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ウラジオストク 共産国家の侵略のしかた

2009-12-02 06:32:35 | 歴史
東大のバカ教授が「日露戦争を『祖国防衛戦争』と記しているが、ロシアが日本を侵略しようとしていたことを示す歴史的事実はない」http://www.47news.jp/CN/200911/CN2009112601000602.htmlなどといっているらしいので、ロシアの東方侵略の軍事拠点であったウラジオストク(東を征せよ)という街についてネットでいろいろ見ていたら、Wikipediaに面白い記述を見つけた。それはソ連時代のウラジオストクの記述で、

「ロシア革命後、ウラジオストクには、日本、イギリス、アメリカの干渉軍が進駐した(シベリア出兵)。1920年 - 1922年の間、極東共和国の支配下にあり、各地から白系ロシア人が押し寄せたため、市の人口は、9万7千人から41万人までに増加した。1922年10 月25日、最後の干渉軍部隊が撤収し、ウラジオストクは赤軍の支配下に入った。市の人口は、10万8千人にまで減少した。」

というものであった。ちなみに極東共和国とはおなじくウィキペディアによると「1920年3月7日、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のソビエト政権が日本のシベリア出兵に対峙すべく建国し、1922年11月19日まで存在した短命な極東の緩衝国家。」とのこと。ウィキペディアは便利だなあ。

注目したのは「各地から白系ロシア人が押し寄せた」というところ。共産国家の侵略のありかたは、その侵略の拠点にはまず、どんどん自国人を送り込むということである。これチベットしかり、ウィグルしかりである。

日本も例外ではないではないか。長野での聖火リレーのとき、これほどの中国人が国内にいるのかと驚愕したものだ。

私は何も日本には外国人を入れるなといっているのではない。明治から昭和初期の日本には主にアジア各国の将来ある留学生や独立の志士を受け入れて、そうしたアジア諸国の独立解放に日本は大きな寄与をした。中国では国父とされている孫文もそうである。現在アフリカ諸国よりもアジア諸国の旧列強植民地がより発展しているのは日本の関与があったからであることは疑いがない。

それはともかく、しかしある政治的意図をもって日本にやってくる外国人には要注意なのである。

いうまでもなく「外国人参政権」のことである。こんなものを成立させてしまっては日本の国が危ない。

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