縄文人の反乱 日本を大事に

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●ことのは

2014年08月04日 18時35分23秒 | 色んな情報

 

●ことのは
◆こと の は 【言の葉】
① ことば。
「例のいづこよりとうで給ふことのはにかあらむ/源氏 帚木」
② 和歌。
 「やまとうたは人の心を種としてよろづのことのはとぞなれりける/古今 仮名序」
「言の葉」に似た言葉»   文言  口  辞  詞  言葉
 
◆ことのは、コトノハ
・ことのは
   言葉や和歌の意味。
 

 
◆ことば 【言葉・詞・辞】
① 人の発する音声のまとまりで,その社会に認められた意味を持っているもの。感情や思想が,音声または文字によって表現されたもの。言語。
② ものの言い方。ことばづかい。 「丁寧な-を使いなさい」
③ 言語を文字に書き表したもの。文字。
④ 語彙(ごい)。単語。
⑤ 謡物・語り物の中で,節をつけない部分。 《詞》
⑥ 和歌に対して,散文で書かれた部分。また,和歌の詞書(ことばがき)。絵巻物の詞書。
⑦ 意味。理性。ロゴス。 「はじめに-ありき」
⑧ (「てにをは」に対して)体言・用言などの総称。詞(し)。
⑨ 語気。ものの言いぶり。 「思わず強い-になった」
⑩ ことばのあや。たとえごと。 「『どりやどりや塵を結んでやらう…』『なう,腹立ちや腹立ちや,それは-でこそあれ』/狂言・引括 虎寛本」
[句]言葉が過ぎる ・ 言葉尻を捕らえる ・ 言葉涼し ・ 言葉なお耳にあり ・ 言葉に甘える ・ 言葉に余る ・ 言葉に花が咲く ・ 言葉に花を咲かす ・ 言葉に針を含む ・ 言葉の下から ・ 言葉は国の手形 ・ 言葉は心の使い ・ 言葉は立ち居を表す ・ 言葉を返す ・ 言葉を掛ける ・ 言葉を飾る ・ 言葉を交わす ・ 言葉を下ぐ ・ 言葉を番う ・ 言葉を継ぐ ・ 言葉を尽くす ・ 言葉を濁す ・ 言葉を残す ・ 言葉を吞む ・ 言葉を吐く ・ 言葉を挟む ・ 言葉を卑くす
   ・・・・・・・・・・
・けと ば 【言▽葉】
〔上代東国方言〕
ことば。 「父母が頭搔き撫で幸(さ)くあれて言ひし-ぜ忘れかねつる/万葉集 4346」
「言葉」に似た言葉» 類語の一覧を見る文言  口  辞  詞  口舌
 
◆言葉   実用日本語表現辞典
読み方:ことば
音声や文字などにより表され、特定の意味を伝達する手段となる表現および表現の体系のこと。
 
◆言葉(ことば)http://urx.nu/aHie
人間が話す・書くなどの行為をする事によって情報伝達手段となりうる、意味があるものの総称。心・気持ち・思い・考え等を表す手段の一つである。学術的分野では「言語」とも称されるが、日本語で「言葉」というと、言語の中で用いられる語を意味することも多い。
 

 
◆し [1] 【詞】
① ことば。文章。詩歌。
② 中国の歌曲の一体「塡詞(てんし)」のこと。
③ 国文法で,単語を文法上の性質から二大別したものの一。
㋐ 橋本進吉の説では自立語をいう。
㋑ 時枝誠記の説では,概念過程を経て表現された語,すなわち,事柄を表現する語をいう。
↔ 辞
 
◆詞(し)http://urx.nu/aHiT
中国における韻文形式の一つ、あるいは歌謡文芸の一つ。
宋代に隆盛したので宋詞(そうし)ともいう。唐・五代では曲・雑曲・曲子詞(きょくしし)とも呼ばれた。また詩に対して詩余(しよ)とも言われ、長短不揃いの句で構成されることから長短句(ちょうたんく)ともいう。曲に合わせて詞が書かれたので、詞を埋めるという意味で填詞(てんし)、音楽に合わせるという意味で倚声(いせい)とも言われる。日本語では詩(し)と同音であるため、区別しやすく中国語音からツーと呼ばれることがある。

 

後代には音楽に合わせて作られるのではなく、前人の作品の平仄に合わせて作られるようになったため、詩と同様、朗読される詩歌の一種となった。

 

詞調に合わせて詞が作られるが、詞調ごとに形式が決められており、例えば「憶江南」では、句の字数が3・5・7・7・5、押韻が2・4・5句目と決められている。

 


◆.【神風特攻隊】最後のインタビュー

2014年08月04日 18時35分23秒 | 色んな情報

◆.【神風特攻隊】最後のインタビュー
 
◆2014/01/27 に公開
書籍『特攻―最後のインタビュー』 http://amzn.to/1jGDV2j より
久貫 兼資(くぬき けんじ)陸軍軍曹
昭和20年3月27日、知覧に前進。沖縄周辺の敵艦攻撃を命じられる。
3月28日、97式戦闘機で知覧を離陸するもエンジン故障で口之島に不時着。
終戦時19才。


「戦争を知らない皆さんに、これだけは、伝えておきたいのです」
特攻とは何か――そして、その真実の姿とは――
彼らは何のために出撃し、誰のために戦ったのか

多くの"神話"を生み、多くの"誤解"を生­んだ、特攻。
だが、その真実の姿は、当事者にしかわからない。

数奇な運命によって戦後を生き延びた11人の元・特攻隊員たちが語る、特攻の真実。

日本の"いま"を見つめてきた彼らが、私達日本人のために語った­、最後のメッセージ――


自国の危急存亡に際し、身を捨てて立ち向かう犠牲的愛国心を持って欲しい─特攻 最後のインタビュー1
堀山 久生(ほりやま ひさお)陸軍中尉 https://www.youtube.com/watch?v=_NBp5-D1zo4

特攻に嫌々行かされたなんて言われるのが、一番気に入らない─特攻 最後のインタビュー2
久貫 兼資(くぬき けんじ)陸軍軍曹 https://www.youtube.com/watch?v=dRuTlUMg378

特攻で死んでいった若者達がいたことを覚えておいてほしい─特攻 最後のインタビュー3
野口 剛(のぐち つよし)海軍上等飛行兵曹 https://www.youtube.com/watch?v=ZeyqazoGL78

日本の先生方も、命を賭けて国を守るという行為を善意で解釈してほしい─特攻 最後のインタビュー4
皆本 義博(みなもと よしひろ)陸軍中尉 https://www.youtube.com/watch?v=1EcAvXC16bA

この国が滅びようとする時、我々は柩となる機に乗るという考えを共有した─特攻 最後のインタビュー5
江名 武彦(えな たけひこ)海軍少尉(偵察員) https://www.youtube.com/watch?v=GZsLMnNgVvk

特攻は日本人の純粋な気持ちの表れだったことを伝えてゆきたい─特攻 最後のインタビュー6
粕井 貫次(かすい かんじ)海軍中尉  https://www.youtube.com/watch?v=3k-D7IJp6oo


ハート出版チャンネル
http://www.youtube.com/user/810cojp

ハート出版
http://www.810.co.jp/


エボラの特効薬がまだありました!

2014年08月04日 18時05分35秒 | 色んな情報

エボラの特効薬がまだありました!
濱田 治美
昨日はエボラの特効薬としてナノシルバーをご紹介しましたが、今日はさらに入手しやすい特効薬があったのです。それはビタミンCです。私にとってビタミンCは万能薬なのです。切り傷にも、頭痛にも、肩こりや疲れにも、風邪にも何でも効いてしまうのがビタミンCです。特に風邪にはなくてはならない栄養素です。
また、ビタミンCは重曹と同様にガンにも効くそうです。
そんなありがたいビタミンCがエボラにも効くというのですから、すごいことです。エボラの死因は大量出血だそうです。ウイルス自体は自己の免疫力により退治することができるそうです。それにしても、ナノシルバー(ここではコロイダル・シルバーと呼んでいる)とビタミンCでエボラも退治できるのですから。。。安心ですね。
病気をじっくりと治すにはオルターナティブメディスンが一番だと思っています。
http://beforeitsnews.com/alternative/2014/08/ebola-patient-dr-kent-brantly-arrives-at-atlanta-hospital-3005104.html
(一部)
この情報はジム・ストーン氏がある医師から入手した情報です。どれだけ正確かは分かりませんが。。。大量のビタミンCを投与することでガンが治ると言われていますが、エボラにも効くそうです。
そしてコロイダル・シルバー(ナノシルバーと同じ?)がエボラに効くとも言われています。私は医師でないため、エボラが猛威を振るい社会を崩壊しなねないレベルであることしか分かっていません。
そんな状況下で病院での診察が受けられない場合に備え、私は大量のビタミンC、コロイダルシルバー及びジム・ハンブル氏のMMS?を買い置きしておこうと思っています。
病院に全てを頼るよりは、むしろ、推奨されるこれらのものを使ってエボラを治療したいと思います。もしこれらが本当にエボラの特効薬ならば、全世界にこの情報を発信すべきです。
権力者らは、我々にこのことが知れ渡るのを嫌っています。なぜなら、エボラウイルスで何十億人もの人々を殺害するのが彼らの目的だからです。
ジム・ストーン氏のウェブサイトに伝えられたエボラの治療方法とは。。。
(要約)
エボラの感染者に最初に現れる症状は、壊血病と全く同じです。壊血病はビタミンC不足が原因です。壊血病は致死的な病ではありません。しかも壊血病を患ったからといって体内のビタミンCが全て失われているわけではありません。まだ大量のビタミンCが体内に残留しています。しかし体内のビタミンCが無くなってしまった時はエボラに感染しやすくなります。ビタミンCが無くなると、血管がもろくなり出血しやすくなります。そして血小板が役割を果たさなくなり血液が固まらなくなります。エボラ感染者の死因は大量出血によるものです。そのため、感染者の免疫システムがエボラウイルスを退治するまで、大量出血を防げばよいのです。そのためには大量のビタミンCを投与すればよいのです。
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51934867.html


【戦前日本の教育と精神】

2014年08月04日 17時38分29秒 | 色んな情報

【戦前日本の教育と精神】
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戦前日本の教育と精神
「がんばれ、相手の奴等に負けるな、やっつけろ」
日本の村の男の子は、声を張り上げて跳び回っていた。
昭和の初め、村の男の子供の遊びは棒切れを振り回しての「戦争ごっこ」であり、集団で隣村の子供たちと戦うのであった。その子供たちの中で、洗濯をほとんどせず、食べかすや鼻水でガスガスした着物を着、一番上の兄の太った赤ん坊を背負って走り回っている子供は私の祖父であった。

祖父は大正九年に七番目の男の子として生まれた。八人兄弟全て男である。
私の祖父は非常に頑健である。そういえば私がまだ小学校の頃、妹を背にして馬となり暴れまわった。茶の間のそこら中暴れ回って、疲れたと言って休んだ時、「元気をつける」と言って、いきなり冷蔵庫から生卵を出して小皿に割り、一気に飲み込んで「これで元気になった」と言ってまた馬になり妹を乗せて暴れ回っていた。まるで生卵が栄養ドリンクのようであった。

今でも農業を続け、二十代半ばの私もやっとついていけるくらい、よく働く。しかし、医学的には昔マラリアを患ったせいか肺が悪く、生きていることさえ知り合いの医者は不思議に思っているのである。
また、この前は心臓の大手術をしたが、退院して一週間後にはもう、三脚という三本足の農業用梯子に乗って働いているのである。当時、祖父は八十二歳であった。
また手術をした原因は心臓の神経が切れたためであるらしく、手術前は脈拍一分間に三十五で一カ月医者にも行かず、苦しそうに顔をしかめながらも農作業をしているのであった。一カ月経つと、どうにもこうにも苦しく我慢できなくなって自動車を運転して自分で病院に行き、緊急入院となり手術となったのである。実に頑健としか言いようがない。

その祖父は、日本の陸軍兵として支那大陸、ベトナム(仏印支那)、タイ(シャム)に出兵し、捕虜となった時期を含めて戦地に六年居た経験を持つ。「戦地に六年」とは、私が物事に挫けそうになった時よく祖父が私を励ますために使う言葉である。
食うや食わず生きるか死ぬかの戦地に居た祖父の苦労に比べれば、平和で豊かな現代に生きる私の苦労などは小さなものなのであった。

祖父の子供の時もまた貧しかった。学校へ持っていく弁当は、漬物とご飯で肉や魚は正月か祝日に口に出来る程度であった。ある日、小学校の祖父が弁当を開けると黄色い卵焼きが入っている。「やった」と思って喜んで頬張ると実は奈良漬けであってがっかりしたという話をよく聞いた。

祖父の通う小学校でも同じように祝日には「君が代」を皆で歌い、校長が「教育勅語」を読み上げていた。紀元節(二月十一日)ともなれば兄のお下がりの袴をはいて式に出席した。

私の家の近くの神社に小さな建物がある。その白い建物は常に扉が閉まっている。子供の頃から、私はこの建物が何であるか、不思議に思っていた。神様を祀るならば常に格子から中が見えるはずであるが見えない。しかも神社の境内の不自然な所にある。しかし、厳かに祀られている。

実は、この建物は奉安殿という。戦前の小学校には奉安殿と忠魂碑が置かれていた。奉安殿の中には天皇陛下の御写真が飾られ、教育勅語が大切に収められている。忠魂碑には、その小学校の地区出身の戦死した方の名前が彫られている。戦前の児童はこの二つの前を通る度に、深く頭を下げるのであった。奉安殿に対しては、天皇陛下と、己を正しい道へ導く教育勅語への敬意を込め、忠魂碑に対しては、日本と日本人の為に命を犠牲にした方に敬意を込めて頭を下げるのであった。

この奉安殿は戦後、勝った連合軍の罪を全て日本人のせいにして、日本を骨抜きにする政策に出たアメリカの方針により取り壊されることになったのである。祖父の通った小学校もその例外ではなかった。しかし、取り壊すことに忍びない村人たちにより、現在の神社に移されたのである。この奉安殿に対して、どれほどの児童が心を込めて頭を下げただろうか。改めてこの奉安殿を眺めて、壊されなくてよかったと思うのである。

さて、祖父は高校を卒業すると、田舎から遠い神奈川県横須賀の海軍軍需工場に事務職として採用されることとなり勤め始めた。勤務して一年ほど経つと急な電報が実家から届いた。「帰宅すべし」と電報にある。何であろうと思い、兎に角、荷造りをして帰ることにした。汽車に乗り帰る途中、もうすぐ目的の駅という所で親戚のおじさんが汽車に乗ってきた。そのおじさんに急に帰れと言われた理由を尋ねたところ、「馬鹿、お前は△△の家にもらわれるんだ」と言われ、初めて自分が養子になることを知ったのであった。その祖父が二十歳の時養子として入った家が現在の我が家であった。

私の曾祖父母は子供がなく、祖父はこの家に養子として迎えられ、農業を営むこととなったのである。しかし、養子として迎えられたのも束の間、祖父はその年の暮れ、大日本帝国陸軍兵として戦地へ向かうことになったのであった。

祖父が二十歳の五月、村中の二十歳の男子が徴兵検査を受け、見事「甲種合格」となった。検査結果は上から「甲種」、「乙種」、「丙種」であり、一番良い甲種は四十人中六人くらいしかいない。甲種合格となった者は直ちに兵隊として戦地に赴くこととなる名誉なことであった。そしてその年、昭和十五年の十二月、祖父は出兵することとなった。

村の神社で祖父及び他の二人の出兵の壮行会が盛大に行われた。村長が励ましに言葉を述べ、祖父が三人を代表して答礼の辞を述べ三人は出発する。神社から一番近くの駅まで約一里(四キロ)ある。それは今でも変わらない。三人はその駅まで徒歩で向かう。そして村の元気な者は皆、この三人を囲んで駅まで共に歩いた。
歩きながら、様々なことを話す。父と幼い時の話、母との思い出、友人との思い出、残された家族のことなど話すことは沢山あった。いくら名誉あることといっても戦場へ向かうのである。生きて帰ることが出来る保証はない。

やがて、駅に着き、汽車が来た。汽車に乗ると、他の地方から乗ってきた出兵の若者で車内は込み合っていた。祖父の戦友となる人たちである。
汽車は出発すると祖父たちは窓から乗り出して手を振り、見送りの父母兄弟友人親戚はちぎれんばかりに手を振った。今生の別れかもしれない、そう思う母たちは涙をこらえるのに精一杯であっただろう。そして駅に万歳の声は木霊(こだま)するのである。

戦場へ我が子を送り出す父母の心はいかほどであったであろうか。しかしその悲しみに堪えなければならない時があるのである。国が危機に直面していた当時、国は若者の力を必要としていたのであった。そして、私の祖父たち、当時の日本の若者の背中には、日本の子供たちの笑顔、平和の内に暮らす日本の老人、そして我等戦後日本人の運命が乗っていたのである。
それを知っていればこそ、若者は勇気を出して命を犠牲にし、守られた日本の児童はその犠牲に感謝し小学校の忠魂碑に深々と頭を下げるのであった。

そして私は、ある感動を抑えられないのである。玉子焼きと奈良漬けを間違え、ガスガスのボロ着物を着、一番上の兄の子を背負いながら遊んだ、貧しい祖父たち日本人が国の為に命をかけて、裕福な欧米人と戦い、当時世界中を覆っていた理不尽なる秩序を打ち破ったのである。
実に尊いことではないか。欧米人は恥であるから、その事実から目をそらすが、これは事実であり歴史なのである。
我等日本人はこの事実を正しく理解せねばならない。祖父たちが命をかけて戦った戦争は一体、何であったのか、そして、日本人の精神は正しかったのか。歴史は厳然と事実を語っているのである。(『祖父母たちの大東亜戦争』より)
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集団的自衛権で「戦争する国にするのか」と言う人がいます。世界中が戦争をする国です。戦争をしないということは究極的には国家・国民を守らないということにもなるのです。戦争は嫌だから国を守らない。そういう人は家族が襲われても助けずに見捨てるのでしょう。

上のお話を読んで私は日本人として誇りに思う。戦争はすべきではありません。しかし、やむなく貧しいながらも国を守るために命をかけて戦争をしたのです。


●結界・神社

2014年08月04日 08時45分07秒 | 色んな情報

 

●結界・神社
◆けっ かい 【結界】
① 仏道修行に障害のないように,一定地域を聖域として定めること。寺院などの領域を定めること。
② 密教で,一定の修法の場所を限って印を結び,真言を唱えて護り浄めること。
③ ㋐ 寺院の内陣と外陣との境の柵。
㋑ 外陣中に僧俗の席を分かつために設けた柵。
④ 帳場格子。
⑤ 茶道具の一。風炉先屛風の代用品。道具畳の向こうに客畳のある広間などで,その仕切りに置くもの。
「結界」に似た言葉» 類語の一覧を見る神域  テリトリー  境
 
◆結界   歴史民俗用語辞典
読み方:ケッカイ
(1)僧侶の修行のために一定の区域を定めたこと、またその区域。
(2)四至牓示。
(3)帳場格子。
 
◆結界    隠語大辞典
読み方:けっかい
1.他人を嫌つて近づけぬことをいふ。結界は密教にて、一定の境界を結護して魔障の入らざるやうにすることをいふ。それから来たものである。「高野山七里結界」の如きはそれである。訛つて「けつぱい」ともいふ。〔情事語〕
2.他人を嫌つて近づけぬことをいふ。結界は密教にて、一定の境界を結護して魔障の入らざるやうにすることをいふ。それから来たものである「高野山七里結界」の如きはそれである。訛つて「けつぱい」ともいふ。
3.他人を嫌つて近づけないこと。仏教語で、一定の境界を作つて魔障の入らないようにする意から出た語。訛つて「ケツパイ」ともいう。
分類 情事語
 
◆結界(けっかい、Skt:Siimaabandha)  http://urx.nu/aGy3
聖なる領域と俗なる領域を分け、秩序を維持するために区域を限ること。本来は仏教用語であるが、古神道や神道における神社なども、同様の概念があることから、言葉として用いられている。大和言葉では端境(はざかい)やたんに境ともいう。
 
◆神社などの結界  http://urx.nu/aGyf
一例として、神社の結界について説明します。様々なもので結界が作られますが、一般論として書きます。 もちろん物理的な配置、神社ならではの社会的な障壁が存在しますが、通常、神社では、敷地の四隅に炭や水晶を埋めてあります。
これらの物で結界を作っていますが、もちろんそればかりではありません。塩で境内を清めると言うことも結界の強化、作成でもあります。また、神社の存在する地域地形的な特性も関係します。
 
◆結界② 結界の形成と物的環境  http://urx.nu/aGyN
結界とは
念のため、辞書で調べると、「結界」とは、
(1)仏道修行に障害のないように、一定地域を聖域として定めること。
(2)密教で、一定の修法の場所を限って印を結び、真言を唱えて護り浄めること。
                              (大辞林)
という説明になっています。

 

神道については言及がないのですが、日本の宗教は、互いに深く影響しあっていますから、

 

神社の「結界」について語ってもおかしくはないでしょう。

 

実際、神社の鳥居は、ほとんどが、大なり小なり結界の働きをもっています。

 


●コウモリ

2014年08月04日 08時45分07秒 | 色んな情報

●コウモリ
我が家にコウモリがいつく。
換気口の中に。
アパートと言っても何年前に立ったのかは知らないけど立った頃はマンションと言っていたようだ。
壁の厚みは30センチは有る。
二匹だからツガイであろう。
家主に言って駆除して貰おうと思い業者の手配を頼んでいる。
モウ二週間にもなるのに何の返事もない。
夜は夜行性だから結構うるさい。
日によって神経に障り寄られない日も有る。
 
◆コウモリ 害虫の種類
・特徴
 家の屋根裏に多く生息しているため別名「イエコウモリ」とも呼ばれている。家の天井裏や倉庫の屋根部分に住みつき、冬期は暖かい場所に多数が集まって冬越しをする。そのため、落とした糞が堆積して臭気や衛生面で問題となる。
・防除
 7月初旬から8月中旬ごろまでの繁殖期は屋内に定着し外に追い払うのが難しくなります。そのため、繁殖期の前後にナフタリンやハーブ系のコウモリ用忌避剤を使用し屋内から追い出します。また、出入りに利用している穴が分かればそれを塞ぐことも効果的です。捕獲をする際は鳥獣保護法により環境省または各都道府県の許可が必要になります。

◆蝙蝠   季語・季題辞典
読み方:コウモリ
翼をもつ哺乳類。夜行性で夕方くらいから活動する
季節 夏
分類 動物
 
◆コウモリ(蝙蝠)http://urx.nu/aGbo
脊椎動物亜門哺乳綱コウモリ目に属する動物の総称である。「コウモリ」の名は古語に「かはほり」、「かはぼり」と呼ばれたものが転訛したものである。別名に天鼠(てんそ)、飛鼠(ひそ)がある。

コウモリ目は翼手目ともいう。約980種程が報告されているが、その種数は哺乳類全体の4分の1近くを占め、ネズミ目(齧歯類)に次いで大きなグループとなっている。極地やツンドラ、高山、一部の大洋上の島々を除く世界中の地域に生息している。