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中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

寿命

2008-07-28 09:49:55 | 身辺雑記
 にわかに蝉がやかましく鳴き出した。真夏が来たなと思わせる。近くの生垣のある小路を通ると、生垣の木の枝や葉に蝉の抜け殻があるかと思うと、早くも死んでしまっているものもある。はかないことだと思った。

 はかない命の譬えに「かげろう(蜉蝣)のいのち」と言うのがある。朝(あした)に生まれ夕べに死すと言われている蜉蝣は、羽化するとすぐにヤマメなどの川魚に捕食され、それをまぬがれても水辺で交尾・産卵を終えると数時間で死ぬというから、まことにはかない。もっとも卵から孵化した幼虫は水中で2~3年を過ごすから、この弱々しい姿の昆虫にしてはまあまあの一生だとも言える。

 
フタスジモンカゲロウ(インタネットより)

 蝉でも例えばアブラゼミは成虫になって1月くらいで命が尽きるが、その前の6年間を幼虫の時期として土中で過ごすから、昆虫としてはかなり長い一生である。アメリカには17年間も幼虫期を過ごす蝉がいる。

 人間は成人してから生きる時間が長いから、それを基準にすると昆虫などの幼虫期は人の目に触れにくいこともあって、どうしても成虫になってからを見るから、昆虫の命は短いように思える。しかし生物は動物も植物も、言わば子孫を残すことを最大最終の目的にしているようなものだから、成熟して生殖が終わると命も終えるのも当然の自然の摂理だとも言える。竹などは60年も生きても、花が咲き実を結ぶと枯れてしまう。昆虫でなくても鮭なども、生まれた川を下って海に行き、何年も回遊してやがて生まれ故郷の川に戻り、生殖が終わると雄も雌も死んでしまう。これも考えようによってははかないことなのだろうが、そもそもそのように思う人間や高等な哺乳類は、生殖時期が終わっても長く生き永らえ、生殖、繁殖ということから見れば生物としては変わった存在なのだ。とりわけ成熟後は決まった繁殖時期がなくいつでも生殖可能な時期が長い人間はそうだ。しかも人間は文明の進歩によってどんどん寿命が延びてきている。これも他の生物とは違っている点だろう。かつては寿命は天命だった。それがとっくに生殖能力を失うか、ほとんどなくした老人がどんどん増え、しかも元気で、もはや「朝には紅顔ありて夕べには白骨となる」と詠嘆することも少なくなり、命のはかなさを蜉蝣に譬えることもなくなってしまったようだ。