縄文人の反乱 日本を大事に

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これが韓国だ! 韓国旅行などするものではない! 

2014年08月21日 20時22分46秒 | 色んな情報

これが韓国だ! 韓国旅行などするものではない! 
中塩 秀樹
日本では考えられない、どんな目にあうかわからない!
韓国への修学旅行は論外だ!
【産経の朴大統領報道、韓国検察は「重罪」を検討、日本では「韓国は感情的」と反発の声―中国メディア】
Record China 8月20日(水)13時9分配信 (yahooニュースより)
20日、環球時報(電子版)は「韓国、産経記者に重罪を検討」と題し、産経の朴槿恵大統領報道に関して、韓国検察側の姿勢と日本メディアの反応を伝えた。
2014年8月20日、環球時報(電子版)は「韓国、産経記者に重罪を検討」と題し、産経の朴槿恵(パク・クネ)大統領報道に関して、韓国検察側の姿勢と日本メディアの反応を伝えた。
産経新聞は今月3日、セウォル号が沈んだ当日の朴大統領の動向について、韓国紙・朝鮮日報のコラムなどを引用しながら、「朴大統領が7時間以上にわたり行方不明となっていた。その間、男性と密会していたのではないか」という疑惑を報じた。同報道に韓国は国家元首の名誉棄損と批判し、18日には産経新聞のソウル支局長・加藤達也氏がソウル中央地検で事情聴取を受けた。
韓国・国民日報によると、検察側は加藤達也氏に対し情報通信網法の名誉毀損(きそん)罪の適用を検討している。同罪が適応されれば、7年以下の懲役、10年間の資格はく奪または5000万ウォン(約500万円)の罰金が言い渡される。
一方、韓国の検察側の姿勢に日本メディアからは批判的な声が聞こえている。日本では、「報道をめぐって外国メディアの記者が捜査対象になるのは異例。韓国政府は感情的になっている」「朴大統領の当日の行動に関する説明は不十分」といった報道が見られた。(翻訳・編集/内山)
【斎木外務次官「日韓関係への影響、非常に心配」「民主主義国では報道の自由は保障されるべき」】
2014.8.19 19:30 [産経ニュースより]
 産経新聞の加藤達也ソウル支局長が、朴(パク)槿(ク)恵(ネ)大統領を取り上げたウェブサイトの記事に関し、情報通信網法違反の疑いでソウル中央地検から事情聴取された問題で、外務省の斎木昭隆事務次官は19日、「非常に残念だ。日韓関係に及ぼす影響も非常に心配している。韓国政府当局はこの問題に慎重かつ適切に対応することを強く期待している」と述べた。
 また、斎木氏は「民主主義の国では言論の自由、報道の自由はしっかりと保障されるべきだ、という考え方が基本的原則だ」と強調した。外務省で記者団の質問に答えた。
 写真は、外務省の斎木昭隆事務次官=18日午前、東京都千代田区の外務省(三尾郁恵撮影)


『蘭月のせいじけーざい研究室』

2014年08月21日 20時15分12秒 | 色んな情報

『蘭月のせいじけーざい研究室』
【属国外交】舛添要一、4月の北京訪問の際に中国側の要人から印鑑を貰っていた!東京都、舛添のせいで冊封体制に突入へ!
                     2014年08月18日

「ヘイトスピーチなくならないなら、東京五輪返上だ!」とか言い出して、
ますますひんしゅくを買っている舛添東京都知事。

まぁ、 
「テメーが東京五輪を引っ張ってきたワケでもなく、更に言えば2020年までテメーが都知事だと決まったワケでもないのに、好き勝手抜かすな!」 
というのは、都民だけでなく、多くの日本国民に共通する憤りではないかと思います。

大体にして、ヘイトスピーチなるものも、何で在日に向けられるものだけ取り締まろーとするんですかね。 
在日勢力から発せられる「日本国民に対するヘイト」ってのはどーでもいいのか。

と、何かにつけて舛添知事への反感は高まるばかりですが。 
そんな中、また舛添知事への反感が高まりそうな話題が舞い込んできました。

「人民中国」という雑誌があるんですが。その名の通り、中国系の雑誌です。 
で、この雑誌の最新号(8月号)に、舛添都知事のインタビューが載っています。

今年の4月24日~26日にかけて北京市を訪問した際のことについてのインタビューのようですが。
この中で、 サラリととんでもないことが、舛添知事自身の言葉として記述されています。
これです。以下原文。

唐家セン日中友好協会会長とも晩餐会を開いて下さいました。
唐先生はわざわざ私の印鑑を作ってくださっていました。

なんとあのハg……もとい舛添知事、4月の北京訪問の際に、
中国の大物・唐家センから印章をもらっていたようなのです。

で。なんでこれを話題にするかというと。

1.中国には古来から、臣下や属国に対して印章を授けるという制度(印綬)があった 
中国において、臣下に印章を授ける「印綬」は、古来からの文化でした。 
また、属国などに対しても、玉印・金印・銀印・銅印など、ランクに応じて様々ですが、印章を授けていたんですね。 
こんなことは無論、私以上に中韓に詳しい舛添知事なら、当然知っていることでしょう(笑)。

2.舛添知事はその印章を、当たり前のように受け取ってしまっている 
前述の通り、上記の「印綬」という制度、その中国の文化を、まさか舛添知事が
知らなかったとは思えません。 
しかし、この人民中国のインタビュー記事を読む限りでは、いかにも「嬉しそうに
受け取った」ように感じられます。であれば、「東京都知事が、喜んで『臣下扱い』を受け入れた」というような解釈をされかねないのです。

3.印章を授けた唐家センは、中国共産党中央委員、外交部長、国務委員を歴任した大物である 
舛添知事に印章を作った(渡した?)という唐家セン氏。
この人物、2008年の全国人民代表大会で表向きは引退し、今は「日中友好協会」の会長となっていますが。元々、中央委員の1期目で外交部長、2期目で国務委員へ昇格を果たした大物です。 中国側の要人と言っていいでしょう。
そんな人物から「印章を下賜される」ということが、どういう意味を持つか?ということです。

本当にただの「他意のない個人的なプレゼント」だったらいいんですけどもね。
相手が中国ですから、そんな話で済むワケがありません。

宗主国が属国へ印章を授ける、というのは中国古来の文化です。
これを鑑みれば、唐家セン氏からの印章に「他意がない」とは考えられない。

花束のプレゼント、などとは意味合いが違うのです。印章は中国では明らかな
「意味」を込めて「下賜」するものであり、受け取るべきではないように思います。 
東京都知事は、中国共産党の臣下ではないのですから。

たかが印章、されど印章。「中国人がハンコに込める『意味』」ってやつを理解していれば、舛添知事のこのような浮かれようは、あり得ない筈です。 
東京都といえば、そこいらの小国よりも経済規模は大きいんですよ? 
そのトップが、中国要人から臣下扱いされて喜んでいるのですから、救いようがない。

もしかして舛添知事、ガチでその風習っつーか文化のことを知らなかったとか? 
だとしたら、都知事としては論外レベルの無知ですので、それはそれで大問題(笑)。 
日本史の授業で「漢委奴國王印」とか「親魏倭王印」とか、習ったでしょーに。ねぇ。

ちなみに「人民中国」の舛添知事インタビュー、
下記リンク内の「ちら見」をクリックすると、該当部分だけ読める(笑)。

人民中国8月号 「ちら見」 P7 
http://www.fujisan.co.jp/product/1385/b/1121107/


海上自衛隊かっけー!!ヽ(*´∀`)ノ

2014年08月21日 20時00分49秒 | 色んな情報

海上自衛隊かっけー!!ヽ(*´∀`)ノ
                   2013-05-22

2013/5/19【悲報】 日米海軍の仲良しっぷりにオーストラリア海軍がキレる。
「太平洋はお前らのバスタブじゃねーんだよ!」

※現在の米国海軍は実は超がつくほどの海自びいき。
とにかくあれこれ海自の面倒を見てくれて、 ハイレベルな演習には常に海自を誘うなど、米海軍は “いつでもどこでも海自と一緒♪(*^^*)” 状態。

あまりに海自が好き過ぎて最近じゃ
“ 海自タンはオレの嫁 ♪ペロペロ(^ω^) 。海自タンを困らせる奴は全力でぶっ潰す!” 的な
米海軍に周辺国もさすがにドン引き。見かねて豪海軍が↑の一言。実話です。

なんで、米海軍がここまで入れ込むかって言うと、泣く子も黙る世界最強の米第七艦隊の母港が日本の横須賀ってのもあるけど、海自の士気の高さ、能力の凄さに一目置いているからで、日本を護る為なら朝鮮半島は火の海になっても構わない(キリッ )と本気で思ってる無慈悲な米国海軍さん。

ちなみに豪軍は、韓国軍の度重なる自衛隊への無礼な振る舞いに腹を立ていて、国際プロトコルを守らない韓国軍を現場で怒鳴りつけたり、軍の公式ページで韓国を名指しで非難したりと、結構熱い漢(おとこ)だったりする。


ZAKZAK【エンジン開発は国の安全を左右 国力の差は極めて大きく 】

2014年08月21日 19時46分52秒 | 色んな情報

ZAKZAK【エンジン開発は国の安全を左右 国力の差は極めて大きく 】
       ■桜林美佐(さくらばやし・みさ) 2014.07.29
 IHIの前身である石川島造船所は、1853年の黒船来航の年に誕生し、昨年160周年を迎えた。
 そして、戦前・戦後の苦労のたまものであるジェットエンジン事業も、これまでのラ国(=ライセンス生産による国産)から純国産の道を開拓し、海上自衛隊の次期哨戒機P1には同社のエンジンが搭載されている。
 「何か気付きませんか?」
 初めてP1の飛行を見たときに、こう言われた。そういえば、随伴している現役哨戒機P3Cの音はハッキリ聞こえるのに、P1は近づいてきても気付かない。驚くほど静かなのだ。消音と運動性能を両立させるという、日本製ならではの開発努力の成果を感じた瞬間だった。
 P1については、国内開発が決まり、エンジンを4発にするかどうかで賛否が分かれた。米国のP8哨戒機が双発であるため、「そんなにいらないのでは?」という声が絶えないなか、4発に落ち着いた経緯がある。
 いずれにしても、最終的には現場(運用はもちろん、維持整備も含め)の声が重視されて然るべきであり、またさまざまな面でそうした声が反映されることが、国産の大きなメリットだといえるだろう。翻れば、それができなければ、国産である意味がない。
 IHIのエンジンは、さらに防衛省・技術研究本部で進めているステルス性の先進実証機にも独自のものが搭載された。近く飛行試験が行われる予定だ。これは将来的に、「日の丸戦闘機の誕生につながるかも!」という期待を背負った事業だけに注目される。
 エンジンは、きつく縛られていた装備移転が解禁となった今、最もニーズの可能性がありそうな分野といえるだろう。日本の場合、装備の輸出と言っても、「武器」をイメージさせるものではなく、汎用性のあるコンポーネント輸出が主となるのが現実的だ。
 そして、もう1つは共同開発である。いずれも同社のビジネスにとっては追い風に見える。しかし、この話になったとき、同社幹部は意外にも渋い表情を見せた。
 「もろ手を挙げて喜ぶわけにはいきません」
 同社にとってエンジン開発は、あくまでも「国の安全」のためだという。浮足立つつもりはないといった気迫が込められていた。
 「めざしの土光さん」と呼ばれた土光敏夫元社長に象徴されるように、関わる人々はいたって謙虚だ。
 しかし、これを作れるかどうかの国力の差は極めて大きく、まさに「国の安全」を左右していると言っていいだろう。


●はんてん

2014年08月21日 16時05分58秒 | 色んな情報

●はんてん
◆はん てん  【半天】
① 天の半分。
② 空のなかほど。中空(なかぞら)。中天(ちゆうてん)。
   ・・・・・・・・・・
・はん てん 【反転】
( 名 ) スル
① ころがること。ひっくりかえること。 「マットの上で-する」
② 位置・動きの方向などが反対になること。また,反対にすること。 「機首を-する」
③ 写真で,陰画を陽画に,またその逆にすること。
   ・・・・・・・・・・
・はん てん 【半纏・袢纏】
① 羽織に似た,丈の短い上着。わきに襠(まち)がなく,胸紐をつけず,襟は折り返さないで着る。
② 「 印半纏(しるしばんてん) 」に同じ。
   ・・・・・・・・・・
・はん てん 【斑点】
表面にまばらに散らばっている点。まだら。 「首に赤い-ができる」
   ・・・・・・・・・・
・はん てん 【飯店】
中国料理店。 〔中国ではホテルの意〕
   ・・・・・・・・・・
・はん てん【盤纏】
小遣いや旅費。たくわえ。ばんてん。 「貞固の-は僅に一分銀一つを剰してゐたのである/渋江抽斎 鷗外」
 
◆翻転(はんてん)歯科用語
外科的治療の際に行う処置。例えば歯周病がひどい場合は、歯肉(歯ぐき)を切開し、その部分を剥離翻転(はがしてひっくり返す)して、歯の根の奥にあ る沈着物を取り除いた後、歯肉を元に戻して縫合する。
 
◆袢纏(はんてん)http://urx.nu/bcEz
和服の一種で、江戸時代とくに18世紀頃から庶民の間で着用されるようになった短い上着である。形は羽織に近い。半天、袢天、半纏、絆纏とも書く。主に職人や店員など都市部の肉体労働者の作業着として戦後まで広く使用され、労働者階級を示す「半纏着(の者)」という語があった。種類については袖の形による広袖袢纏、角袖袢纏、筒袖袢纏、デザインの面では定紋や屋号などを染めつけた印袢纏などがある。印半纏は雇い人に支給されたり、出入りの職人などに祝儀に与えられることも多く、職人階級では正装として通用し、俗に窮屈羽織とも呼ばれた。
さらに防寒着の「綿入れ袢纏」があるが、同じ袢纏と言っても印袢纏とはまったく違う用途と発祥文化がある。よく知られている綿入れ袢纏は、袷(あわせ。表地と裏地の二重)にしてその間に綿を入れたもので、衿は黒繻子をかけたものが一般的である。主に室内用の防寒着として用いられ、男性・女性に限らず着用される。
 
◆袢纏と法被の違い
法被と袢纏の違いは服装の歴史から見てもあまりはっきりしない。江戸時代、法被は民間のものとして発達して来たものではなく、武家社会で生まれ伝えられてきたもので、それが明治時代になっても官員などの生活の中に受け継がれてきた[1]。

袢纏は逆に庶民・町民・職人を中心に日常生活で着用された。江戸時代に一般庶民は羽織禁止令が出たため、襟を返す羽織(当時の法被も襟を返して着用)の代わりに法被が形を変えてその末端の所で袢纏との混同が始まったようだ。

羽織と法被では襟と袖が異なる。襟を折り返すのが羽織で返さないのが法被、羽織の袖は袂(たもと)袖となり、法被は筒袖と違いがはっきりしている。
 

 
◆はっ ぴ 【法被・半被】
① 長着の上に羽織る,膝丈または腰丈の衣服。広袖で,袖付けより袖口の広がったものもある。襠(まち)も襟の折り返しもなく,胸にひもが付く。江戸時代,武家の中間(ちゆうげん)から大家の下僕・職人などが主家の紋や屋号を染め抜いたものを着たのに始まる。現在は職人などが用いる。
② 能装束の一。広袖で,胸ひものない上衣。金襴(きんらん)や錦を用いる。甲冑(かつちゆう)姿の武将・天狗・鬼畜類の扮装に,袴と共に用いる。
 
◆法被
読み方:ハッピ
禅宗で、高僧の椅子に掛けるきれ
 
◆法被    歴史民俗用語辞典
読み方:ハッピ
(1)禅宗で高僧の椅子の背にかけた覆布。
(2)江戸時代、武家の奉公人・中間などが着用した羽織のようなもの。
(3)襟、背、腰まわりなどに、屋号、家紋、姓名などの印を染めた半纏。
別名 半被
 
◆法被(はっぴ)http://urx.nu/bcFq
日本の伝統衣装で、祭などの際に着用し、また、職人などが着用する印半纏のことである。半被とも表記する。
・名称由来
「はっぴ」という語は、古代、束帯を着る際に袍(ほう)の下に着用した袖のない胴衣「半臂」(はんぴ)に由来するとされる。「法被」の字は、高僧が座る椅子の背もたれに掛ける布のことを「法被」(はっぴ)というが、衣服の法被と全く関連がないことから、単なる宛て字と見られている。
 

 
◆どてら 【〈褞袍〉・〈 縕袍〉】
〔「ててら」の転〕
厚く綿を入れた広袖の着物。寝具にも使う。丹前。 [季] 冬。 《 病み坐る人や-に顔嶮し /虚子 》
   ・・・・・・・・・・
・うん ぽう【縕袍】
わたいれ。どてら。おんぽう。
   ・・・・・・・・・・
・おん ぽう【縕袍】
〔「おんぼう」とも〕
綿入れ。どてら。また,粗末な衣服。 「 -を着ても恥ぢず/仮名草子・伊曽保物語」
   ・・・・・・・・・・
・わん ぼう【縕袍】
〔「おんぽう(縕袍)」の転〕
綿入れの着物。また,粗末な衣服。人の衣服をけなしても言う。 「この-は兵吉に貴殿よりの御仕着せ/浄瑠璃・本朝三国志」
 
◆【どてら】 どてら   茨城弁大辞典
かいまき布団。
子供の頃はどてらで寝てました。肩があったかいんですよね。
 
◆丹前(たんぜん)http://urx.nu/bcG5
厚く綿を入れた防寒のための日本式の上着。褞袍(どてら)ともいう。長着の一種。
当初は旗本に仕える使用人の旗本奴たちの間で流行し、これが一般にも広まった。

丹前は綿の入った広袖の長着で、布地は派手な縞柄のものが多く、これを丹前縞という。また、厚手のウール生地で作られた、中綿の入っていないものもある。

なお、綿入れ袢纏は、羽織風の、腰あたりまでの上着であるが、最近では、また地方によっては、これを丹前あるいはどてらと呼ぶこともある。

日本の東北地方、北海道地方では、掻巻(寝具)のことを丹前と呼ぶ。
・解説
丹前の原型は吉原の有名な遊女だった勝山の衣裳にあるという。

勝山は、元はといえば江戸神田の風呂屋の湯女だったが、この風呂屋は堀丹後守(堀直寄)の下屋敷の前にあったことから「丹前風呂」と呼ばれていた。勝山ゆかりの丹前風呂では湯女たちが勝山にあやかって良く似た衣服を身につけていたが、そこに通い詰めた旗本奴たちがそれによく似たものを着て風流を競ったので、「丹前」が巡り廻って衣服の一種の名となったという。

こうした旗本奴や、のちには侠客などが、派手な縞柄の丹前に広幅の丹前帯をだらしなく絞めて着流したのが丹前風で、これが一種の流行になった。

侠客を歌舞伎の舞台でよく勤めた役者が多門庄左衛門である。彼は当時流行していたこの丹前姿で六方を踏んで悠々と花道を出入りしたことで絶大な人気を得た。この丹前六方にあやかって、丹前を着流して市中を悠然と闊歩する者が後を絶たなかったので、彼らのことも「丹前」と呼んだ。


●つくばい(手水鉢)水琴窟-洞水門

2014年08月21日 09時26分35秒 | 色んな情報

●つくばい(手水鉢)水琴窟-洞水門
◆甕 (かめ)    防府歴史用語辞典
煮炊きに使う土器です。
 
◆甕     歴史民俗用語辞典
読み方:モタイ
飲食物を盛る器の総称。
 
◆かめ【瓶・甕】
① 口が大きく,胴が丸く深い土器・陶器。また,壺の大形のものもいう。容器,食物の保存・加工用など様々に用いられる。
② 「 瓶子(へいじ) 」に同じ。 「烏のついゐたるかたを-に作らせ給ひて/大鏡 道隆」
   ・・・・・・・・・・
・たしらか 【甕】
天皇の祭具の一。手を洗う水を入れるかめ。 〔延喜式〕
   ・・・・・・・・・・
・み か 【甕】
〔「み」は接頭語,「か」は容器の意か〕
酒を醸造するのに用いた大きなかめ。みかわ。 「酒殿は広しま広し-越しに我が手な取りそ/神楽歌」
   ・・・・・・・・・・
・みか わ 【甕】
「 みか(甕) 」に同じ。 「天の-に斎(い)み籠(こも)りて/祝詞 出雲国造神賀詞」
   ・・・・・・・・・・
・もたい もたひ 【瓮・甕】
酒などを入れるかめ。 「酒を好む猩々(しようじよう)は-のほとりに繫がれ/義経記 2」
「甕」に似た言葉» 類語の一覧を見る溜め桶  タブ  桶  水盤  担桶
 

 
◆つくばい【蹲・蹲踞】
〔動詞「つくばう」の連用形から〕
茶庭などに据える手水(ちようず)鉢。つくばって使うように鉢を低く構え,左右に湯桶(ゆおけ)・灯火を置く湯桶石・手燭(てしよく)石を配し,使い手の乗る前石を据えるのが定式。茶室では心身の塵を払うものとして重視する。据え方により立ち使いの形式もある。
 
◆つくばい   住宅用語大辞典
和風の庭に置かれる石の手水鉢のこと。
 
◆つくばい(蹲踞、蹲)http://urx.nu/bbQn
日本庭園の添景物の一つで露地(茶庭)に設置される。茶室に入る前に、手を清めるために置かれた背の低い手水鉢に役石をおいて趣を加えたもの。手水で手を洗うとき「つくばう(しゃがむ)」ことからその名がある。
 

 
◆すいきん くつ 【水琴窟】
日本庭園の技法の一。
洞窟内に水滴を落としたとき発生する反響音を庭園内で楽しむもの。
一般に手水(ちようず)鉢の下の地中に甕(かめ)などを埋め込み,手水後の排水に音を生ませる形をとる。
洞水門(どうすいもん)。
 
◆水琴窟(すいきんくつ)http://urx.nu/bbQz
日本庭園の装飾の一つで、手水鉢の近くの地中に作りだした空洞の中に水滴を落下させ、その際に発せられる音を反響させる仕掛けで、手水鉢の排水を処理する機能をもつ。
水琴窟という名称の由来は不明である。
同系統もしくは同義の言葉に洞水門(とうすいもん)がある。
伏鉢水門、伏瓶水門ともいう。
 
◆『●水琴窟(すいきんくつ)●洞水門(どうすいもん)●小堀 遠州 お茶 お花』 http://amba.to/JAN7rC