やっぱり、気楽にいこう!

つれづれなるままに

この国のひとびとは・・・

2009-08-31 09:27:41 | 政治
ほんとにわかりやすい。

やすやすとメディアの戦略、扇動に乗せられて、こうも軽々と政権交代を実現させてしまうとは。

次期首相が、どこからどうみても頼りない鳩山由紀夫。その黒幕が小沢一郎。小沢のミコシの選び方はともかく八方美人で表面上は万人受けするベビーフェイスで、自分の言うことなら何でも聞いて、思い通りになる木偶の坊。まさに鳩ポッポのような人物がふさわしい。
木偶の坊といえば、そういえば昔小沢が担いだ海部元首相は今回の選挙で老醜をさらしつつ落選してしまったなあ。

次期首相となるポッポの言説を、今回民主党を選んだ人々はちゃんと見て聞いた事があるのだろうか。YouTubeとかで「鳩山由紀夫」で検索してみてみるがいい、どれほどかれが支離滅裂なことを言っているか。

たとえばこれ↓
http://www.youtube.com/watch?v=J3gKBBYxXyo
けっこう笑える
ちなみにノーカット版
http://www.youtube.com/watch?v=z4du81R12eo
http://www.youtube.com/watch?v=kvKZWolMCEo&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=4mBaRDmfs1A&feature=related

これを見て、不安になってももう時すでに遅し。おまけに小沢と鳩山この二人、いまだに不正献金疑惑が解決してない・・・

ほんとにかれらでいいのか?

それにしても小沢はさすが選挙のプロ。自分に与えられた仕事はきちんとこなす。それが今回の選挙結果に如実にあらわれている。小沢がかき集めたお坊ちゃん、お嬢ちゃんたちは、晴れて天下の国会議員。つまりどう転んでも小沢に逆らえない連中ばっか。小沢独裁政権の誕生だ!!
しかし私には小沢は極めて勝れた政局、選挙のプロフェッショナルではあっても、国家百年の大計を任せられる政治のプロとはとても思えないのだ。

さらに民主党の幹事長は全国の商店街を壊滅させ、無数の地方都市の商店街をシャッター通りと化してしまったイオングループの御曹司、岡田克也。
この人は「民主党は結党以来、一貫して日中関係を重視してきた。鳩山由紀夫代表や小沢一郎代表代行を始めとする党幹部たちは各々の政治活動において常に日中関係重視の姿勢を示してきた」また、第2次大戦中のA級戦犯が祀られている靖国神社に日本の首相が公式参拝することに中国が強く反発している問題については、「A級戦犯は先の大戦の罪人だ。首相が公式参拝すべきではない」と述べ、チベット問題やウイグル問題については「中国国内の事情だ」とし、「中国への内政干渉は行うべきではない」などとほざいているほどの筋金入りの親中派。
とうぜんのことだ。イオングループは中国から安い商品を買わなければ商売にならないのだから。

そしてこの党の代表代行は日本の無垢の子供たちから、なんと公立学校において日本人としての誇りを奪い去り、日本は悪い国だと教え込み、日の丸、君が代を悪の代名詞とする洗脳を重ねた日教組のドン、輿石東。

日本国民はほんとにこれでいいと思っているのだろうか。

それにたいして麻生政権はあまたある自民党政権の中でも立派で、一部の(親中派の)閣僚を除いては、ほとんどが汚職とは無縁の、きちんとしたポリシーを持つ政治家が大勢で、かつての自民党政権のなかでも極めて優良な部類に入るであろう政権であったのは間違いないように思うのは私だけではないとおもう。

虎視眈々と領土拡張を狙い軍事大国中国、北朝鮮における核問題。アメリカに端を発し低迷化する世界経済。この緊迫化する情勢において多くの民主党議員のような政治のアマチュアたちに日本を任せてしまって、いったい大丈夫なのか。

しかしこれが日本国民の選択なのである。その責任は政治家はもちろん、選んだ国民にその大部分が帰せられるのは言うまでもない。

この絶望に近い状況の中で俳優の津川雅彦さんは少しでも明るい見解を示してくださっている。民主党に幻滅する人は是非読んでほしい。
http://www.santanokakurega.com/

日教組の害と罪

2009-08-22 07:53:34 | 社会
 いぜん子供の通う小学校で学童保育の手伝いをしていたときに、ガーナ人のAETの先生と、教員養成系の大学を卒業したばかりのアルバイトの女の子と話す機会があった。このガーナ人の先生が「日本人は優しいし、日本ほど恵まれたいい国はない」というのにたいして、この女の子は、「でも日本人ってアジアの国の人々に嫌われてるじゃないですか」というようなことをいった。

 彼女が政治的なことに敏感であるとか、左巻きとかいうような事はまったくないのである。左巻きの人というのはなんとなく直感でわかるものなのである。逆に連中からしてみれば私のように日本の国が好きで、祖国に誇りと愛情をもっているような人間は会話しなくてもわかるらしく、小学校の先生のなかでも特に組会活動に力を入れているような人は私のような人間に初対面から警戒するような素振りを感じさせるのだ。

 その新卒の彼女にたいして、ガーナ人の先生も、私も「日本人がアジアの人々に嫌われているはずがないじゃないか」と反論したのはいうまでもない。日本人を理不尽に嫌っている外国人がいるとすれば、それは中国や韓国において反日教育を受けた子供たちだけである。くりかえしいうが「だけ」なのである。

 先日、元NHKのアナウンサーが、芸能人を相手に時事報道を解説するという番組をたまたまみていて、ある芸能人が日本とインドの関係について「なぜインドと日本の関係は良好で、インドの人々はこれほどの親日感情をもっているのですか」という質問をしたのにたいして、この元NHKのアナウンサーはもっとも大切な事を言わないまま、番組は終了してしまった。
 それはチャンドラ・ボースのようなインド独立の闘士は旧日本軍がインドを占領支配していた英国を追い払ってくれることに多大な期待をかけ来日したり、それにたいして戦前の心ある日本人や日本軍人たちは心から協力し、インド独立を心から望んでいた事を多くのインド人たちは今もそれを知っているからである。そして実際インドまでは到達しなかったが、旧日本軍が東南アジア一帯の西欧列強の支配を駆逐し、こうした国々の独立に多大な寄与をした事を彼らは知っているからである。
 こういう大事な事をテレビは教えない。日教組の先生たちはいわずもがなである。

 そして驚くべき事に自国の国民にたいしても反日教育を行なっている団体が日本教職員組合、すなわち日教組なのである。日本人は外国人に尊敬されている、と思うほうが幸せで気分がいいし、国家のためにも、個人の精神的発育のためにも良い事はいうまでもない。しかし日教組は日本人は外国人に嫌われていると子供たちに教える。ほかにこのような自虐的な教育をおこなっている国があるとすれば教えてほしい。その悲しい犠牲者がこの新卒の彼女のような人間なのであろう。

 民主党では、日教組を支持母体とする輿石東氏が同党の代表代行をつとめている。幹事長の岡田克也氏も民主党政権は中国の少数民族弾圧を黙認すると明言している。

 日本人としての誇り、すなわち大和魂が日本人から抜け落ちていく事をもっとも喜ぶのは、いまだに領土拡張を虎視眈々と狙う中国のような国であろう。民主党政権が実現すれば日本の教育界ではいままで以上に熾烈な反日教育がおこなわれるであろうことは想像に難くない。

アメリカ追従からぬけだします

2009-08-21 16:51:38 | 政治
これは日本共産党の衆院選用ポスターのキャッチフレーズである。

「安保条約なくし、基地のない平和な日本を」とも書いてある。

 昨今着々と軍備を増強し、台湾、尖閣諸島を狙う中国、核武装を堂々と表明する北朝鮮などの専制国家と真正面に対峙するという緊迫した国際情勢の中にあるこの国において、なんとノー天気なことかと呆れてしまう。これでは中共さんにどうぞ日本を侵略してください、といっているようなものだ。

 左巻きの連中はそんなことは絶対ありえない、あるはずがないと主張するにちがいない。しかしこの国のわずか64年前には、核兵器が2発も投下されるという世界史上ありえない事態が起きてしまったのである。憲法九条さえ護持していれば、平和は保たれるなどというのは妄言のうちでも最下等の妄言にほかならない。

 もともと共産党は恐れ多くも天皇を追放し、共産主義による革命国家を樹立しようとする政党である。ある意味わかりやすい。

 ところが民主党内にもこのような考え方をもっている輩が少なからず存在する。すなわち日教組を筆頭として、解放同盟、自治労、韓国民団などを票田とする極左思想をもつ議員たちのことである。これらの団体はことごとくが共産党シンパ、そして親中共、親北朝鮮である事は言うまでもない。次回の衆院選ではマスメディアの理不尽で無分別な麻生内閣こき下ろしによって、おそらく民主党政権が誕生するであろう。これに社民が結びつけば近年稀に見るほどの左にぶれた政権が誕生するであろう。

 メディアの各種世論調査を見聞するに、私は選挙を前にしてこれほど不安な、憂鬱な気分になったことは未だかつてない。恐らく、マスメディアの目論みは成功し、民主党政権は樹立されるであろう。衆議院も参議院も民主党が圧倒的優位をもつことになる。これはあたかも中共の傀儡政権のように思えてしまうのは私だけであろうか。

『大東亜戦争はアメリカが悪い』『原爆正当化のアメリカと「従軍慰安婦」謝罪の日本』などの著書のあるえんだんじさんは

「NHKの政党支持に関する世論調査を度々見ていますが、支持政党なしの無党派層が大体全体の3割から4割を占めています。無党派層というのは、私に言わせれば政治的バカの集まりなのだ。投票権を持つ日本国民の3割から4割は政治的バカの集まり、投票を棄権するのも多いのもこの層の特徴であり、マスコミにいいように騙されるのもこの層の特徴であり、選挙時の状勢次第で保守なったり左翼になったりするのもこの層の特徴です。まさにバカの集まりです。バカの集まりと言っても何から何までバカではありません。何から何までバカの大人が日本人大人の3割から4割占めていたら日本はここまで発展していません。」

とおっしゃておられる。まことに至言であるとおもう。えんだんじさんはブログで民主党の恐ろしさについて、わかりやすく説明しておられる。選挙前にはぜったいに読んでいただきたい。

「民主党の恐ろしさ」えんだんじの歴史街道と時事海外評論
http://endanji.blog60.fc2.com/blog-entry-59.html

まだどの政党に投票するか悩んでおられるかたがいるとしたらわたしは声を大にして言いたい。

「日本が好きな人、日本を愛している人は絶対に民主党に投票してはいけない。」

「過ちは繰返しませぬから」の違和感

2009-08-06 20:45:28 | 社会
いまから64年前の今日、米軍による広島への原爆投下によって命を落とされた皆さんに心から哀悼の意を捧げます。そしていまもなお原爆症に苦しんでおられるみなさん、心からお見舞い申し上げます。

ところで広島の平和記念公園の原爆慰霊碑には「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」と刻んである。

日本語の会話では、「私は」「私たちは」を主語として話すとき、普通これらの一人称としての主語は省略される事が少なくない。他人との対話において「過ちはくりかえしません」と発言した場合、類推されるこの言葉の主語は発言者、すなわち「私は過ちをくりかえしません」ということであると日本人はあたりまえに理解するであろう。

では公共施設である広島の平和記念公園のような場所に、「過ちは繰返しませぬから」という文章があるとすれば普通の日本人はこの言葉の主語をどのように類推するであろうか。少なくとも「アメリカ軍は過ちは繰り返しませぬから」と類推する人は皆無であろう。

このような公共の場所にある碑文の文章をみて、多くの日本人は「私たちは」過ちを繰り返しません、というように類推してしまうのではないだろうか。原爆を落としたのは疑いなく米軍であるのに、何か核兵器によって民間人を大量殺戮した事が、私たち日本人の責任に帰せられてしまうかのような印象を、この碑文がこれを見る人々に与えてしまうということは十分あり得る事だといえる。

このような疑問は昭和27年にこの碑が建立された当時からあったようで、当時の浜井信三市長は「原爆慰霊碑分の『過ち』とは戦争という人類の破滅と文明の破壊を意味している」と市会で答弁している。

その辺りの経緯は以下のサイトに詳しい。
http://homepage.mac.com/misaon1/hamayuu/hibunronso.html

特筆すべきは東京裁判の判事として日本無罪論をとなえた、ラダ・ビノード・パル氏がこの碑文に疑問表明し、
「『過ちは繰返しませぬから』とあるのは日本人を指しているのは明らかだ。それがどんな過ちであるのか私は疑う。ここにまつってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落としたのは日本人でないことは明瞭。落としたものの手はまだ清められていない。この過ちとは、もしも前の戦争を指しているのなら、それも日本の責任ではない。その戦争の種は西洋諸国が東洋侵略のために起こしたものであることも明瞭である。・・・」

それにたいしてこの碑文の決定に関わった広島大学の雑賀忠義広大教授がパル判事に「広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである。『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰返さぬことは不可能になり、霊前でものをいう資格はない。」という内容の抗議文を送った。

パル判事は、いうまでもなく東京裁判の判事として日本のために唯一良心的弁護をしてくださった日本人の恩人とでもいうべきかたである。日本人の利益のために(パル判事はことさら恩着せがましく日本人のために裁判に参加したのではなく、それよりも法のもとにおける平等を理念としておられたそうであるが)裁判を戦ってくださった方に、あまりにも無礼な内容の抗議であり、この抗議にはパル判事としてもずいぶん困惑された事と思うが、この当時から日本の学会はこの左翼学者のような反日的日本人が跋扈跳梁していた事が類推できるのである。

この左翼学者や左翼勢力は、この碑文において「私たち日本人は過ちを繰り返しません」ということを表現したかったのに違いないのである。しかしそのように主語を明確にしてしまえば、いかに姑息な連中であろうとも周囲から非難されるのはわかりきっていたのである。

「『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。」という槯賀教授の考え方はとはなんということなのか。「原爆投下は広島市民の過ちである」、という事になってしまわないか。このような槯賀教授の言葉にこそ、広島市民は怒りをあらわにすべきではないか。「原爆投下は広島市民の過ちではない事」は明々白々な事実であることはいうまでもない。

この教授のいう「世界史民」などという概念は、世界中の民族や国家の伝統文化をすべて否定、抹殺してしまって、共産主義による革命一色に染め上げてしまおうというコミンテルンの活動理念そのものにほかならない。戦後の日本の学会はこのような恐怖の思想に支配されていたのである。
ではこの当時いわゆる世界市民の指導者であった、ソ連や中共では何が行なわれていたか。すなわちスターリンや毛沢東による少数民族国家への侵略、国内の政敵や反対勢力ににたいする粛清という殺戮の嵐が吹き荒れていたことをこの教授は認識していたのだろうか。もしもそのような事を知らずに、ノー天気に「世界史民」などというものを理想視していたのだとすれば、学者として恥ずべき事ではないであろうか。

現代の桎梏=団塊の世代

2009-08-05 07:35:30 | 社会
 あのNHKの台湾にかんする偏向番組をつくったのもおそらくは「戦後レジームそのもの」である団塊の世代が中心となった事は疑いない。

 団塊の世代の定義としては、
最も広い定義としては、1946年から1954年までに生まれた世代である。この背景は:(1)第二次大戦後の復興期に生まれた事、(2)親が第二次大戦を経験した世代である事、(3)戦後教育の強い影響下にある事、(4)学生運動との関連、(5)高度経済成長期に「金の卵」と呼ばれた事など;多くの分野で共通する体験と、そこから生じた価値観を持つとされる。
(ウィキペディアより)

 このなかでも「戦後教育の強い影響下にある事」がもっともネックとなる点ではないだろうか。

 いうまでもなく戦争直後の学校教育は駐留米軍のもっとも強い統制を受けたはずである。旧来の日本の伝統文化はことごとく否定され、旧日本軍の行動は全て悪とされ、アメリカの占領軍は解放軍として日本国民に位置づけられた。
 米軍の、日本の主要都市にたいする爆撃機による無差別攻撃、広島・長崎への核爆弾の投下、沖縄侵攻後の地上戦における殲滅行為など、戦闘行為においてほんらい民間人を対象にする事などあってはならないことであったのにもかかわらず、これら米軍のきわめてあきらかで深刻な戦争犯罪行為さえ旧日本軍の責任にしてしまうほどの、苛烈な教育を無垢な子供たち(=団塊の世代)にたいして行なったことは想像に難くない。

 また団塊の世代周辺の人々の多くは「わたしは無宗教だから」という言葉を自慢げに口にする。つまりこうした人々は目に見えないものは信じないというわけである。そう言うことが何かインテリのように勘違いしているようにもみえる。しかし伝統的に日本人はカミ、ホトケ、先祖、など目に見えないものに敬意を払って生活してきたはずである。私の知る限り世界中で、宗教というか、目に見えない大切なものを否定する思想は共産主義だけである。

 このように戦前から日本に存在して政府から弾圧をうけた(それが大日本帝国政府の極めて正しい選択であった事はいうまでない)日本国内の社会主義者やアナキストと、占領軍のなかに紛れ込んでいた共産主義者とが結束して当時の日本国民をまるごとオルグしたのは疑いのない事実なのである。

 一例として、GHQにおいてマッカーサーの側近として重用されたE.ハーバート・ノーマンという民政官は筋金入りの共産主義者であったことは周知である。かれの晩年には米国におけるマッカーシズムの赤狩りにより、自殺に追い込まれているほどである。ソ連のスパイであったという説もあるそうだ。
 ノーマンはハーバード大学のライシャワー教授のもとで日本学を研究した学者でもあったので、かれのようなGHQの有力者らは、一橋大学学長をつとめた都留重人氏らを筆頭として日本国内の共産党シンパの研究者、学者たちを続々と日本の学会に復帰させていったのである。そのために日本の有名大学において、ぞくぞくと左翼学者、左翼学生が量産されていったのである。(いうまでもなくこのことが、あの噴飯ものの学生運動につながっていく)
 とうぜん大学に残って教職員になれるのも、このような共産党シンパの教授に好まれる、同傾向の思想をもった学生に限定されるというわけであり、そうした戦後の大学の左巻きの教授たちの弟子、そして孫弟子の教授に教えられた学生たちが、小中高の教師となって全国に散らばり、日教組を組織し、日本全体の学校教育を今日においても蝕んでいるわけである。

 昭和39年生まれの私も当然、このような教師たちによる昔の日本は悪かったという自虐的な教育を受けてきた。私の父と母も小学校の教師であったので、当然私はそのような風潮の中で育った。家のなかには「教え子を再び戦場におくるな」などと書いてある鉛筆が転がっていたりしたが、いったいこれはなんなんだ、と思ったが、これは日教組のスローガンであった。いまおもえば祖国を守るために、教え子を泣く泣く戦場にもいかせねばならないこともあるはずだ。ソマリア沖の海賊から、日本の船舶の安全を守るため派遣されている自衛隊の皆さんがまさしくそのような立場であるはずだ。

 ともかくまかりまちがっていれば私もそのような環境の中、共産主義とまではいかないが、左巻きの考え方になっていたかもしれないが、それを救ってくれたのが明治生まれの祖父の存在であった。

 祖父は大東亜戦争の召集を受け、シナ戦線に一兵卒の衛生兵として参戦し、後半生は貧乏寺の住職として一生を送った極めて平凡な庶民であり、ことさら私にたいして何を教えるということもない無口な人であったが、「天皇陛下が日本で一番偉い」ということだけを私に教え、昭和天皇がテレビに登場されるとかならず居ずまいをただして正座し、大東亜戦争の事を取り扱った番組がはじまると普段は感情を表す事のない人であったが、男泣きに泣いた。それは無言の愛国心の教育となった。

 このことからも明らかなように、天皇とは日本人にとってものすごい存在である。古くは南朝の義士、そして明治の元勲たち、日清日露、大東亜戦争を戦い抜いた先人たち。そして敗戦後の経済発展。私たちの愛国心の根元は天皇の存在を抜きにしては決して考えられないであろう。つまり国体=天皇ということだ。現代に生きる私たちにとって大東亜戦争末期、日本の軍人さん、兵隊さんが特攻という非常手段をもちいてまで守ろうとしたものがおのずと理解されるはずである。

自民党の本質

2009-08-04 05:25:27 | 政治
 村山政権においては、その後阪神大震災、地下鉄サリン事件といった大惨事が相次ぎ、この首相と社会党を含む連立政権の危機管理意識のなさとも関連して事件の被害を無意味に拡大した。そして最後っ屁として、「村山談話」なる国辱的な声明を発表して多大なる禍根を今日の日本国と日本国民にたいして残していったのであった。
 また当時オウム真理教という怪しげな宗教団体が国政選挙に登場し、ワイドショーなどのメディアに盛んにとりあげられ、話題となったが、まさかこのような深刻なテロリズムを巻き起こす悪辣な団体であるとは日本人の多くが気がついていなかった。そういえば次回の衆院選でも、幸福実現党などという怪しげな政党が選挙活動をしていることも「なんとなく既視感」たるゆえんである。
 ちょうどこのころ、この党の母体である大川隆法という人物が主宰する「幸福の科学」という宗教団体がオウム真理教と覇を競ったことをどれほどの人々がおぼえているであろうか。

 この村山富市という人、当時の朝日新聞によると「古武士の品格をもった」と絶賛されていたように記憶するが、いまおもえばさすが朝日という感じの表現だ。

 ところでこのころから自民党においてメキメキと頭角を現してきたのが、自民という保守政党にありながら、極左ともおもえる思想をもつ地方議員からたたきあげた野中広務という人物であった。
 ところがよくよく観察してみれば自民党においてこのタイプの手合いは特に珍しい存在ではないようにも思う。というのも一見自民党は保守政党に見えるのであるが、実は多くの自民党議員は理念で自民党に存在するのではなく、利権や選挙目的で烏合集散しているのにほかならないからだ。だからそれらの目的においてうまみがなくなれば、いとも容易に反党活動に余念がないのである。最近では中川なにがし議員(いうまでもなく悪いほうの中川である)などその格好の一例であるといえるのではないだろうか。

 だから細川、羽田政権のあと、困窮した自民党と社会党が手を結ぶなどということも十分「あり」というわけである。
 ようするに自民党と社会党が二大政党として存在した、55年体制などというものはこれらの政党の妥協となれ合いの産物であって、金丸氏や社会党書記長であった田辺誠氏らが仲良く北朝鮮を訪問して、大歓迎を受けた事などに如実にあらわれるように、いまではいわゆる55年体制の裏側では自民党と社会党ががっちりと手を結んでいたことが次第に明らかになったのであった。

 私に関していえば、今の社民党や共産党もそうであるが、連中の掲げる護憲、反戦、平和、人権、反日、反日の丸君が代、反靖国などという考え方は蛇蝎のごとく嫌うべき考え方であって、少なくとも党是として自主憲法の制定をうたう自民党員が、こうした連中と手を結ぶなどという事はとうてい容認できないことなのであるが、歴史的にはそれが「あり」とされてきたのは疑いない事実であったのである。

 ところで自民党を支持することの欲得ずくのうまみなどというものも最近の経済状況の悪化に従って、縮小に拍車がかかっており、土建業会を中心として自民を支持することの利益がなくなるのに平行して、自民党の集票力も急激な下降線をたどっている状況である。つまり自民を支持する側の業界も理念によってそうしていたわけではなく、欲得で自民の応援をしていたわけである。つまりどっちもどっちというわけであったのだ。善くも悪くも国民総体の意識の投影が、現今の政治家に顕著にあらわれるというわけである。

 であるがゆえに安倍さん、麻生さん、(良いほうの中川である)中川昭一さんなどのように、私から見て真に国益のための理念をもつ政治家は全く希少な存在であって、そうした人たちによる内閣は、利権追求形の議員が少数派であるがゆえに、ぜひとも応援したいと思うのであるが、どうゆうわけかこうした議員の人々はマスメディアに攻撃されて失脚してしまう傾向にある。

 それは政財界、マスメディア業界を主として、いわゆる団塊の世代と呼ばれる人々が現代社会の指導者層を形成している事と無関係ではないと思えるのである。それは私から見て立派だと思える議員は安倍さんの言葉を借りていえば「戦後レジームからの脱却」を目指しているからにほかならない。いわば団塊の世代の人々は「戦後レジームそのもの」の人々である。もっと手厳しくいうならば団塊の世代の人々は、日本の国益にとって癌であり、桎梏といっても過言ではない。

なんとなく既視感

2009-08-03 07:39:17 | 政治
 久しぶりに書く。

 今朝はようやく空が明るく、お天道様は顔をのぞかせてくれそうだ。しかし天気予報を見るとこの晴天も2、3日で終わりそうで、その後は曇りマーク。この天気がこのまま続けば間違いなく稲は正常に育たず、凶作は免れようがないであろう。
 なんか昔にもこんなことがあったような、と思って調べてみたら、やはりあの細川政権が生まれ、自民党が下野したのは平成5年で、この年も稲が大凶作でタイからインディカ米を輸入するなどいわゆる平成コメ騒動の年であった。タイ米は日本人の口に合わず、まずいなどという評判で、大量に売れ残るなど、罰当たりだなあと思ったものである。世界的な穀物危機が指摘される昨今、日本人の主食がもしも凶作にでもなれば、はたしていまこれを調達できるであろうか。

 熊本のお殿様の家系の細川護煕氏と、現民主党の党首である鳩山氏のキャラクターも妙にシンクロするものがあるし、その黒幕に小沢一郎というある意味では政界の巨人が存在するのもいまと全く同じ。
 当時小沢は自民のドン竹下金丸コンビの寵愛を受け、宇野、海部、宮澤と3代にわたってキングメーカーとして歴代首相の擁立にかかわるなど、飛ぶ鳥を落とす勢いであったのが、そのゴリ押しの手法に、党内の反主流派の総スカンをくらい、結果権力闘争に破れ、離党して細川氏を担いで日本新党を立ち上げたのであったのだなあ。
 当時、不偏不党であるはずのテレビ放送の人気キャスターであった久米宏が自分のニュース番組でさかんに日本新党を持ち上げていたのを思い出す。
 NHKも含め他局や新聞社も当時メディアがさかんに日本新党を持ち上げたのも、現在もおなじく民主党をもちあげ、麻生政権をこきおろすのも全く同じ性質。おそらくメディアのキャンペーンで民主党政権は誕生するのであろう。マスメディアの戦略にやすやすとのっていっせいに右から左に流れてしまうのは日本人の反省すべき特性である。

 そうして鳴り物入りで誕生した細川政権も、深夜突如発表した「国民福祉税」という事実上の消費税率値上げ政策を、翌日徹底的に攻撃され、佐川急便からのヤミ献金疑惑もあり、細川氏はあっさり政権放棄、やはりお殿様だなあと国民を呆れさせたものであった。持ち上げるだけ持ち上げておいて、政権をとったとたんこき下ろすのは日本のマスメディアの得意技である。それにしてもこれほどメディアに理不尽にこき下ろされても政権を維持した麻生さんはほんとうに立派だと思う。

 結局つぎに小沢が擁立をはかった羽田内閣も短命におわり、政権復帰に躍起になった自民党が社会党と組むという禁じ手を使ってまでも成立させたのが村山内閣であった。

 これが国益という点においてまったくもって酷かったのは周知の通りである。