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やっぱり、気楽にいこう!

つれづれなるままに

琵琶CD

2005-07-27 07:47:22 | 琵琶
ネットは便利だ。

アマゾンから、注文した2枚の琵琶のCD
『邦楽全曲集7 琵琶』
『平家物語の音楽』(ともに日本コロムビアからでている)
が届いたので、さっそく聴いてみた。

うーん地味だ・・・これは少なくとも聴いていて楽しいものではない。
いろいろ調べてみると、琵琶の音楽には、筑前琵琶、薩摩琵琶、平家琵琶、楽琵琶等いろいろなジャンルがあるらしい。
これらのCDのうち『邦楽全曲集7 琵琶』には明治以降のこれらかくジャンルの稀代の名人による演奏がおさめられているとのこと。
いわゆる琵琶、べんべんべんべんのイメージというのだろうか、ぼくがまえからいだいていた琵琶音楽のイメージに最も近いのが、男性的な感じがする薩摩琵琶である。このCDには武満 徹の有名なノヴェンバーステップスの演奏に参加したという、薩摩琵琶鶴田流の鶴田錦史の演奏も収録されていて、琵琶のソロ(?)の部分は確かに派手やかながら、幽玄な印象だ。

筑前琵琶は女性奏者が多いらしく、三味線音楽の要素も取り入れられているとのことで、艶やかであるがゆえにやや俗っぽい。

気になるのが平家琵琶である。これは『平家物語』を語ることを目的としたものであるそうだが、古くは琵琶法師と呼ばれた盲人によって演奏されたそうである。ぼくの憧れていた世界だ。もっとも法師といってもかれらは剃髪するのが普通だったため、そう呼ばれていたというだけで、出家した僧ではなかったとのこと。
平家琵琶によって語られる『平家物語』を平曲というそうであるが、これがおそろしく地味だ。唄というよりお経だ。もっと正確に言えば節のついたお経、つまり仏教の声明のようだ。しかも琵琶の部分は節と節との間にぽろん、ぽろん、と控えめに演奏されるだけ。

CD『平家物語の音楽』にはこの平曲の演奏が収められている。いまこのCDの今井 勉という人の演奏による「宇治川」を聴きながらこれを書いているのだが、ぼくがいままでいだいていた琵琶にたいするイメージとは全く異なるものの、語りに独特のリズムがあり、ポピュラリズムとは対極にあるが、その楽曲の格調の高さが伝わってくるのである。
英米やブラジルの音楽、あるいはニューエイジ、とかヒーリングとか言われる音楽とはあたりまえだが全く違う、しかし言葉の内容を無視し、聞き流しているだけでもなぜか精神が鎮静していくような音楽である。「法悦」といってもいいだろうか。

いろいろ調べてみたが、今井 勉さんとは名古屋在住で、200年前に平曲を再興した荻野検校という人の当代の正当な継承者で、仙台の館山甲午の流れを汲む前田流平家琵琶以外では、平家琵琶の世界ではほとんど唯一の演奏家ということだ。非常に非常に気になる存在だ。

今井さんについての詳細はココを参照。

琵琶

2005-07-25 09:14:46 | 琵琶
石垣島から帰ってきました。

島に行くまで私はほとんど音楽を聴いていなかった。
というか音楽に感動できなくなっていた。カエターノのコンサートに行ったころからその兆候があった。いままで主に聴いてきた欧米の音楽やブラジルの音楽に何となく違和感を感じ始めたのであった。
石垣島に行って毎日のように島唄を体験し、その違和感の正体がはっきりした。
それは自分が日本人であるのに、外国の音楽を志向していることであることがわかった。それは考えてみれば奇妙なことだ。
島では人の集まるところには必ず三線があり、島人の興が乗れば島歌で唄い、踊った。
サンバは素晴らしい、がぼくには無理がある。それがわかった。なぜならぼくはブラジル人ではなく、日本人であるからだ。

で、琵琶だ。ぼくは昔から琵琶法師というものに何となく憧れていた。破れ衣に片手に琵琶をぶら下げて、全国を行脚し、門付けで乞食しながら、琵琶を奏でる。ラフカディオハーンの耳なし法一の影響もあるかもしれない。
10年くらい前、琵琶の方からぼくに近づいてきたことがあった。ある人から習ってみないかといわれ、琵琶も貸していただいたが、機縁が熟さず、いたずらに歳月を重ねた。

そうゆうわけで琵琶の方に歩いていってみようと思う。こころみにamazonで何か適当なCDを探してみよう。