そして時の最果てへ・・・

日々の雑感や趣味の歴史についてつらつらと書き並べるブログ

コペルニクス

2010-09-20 22:58:01 | 雑感
「科学」を考えるシリーズ。前回の続きです。

14世紀以降のヨーロッパで、これまでのキリスト教的価値観と距離を置き、人間や自然のありのままの形をもう一度見直す世相(ルネサンス)が流行しました。

そんな時代に生きたコペルニクスは、聖書にも書かれ、キリスト教会の中に「常識」として流布していた天動説に疑問を持つようになります。と言いますのも、コペルニクスのお師匠さんがそもそも天動説に懐疑的でして、ギリシア人でも地動説を唱えていたアリスタルコスや、イスラームの地動説をコペルニクスに紹介していたようなんです。

「それなら、俺も計算してみようか」

それで「太陽の周りを、地球を含めた惑星が公転している」というモデルへ実測値を当てはめてみるとあらビックリ。それなりにもっともらしい計算結果になっちゃいました。

「数学的には、太陽中心モデルでも惑星の動きをある程度きれいに説明できますよ」

コペルニクスの提案したモデルはすぐには受け入れられませんでした。もちろん宗教的な理由もありますが、おそらく一番の理由は「役にたたなかったから」。

コペルニクスが生きた16世紀は大航海時代。船乗りは星の位置観察によって現在位置を確認するため、正確に星の位置を予測する理論に強い需要がありました。で、コペルニクスの新しい理論で惑星の位置を予測してみると、これまでの天動説のやり方と計算量も精度もほとんど変わりませんでした。

「だったら今までの天動説でいいや。」

コペルニクスは地動説に説得力を与えることに失敗しましたが、
・別のモデルでも現実を(ある程度)うまく説明できることを示した。
・後世の人が検証できるように計算方法をキチンと残した。
という点が評価され、それ以前にも地動説を唱えていた人がいるにもかかわらず、「地動説の創始者」という評価を得るに至りました。

以上から
・自分なりの新しいモデルを勝手に設定し、そこから現実を説明しようとする
特徴が見えます。これはプラトンがイデア界を仮定して世界を演繹的に説明しようとした方法と同じですね。

次回は地動説がいかに正しい理論としての地位を獲得していったかを書いてみようと思います。