やっぱり、気楽にいこう!

つれづれなるままに

伝わってきます。AreiRaise

2008-07-13 06:39:25 | 音楽
 英霊来世AreiRaiseというラップグループです。かれらの主張を「若者の危険な右傾化」と感じるなら間違いなく、自虐派勢力の謀略にはまっています。それよりももっと危険なのは、中共や北朝鮮というような専制覇権国家を隣国に、丸腰であることが望ましいというような憲法九条をそのままにしておくことだとおもいます。


九段/英霊来世AreiRaise
http://jp.youtube.com/watch?v=41-GsLtzat4&feature=related

AreiRaise - fortitude ( 英霊来世 - 矜持 with English Subtitles )
http://jp.youtube.com/watch?v=KT8gixrVn0M&NR=1

ついでにTBSNEWS23のひどい話

捏造TBS NEWS23-改憲ラップ-本人達が裏側暴露3-1
http://jp.youtube.com/watch?v=gEfed5dJSNg
捏造TBS NEWS23-改憲ラップ-本人達が裏側暴露3-2
http://jp.youtube.com/watch?v=1OsZujNyp5I&feature=related
捏造TBS NEWS23-改憲ラップ-本人達が裏側暴露3-3
http://jp.youtube.com/watch?v=9Jk_vJ4wXuo&feature=related


ソウルミュージックが狂気の世界に・・・

2007-11-20 17:07:49 | 音楽
アート・リンゼイのAmbitious Lovers。

http://www.youtube.com/watch?v=17aTVDLchoI

アート・リンゼイはニューヨークで生まれ、ブラジルで育った天才前衛ギタリスト。かれの使用する12弦ギターはチューニングをしないことで有名だ。もっともあの演奏ではチューニングなど必要なさそうだが・・・それにもかかわらずかれのギターが魅力的なのはやっぱり才能なのだろう。
このバンドの前にかれが参加していたラウンジリザーズは、極めてジャズ色の強いバンドであったが、あいかわらずかれのギターはこんな調子でチューニング不要で、ノイジーかつアグレッシブ(ハチャメチャ)だったが、しかしいちばん一生懸命聴いてしまったのがかれのソロパートであった。

Ambitious Loversは曲的には普通のソウル、ポップミュージックなのだが、かれがやるとどことなく狂気めいてくる。このバンドにはリンゼイがブラジル出身らしく、ブラジルのパーカッション奏者(たぶん)も演奏している。けっこういいキャラだ。

その後、アートリンゼイの曲作りは、ボサノバっぽい曲調に変わっていく。
日本では坂本龍一との共演や、ダウンタウンのGEISHA GIRLSに曲を提供したり、ナイナイの番組に出演したりお茶目なところもある。
いまではブラジルのMPBミュージシャン、カエターノ・ヴェローゾやマリーザ・モンチなどのプロデュースも行ない、素晴らしいブラジル音楽の発信者でもある。

むかし見にいったなー・・・

2007-11-09 09:39:45 | 音楽
新生キングクリムゾン。Elephant Talk
http://www.youtube.com/watch?v=0GTRk_okUk4

新生といっても30年も前の話だが・・・厚生年金会館だったかなー
いまだにエイドリアン・ブリューのギターは痺れるなあー。パオーンとか象の鳴き声みたいなやつとか、こんな弾き方する人はなかったから、はまったなー。
トニー・レビンの弾いているのはチャップマンスティックという楽器。当時いったいどうやって音を出すのか全然分からんかったが、12弦くらいあって、両手バラバラにタッピングして音を出すらしい。構造としてはギターよりもピアノに近い?
右側で椅子に坐り、沈着冷静にシークエンサーみたいにギターを演奏しているのがロバート・フリップ。プログレの御大がこんな斬新な音楽をやるのだなー、と当時思ったがもともと斬新を追い求めるのがプログレなんだなー。もっともかれはプログレあつかいされる事を嫌っているそうだが。ミュージシャンというより大学教授みたいな感じだった。
ドラムはイエスから加入したビル・ブラッフォード。すごいメンバーだ。

もっともわたしはキングクリムゾンにどっぷりはまったわけではなく、この時期のクリムゾンしか知らないが、今見ても超斬新ではないでしょうか?

衝撃、ジョンライドンはいま!!

2007-02-16 09:12:13 | 音楽
先日、偶然みつけた、現在お笑い芸人となってしまったという、元セックスピストルズ、そしてパブリックイメージリミテッド(PIL)にてカリスマロックアーティストであった、ジョン・ライドンの今を報告するウェブサイトがあまりに衝撃的であったので、詳細に読んでみた。
ジョン・ライドン最新情報
 
このサイトによるとジョン・ライドンは 、2004年の2月にイギリスのITV系のデジタルチャンネルで、オーストラリアのジャングルから生中継されているB級セレブ・サバイバル番組「I’m A Celebrity Get Me Out Of Here」に出演し、「歌う。踊る。尻を出す。駝鳥につつかれる。怒る。暴れる。放屁する。鼻糞をほじくる。人間ケーキになる。ジョニー・ロットンことジョン・ライドンが、番組開始前には誰も予想していなかったほどの活躍を見せた10日間だった。今回の番組出演で、ジョン・ライドンは英国中に天性のお笑い芸人としての才能を見せつけた」という。


またWikipediaによるジョン・ライドンのプロフィールによると、その後彼は「英ディスカバリーchにて「john lydon's megabugs」なる昆虫をテーマにしたシリーズ物にメインパーソナリティーとして出演。 その他、白いチンパンジーやホオジロザメの特集番組にもそれぞれ出演し、特に「俺はガキの頃{ジョーズ}って映画を見て以来、ずっとサメの生態に興味を持っていた。」らしく、スイムスーツに着替えて水中ケージの中で対面する事に嬉々とし、更に番組中ホオジロザメに対する人々の認識の誤解を説く擁護派の一面を見せる。 英国及びその隣国の現代史をテーマにした番組にも出演し、英国を偉大なものにしたのは何か?というテーマに対し、「俺だろ」とわざとシニカルに振舞うあたりは以前のままに、音楽以外の仕事ばかりが目に付くがタイム誌に於ける第二次世界大戦後「60年来の偉大な人物」の一人に選ばれたりと、本国での再評価はかなりのモノに。 ただし本人のスタンスは相変わらずでその時期にやりたい事しかしないムラッ気で人々を惑わせ続けている。」

というジョン・ライドンの近況には、お笑い芸人になっても、パンク時代の彼と全然変わってないじゃないかと妙に安心、納得させられるものがある。
「パンク」なるものは、世の常識や規律を無視し、世間の顰蹙を浴びながらも、若者を熱狂させるものである。もしも業界関係者に頭を下げまくって、世に出ようとしているバンドなり、ロックミュージシャンが自らの音楽をパンクと称するなら、それは真っ赤な嘘である。

むかしアメリカ人のロック好きな青年と話をしたときに、私が「I like John Lydon !」と言ったら、露骨に怪訝な顔をされたことがある。かれは非常にまじめで、常識的なアメリカ人だったが、彼の好きなアーティストはピンクフロイドやキングクリムゾンといったような、極めて真っ当なロックアーティストたちだったので、東洋人である私が、あきらかにゲテもの趣味である、ジョン・ライドンの名前をだしたことに、眉をひそめざるを得なかったのかもしれない。ピストルズのジョン・ライドンはあきらかにゲテものであった。

しかし私としては、PIL時代の彼が好きだと言ったつもりなのである。様々なネット上の音楽レヴューを見てもらえばわかるように、初期のPILは非常に高い芸術的評価を受けている。PILの全盛期のころ、ジョン・ライドンはオルターナティブミュージック(懐かしい!!)の分野におけるカリスマだったのだ。
PILが、1980年代前半頃、名古屋に来たときにも見に行ったことがある。そのころのPILはベースのジャー・ウォブル、ギターのキース・レヴィンが抜けてしばらくたったころだったろうか、「ロックは死んだ」といったジョン・ライドンがこのライブでノリのいいロックをやったことにがっかりして帰ってきた。つまりこのコンサートのPILは初期のPILのテイストとは全く違っていたのである。
客席の前の方では、パンクファッションの兄ちゃんや姉ちゃんが喜んで踊り狂っているのを尻目に、ライブ半ばで私は席を立ってしまった。当時の私は古くさいパンクロックもパンクファッションも嫌悪していたからだ。ジョンがパンクのカリスマであったのにもかかわらず・・・

要するに当時私はジョン・ライドンに幻滅させられた。いまはジョンはお笑い芸人になって、かつてのファンを幻滅させ続けている。やっぱりかれは真のパンクなのかも・・・

ポリス再結成、これはみたい!!

2007-02-14 08:17:58 | 音楽
私と同世代のロックファンとしては、ビートルズでもなく、ストーンズでもなく、ポリスである。「ニューウェイブ」という言葉を聞いて、思わず胸の中が熱くなるような人なら、この心情を共有できると思う。
トリオという最小のバンド構成にも関わらず、レゲエやファンクの要素を取り入れた極めて高度で、洗練された演奏。スティングの哀愁を帯びたボーカルとメロディは、後にニューヨークの一流ミュージシャンとともに独特の音楽を展開する、ポリス以後の彼の姿勢を彷彿とさせるものであった。
「ポリス」というだけで、条件反射にあのアンディー・サマーズのギターのカッティングとスティングの歌が頭に響いてくる。

ポリスが再結成されるという。ポリスは不滅である。トリオであるということがポリスのポリスたるゆえんである。アンディとステュアート・コープランド、そしてもちろんスティングが存在する限り、ポリスの再結成は可能である。
http://www.cnn.co.jp/showbiz/CNN200701310030.html

ロックのスーパーのうえにスーパーがつくグループの再結成について、たとえばビートルズはジョン・レノンが存在しないので再結成はあり得ない。また近年再結成された、クイーンについてもフレディー・マーキュリーのいないクイーンなど、クイーンではない。クイーンがクイーンであるのは、フレディーのボーカルとブライアン・メイのギターである。この二人がいるからクイーンなのである。どちらか一人欠けたらそれはクイーンではない。

パンクロックの王者、セックスピストルズについてもそうで、ジョニー・ロットン(=ジョン・ライドン)とシド・ヴィシャスの二人がセックスピストルズなのである。ヘロイン中毒でシドが死んだ以後のピストルズはあり得ない。(いうまでもないがジョン・ライドンのPILはありうる)
ましてや10年くらい前にピストルズの再結成があったが、最悪のものでデブのおっさんたちの極めてへたくそな演奏にすぎなかったようである。(もともとのピストルズの演奏もうまいものではないが、パンクとは勢いのものであるから、あれでよかったのだ。)
あれからぷっつりジョン・ライドンの噂を聞かないが、いま何をやっているのだろう。場末のバーかなんかで飲んだくれているのだとしたら、彼にふさわしいかも・・。
そうおもってググってみたら、なんと彼はイギリスで「お笑い芸人」として活躍しているという!!!これは衝撃スクープだ!!
http://www.geocities.jp/mikako0607jp/7th.html
はたしてこれが本当にあのジョン・ライドンか?こんなの↑をみて、「ロックは死んだ」と語ったジョンが、PILの『パリ・ライブ』で、聴衆にむかって「Shut up! ( 黙れ!)」と挑発するのにしびれたぼくたちはどうすればいいんだ?
逆にピストルズの再結成→お笑い芸人というジョンの道筋には妙に整合性があるという気もする。彼もきっとお金のために悩んでいるのだろう。

それはともかくとして、ポリス再結成。わくわくするなあ。もちろん日本にも来るだろう。ライブ盤はぜひだしてほしいなあ。今のスティングが主導する限り、ハズレはあり得ないはずだ。
中学とか高校の頃にむさぼるように聴いたアーティストの話題には思わず熱くなってしまうなあ。

PS.
トラックバックにYouTubeのポリス映像いただきました。最後の方に名曲Roxanne出てきます。やっぱ、若いころのStingすげーかっちょいい!!
http://ayaka2525.blog92.fc2.com/blog-entry-19.html


サンバ・パゴージ考

2006-10-26 09:30:09 | 音楽
Brunoくんにパゴージについてコメントをもらったので、ちょっとサンバやパゴージについておもうことを書いてみようとおもう。

パゴージは楽しい。仲間と食事や酒を楽しみながら、誰かがカバキーニョやギターをもってくれば、あるいはこうした弦楽器がなくても、パンデイロ、タンタン、タンボリンなどブラジルのパーカッションを適当に打ち鳴らしながら、みんなが歌い踊り、愉快な宴会となる。Brunoくんが下の記事のコメントで引いてくれたYouTubeの映像がそれだ。
ところが私たち日本人にとっては、言葉がわからない、知っている曲がない、そして連中はあの調子のテンションを延々と持続させ、ついには夜が開けるまで歌い、踊り狂うので、Brunoくんのように、かれらのテンションと同調できる一部の特殊な日本人以外は、とてもついていけるものではない。
これは歯がゆいし、悔しい。パゴージに歌ったり踊ったりして参加できたら、どれほど楽しいかとおもうけれど、ポルトガル語の知らない曲ばかりなので、パーカッションを叩くくらいしかできないし、とうていかれらのように一晩中このテンションを維持する体力も気力もない。

サンバというのは、ブラジル音楽のあくまで大枠であって、その中にパゴージや、ボサノバや、エスコーラジサンバや、MPB等が包含されていると私は理解しているが、日本人とサンバとの関わりについていえば、たとえば浅草サンバカーニバルというものが毎年行なわれる。
これについて私はかつてある東海サンバ界の(そんなものがあるかないか知らないが)重鎮ともいえる人に「浅草サンバカーニバルってださいですよねえ」という失礼な発言をしてしまったことがある。もちろんかれは毎年エスコーラジサンバのグループを率いて名古屋からそれに参加しているのであるが、そんなことにも気がつかないで・・・ほんとに無礼な失言であったと後悔している。

が、しかし基本的に今もその思いは変わっていない。「浅草」というのがいけないのか? だったら「渋谷サンバカーニバル」ならいいのか?
そうゆう問題でもないような気もするが、日本人のたぶん普段は地味ーなOLとかしているブラジルファンのおねえさんが、鳥の羽やキラキラのド派手な衣装で、浅草の純日本風の街中を踊り狂うありさまが、どうみても珍妙にみえるのは私だけだろうか?
バックに流れるのは本格的なエスコーラジサンバのバテリアの演奏であるが、ビジュアルはまるでかつての日劇ミュージックホールである。

つまりふつうの日本人とこうした熱狂的なサンバやパゴージはどうしても相容れないような気がするのである。かつてブラジル人の集まる店で、スルド(ブラジルの大太鼓)奏者の友人を待っていたところ、日系人のグループがいて、演歌とか、カラオケで歌いながら、まったりとした雰囲気であった店内は、パゴージのグループが到着するや否や、雰囲気は一転、店には勢いのいいブラジルのにいちゃん、ねえちゃんが次々とやってきて、もうめちゃくちゃの大騒ぎをし始めたので、そうそうに退散したことがある。Brunoくんならこうゆうのはたぶん大好きだろう。

最近は一般的な日本人が馴染めるブラジル音楽は、普通の若いブラジル人が聞かない、古典的サンバか、せいぜいボサノバとかMPBくらいまでではないかとおもっている。

ひさしぶりに三線片手にかじやに行ってきた

2006-10-25 09:34:51 | 音楽
ひさしぶりに三線片手にかじやに行ってきた。

一通りの出演者が終わり、たまたま来ていた米良ちゃん(個性派ママさんシンガー)がぼくがもっていった三線を弾けというので、ぽろんぽろんやっていると、沖縄の民謡を知ってみえる方が何人かいて合唱になった。こうゆうのは非常にいい感じだ。

世界人類の共通の娯楽は、飲んで、歌って、踊る、ことである。(イスラム圏には「飲んで」はないが・・)逆にいえば飲んで、歌って、踊る楽しみのない国家なり、コミュニティはたとえば北朝鮮のような非常に抑圧された社会であるといえる。

カラオケのいけないところは多くの場合、歌っている人だけが楽しくて、他の人は盛り上がっているフリをしながら、本音は順番を待っていることである。盛り上がっているフリをするのは自分の順番が回ってきたときほったらかしにされたくないからである。
かじやさんの24の日もそうゆうきらいがあって、歌手を目指す人、あるいはかつて歌手を目指した人が人前で歌うことを楽しんだり、慣れたりするには非常にいいところだが、みんながみんな他人が歌うのを楽しんでいるわけではないとおもう。他の人はそうでないかもしれないが、少なくともぼくはそうだ。

音楽にしても、絵画にしても人を感動させる何かをもっている人間は極めて稀な存在だ。歌を歌って人を感動させる、これはある一握りの天才のよくするところである。
余談だが、私に関していえば、かつて歌で人を感動させたことはたった一度だけある。
それは学生のころ、新聞屋のバイト先のおっさんに連れて行かれた、相模原の場末のしがないスナックで、岡林信康の『三谷ブルース』をカラオケで歌ったところ、目の前でわたしの歌を聞いていたサラリーマンのおっちゃんがおいおい泣き出してしまったのだ。
当時私はこれを、自分の歌がうまいと勘違いして、それいらい三谷ブルースを何度となく歌ったが、あのおっちゃんのように人を感動させることなど一度もなかった。当然である、私にはそうゆう才能はないからだ。あのおっちゃんは自分の体験か何か知らないが、三谷ブルースのなにかに感じて泣いたのであり、私の歌で泣いたのではなかったのだ。

音楽を楽しむに、ひとつは一握りの有能なアーティストの演奏を聴くことである。ポピュラー音楽であれば、そのアーティストの演奏に合わせて歌ったり、踊ったりしてもいい。
もうひとつはみんなで楽しむことである。つまりブラジルのパゴージや沖縄のカチャーシーがまさしくそれだ。
その場にギターか、カバキーニョか、三線でも、太鼓でも何でもいいが、そこそこできる人が一人いれば(かれに人を感動させる特別な才能はいらない)、その演奏に合わせてめいめいが合唱したり、その場にある皿やら、机やらをパーカッションにして打ち鳴らしたりしながら、飲めや歌えや、踊れの大騒ぎをすることである。
これが古にいう「ハレ」である。日常生活という「ケ」から解放されて、日頃の鬱憤を吐き出すことであり、小さな祭りである。人間はこうした「ハレ」なくしては生きていけない。それは飲んで、歌って、踊る文化が世界中のあらゆる民族に共通に存在していることが証明しているのである。

カラオケはこうゆう文化を駆逐してしまったのではないか。
私はブラジル音楽好きが高じて、ブラジル人のコミュニティに加わり、パゴージを体験し、かれらがみんなでポルトガル語で歌うのをとてもうらやましいとおもっていた。しかしブラジル人のコミュニティでさえ、カラオケがパゴージを駆逐しつつあることを感じる。
沖縄ではまだまだカチャーシーが生きている。本土の人間は琉球音楽の旋律の、日本人の琴線を揺さぶることや、そうゆう日本人が失ってしまった「ハレ」の文化をもふくめて最近沖縄指向みたいなものが本土で強まっているような気がする。

明川のお祭り

2006-10-10 08:44:13 | 音楽
ブログほったらかしにしてすいません。

明川のお祭りの模様をK's Bandのコーちゃんがリポートしてくださったので見てくださいね。

 http://blogs.yahoo.co.jp/minikk0523/21359366.html

ちなみにこれがぼくの最近の恋人の三線ちゃんだー!!ANA機内販売のカタログで見つけ、家に帰ってきてから思い切って購入。カリン材の重厚なもので大正解。ちなみにANAマイレージ2倍の特典付き!

コーちゃんの記事のとおり、お祭りでやった三線を使った沖縄の曲「安里屋ユンタ」と「涙そうそう」の2曲はことのほか年寄り衆の反応がよかったような気がする。

日本人としての血のなせるわざか?

つまり日本人はもともとこの辺りに暮らしていた縄文系の人々とその後朝鮮半島からやってきた弥生系の人々との混血から成り立っていることがいわれるが、比較的弥生人との混血が行なわれなかった大和朝廷からみた辺地である、北海道や沖縄の人々、とくに沖縄のリズムや音階が大和人にとっても琴線に触れる、つまりDNAを揺さぶるものであることが、実際に証明されたような気がする。(おおげさか?)

とにかくいま沖縄にはまってしまって、気がつくと頭の中で三線が鳴っていたり、エメラルドの海の上をクルーザーで疾走している映像が浮かんだり、(バックミュージックはりぃみぃの『海の彼方』)
島の大衆食堂でぼけっとしたくなったりしてしまったりしていけない。
いっぱんてきに南の島の住人はあまりはたらかないといわれるが、ほんとうは人間など生きるために最低限必要な、家と、食べ物と、お金があれば十分なのだ。

ああ!南の島で半年くらい暮らしたい!!