私はユニクロの商品は買わない。なぜなら、かつて「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングの柳井正社長は、中国の横やりにも関わらず靖国神社の参拝を、首相として当然のことではあるが、行なう小泉首相にたいして、
「なぜ靖国神社に行くのか分からない。個人の趣味を外交に使うのはまずいんじゃないか」
と批判したことが伝えられるからだ。
http://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/50314424.html
元記事のZAKZAKのサイトは既に削除されているので、この発言の真偽は明確ではないが、中国との関係が濃厚な同社であれば、発言はなかったにしても、社長が本音ではこのように考えていたことは間違いないであろう。逆にいえば柳井社長は正直な人だともいえるが、公然とこのような発言をしたことが事実ならば、わたしはやはりこの人を許すことが出来ない。靖国参拝が「個人の趣味」とはまったくもって英霊たちのことを思うにつけ、言語道断の発言である。
柳井社長がこの発言をしたとされるのが2006年の1月。
いまさら「富田メモ」でもないだろうが、これが日経新聞に、「昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感」の見出しで朝刊の一面トップにあらわれたのが、同年の7月20日であった。
2006年といえば、小泉首相が、8月15日の終戦の日に靖国に参拝しそうだということで、日中関係が冷えきっていた時期だ。
当時日本の経済界には、柳井社長ほどあからさまではないにしても、「小泉さんにも困ったもんだ」という雰囲気が流れていたことは疑いがない。いうまでもなく日本の首相の靖国参拝は中国との商売に明らかな支障をきたしたであろうからだ。
このいわゆる「富田メモ」の記事が日経に掲載されたことで、左右取り混ぜての侃々諤々の議論が百出し、メディア側のおそらく意図通り、「天皇陛下でさえ、A級戦犯が合祀されている靖国に参拝されなかったのに、なぜ小泉は参拝するのか」という世論が左派を中心に形成されたように思う。
「富田メモ」とは、1978年(昭和53年)から、1988年(昭和63年、昭和天皇崩御の前年)まで宮内庁長官をつとめた富田朝彦氏がつけていたとされる日記、覚え書き(手帳14冊・日記帳13冊・計27冊)のことで、日経が報じたのは、
「私は或る時に、A級が合祀され
その上 松岡、白取までもが
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか
易々と
松平は平和に強い考えがあったと思うのに
親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない
それが私の心だ」
の部分である。これを日経は、見出しにあるように、昭和天皇がいわゆる「A級戦犯」の合祀に対して不快感を表したものと「断定」して、報道してしまった。
http://kansai-concierge.nikkei.co.jp/kansai/news-review/index.asp?wrt_cd=2969&bk_p_no=7
「断定」して報道してしまったことが、私には大問題であるとおもう。推測ではあるが、小泉首相の靖国参拝をこころよく思わない経済界の意向もあったかもしれない。この報道が突然なされた時期を考えればそのように考えるのが自然であると思う。
いうまでもないが昭和天皇の大御心は計り知れない。
ところがこのメモには「天皇が、御上が」という主語があるわけでも、ましてや御名御璽があるわけでもないただ一枚の紙切れにすぎない。こんなものを富田元長官が書いた、ということだけがわかっているだけで、なぜ昭和天皇の言葉だと「断定」することができるのか。
さらにいえばなんで小泉首相が終戦の日に靖国に参拝しようとして、日中関係が険悪になっているときにこんなメモがでてくるのか。
さらに半藤一利や保坂正康、秦郁彦といった、そうそうたる保守派の論客がこれにお墨付きを与えてしまったが、いまだこの言葉が昭和天皇のものであると推測されることはあっても、証明はされていない。
いっぽうでこれは昭和天皇のお言葉ではない、という反論も無数にある。私はそれを信じているが、メモがただ一枚の紙切れであるが故に、おそらく今後永遠にこのことが証明されることはないであろう。
繰り返すが、昭和天皇の大御心は何人にも計り知れないのである。わたしはマッカーサーに、「全責任は私にある」とおっしゃった陛下が、A級だとか、B級だとか、そうゆう連合国の報復裁判によって決められてしまった区別を臣下に対してされるはずがないとおもう。
「参拝」というのもおかしい。帝王教育を受けた昭和天皇がこのような言葉を使われるはずがない。「親拝」もしくは「行幸」ならわかる。ましてや靖国に祀られている祭神は、ことごとく天皇の臣下であるから陛下の「参拝」などありえない。
では誰の言葉かというと、いわゆる「A級戦犯」
が松平永芳宮司によって靖国神社に祀られたことに強い不快感をもっていた徳川義寛元侍従長の言葉であろうことが指摘されている。
http://blog.goo.ne.jp/japan-n/e/8c043cd7777d6ea86feec625f1d6f835
『続 日本人が知ってはならない歴史』 朱鳥社
など
松平元宮司は、越前の松平家の出身であり、徳川元侍従長は尾張徳川家の出であるから、松平氏は徳川氏の家臣筋に当たる。なので「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と、松平は平和に強い考えがあったと思うのに親の心子知らずと思っている」という表現は主従関係でみた場合しごく自然な表現であると思う。
しかしあくまでこれも推測にしか過ぎないのである。
結論としていまだ誰のものかも、証明されない富田メモを、「昭和天皇のお言葉、お考え」と決めつけてしまった日経の報道姿勢はいかがなものかとおもう。「大誤報」として糾弾されてもおかしくないと思うが、どうゆうわけか日本のマスメディアは反日、反靖国にかんするトピックには、甘い顔をするように思えてならない。
「なぜ靖国神社に行くのか分からない。個人の趣味を外交に使うのはまずいんじゃないか」
と批判したことが伝えられるからだ。
http://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/50314424.html
元記事のZAKZAKのサイトは既に削除されているので、この発言の真偽は明確ではないが、中国との関係が濃厚な同社であれば、発言はなかったにしても、社長が本音ではこのように考えていたことは間違いないであろう。逆にいえば柳井社長は正直な人だともいえるが、公然とこのような発言をしたことが事実ならば、わたしはやはりこの人を許すことが出来ない。靖国参拝が「個人の趣味」とはまったくもって英霊たちのことを思うにつけ、言語道断の発言である。
柳井社長がこの発言をしたとされるのが2006年の1月。
いまさら「富田メモ」でもないだろうが、これが日経新聞に、「昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感」の見出しで朝刊の一面トップにあらわれたのが、同年の7月20日であった。
2006年といえば、小泉首相が、8月15日の終戦の日に靖国に参拝しそうだということで、日中関係が冷えきっていた時期だ。
当時日本の経済界には、柳井社長ほどあからさまではないにしても、「小泉さんにも困ったもんだ」という雰囲気が流れていたことは疑いがない。いうまでもなく日本の首相の靖国参拝は中国との商売に明らかな支障をきたしたであろうからだ。
このいわゆる「富田メモ」の記事が日経に掲載されたことで、左右取り混ぜての侃々諤々の議論が百出し、メディア側のおそらく意図通り、「天皇陛下でさえ、A級戦犯が合祀されている靖国に参拝されなかったのに、なぜ小泉は参拝するのか」という世論が左派を中心に形成されたように思う。
「富田メモ」とは、1978年(昭和53年)から、1988年(昭和63年、昭和天皇崩御の前年)まで宮内庁長官をつとめた富田朝彦氏がつけていたとされる日記、覚え書き(手帳14冊・日記帳13冊・計27冊)のことで、日経が報じたのは、
「私は或る時に、A級が合祀され
その上 松岡、白取までもが
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか
易々と
松平は平和に強い考えがあったと思うのに
親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない
それが私の心だ」
の部分である。これを日経は、見出しにあるように、昭和天皇がいわゆる「A級戦犯」の合祀に対して不快感を表したものと「断定」して、報道してしまった。
http://kansai-concierge.nikkei.co.jp/kansai/news-review/index.asp?wrt_cd=2969&bk_p_no=7
「断定」して報道してしまったことが、私には大問題であるとおもう。推測ではあるが、小泉首相の靖国参拝をこころよく思わない経済界の意向もあったかもしれない。この報道が突然なされた時期を考えればそのように考えるのが自然であると思う。
いうまでもないが昭和天皇の大御心は計り知れない。
ところがこのメモには「天皇が、御上が」という主語があるわけでも、ましてや御名御璽があるわけでもないただ一枚の紙切れにすぎない。こんなものを富田元長官が書いた、ということだけがわかっているだけで、なぜ昭和天皇の言葉だと「断定」することができるのか。
さらにいえばなんで小泉首相が終戦の日に靖国に参拝しようとして、日中関係が険悪になっているときにこんなメモがでてくるのか。
さらに半藤一利や保坂正康、秦郁彦といった、そうそうたる保守派の論客がこれにお墨付きを与えてしまったが、いまだこの言葉が昭和天皇のものであると推測されることはあっても、証明はされていない。
いっぽうでこれは昭和天皇のお言葉ではない、という反論も無数にある。私はそれを信じているが、メモがただ一枚の紙切れであるが故に、おそらく今後永遠にこのことが証明されることはないであろう。
繰り返すが、昭和天皇の大御心は何人にも計り知れないのである。わたしはマッカーサーに、「全責任は私にある」とおっしゃった陛下が、A級だとか、B級だとか、そうゆう連合国の報復裁判によって決められてしまった区別を臣下に対してされるはずがないとおもう。
「参拝」というのもおかしい。帝王教育を受けた昭和天皇がこのような言葉を使われるはずがない。「親拝」もしくは「行幸」ならわかる。ましてや靖国に祀られている祭神は、ことごとく天皇の臣下であるから陛下の「参拝」などありえない。
では誰の言葉かというと、いわゆる「A級戦犯」
が松平永芳宮司によって靖国神社に祀られたことに強い不快感をもっていた徳川義寛元侍従長の言葉であろうことが指摘されている。
http://blog.goo.ne.jp/japan-n/e/8c043cd7777d6ea86feec625f1d6f835
『続 日本人が知ってはならない歴史』 朱鳥社
など
松平元宮司は、越前の松平家の出身であり、徳川元侍従長は尾張徳川家の出であるから、松平氏は徳川氏の家臣筋に当たる。なので「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と、松平は平和に強い考えがあったと思うのに親の心子知らずと思っている」という表現は主従関係でみた場合しごく自然な表現であると思う。
しかしあくまでこれも推測にしか過ぎないのである。
結論としていまだ誰のものかも、証明されない富田メモを、「昭和天皇のお言葉、お考え」と決めつけてしまった日経の報道姿勢はいかがなものかとおもう。「大誤報」として糾弾されてもおかしくないと思うが、どうゆうわけか日本のマスメディアは反日、反靖国にかんするトピックには、甘い顔をするように思えてならない。
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