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やっぱり、気楽にいこう!

つれづれなるままに

「不景気は天佑」説。食料自給率40%を80%にするには

2009-02-01 17:53:56 | 農林業
現在の日本の農業従事者は2005年の農水省の農業センサスの調査によると総計556万人で国民総数の約20パーセント。
この統計はいまから4年も前のデータであり、この時点における65歳以上の農業従事者比率は38パーセントというデータもあるので、現在はさらに減少していることであろう。

そして食料自給率は約40パーセント。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/0530.html
http://www.foodpanic.com/

これは考えてみるとふたつの視点から凄いことである。ひとつはこの国における農業従事者が圧倒的に少ないこと。
そしてもうひとつはこの少ない農業従事者が40%もの国内の食料を生産しているということである。

これを可能にしているのは日本の高い農業技術であることはいうまでもない。

それにしても40%の食料自給率は低すぎる。

単純に考えれば現在の農業従事者の人口が2倍になれば、自給率80%が可能になるはずである。
そのためにはとくに若い人がどんどんと山村に回帰して、農林業に就業する必要がある。

禅語に「百尺竿頭に一歩を進む」というものがある。

失職した人や都会での生活に精神的不安がある人は思い切って山村での生活を考えるべきである。ネットで検索すれば全国で移住の相談にのってくれる自治体は無数にあるはずだ。
自然は人を癒す。鬱状態や精神状態が不調となったときに一番いいのは自然のなかでの軽労働であると私は信じている。都会でのコンクリートに囲まれた生活こそ全く人にとって不自然なものにちがいない。

おもしろい試みとしては、マイミクさんの日記に紹介してあったこんなものもある。
渋谷ギャル発、農業革命!? 稲作挑戦、秋に商品化
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090130-00000025-san-soci

日本のお百姓は残念ながら欧米の農業従事者にくらべてあまりおしゃれではない。こうした試みも若い人々に農業に関心をもってもらうためにユニークなものであると思う。

いっぽうで、日本は食料の輸入の大部分を中止する必要がある。日本が米などむりやり食料を輸入させられている理由として自動車などの工業製品を海外に輸出しすぎていることによる貿易不均衡が原因のひとつとなっているが、円高と不景気で工業製品の生産が減少し、したがって輸出がしだいに減少することでこの問題は解決するであろう。

わたしは「不景気は天佑」説をとなえる。日本は黒船来航や日露戦争、そして大東亜戦争の敗戦など、国家崩壊の危機に瀕して、逆にその不幸を転じて幸いとなす叡智を発揮してきた。
今こそいびつな経済発展を遂げたこの国が正常な姿に戻るべき時であると思う。

派遣切りにおもう。人々よ、農村に帰れ

2008-12-19 15:27:32 | 農林業
世界でも日本ほど平等な社会はない。これは私たちが誇っていいことである。

日本国憲法は第三章において、国民の権利と義務を規定している。
http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM

日本国憲法においては「教育」は「国民の権利および義務」として規定されており、現在大手の企業の社員として働いている人も、派遣社員として働いている人も、基本的にスタートラインはすべていっしょなのである。憲法9条は即刻改正されるべきであるけれども、この第3章の第10条から40条は素晴らしいものであるとおもう。

もちろん金持ちの家に生まれたり、貧乏な家に生まれたり、幸福な家庭環境にあったり、そうでなかったり、人によって様々な生活環境の相違はあるに違いないが、日本では努力さえすれば、いまのところ、間違いなく生命や財産の不安を感じることなく生きていけるだけの社会状況がある。

幸福な人、不幸な人、人生いろいろであるとおもうが、それも人がいままで生きてきたことの業(カルマ)の結果がそこにあるのである。それは今生だけではなく、前世にまでつながっている。

昨今の世界同時不況の影響で、急速な業績悪化により、日本企業は過酷な人員削減が行なわれているという。その風当たりをまともにくらっているのが派遣社員であるという。世界が有限である以上、もうモノをつくって数限りなく売るということは無理になってくるであろう。経済の右肩上がりはもうないものと覚悟するべきである。

会社の経済効率を上げるために派遣社員を多用した企業の責任を問うのももっともだが、いくら企業や国を責め立てても、ない袖は振れぬ。会社がつぶれてしまっては元も子もない。

失職した人、しそうな人で田舎のある人は、田舎に帰ろう。そして先祖から受け継いだ田を耕し、山の手入れをしよう。
田舎をもたない人は、地方の村役場を訪ねれば、贅沢を言わねば、住むところくらいは紹介してもらえる。また地方自治体はそうした仕事をすべきである。
就農者は当面「給料」などというようなことを考えてはいけない。しかし憲法第25条に「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあるように、国は最低限度の住居を与えなかればならない。

村落に入るについて最初は壁を感じるかもしれないが、村の掟を守り、積極的に村民に交わり、隣近所と良好な関係を築きさえすれば、けっこううまいことやっていけるはずである。そのために就農者は村落に「受け入れられる」必要があるし、その努力をすべきである。
会社というものが「疑似共同体」であるのにたいし、村落はまさしく「共同体」にほかならない。村人たちは、生まれてから死ぬまでこの共同体のなかでお互い助け合いながら生きていくのである。
それにたいして会社は定年までしか面倒を見てくれないし、定年退職してしまえば、人は会社にとって過去の人になり、ほとんど接点がない。ゆえに「疑似」なのである。もっともこのような日本的な会社のあり方はすでに崩壊してしまっているかもしれないが。

いま農村は若者を欲している。もちろん稼ぎはあまりないであろう。しかし欲さえ捨てれば人間はけっこう楽になれる。
食い扶持は、もう高齢で田んぼを耕すことが出来なくなってしまったお年寄りのかわりに田んぼを耕作してあげて、一年食えるだけの米を現物支給してもらったり、畑を自分で作ればいい。山にはイノシシやシカ等、田や畑を荒らす害獣がごまんといるので、捕まえて食べれば一石二鳥である。
冬には山に入って荒れ果てた杉檜の間伐をすれば、日本の山林は見事再生するであろうし、花粉症というようなものもなくなるであろう。

今回の世界的不況は日本の農村再生の絶好の機会ともいえる。日本の田舎が豊かになれば、日本は必ず良くなるはずであると私は信じる。

第一次産業の悲鳴

2008-07-16 09:11:30 | 農林業
 お盆の檀家さんまわりをしていると、お年寄りの愚痴が多くなってきた。

「百姓なんかばかばかしくてやっとれん」というものだ。

ちょっと前までは「ほんでも先祖から受け継いだ田んぼだもんで、草、生やかいとっちゃあいかんでなあ」だった。

 それが「百姓なんかばかばかしくてやっとれん」にかわってきた。

 稲作などずいぶん前から採算が取れないことなどあきらかであった。労働の喜びというものは額に汗して働いた分にふさわしい、報酬というみかえりがあって始めて成り立つものである。しかし日本の稲作を担っている高齢のお年寄りたちは、「先祖からの田んぼを荒らしちゃあいかん」という義務感のみでこれをやってきた。

 しかしそれももう限界である。おとといは日本全国の漁業従事者により、その惨状を訴える一斉休漁があった。
 私たち消費者は漁師さんたちのこの叫びを深刻に受けとめるべきである。しかし飲食店やスーパーなどで、多大な影響が出たという話はあまり聞かなかった。
 いうまでもなく日本の食料事情においては水産資源のほとんどは輸入物でまかなえてしまうからである。日本の第一次産業の衰退の第一の原因は間違いなくここにある。

 いったい食料自給のできない国が先進国といえるだろうか。命の源である食料の70パーセントを外国に依存する国、日本周辺の貴重なエネルギー源をいともたやすく外国の欲しいままに開発させてしまう国、そして軍隊がまともに軍隊として存在しない国。

 こんな国をつくってしまったのは間違いなく戦後の政治家と役人だ。今日も高齢のお百姓さんたちは、炎天下の中、田んぼの草刈り等農作業に励んでいる。
 役人たちは、冷房の効いた庁舎でやっているのか、いないのかわからないような仕事をして、国民の税金から高い給料をもらっている。

たかが割り箸だが・・・

2008-03-26 08:39:21 | 農林業
自分では当たり前のように思っていても、一般の人というか都会の人にはそうでないことがけっこうある。

たとえば森林のことだ。木を植えている、ということを会社のイメージアップに利用している企業はけっこうあるが、この国ではほんとうは木を植えることよりも、木を伐ることのほうが格段に必要とされていることである。

田舎の山林だけでなく、都市近郊でも、国内の杉檜の人工林のほとんどは、手入れ不足で日光が十分に入らない状態で、生育が悪く、ひん死状態にある。さらにはこの季節花粉を飛ばして人類に多大なる悪影響を与える。そのため山の木を伐って、杉や檜が正常に生育することの手助けをしなければならない。こんなことを何年も前から考え、主張してきたのにもかかわらず、山林の現状はいっこうに改善しない。

昨日、夕方のフジテレビのニュースを見ていたら、国産の割り箸のことを話題にしていた。
国内で流通している割り箸のほぼ9割以上がやっぱり中国産であるそうで、そのニュースのなかで奈良県の割り箸業者のかたが、

「伐ってはいけない中国の木を伐り、伐らなければならない日本の木を伐らない・・・」

と嘆いておられた。
もっともであると思った。やはり経済競争では単価の安い中国産の割り箸に、国産はどうしても勝てない。
こうゆうところにこそ補助金を出すべきなのに、政府はそれをしない。環境は益々悪くなるばかりである。補助金を使って間伐を進め、割り箸工場をつくって中国製品と競合する価格で市場に出すくらいは市町村レベルで十分出来ると思うのだがやらない。

かくして国民はこの時期毎年花粉症に苦しめられる。

「やらなくていいことをやり、やらなければならないことをやらない」のが日本の政治家と役人だ。

鈴木章議員への提言

2006-12-05 08:51:07 | 農林業
豊田市市議会議員 鈴木章様

こんにちは。精力的に活動される市議会議員としての章君に心から敬意をもちます。また先日はお忙しい中、地元の小学校の学芸会にお越しいただきありがとうございました。

さて、うちにもいくぶんかの山林がありますが、持ち山の間伐の必要性を痛感しています。ご存知のようにこうした山の間伐等の手入れはまさに今この時期にやらなければせっかく私たちの親や祖父たちが植林した杉、檜林も近い未来に壊滅してしまいます。
のみならず、山林の荒廃は自然災害や獣害など将来の日本の国土の有様に極めて大きな禍根を及ぼすものであると推測できます。

先日、たまたま読売新聞にて、とくに合板事業を主として国産間伐材の需要が回復の傾向にあるとのニュースを目にいたしました。
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/special/47/naruhodo271.htm
http://chubu.yomiuri.co.jp/news_k/fukokei/fuko061006.htm

また参考までに業界大手のセイホク株式会社の市況情報をご覧ください。
http://www.seihoku.gr.jp/topics/index.html

以上のサイトをご覧いただければ、国産間伐材は今後、大量な、そして安定した供給さえ確保されれば十分商品になるということが理解できます。

間伐の必要な山林は、市町村合併によって拡大した豊田市に限っていえばほぼ全域にわたって存在するといっても過言ではありません。杉檜材を主とする合板に加工できる木材や、紙の原料となる木材はここにほぼ無尽蔵にあるといえます。これらは放置しておけばますます山林を荒廃させることになり、間伐だけでもできればまだましですが、それでも伐られた材は山中で朽ち果てる運命にあります。
しかしこれらの間伐材は合板や紙の原料として十分利用価値のあるものです。これら大量の間伐材を企業にまとめて出荷するシステムさえ構築できるならばかならず山の問題は解決できると考えられます。

こうしたシステムの構築には行政の手助けが必要不可欠です。

そのシステムとは、豊田市の補助金制度をつかって、山主に呼びかけ、森林組合に依頼し間伐を行なう、生じた間伐材を企業の工場まで運搬する、そして企業からの収益を山主の負担分等に還元する・・

このような手順で山主、行政、そして企業との連携を構築できたならば必ず山の問題は解決するはずです。

山主の多くは稲作をも行なっている場合が多く、田んぼをやるだけですでに過大な金銭的、肉体的負担があり、必要性を感じながらも、山の手入れにまで手が及ばないのが現状です。豊田市森林組合によれば、間伐費用の自己負担率は20%ということですが、つまり山の手入れに関しては山主に少しでもこのような負担があるかぎり、かれらは今後いくら行政が呼びかけても、多くの山主はおそらく重い腰を上げないでしょう。
このままでは高齢化する山主が死亡等により、いなくなっていくのにつれて、所有山に関心を抱かず境界さえ知らない後継者や不在地主がますます増加し、山林の国家による強制徴収でもないかぎり、山の手入れなど永久に不可能となるでしょう。
山の問題はある意味時間との戦いです。手入れが遅れれば遅れるほど、状況はますます悪化します。

しかしもしもいま、もち山の手入れが無料でできるのなら、山主はそれに反対する理由などないでしょう。このシステムが完成されれば「タダだげなもんで間伐してもらおまい」と山主に勧めて廻り、市への間伐依頼書にサインしてもらうことならば私でもだれでもできる仕事です。
そしていま間伐さえしておけば、手入れされた山林は将来的に地域の貴重な財産になるでしょう。そしてこれらの杉、檜等は将来優良な木材として出荷でき、山村の経済を潤すことでしょう。

豊田市の「市100年の森構想」はようやく市当局が健全な山林が地域の福祉にきわめて有益であることを理解し始めたかをあらわす動きであると期待しています。
健全な山林をつくるという市民運動やボランティアの動きはすでに多く存在しています。しかし肝心の山林を所有する山主の意識が変わらない限り、山の問題はとうてい解決されるとはおもえません。

足助地区、そして将来的には旭、稲武、下山という山間部を地盤とするであろう鈴木章議員としては、かならず林業、そして農業の分野を専門とする議員として成長していただきたいと私は心から願ってやみません。
豪雨による土砂崩れ等の自然災害や、近年のイノシシ、猿、鹿、熊等の獣害はいままで人間がしてきたことにたいする自然の厳しいしっぺ返しにほかなりません。いうまでもなく自然災害は地域社会を時に回復不可能なまでに破壊し、獣害は農業にかかる経費と負担を増やし、農家は稲作を放棄するばかりで、休耕田は増え、自然環境をますます悪化させます。
これまでの地元のとくに山間部選出の議員や日本の国がどうしてこのような事態になるまで、私たちの環境にたいする重大な問題を放置してきてしまったのかが悔やまれてなりません。

そのためにも私のこの意見について検討していただき、貴兄のご批判をあおぎたいとおもう次第です。

以上、長くなってしまい申し訳ありませんが、今後この件に関して心のどこかに留めおいていただければ幸いにおもいます。

稲作断念!!

2006-04-26 08:17:12 | 農林業
 よその田んぼで2年続けた稲作を今年はやめることにした。採算が全く合わないことや、趣味としての労働としては負担が大きすぎること、人間関係上のトラブルが理由だ。
 このまま稲作従事者が減っていけば、日本の自然環境は激変するに違いないが、とくに現代の若者にとって稲作を兼業でやるということが、金銭の面でも、労働の面でもいかに大変なことか痛感し、大変勉強になった。
 実際私と同年代の農家の長男で百姓を兼業でやっているものは皆無に近く、田んぼに入っているのはほとんど老人でこのさき日本の国土と農業はどうなるのであろう。心配である。

農村の現状を憂う

2005-07-30 08:40:01 | 農林業
イノシシの柵を張った。

イノシシはああみえてわりあい利口なので、稲穂が出だすこの時期を狙って毎晩田んぼの近くまで偵察に来るようだ。一生懸命育てた畑の農作物もすぐに荒らしてしまう。だからこのごろの農家はイノシシの好む芋などの農作物はあまりつくらない。
イノシシの柵を作るにしても、たいへんカネがかかる。農業はあわない。すくなくとも経済的行為ではない。個人農業はボランティアか趣味の分野であるといってもいい。

しかし水田の環境に及ぼす効果は計り知れない。水田に溜められた水は水蒸気となり、天に昇り雲となって雨を降らす。雨は地上の樹木を繁茂させ、人や動物の飲料水となり、川となり海に注ぎ、豊かな自然を形成する。稲作を行う国はどこでも自然に恵まれている。逆に稲作を行わない国の国土は乾燥して荒廃したイメージがある。

農家はことさら自然保護を口に唱えないが、稲作を自腹を切って行っているだけで、自然環境に大きく寄与している。その農業従事者がどんどん減っている。
当然のことだ。農業は経済的行為ではなくなってしまったからだ。つまり農業はカネにならないばかりか、稲作を行うことの労働の負担は、他に仕事を持っている人には大変なものであるからだ。その無理を高度成長期の日本人はがんばってやってきたのであるが、これからの若い人、つまり農家の跡継ぎが、同じことができるかどうかは疑問だ。

またせっかくつくった米も完全に消費できない現状だ。米がこんなにあるにも関わらず、食料のほぼ半分は外国から輸入している状況だ。であるにもかかわらず消費しきれない米は残飯として捨てられる。

様々な理由で水田が減り続ければ、日本の環境に甚大な変化が生じるであろう。