「カラマツの下の花畑」・・・・♪

軽井沢での子供時代に作った落葉松の下の花畑ーー心は今も~!「草花」「99歳の軽井沢物語」「葛西スケッチブック」ほか。  

小梨の花

2005-04-27 | いとしき草花たち

YASUKOさんのホームページで、ズミの花を見ました。
昔は、軽井沢の山野には山ほど(!)あったバラ科の落葉高木で、
私たちは、コナシ(小梨)と呼んでいました。
つぼみのときは濃いピンクで、咲くと、真っ白い花が樹冠を覆いつくします。
<90歳・Umeさんの軽井沢物語>にも、”千ヶ滝桜”ともいわれる小梨の木を、
切り倒し、開墾していく場面があります。
ごくごく小さなサクランボウのように生る、甘酸っぱい実は、秋になり、霜にあうと、いっそう甘味を増します。
欠食児童の山の子たちは、こぞって木に登り、小鳥たちの上前をはねたものです。(本来は、小鳥たちの食べ物なのでしょう。大きさから見ても。
そんな恩恵を受けたにもかかわらず、この小梨は、子どもたちに、
「たいした木じゃない」と、疎まれていました。
どこにでもあったし、木に登って実を採るときに、枝にいっぱい付いている細い棘のような小枝(?)が手を傷めるので、邪魔で実が採りにくいという理由から。
(あっぱれ、バラ科の面目躍如!)
しかし、勝手ですねえ。周りにたくさんあるうちは、邪険に扱い、
開発で、自然が失われてはじめて、その存在の尊さに気づく。
『残念!』
小梨が、その白い花で軽井沢の山野を飾る頃、ぜひ、会いに行きたい。

☆ *ズミ――樹皮を、黄色染料につかったことから → 染(そ)み →ズミ 
の名に。姫カイドウ、小リンゴの別名も。

●山口県の女性医師の方の、とっても素敵なホームページ。
 エッセイ、山野草のデジカメ写真ほか。  
 (信州の花 その3 に、ズミの花が出ています。)
       

 

2004年10月3日 (日) ありがとう     
        **********

病院食では不足している、生野菜や果物が欲しいと聞いていた。

同じ部屋の方にも配るので、ミカンのほうが扱い易いし、・・・と思ったが、
目先の変った、無花果をもっていった。
食欲のなかった母も、進んで食べ、お部屋の方にもよろこばれた。

部屋にいなかった人のサイドテーブルに無花果をのせて置いたら、
それを見たクダンの看護婦、
「まあ、いまさら女性ホルモンなんか補充して、どうすんのよ」
と高らかに言い置いて出ていった。

        
ベッド周りで,母にいろいろやっているとき、隣のベッドのNさんと一緒に、ほかの看護婦さんがきて、椅子を置いていった。
「Nさんが椅子を持っていこうとしていたので」と、持ってきてくれたのだ。。
私も先ほど椅子を持ちにいったが、あいにくなかったので、
あきらめていたのだった。

自身が歩くのも歩行器を頼って廊下を歩いているNさんなのに、私のために椅子を探しに行ってくれたなんて・・・。そのお心遣いがありがたく、申しわけなくて、
「ありがとうございます」
と、心から頭をさげてお礼を言った。
2004年9月2日 (木) 浅間山の噴火                    
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子どもの頃に、噴火を体験。
小、中学校の窓ガラスは、ほとんど割れました

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浅間山の噴火、私の子どもの頃にもありましたよ。
ちょうど夜で、つきあげるような地鳴りとともに。裾野のほうは山火事になって、夜目にも赤々といつまでも燃えていて(遠くなのに近い)、恐ろしかったのをおぼえています。
ちいさな火山弾はとんでくるし、灰は積もるしで、農業のかたは被害甚大でした。今度も、 嬬恋村のキャベツや軽井沢側のレタス農家、降灰地域の農家は大変でしょう。


以前区内めぐりの折に、江戸川区にある善養寺という寺で、影向(ようごう)の松を見たとき、碑を発見。それは、天明三年の浅間山大噴火で江戸川に流れ着いた死者たちへの供養塔でした。

天明の浅間山の噴火では、溶岩にのみこまれた村落(近くの、「鬼押し出し」はそのときできた)、また、山津波がおこり、多くの村落や人家が押し流され、その死者たちは、はるか彼方の江戸川の中洲にまで流れ着いたという。地元下小岩の人々が、寺内の無縁墓地に手厚く葬り、のちに供養塔を建てたというものでした。
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/kztk-takada144/town/town.htm

私が遭ったのは、この前の、21年前の噴火にあらず。(もし、そうだったら、まだ、前途洋々だ!?)もう少し前です。いや、もうちょっと・・・。
ふだん噴煙が、上がっていると、まあ、地元の人たちは安心しています。適当にガス抜きされているから。噴煙も上げず、あまり長い沈黙がつづくと、心配なのです。そんな目安もあったような・・・
麓の造成地などの断層を見ると、浅間山の噴火の歴史は一目瞭然。表土の黒土の下は、軽石、黒土、軽石~~と、重なり、きわめて軽石の層が厚い。水はけは、抜群というわけです。

               *
「浅間は、なんてったって、中軽井沢の湯川の橋の上から眺めた姿が、一番」
(長倉神社近く)と、周りの友人たちは言います。
が、この間見た信濃追分駅のホームからの眺めもすばらしかった。スケートセンターからのもGoodで、おすすめです。

第3セクター・信濃鉄道を御代田、小諸方面へ、また佐久へと回るにつれ、山の形は、大きく横広に変わっていきます。
それぞれの土地の人々は、「ここから見る浅間が一番」と、みな言っていることでしょう。
               *

片岡球子展で見た浅間山は、華やかでパワーがあり、画家のコメントが実によくて心に残りました。うろ覚えなので、きちんと調べようと思っています。
梅原龍三郎、小山敬三の浅間山も、機会があったら、ぜひ見てください。

                   

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