やっぱり、気楽にいこう!

つれづれなるままに

おもろない!!亀田・ランダエタ戦

2006-12-21 16:20:09 | Weblog
亀田が1ラウンドでKOされることを期待していたが・・・もしもこれが真剣勝負だったならば。

やっぱりそれはなかった。きのうの試合もやっぱり八百長だろうなー。

瞬間視聴率が38パーセントまでいったという。もしもきのうの試合で亀田が負けてしまえばもう三兄弟のコマは使えない。メディア、興行側は大損害だ。

亀田が絶対に負けてはいけない試合だったのはいうまでもない。

だがもしもランダエタに亀田がKOされていれば、どれほど胸のすくような試合だったことか。格闘技ファンならこの気持ちは分かってもらえると思う。
視聴率を稼ぐためメディアに情報操作された試合などくそくらえという感じだ。たとえばかつてのマイクタイソンのように試合が一瞬のうちに終わってしまってもファンには大満足なのだ。

八百長を証明することはできないが、試合の内容としては全然面白くない。
前回の試合であれほどのランダエタ優位の実力差があったのに、今回はそれがみられない。前回最終ラウンドでへなへなになっていた亀田が、はたしてわずか4ヶ月のトレーニングでそれほど強くなるものだろうか?
12ラウンドまで戦って、亀田のパンチが何回か決まったようだが、全然効いているようにみえないし、ランダエタの顔もほとんど変わらない。
てゆうか、あれ何オンスのグローブだろう。まるでアマチュアが使うやつくらいでかい。あんなんであのクラスのボクサーに殴られてダウンなど、プロではあり得ない。

解説がかつてタイ人のボクサーと戦って亀田と同じく「疑惑の判定」でチャンピオンになった鬼塚勝也。
和田アキ子に「君が代」を歌わせたのは、芸能界の大御所を味方につける意図か?

ベネズエラと日本の経済格差からみれば、ランダエタは一生遊んで暮らせるほどのカネを手に入れたことだろう。
一方メディア側にしてみれば、亀田というタレントを骨の髄までしゃぶり尽くさねば気がすまない。

格闘技は興行だ。八百長を否定するわけではない。だがこんなボクシングくそ面白くない。もう亀田にはだまされない。

病院と医者と薬について

2006-12-12 08:56:35 | 社会
年末調整で、保険料控除額の計算をしていると、毎年、健康保険料として膨大な金額を国に払い込んでいることが分かる。
国民年金とあわせると、2、3年でそこそこの自動車が買えるほどの金額を支払っているのにも関わらず、うちの家族は、歯医者さんは例外として、めったに病院に行かないし、国の年金制度はほとんど破綻しているものと私にはおもえるので、これらの金額はまったくドブに捨てているのと同然である。
収入の乏しい我が家でさえ、これほどの金額を払っているのだから、もっとリッチな人はどれほどのカネを国に払っているのであろう。
これら国民の支払った健康保険料が、病院と製薬会社を繁栄させ、国民に無駄な医療を押し付け、薬漬けにしているのであるとしたら、これらのカネはむしろドブにでも捨てられたほうがましであろう。

最近嫁さんの知り合いのお母さんの葬式があり、話を聞いたところ、人間ドックで悪いところが見つかったので、見た目は全然健康だったがそのまま入院し、その後難しい手術ではないという医者の説得で、それを受けたが、手術中に様態が急変して、そのまま亡くなってしまったという気の毒な話であった。
うちの親父も検査で、悪いデータが出たので、岡崎市民病院に入院したが、そのままあの世に逝ってしまった。入院するときは自分でクルマを運転して行ったのに、帰りは棺桶に入って、霊柩車で帰ってきたというシャレにならない話である。

このようなケースは世にざらにあるが、「白い巨塔」ではないが、ほんとうならば医療訴訟でも起こすべきであるが、庶民にはとうてい無理な話である。こうしたネット上でも、口コミでもそうゆう病院の実名を「曝し」て、庶民は自衛すべきだが、嫁さんはそうゆう肝心の話は聞いてこなかったらしい。

私は病院の中でも最悪なのが、精神病院であるとおもっている。

先日「うつ」について少し書いたが、うつ状態など、人として産まれたからには誰でも経験するものだ。様々なストレスがかかり続け、発散の場所がないままだと人の心は病んだ状態になる。それがうつである。それは心の風邪のようなもので、誰にとっても特別なことではない。
軽重の差こそあれ、そうゆう状態のとき、「うつの人は精神病院に行きましょう」というメディアのキャンペーンにだまされて、精神科へでもいって、薬物投与でもされれば、それこそとんでもないことになってしまう。
たとえば
『精神病院入院日記』
~ある自殺未遂者の手記~

こんなふうになってしまう。

うつ病の薬についてはhttp://uwc.s54.xrea.com/dep/drug.htmlに詳しいが、ざっとみてみるとどんな薬であれ、尋常ではない副作用が記載されているうえに、最大の難点はこれらは患者を、完全に薬物依存体質にしてしまうことである。

もともと精神的に問題のある人々は、ほぼ全てが依存体質であるといっても過言ではない。抗うつ薬でうつ病患者の状態が多少改善することは否定しないが、結局それはアルコールでまぎらわしているのと変わらず、結局アル中になる代わりにヤク中になるだけだ。
こうした薬剤はほんとうはうつ病を改善させているのではなく、麻痺させているのにすぎない。

うつ病も苦しいが、何らかの依存症になることはもっと苦しい。

苦しいが、じっと耐えていれば必ず光明はみえてくるものである。人の全ての悩み事を解決してくれるのは何よりも「時間」である。
うつのときは亀が甲羅の中に隠れるように、とにかく身をひそめ、ひたすらじっとしている以外ない。

そして少しでも動く気力が出てきたら、森や美しい海辺にいって自然を感じたり、全く違う環境、例えば海外に出かけてみたりすることだ。自然や無垢な人々とのふれあいは必ず癒しをもたらしてくれるはずだ。

間違えても絶対精神病院にいってはいけない。精神科の医者は人を廃人にするだけだ。

森林の癒し効果 メンタルヘルスについて

2006-12-08 08:09:29 | 社会
ここのところ冷え込みが厳しい。

こうゆうときは家の中に閉じこもっていないで、思いきって外に出て、山に行き、薪にする木を伐ったり、間伐や除伐をしたりして身体を動かしているとすこぶる快適である。
夏の低山は、やたらと蚊やブヨなどうっとうしい虫がいるし、チェーンソーなどエンジンの機械を動かしていると、スズメバチなどを刺激しないか心配で、快適とはいえない環境であるが、冬の山の中はなんとなく暖かくて、一日無心に身体を動かしていると実に気持ちがいい。飯も酒もうまく、寝付きも寝覚めも良くなってくる。

精神的に「うつ」な人は、坐禅や瞑想もいいとおもうが、まずはこうした自然の中での軽労働がいちばんいいのではないかとおもう。

ここのところ30代から40代の働き盛りの男性にうつ病患者が多いそうだ。

現在の景気状況は戦後でも、最も好況であるうちのひとつだそうで、1960年代後半、大阪万博が開催された前後の、いわゆる「イザナギ景気」をも凌ぐものであるらしいが、いっこうにその実感がわかないのは私だけだろうか。おもえば90年代のかのバブル景気のときも、わたしは東京で貧乏な学生生活を送っていて、世の中がそのように浮かれていることにもまったく没交渉であった。
それにしてもこれほど世間は好況であるらしいにも関わらず、子供や大人の自殺やいじめ、それから幼児虐待のニュース等が盛んに報道されるなど、世相としてはけっして明るいものではないような気がする。

「うつ」などのメンタルヘルスに関する問題もそうだ。

最近メディア等によく登場するキャンペーンで、「うつになったら精神科の受診を」というものがあるが、これはどうかなあとおもう。
個人的な意見ではあるが、精神科などにはよほどのことがない限り、つまりある人間が発狂して手の施しようもなくなってしまわない限り、いかないほうがいいとおもう。
「医者」といえば社会的経済的地位にしても、「勝ち組」(嫌な言葉だが)に属する人間が、「うつ病患者」という「負け組」(これも嫌な言葉だ)に属する人々をはたして救うことができるであろうか極めて疑問なのである。
また医者が重度のうつ病を克服したうえで、患者の診察を行なっているならまだしも、はたして精神科にどれほどそのような医者がいるだろうか。
「精神」という肉体とは異なるかたちのない対象を取り扱う精神科の、うつ病の経験とさらにその克服の経験のない医者に、はたしてうつ病克服のプロセスを患者に提示できることがはたしてできるのであろうか。

結局薬物治療ということになってしまうのである。

鈴木章議員への提言

2006-12-05 08:51:07 | 農林業
豊田市市議会議員 鈴木章様

こんにちは。精力的に活動される市議会議員としての章君に心から敬意をもちます。また先日はお忙しい中、地元の小学校の学芸会にお越しいただきありがとうございました。

さて、うちにもいくぶんかの山林がありますが、持ち山の間伐の必要性を痛感しています。ご存知のようにこうした山の間伐等の手入れはまさに今この時期にやらなければせっかく私たちの親や祖父たちが植林した杉、檜林も近い未来に壊滅してしまいます。
のみならず、山林の荒廃は自然災害や獣害など将来の日本の国土の有様に極めて大きな禍根を及ぼすものであると推測できます。

先日、たまたま読売新聞にて、とくに合板事業を主として国産間伐材の需要が回復の傾向にあるとのニュースを目にいたしました。
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/special/47/naruhodo271.htm
http://chubu.yomiuri.co.jp/news_k/fukokei/fuko061006.htm

また参考までに業界大手のセイホク株式会社の市況情報をご覧ください。
http://www.seihoku.gr.jp/topics/index.html

以上のサイトをご覧いただければ、国産間伐材は今後、大量な、そして安定した供給さえ確保されれば十分商品になるということが理解できます。

間伐の必要な山林は、市町村合併によって拡大した豊田市に限っていえばほぼ全域にわたって存在するといっても過言ではありません。杉檜材を主とする合板に加工できる木材や、紙の原料となる木材はここにほぼ無尽蔵にあるといえます。これらは放置しておけばますます山林を荒廃させることになり、間伐だけでもできればまだましですが、それでも伐られた材は山中で朽ち果てる運命にあります。
しかしこれらの間伐材は合板や紙の原料として十分利用価値のあるものです。これら大量の間伐材を企業にまとめて出荷するシステムさえ構築できるならばかならず山の問題は解決できると考えられます。

こうしたシステムの構築には行政の手助けが必要不可欠です。

そのシステムとは、豊田市の補助金制度をつかって、山主に呼びかけ、森林組合に依頼し間伐を行なう、生じた間伐材を企業の工場まで運搬する、そして企業からの収益を山主の負担分等に還元する・・

このような手順で山主、行政、そして企業との連携を構築できたならば必ず山の問題は解決するはずです。

山主の多くは稲作をも行なっている場合が多く、田んぼをやるだけですでに過大な金銭的、肉体的負担があり、必要性を感じながらも、山の手入れにまで手が及ばないのが現状です。豊田市森林組合によれば、間伐費用の自己負担率は20%ということですが、つまり山の手入れに関しては山主に少しでもこのような負担があるかぎり、かれらは今後いくら行政が呼びかけても、多くの山主はおそらく重い腰を上げないでしょう。
このままでは高齢化する山主が死亡等により、いなくなっていくのにつれて、所有山に関心を抱かず境界さえ知らない後継者や不在地主がますます増加し、山林の国家による強制徴収でもないかぎり、山の手入れなど永久に不可能となるでしょう。
山の問題はある意味時間との戦いです。手入れが遅れれば遅れるほど、状況はますます悪化します。

しかしもしもいま、もち山の手入れが無料でできるのなら、山主はそれに反対する理由などないでしょう。このシステムが完成されれば「タダだげなもんで間伐してもらおまい」と山主に勧めて廻り、市への間伐依頼書にサインしてもらうことならば私でもだれでもできる仕事です。
そしていま間伐さえしておけば、手入れされた山林は将来的に地域の貴重な財産になるでしょう。そしてこれらの杉、檜等は将来優良な木材として出荷でき、山村の経済を潤すことでしょう。

豊田市の「市100年の森構想」はようやく市当局が健全な山林が地域の福祉にきわめて有益であることを理解し始めたかをあらわす動きであると期待しています。
健全な山林をつくるという市民運動やボランティアの動きはすでに多く存在しています。しかし肝心の山林を所有する山主の意識が変わらない限り、山の問題はとうてい解決されるとはおもえません。

足助地区、そして将来的には旭、稲武、下山という山間部を地盤とするであろう鈴木章議員としては、かならず林業、そして農業の分野を専門とする議員として成長していただきたいと私は心から願ってやみません。
豪雨による土砂崩れ等の自然災害や、近年のイノシシ、猿、鹿、熊等の獣害はいままで人間がしてきたことにたいする自然の厳しいしっぺ返しにほかなりません。いうまでもなく自然災害は地域社会を時に回復不可能なまでに破壊し、獣害は農業にかかる経費と負担を増やし、農家は稲作を放棄するばかりで、休耕田は増え、自然環境をますます悪化させます。
これまでの地元のとくに山間部選出の議員や日本の国がどうしてこのような事態になるまで、私たちの環境にたいする重大な問題を放置してきてしまったのかが悔やまれてなりません。

そのためにも私のこの意見について検討していただき、貴兄のご批判をあおぎたいとおもう次第です。

以上、長くなってしまい申し訳ありませんが、今後この件に関して心のどこかに留めおいていただければ幸いにおもいます。