日本人の根源的な死後の世界観をあらわすに象徴的なものは『古事記』にあらわれる以下のような叙述であろう。
国生みの神話の主人公であるイザナギノミコトは、火の神を生んだことで病となり、亡くなった妻のイザナミノミコトを慕って黄泉国(よもつくに)に旅立つ。
そこで出会った妻イザナミのすがたは、ウジ虫に食われて変わり果てた姿であった。その姿を見たイザナギは恐れをなして、即座に逃げようとしたが、イザナミは「私を恥ずかしい目にあわせた」といって、黄泉国の醜女に夫を追っかけさせた。
古代の日本人にとって、死後の世界とはこのように不愉快で、不潔で、恐るべき存在であったのであろう。黄泉の世界とは、この神話にあらわれるように、この世の地下にあって、じめじめして、人間にとって好ましくないものであった。日本人が死を穢れと考え、忌むべきものと考えたのは『古事記』のこの記述が原点にあることはあきらかである。
死を好ましくないものと考えたのは私たちや古代の日本人は現世に執着があったからであろう。私たちはこれを当たり前と思っているが、世界的にはどうであろう。
たとえばキリスト教のような一神教では、神の教えを守り、死後天国に行くことを目標とする。天国とはひたすら快楽な世界である。イスラム教でもそうである。ユダヤ教でもそうであろう。
イスラム原理主義のテロリストたちは、おそらく嫌々ながら自爆テロを行なうのではなく、喜々としてそれをおこなっている。何故かというと、神を冒涜する連中を抹殺すれば、天国にいって何でも好き放題なことが出来ると教えられるからだ。具体的にいうとイスラームの聖典コーラン(クルアーン)には、殉教者は天国に行ってそこで「黒い瞳の72人の処女たち」と「交わる」と書いてあるそうだ。イスラム教では性交渉に関しては極めて厳格である。このコーランの教えはイスラムの若者たちにとって極めて魅力的なものであろう。
つまりこうした一神教では、死後の世界は、われわれの観念とは異なり、ひたすら好ましい世界であった。それはこうした一神教が生まれたイスラエルの地が、岩石と砂漠に象徴される不毛で過酷な環境で、しかも戦乱の絶え間ないところであったことと無関係でないであろう。
仏教もそうであろう。初期仏教教典の『スッタニパータ』には「寒さと暑さと、飢えと、渇えと、風と太陽の熱と、虻と蛇と、これらすべてのものに打ち勝って犀の角のようにただ独り歩め」(中村元『ブッダのことば』より)とある。
これがインドの自然環境である。インドでは輪廻ということが現実として考えられているが、その根底にあるのは現世への嫌悪と、来世への憧憬であろう。仏教においても後ほど大乗仏教において極楽を説く浄土思想が生まれて来たのも、このように過酷なインドの自然環境とは無関係ではないであろう。日本人についていえば、私たちは仏教を知ることにより、死後の恐怖を緩和することが出来たのである。
古代の日本人が現世を肯定し、死後の世界を必要以上に恐れたのは、その豊かな自然環境と、和の考え方による快適な人間関係と生活環境にあったことは想像するに難くないとおもう。
国生みの神話の主人公であるイザナギノミコトは、火の神を生んだことで病となり、亡くなった妻のイザナミノミコトを慕って黄泉国(よもつくに)に旅立つ。
そこで出会った妻イザナミのすがたは、ウジ虫に食われて変わり果てた姿であった。その姿を見たイザナギは恐れをなして、即座に逃げようとしたが、イザナミは「私を恥ずかしい目にあわせた」といって、黄泉国の醜女に夫を追っかけさせた。
古代の日本人にとって、死後の世界とはこのように不愉快で、不潔で、恐るべき存在であったのであろう。黄泉の世界とは、この神話にあらわれるように、この世の地下にあって、じめじめして、人間にとって好ましくないものであった。日本人が死を穢れと考え、忌むべきものと考えたのは『古事記』のこの記述が原点にあることはあきらかである。
死を好ましくないものと考えたのは私たちや古代の日本人は現世に執着があったからであろう。私たちはこれを当たり前と思っているが、世界的にはどうであろう。
たとえばキリスト教のような一神教では、神の教えを守り、死後天国に行くことを目標とする。天国とはひたすら快楽な世界である。イスラム教でもそうである。ユダヤ教でもそうであろう。
イスラム原理主義のテロリストたちは、おそらく嫌々ながら自爆テロを行なうのではなく、喜々としてそれをおこなっている。何故かというと、神を冒涜する連中を抹殺すれば、天国にいって何でも好き放題なことが出来ると教えられるからだ。具体的にいうとイスラームの聖典コーラン(クルアーン)には、殉教者は天国に行ってそこで「黒い瞳の72人の処女たち」と「交わる」と書いてあるそうだ。イスラム教では性交渉に関しては極めて厳格である。このコーランの教えはイスラムの若者たちにとって極めて魅力的なものであろう。
つまりこうした一神教では、死後の世界は、われわれの観念とは異なり、ひたすら好ましい世界であった。それはこうした一神教が生まれたイスラエルの地が、岩石と砂漠に象徴される不毛で過酷な環境で、しかも戦乱の絶え間ないところであったことと無関係でないであろう。
仏教もそうであろう。初期仏教教典の『スッタニパータ』には「寒さと暑さと、飢えと、渇えと、風と太陽の熱と、虻と蛇と、これらすべてのものに打ち勝って犀の角のようにただ独り歩め」(中村元『ブッダのことば』より)とある。
これがインドの自然環境である。インドでは輪廻ということが現実として考えられているが、その根底にあるのは現世への嫌悪と、来世への憧憬であろう。仏教においても後ほど大乗仏教において極楽を説く浄土思想が生まれて来たのも、このように過酷なインドの自然環境とは無関係ではないであろう。日本人についていえば、私たちは仏教を知ることにより、死後の恐怖を緩和することが出来たのである。
古代の日本人が現世を肯定し、死後の世界を必要以上に恐れたのは、その豊かな自然環境と、和の考え方による快適な人間関係と生活環境にあったことは想像するに難くないとおもう。