最近はSNSにかまけていたので、3年ぶりの投稿。
軍艦島の近況をお伝えします。
現存する国内初の鉄筋コンクリート造のアパートとそて知られる、
1916(大正5)年築の30号棟の崩壊が進行しています。
ここ数年の度々の台風接近によって、
目に見える状態で崩壊していく30号棟。
特に台風の影響を受けやすい南西面が進行しています。
こちらが見学コースからも見ることのできる南面。
建物中央部分の2スパンの床スラブが全て崩落し、
大梁も特に上階を中心に折れまくり。
屋根スラブも、もはや屋根の役割を果たせなくなっています。
こちらは西側面。
大梁は下部が残っているものの、
屋上スラブの崩壊は南面よりも酷く、
小梁に囲まれた部分が全部抜け落ちてしまいました。
しかしこれらの崩壊によって、
余分な負荷ががかからなくなったので、
残存部分は以前より安定した状態になっているとも言えます。
最上階の7階も、特に崩落していない床スラブは、
それほど危険性を感じません。
まもなく築105年を迎える建物。
今日まで残っているのが奇跡ともいえますが、
ひとえに現代とは比べものにならない、
鉄筋の量と数のおかげなのだと思います。
崩壊の進むもう1棟が端島小中学校です。
昨年の基礎部分の修復で安定したものの、
1961(昭和36)年に鉄骨造で増設された最上階はほぼ崩落してしまいました。
3年生の教室に理科室と家庭科室があった7階。
閉山した時に産廃業者の工場になっていたら、
とっくに壊されていたかももしれません。
しかしせっかく残ったのだから、
そろそろ崩壊を止める方法を考える時期になっているのかもしれませんね。
軍艦島の近況をお伝えします。
現存する国内初の鉄筋コンクリート造のアパートとそて知られる、
1916(大正5)年築の30号棟の崩壊が進行しています。
ここ数年の度々の台風接近によって、
目に見える状態で崩壊していく30号棟。
特に台風の影響を受けやすい南西面が進行しています。
こちらが見学コースからも見ることのできる南面。
建物中央部分の2スパンの床スラブが全て崩落し、
大梁も特に上階を中心に折れまくり。
屋根スラブも、もはや屋根の役割を果たせなくなっています。
こちらは西側面。
大梁は下部が残っているものの、
屋上スラブの崩壊は南面よりも酷く、
小梁に囲まれた部分が全部抜け落ちてしまいました。
しかしこれらの崩壊によって、
余分な負荷ががかからなくなったので、
残存部分は以前より安定した状態になっているとも言えます。
最上階の7階も、特に崩落していない床スラブは、
それほど危険性を感じません。
まもなく築105年を迎える建物。
今日まで残っているのが奇跡ともいえますが、
ひとえに現代とは比べものにならない、
鉄筋の量と数のおかげなのだと思います。
崩壊の進むもう1棟が端島小中学校です。
昨年の基礎部分の修復で安定したものの、
1961(昭和36)年に鉄骨造で増設された最上階はほぼ崩落してしまいました。
3年生の教室に理科室と家庭科室があった7階。
閉山した時に産廃業者の工場になっていたら、
とっくに壊されていたかももしれません。
しかしせっかく残ったのだから、
そろそろ崩壊を止める方法を考える時期になっているのかもしれませんね。
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