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中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

3・11

2012-03-11 10:55:38 | 身辺雑記

 あの悲惨な大災害の日から1年がたった。 

 近頃は何かしら日の経つのが早いようで、あっという間に1年が過ぎるという感じで年賀状にもそんなことを書いた。しかし、あの大地震で大切な家族や財産のすべてを失った被災者の方たちにとっては、長い長い1年ではなかっただろうか。私が妻を失ったのは2月の末のことだったが、その年は本当に長かった。喪失感に捉われて毎日を無為に過ごしたように思う。

 震災直後に新聞で報じられた、奥さんと幼い二人の娘を失った岩手県山田町のSさんは見も知らない方だったがお悔やみの手紙を送った。Sさんからは返信はなかったが、おそらくあの当時はそれどころではなかったのだろう、そのSさんは今日一周忌を迎え、最愛の妻子の写真を前にして、どのような思いをしているのだろうかと、妻の一年祭を迎えた時の自分を思い出して胸が痛む。

 大災害から1年は過ぎたが復旧はなかなか進んでいないようだ。被災3県の膨大ながれき処理を引き受ける自治体も多くないようで、特に放射能汚染を心配する住民の抵抗が強いようだ。その心配は分からないでもないが、それにしても震災後に叫ばれた「がんばろう日本」、「がんばれ東北」の声は空しい。昨年の漢字は「絆」だった。これも災害から1年たった今では、何か空虚にも聞こえる。 

  それどころか、風評被害がいまだに根強いようで、特に福島県、福島産のものに対する仕打ちは、何が「絆」だ、きれいごとを言うのもいい加減にせいと言いたくさえなる。福島人に対する差別もひどい。移転先で公園で一緒に遊ぶなと言われたり、保育園の入所を拒否されたりとひどいものだ。前にもブログに書いたが、あるネット掲示板の書き込みを見ると、福島県(人)に対する憎悪に満ちたものがあり、慄然とするし、このような非人間的な心の持ち主には強い怒りを覚える。 

  これからも復旧の歩みはなかなか進まないだろう。国の復旧へのいっそうの努力を求めながら、今なお住み慣れた地に戻れず、いわれのない風評被害に晒されている人たちが一日も早く安定した生活を取り戻せるようにと願う。

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