![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/e2/2ba02cec54db7369e1f45578550fb6bd.jpg)
画像は長崎県の南西沖合にある、
もと炭鉱の島<高島>に残る、旧堤防跡です。
高島炭鉱は、隣の端島炭鉱-通称軍艦島-の親会社的な炭鉱で、
軍艦島より古く、そして軍艦島より後まで操業していました。
高島炭鉱の資料をみると、
ちょうどこの堤防がある付近が、
大正年間の埋め立ての境界線になっているので、
この堤防はその時に造られたものでしょうか。
昭和に入って堤防の海側は、
既にぼた山の用途をメインに埋め立てられているので、
この堤防はかなり長い間、陸地に残されているのだと思います。
それにしても大小のパイプが設置された跡などがあって、
変わった形をしていますね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/11/14954cd5f7dad6253a7a72308abc394d.jpg)
かつて炭鉱のメイン施設があった跡地は、
現在では殆ど更地になり、
唯一発電所があったあたりに、
風力発電の風車が回っているだけですが、
晴れた日にはとても気持ちのいい空間です。
操業時の高島炭鉱や現在の高島の様子をお知りになりたい方は、
こちらのblog『光と風の記憶 -高島・端島-』がお勧めです。
この堤防跡は覚えています。蛎瀬や二子事業所内は社宅などもあったので、子供でも自由に往来していました。その時は堤防跡とは考えませんでしたが、登ったりして遊んだ記憶もあります。
ちょうど、堤防跡が事業所内を囲って、守るような感じでしたか。
こちらこそいつも高島の新旧写真をありがとうございます。
少しでも多くの人に『光と風の記憶-高島・端島-』を観てもらいたくて、
ささやかながらリンクさせて頂いてます。
ところでこれは堤防跡ではないんでしょうか?
以前高島町の役場の方に島内を案内して頂いた際に、
旧堤防跡とお伺いしたので、
てっきり堤防跡だと思っていましたが、
思えば下の画像、なんでここで切れてるんでしょうね。
ちょっと不思議です。
小学生低学年の頃は、ボタ山も小さく、ガスの浜や西浜近辺も低地で、台風や大雨で潟のようになっている時がありました。まだ、堤防も役に立っていたのではないか、と思います。壊す必要も無かったのでしょう。堤防が切れているのは其処で役目が終わったか、出入りするためでしょうか?
さむさんの書き方というより、
私の読み方が間違っていました。
仕事の合間に焦って読んだのがまずかったですね。(汗
ガスの浜や西浜は低地で~
と書かれてありますが、
百間崎の堤防跡よりかなり低いのは、
閉山後ボタでならしたために、
土地が以前より高くなっているせいでしょうか。
台風や大雨のときは潟にようになっていたのですね。
今からは想像がつかないです。
そういえば百間崎の堤防跡も、
さむさんのblogの写真のところで切れていましたね。
いろいろ聞かせて頂いて、ありがとうございました。
百間崎は身長より高く、
二子は身長より低かったと思います。
ところで『光と風の記憶』でも時々アップされているガスの浜ですが、
これは二子のぼた山の海岸線のことでしょうか?
なんで、ガスの浜と言うのかは分かりませんが、ボタ山が自然発火する事があったらしいので、そう言うのかもしれないと聞きました。
http://goheita.blog6.fc2.com/category1-5.html#entry34
http://goheita.blog6.fc2.com/blog-entry-79.html
『光と風の記憶』にアップされているガスの浜の記事は拝見させて頂いておりましたが、
いまひとつ範囲がわからずお尋ねさせて頂きました。
ボタ山が自然発火してガスが発生するというのは、
炭鉱ならではの光景ですね。
実際にどんな感じなのか見てみたかったと思います。