008年の毒ギョーザ事件で輸入量が一時的に減ったが、実はいま、事件前の水準まで復活していたのだ。さらに近年では、スーパーなどにそのまま中国産食材が陳列されることは稀だ。多くは加工食品や外食産業など産地表示義務のない食品に使用されている。ファストフードや、惣菜・弁当、居酒屋メニューなどは中国産食材の宝庫だ。

 中国産食品を使用しているスーパーや外食産業の一部では、メディアや消費者からの問い合わせに対し、決まり文句が存在する。

「当社は現地農家(飼育場)に対して厳格な生産管理をしており、品質も厳しくチェックしているので問題ありません」

「残留農薬や有害物質のチェック体制を幾重にも設けています」

「仕入れに関しては厳格な安全基準を設けています」

 しかし、こうした言葉を信用していいのだろうか? このほど『中国「猛毒食品」に殺される』(扶桑社新書)を上梓した、週刊SPA!連載「中華人民毒報」でもおなじみのルポライターの奥窪優木氏はこう警告する。

「トレーサビリティが成立しない中国では、いくら厳格な安全基準を設けたところで無意味なのです。中国の食品流通は、問屋や物流業者も省や市をまたぐごとに、別の中間業者が介在していて、流通経路がかなり複雑になっている」

 例えば畜産品の場合、生産者からまず産地の卸売業者に渡り、せりまたは契約によって仲買業者に買われ、その後、消費地の卸売業者から業者に渡り、さらに買出業者および食品加工業者を経てようやく小売業者にたどり着くのだという。

「しかも、このフローは単に川上から川下に流れるだけの単純なものではなく、生産者や複数介在する中間業者が、在庫のうちのいくらかを別ルートで単発取引するケースも多い」

 こうした複雑な経路をとっている以上、日本のメーカーが厳格に生産から流通まで管理するのは不可能なのだ。

 こうした事情に加えて、さらに厄介な問題も存在する。奥窪氏はこう続ける。

「日本で食品の不祥事が起こると、ほとんどの場合はまずメーカーが疑われます。しかし中国では違う。これまで中国国内で起きた食品関連事件を見ても、製造元の社員はもとより、問屋や運送に携わるトラック運転手、食品売り場の販売員など、流通に関わるあらゆる人間が“容疑者“になりうるんです。例えば調理場の雇われコックが、店が仕入れた正規の醤油を廉価なニセモノとすり替えて横流しし、差額で私腹を肥やしていたというのも、よくある話。コンビニ店員だって信用できない。正規メーカーの商品を仕入れて棚に並べても、店員が偽モノ業者と結託して商品をすり替えてしまうことも日常茶飯事です」

 そう考えると、日本のメーカーがいくら厳重に管理・チェックしていても、例えば野菜を港へと運送中、トラックを荷ごと積み替えられるととうてい太刀打ちできないのだ。加えて、日本メーカーは現在、駐在員を減らして中国人の現地社員を増やす「現地化」を進めており、チェック体制はますますザルになると奥窪氏は指摘する。

 ネズミ肉に下水油、カドミウム米に薬品漬けの鶏肉……こうした毒食品がひそかに原材料にまぎれこみ、日本人の口に入っている可能性が高いのだ。今回、奥窪氏は上掲書で、中国産食品の日本への流入実態はもちろん、とくに危険な食材や、中国産食品に含まれる毒の種類とその健康被害を詳しく解説。さらに在中邦人への取材や、現地ルポを通じて中国における毒食品の実態をも炙りだしている。“スポンサータブー”のため、テレビや新聞が報じない中国産食品の危険性をより詳しく知りたい方は、ぜひとも同書を手にとっていただきたい。
           <取材・文・写真/日刊SPA!取材班>


▼さながら

2013年11月30日 17時38分28秒 | 色んな情報

▼さながら
▼さながら  【宛ら】
(副)
(1)二つの事物・状態が似ているさまにいう。
(ア)(下に「…のような」「…のごとく」などを伴って)ちょうど。まるで。
「草原は―海のようだった」
(イ)(名詞の下に付いて)…そのまま。…そっくり。
「本番―に行う」
(2)まったく。ひたすら。
「沖の鴎の―白きは/ふところ日記(眉山)」
(3)そのまま。そのままの状態で。
「たえて、ことづてもなし。―六月になりぬ/蜻蛉(中)」
(4)そっくり全部。のこらず。
「大事を思ひ立たん人は去りがたく心にかからん事の本意をとげずして、―捨つべきなり/徒然 59」


▼  姓    読み方
   真柄   さながら


▼髣  漢字辞典
音読み:ホウ
訓読み:さながら、 ほのか


▼宛ら 【サナガラ】デジタル大辞泉
《副詞「さ」+接続助詞「ながら」から》
1.[副]
 1 非常によく似ているさま。まるで。そっくり。「―滝のような雨」「地獄絵―のすさまじさ」
 2 そのまま。もとのまま。「池などは―あれど」〈枕・一六三〉
 3 すべて。全部。「あやしの民屋―やぶれくづる」〈平家・一二〉
2.[接]そうは言うものの。かと言ってやはり。「食逃げ大尽にあふ事多し。―それとて乞ひがたく」〈浮・胸算用・二〉


▼さながら【宛ら】大辞林
 ( 副 )
1. 二つの事物・状態が似ているさまにいう。
 ア. (下に「…のような」「…のごとく」などを伴って)他になぞらえる意で表す。ちょうど。まるで。 「草原は-海のようだった」
 イ。 (名詞の下に付いて)本物によく似ているさま。…そのまま。…そっくり。 「本番-に行う」
2. まったく。ひたすら。 「沖の鷗の-白きは/ふところ日記 眉山」
3. そのまま。そのままの状態で。 「たえて,ことづてもなし。-六月になりぬ/蜻蛉 中」
4. そっくり全部。のこらず。 「大事を思ひ立たん人は去りがたく心にかからん事の本意をとげずして,-捨つべきなり/徒然 59」


●アイヌ語地名 リラ

2013年11月30日 17時12分57秒 | 色んな情報

●アイヌ語地名 リラ
reraさんから頂いた文節です  2012年12月13日
志葉楽さんへ

いつも、いつも、大変な調査にご努力され、ご苦労様です。

 擦文文化に触れられた項目に、アイヌ語地名に係る文体が有りましたので、拙の余計な寝言をお聞き下さい。

 北海道東部に、オホーツク文化(豚の飼育が特徴の一つ)の系譜を継ぐ、トビニタイ文化 - - - 。

 アイヌ語地名解釈からすると
 トビニタイと云う地域は、トペニタイ (イタヤ楓(乳汁の木)の森林)とでも云いましょうか、甘い樹液を収集できる木の群生地を利用した生活の場を、そこに存在させたものと推測されます。

 現代ですと、カナダでは甘い樹液を加工し(メイプルシロップ)として、世界中の趣好家に用いられているようですね。

 すみません、縄文時代の中で、あと一つ地名解釈で述べさせて下さい。
 三内丸山遺跡の地域についてですが、

 三内(サンナイ) - - この地名は、現在の北海道でも道内各地に散在する地名でして、この場合は、海に向かって流れ下る沢(川)であり、集落の衆は何かと、この水を利用した事でしょう。

 さらに、蛇足ですが、(丸山)のアイヌ族が抱く概念は、神々に祈りを捧げる場所でして、平野や海に向かって、付近の山々から、ちょこっと前に出た小山でして、そこに神棚を設けて見渡す限りの神々に祈詞を掲げる重要な神々と継る神聖な場所です。

 アイヌ語では、丸山をモイワ(小さい山)と称します。
 現在、札幌では、北海道神宮は円山に在り、モイワの名称は、別の山へ移動しまして、アイヌ時代は、インカルシペと称した(眺望する処)山に移されました。

 また、サンナイ丸山に関しまして、その場所が広ければ祖先の供養や、その他の神事を行い、その空間を取り囲むように集落を形成することは、充分に考えられる事であります。


 


◆鈴木史朗さんが「南京大虐殺」は真実ではないと思う理由

2013年11月30日 17時04分25秒 | 色んな情報

◆鈴木史朗さんが「南京大虐殺」は真実ではないと思う理由
 12月17日 ぼやきくっくり
京免 史朗
2011年12月17日 土曜日

 鈴木史朗(フリーアナウンサー)...
 1938年、京都生まれ。62年、早稲田大学法学部卒業後、TBSに入社し、アナウンス部へ配属、その後報道局なども経験。主な出演作品に、TBS『さんまのスーパーからくりTV』、『水戸黄門』(ナレーション)、日本テレビ『オジサンズ11』など。著書に『鈴木史朗の健康道場 ご長寿TVで長寿のコツ』(小学館文庫)。

〈「もう一度南京へ」〉

 TBSのバラエティ番組『からくりテレビ』の名物コーナーで、私が司会を務めていた「ご長寿早押しクイズ」。毎週数名のご長寿の方にご登場いただき、クイズに答えていただく人気コーナーでしたが、今から十一、二年前、南京戦に参加されていたという会津若松の方にお会いしたことがありました。

 撮影の合間に南京の話になり、私が「あそこは大変なことがあったから、もう南京には行けませんね」と声をかけると、その方が「いや、私は死ぬまでにもう一度南京へ行きたいんであります」とおっしゃった。私は驚いて、「どうしてですか」と聞いたところ、こんな話をして下さいました。

 「衛生兵として南京で日本兵を助けたが、怪我をした中国の敗残兵も助けた。軍のトラックで送ってやったら中国人の家族が非常に感謝して、家宝の掛け軸をくれたんです。

 さらに『戦争が終わったら、ぜひもう一度南京へ来てほしい。歓待したい。一日千秋(いちじつせんしゅう)の思いで待っている』とまで言われたんです。だから、私は死ぬまでにもう一度南京に行きたい」

 このことでハッと思い出したのは、私自身が幼いころ、南京戦直後に中国にわたり、天津で過ごした日々のことでした。それは、「大虐殺」があったなどとは到底考えられないほど、大変のどかな日々だったのです。

 この方にはその後、もう一度お会いする機会があったので、「南京大虐殺」の証拠写真とされている、松葉杖をついた片足の中国兵と、笑顔の日本兵が並んで移っている写真を持って行ったんです。キャプションには、「残虐な日本兵によって、逃げられないように片足を斬り落とされた中国兵」と書かれていました。

 ところが、この写真を見せたところ、南京戦に参加されたその方がとても喜んだんです。

 「この兵隊のことは良く覚えていますよ。アルマイトがなかったので、ヤカンをつぶして義足を作ってやったんです。いやー、よかった。この写真、いただいてもいいですか」

 他にも、実際に参戦された方々からさまざまなエピソードやをお話しいただきました。

  「たしかに、南京戦で相手の兵士を殺した。だが、それはあくまでも中国の兵士であって、日本兵も戦死しています」

 「トーチカから撃ってくる兵士を仕留めて近づくと、機関銃手はまだあどけない顔の若者で、鎖でつながれていた。武士の情で彼らの墓を作ってやりました」

 「南京戦後、中国人から『兵隊さんありがとう。あなたの靴を磨かせてください』と言われて、泥だらけだからと断ったのだが、どうしてもといわれたので磨いてもらった。気持ちが嬉しくて、飴玉をあげました」

 そして、少しずつ勉強する時間が取れるようになり、勉強しはじめてみると、東中野修道氏や北村稔氏、また『WiLL』に連載されている西尾幹二氏ら「現代史研究会」の研究成果が自分の体験と重なって、歴史を学べば学ぶほど、また中国での日々を思い出せば思い出すほど、「大虐殺なんてあり得ない」という確信を得るにいたったのです。(中略)

 三、四歳の頃には南京へも行っているんです。まだ記憶はおぼつかない頃ですが、親父に後から聞いた話は覚えています。

 「お前を南京に連れて行った時、泣かずに頑張った。南京のある中国人が、そんなお前の態度を見てとても気に入ってほめてくれたんだ。しかも、『耳の形がいい。こういう人物と付き合うと、自分の運気も上がるから、是非抱かせてくれ』といって抱き上げてくれたんだよ」

 また、父は南京で聞いた話をもとに、よくこんなことを言っていました。

 「聞いたところによると、日本の兵隊さんが食糧を分けてくれたので、南京の人々は助かったんだそうだ。お前もいい兵隊さんになるためには、強いだけではダメで、思いやりをもたなければいけないよ」

 この話は非常に印象的だったのですが、後のこの話に通じる事実があったことを知りました。

 あのジョン・ラーベも日本軍宛に「私どもは貴下の砲兵隊が安全地区を攻撃されなかったという美挙に対して、また同地区における中国民間人の援護に対する将来の計画につき、貴下と連絡をとり得るようになりましたことに対して感謝の意を表するものであります」との書簡を送っており、報告書でも、日本軍からの米と小麦の配給があったことに触れています。

 もし本当に大虐殺が起こっていたとしたら、いくら書簡の挨拶文とはいっても「感謝」など示すはずがありません。(中略)

「南京大虐殺」のような「嘘」があるかぎり、日中が手に手を取ってやってくことはできません。日本と中国は永遠に隣同士ですから、その関係を悪化させる中国の反日プロパガンダ、反日教育はたださなければなりませんし、このような状況は日本にとっても中国にとっても、「最大の悲劇」としかいいようがありません。

 私にとって、中国は「第二の故郷」なのです。その中国の方々が、このような「嘘」を永久に教え込まれ続けるとすれば、本当に悲しいことです。

 映画『南京』の冒頭には、このような字幕が流れます。

 「我々の同胞が一つになって闘った数々の光輝ある歴史の中でも南京入場は燦然(さんぜん)たる一頁として世界の歴史に残るだらう。その日の記録としてこの映画を我々の子孫に贈る」

 我々は、どんなに時間をかけても「南京大虐殺は真実ではない」と伝えていかなければならない。それが「我々の子孫」……つまり日本人の未来のためであり、中国人のためでもあるのです。