グリーンポルポルさん、ホームくんさんから日本の農業についてコメントをいただきました。返事が長くなりましたので日記にコメントさせていただきます。
私は地域のある地主さんが病気になって、とても田んぼは出来なくなったということで、近所のお百姓さんの指導を受けながら、稲作を3年くらいやりました。3年で辞めてしまったのは、あまりにも労力に対してコストがかかりすぎることに馬鹿馬鹿しくなってしまったからです。
つまり米など作るより、買ったほうが圧倒的に安い、のです。
機械などは借りてやったのにもかかわらず、です。米は一年で10俵くらいとれましたが、一俵2万円ではとてもとても利益は出ないです。苗代、燃料代、肥料代、農薬代、籾スリ、乾燥代をあわせると、米の販売代金などほとんど消えてしまうし、これに労賃(そんなのもちろんタダですが)を加えれば、膨大な赤字です。トラクター一台買えば、おそらく一生分に消費するお米が買えてしまうと思います。日本の農業は、つまるところ苗や農薬等を農家に販売して利益を得る農協や、トラクターやコンバインを生産する農機具メーカーが儲かるようにできているのです。
昔は農協の職員といえば、農家の関係者がほとんどで両者の利益はほぼ一致していたのでよかったのですが、最近は農家とは関係のない都会出身の職員の方も多いので、農家からの農協の事業収入がそうしたかたがたの賃金などに流れていってしまっているので、そうした方面の経費も、農業従事者が負ってしまっていることは大きな問題だと思います。
この馬鹿馬鹿しい仕事を、先祖からの田畑を荒らしてはならない、ということで継続、維持してきたのは現在平均70歳以上になると思われるお年寄りたちです。
これらのお年寄りがいなくなれば、今のままでは、おそらく日本の稲作は「壊滅」します。
高い農機具を買って、農協に必要資材の代金を支払って、平日は会社勤めをして、休日には農作業をして、毎年休みなく働いて、そうしたお年寄りたちは、先祖伝来の田畑を耕作してきたのです。農家の若い夫婦であれば、お父さんは休みの日にはどこにも連れて行ってくれない、といって家庭不和の原因となりかねないのです。
そうしたお百姓たちのほとんどが、自分の農地を他人へ渡譲することを渋る傾向にあることが知られています。農地の大規模経営化と農業の株式会社化はこんごの日本の農業について必要とは思いますが、それを阻害しているのが農家のそうした感情であったことも事実ですが、いっぽうで汗と涙で維持してきたお百姓たちの農地への執着も私は理解できるのです。
しかし農民たちの涙と汗の結晶である田んぼを他人に渡すことに躊躇してきたかれらも、もはや今後農作業を続けていくことは限界となるでしょう。
うちの隣のおじいさんなど、毎年のように「もうやれん、もうやめだ」と愚痴をこぼします。それでも昨年は半分くらいの田んぼを休耕にされましたが、半分くらいは稲を植えられました。ことしは、どうされるかわかりません。
わたしはそのおじいさんからお米を買っていますが、稲作の経験があるだけに、これだけのお米を作るのにそのおじいさんが老骨に鞭打って、どれほど苦労をしてお米をつくっているのかわかります。
奥さんには先立たれ、若い衆は町に出てしまってひとりぐらしのこのおじいさんにお米をもらいにいく時、農協の2斗(1俵の半分、約30キロ)の米袋を「もう持てないから、蔵から出してくれ」といわれるときにはほんとうに痛ましい気持ちになります。
では、日本人の主食である、米づくりの労働基盤が何故これほど脆弱なものとなってしまったのでしょうか。農協の責任もあるでしょうが、それは戦後のGHQによる占領政策と大きな関係があると思います。
いうまでもなく「農地解放」のことです。
GHQには、マッカーサーの目を盗んで、少なからず共産主義者が混じり込んでいました。これはアメリカ本国政府でもそうでした。「農地解放」とは大地主の土地を、小作農に分け与えることでしたが、これは世界中の共産政権がおこなったことです。
農業というのは、大規模な農場がないと収益が上げられるものではありません。「農地解放」のために日本中の農地は分散し、結果として稲作は、それ自体で生活できる産業として成り立たなくなってしまいました。
「農地解放」は共産主義者の、日本農業破壊工作であったと行っても過言ではありません。そしてそれは現在のの国家的危機にあってじわじわと現実化しているように思います。
>農業ってそんなに簡単にできませんよ。
農業を始める環境を整えるのには、おっしゃるように農地の確保、農業機械、農機具の準備など初期費用がけっこうかさみますが、そうした環境さえ出来てしまえば、稲作のような農作業は、大変ではあるけれども、難しい仕事ではないと思います。なにしろ「百姓」といわれるように誰でもできる仕事です。
いま大震災復興という大義名分があるのだから、家も、財産も、仕事も失ってしまった被災者たちにそれ相応の補償をして土地取得、住居の確保、農機具の貸与、営農指導などの公共投資をすることは不可能ではないと思います。
さらに都会に出た農家の後継者、不在地主など耕作放棄された農地の所有者たちは、震災復興支援のために喜んで所有する土地を手放すでしょう。
被災者たちはもちろん農業だけでは生活できませんから、生活保障期間中に日銭の稼げる職探しをすればいいのです。
神々は私たちに努力すれば、確実に食料を得られるこの稲作という仕事を教えてくださったのです。
被災者の皆さんには誠に申し訳ありませんが、天はいまこそ日本人は一致団結してあらゆる産業を復興させよ、と良い機会を与えてくださっているように思います。その復興させるべき産業とは、農業にほかなりません。
農作業は大変な労働ではありますが、けっして重労働ではありません。むしろ自然のなかでの実りある労働は、震災でダメージを受けた人々の心を癒すことができることでしょう。
私はお百姓さんで精神病になったり、アル中になったりする人を一人も知りません。日の出とともに起き、大地を耕し、自然とともに生きるということは日本人にとって、もっとも相応しい生き方であるからでしょう。
私は地域のある地主さんが病気になって、とても田んぼは出来なくなったということで、近所のお百姓さんの指導を受けながら、稲作を3年くらいやりました。3年で辞めてしまったのは、あまりにも労力に対してコストがかかりすぎることに馬鹿馬鹿しくなってしまったからです。
つまり米など作るより、買ったほうが圧倒的に安い、のです。
機械などは借りてやったのにもかかわらず、です。米は一年で10俵くらいとれましたが、一俵2万円ではとてもとても利益は出ないです。苗代、燃料代、肥料代、農薬代、籾スリ、乾燥代をあわせると、米の販売代金などほとんど消えてしまうし、これに労賃(そんなのもちろんタダですが)を加えれば、膨大な赤字です。トラクター一台買えば、おそらく一生分に消費するお米が買えてしまうと思います。日本の農業は、つまるところ苗や農薬等を農家に販売して利益を得る農協や、トラクターやコンバインを生産する農機具メーカーが儲かるようにできているのです。
昔は農協の職員といえば、農家の関係者がほとんどで両者の利益はほぼ一致していたのでよかったのですが、最近は農家とは関係のない都会出身の職員の方も多いので、農家からの農協の事業収入がそうしたかたがたの賃金などに流れていってしまっているので、そうした方面の経費も、農業従事者が負ってしまっていることは大きな問題だと思います。
この馬鹿馬鹿しい仕事を、先祖からの田畑を荒らしてはならない、ということで継続、維持してきたのは現在平均70歳以上になると思われるお年寄りたちです。
これらのお年寄りがいなくなれば、今のままでは、おそらく日本の稲作は「壊滅」します。
高い農機具を買って、農協に必要資材の代金を支払って、平日は会社勤めをして、休日には農作業をして、毎年休みなく働いて、そうしたお年寄りたちは、先祖伝来の田畑を耕作してきたのです。農家の若い夫婦であれば、お父さんは休みの日にはどこにも連れて行ってくれない、といって家庭不和の原因となりかねないのです。
そうしたお百姓たちのほとんどが、自分の農地を他人へ渡譲することを渋る傾向にあることが知られています。農地の大規模経営化と農業の株式会社化はこんごの日本の農業について必要とは思いますが、それを阻害しているのが農家のそうした感情であったことも事実ですが、いっぽうで汗と涙で維持してきたお百姓たちの農地への執着も私は理解できるのです。
しかし農民たちの涙と汗の結晶である田んぼを他人に渡すことに躊躇してきたかれらも、もはや今後農作業を続けていくことは限界となるでしょう。
うちの隣のおじいさんなど、毎年のように「もうやれん、もうやめだ」と愚痴をこぼします。それでも昨年は半分くらいの田んぼを休耕にされましたが、半分くらいは稲を植えられました。ことしは、どうされるかわかりません。
わたしはそのおじいさんからお米を買っていますが、稲作の経験があるだけに、これだけのお米を作るのにそのおじいさんが老骨に鞭打って、どれほど苦労をしてお米をつくっているのかわかります。
奥さんには先立たれ、若い衆は町に出てしまってひとりぐらしのこのおじいさんにお米をもらいにいく時、農協の2斗(1俵の半分、約30キロ)の米袋を「もう持てないから、蔵から出してくれ」といわれるときにはほんとうに痛ましい気持ちになります。
では、日本人の主食である、米づくりの労働基盤が何故これほど脆弱なものとなってしまったのでしょうか。農協の責任もあるでしょうが、それは戦後のGHQによる占領政策と大きな関係があると思います。
いうまでもなく「農地解放」のことです。
GHQには、マッカーサーの目を盗んで、少なからず共産主義者が混じり込んでいました。これはアメリカ本国政府でもそうでした。「農地解放」とは大地主の土地を、小作農に分け与えることでしたが、これは世界中の共産政権がおこなったことです。
農業というのは、大規模な農場がないと収益が上げられるものではありません。「農地解放」のために日本中の農地は分散し、結果として稲作は、それ自体で生活できる産業として成り立たなくなってしまいました。
「農地解放」は共産主義者の、日本農業破壊工作であったと行っても過言ではありません。そしてそれは現在のの国家的危機にあってじわじわと現実化しているように思います。
>農業ってそんなに簡単にできませんよ。
農業を始める環境を整えるのには、おっしゃるように農地の確保、農業機械、農機具の準備など初期費用がけっこうかさみますが、そうした環境さえ出来てしまえば、稲作のような農作業は、大変ではあるけれども、難しい仕事ではないと思います。なにしろ「百姓」といわれるように誰でもできる仕事です。
いま大震災復興という大義名分があるのだから、家も、財産も、仕事も失ってしまった被災者たちにそれ相応の補償をして土地取得、住居の確保、農機具の貸与、営農指導などの公共投資をすることは不可能ではないと思います。
さらに都会に出た農家の後継者、不在地主など耕作放棄された農地の所有者たちは、震災復興支援のために喜んで所有する土地を手放すでしょう。
被災者たちはもちろん農業だけでは生活できませんから、生活保障期間中に日銭の稼げる職探しをすればいいのです。
神々は私たちに努力すれば、確実に食料を得られるこの稲作という仕事を教えてくださったのです。
被災者の皆さんには誠に申し訳ありませんが、天はいまこそ日本人は一致団結してあらゆる産業を復興させよ、と良い機会を与えてくださっているように思います。その復興させるべき産業とは、農業にほかなりません。
農作業は大変な労働ではありますが、けっして重労働ではありません。むしろ自然のなかでの実りある労働は、震災でダメージを受けた人々の心を癒すことができることでしょう。
私はお百姓さんで精神病になったり、アル中になったりする人を一人も知りません。日の出とともに起き、大地を耕し、自然とともに生きるということは日本人にとって、もっとも相応しい生き方であるからでしょう。