第二の軍艦島といわれる、
軍艦島と同じ長崎市にある炭鉱跡<池島>の全貌をまとめた、
『池島全景 離島の《異空間》』(三才ブックス)の発売記念として、
書籍に収録できなかった池島を、シリーズでお送りしたいと思います。
ボタの運搬軌道跡。
![池島炭鉱/ボタ運搬軌道跡](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/bd/bc8597734b63430e34eac29bf06a8854.jpg?random=ec3f3bfec5a1c8ab6b1f4fb983480e19)
画像は、池島のほぼ中央、
外海行政センター池島事務所のすぐ横の県道に、
小さな架道橋があります。
右手奥に写る排気立坑ともに、
池島の中ではフォトジェニックな場所の1つですが、
この架道橋は、ボタを運搬していた軌道の架道橋です。
「ボタ」とは「硬」とも書き、
採掘した石炭の中に混入する岩石等の不要物のこと。
池島炭鉱の場合、
地上に運び出された石炭からすぐにボタを取り除き、
このボタ運搬軌道で、ボタの埋め戻し区域へ運ばれていました。
![池島炭鉱/ボタ運搬軌道跡](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/74/fc90f04cef4b8231290d6df8a0e00298.png?random=ae7d0cf65c3351945668b296eaa52bd3)
オレンジ色の点線がボタの運搬軌道。
右端が地上に運び出された石炭からボタを分別して、
ボタ用のトロッコに搭載するスタート地点。
そこから中央会館や学校の裏手を通って、
左端の第二埋め戻し区域まで運ばれ、
海側へ放出されていました。
![池島炭鉱/ボタ運搬軌道跡](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/33/663a8558d7c4f966d4d98dcb3fdc3662.jpg?random=7f5477a0b87801b68bde92ad15dc0887)
画像は、島内唯一の宿泊施設「池島中央会館」の裏手から、
郷地区の共同墓地へ通じる細道の架道橋。
金網の奥が、ボタ運搬軌道の跡です。
![池島炭鉱/ボタ運搬軌道跡](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/49/cfe35387b9ab51311f75ede9aae80960.jpg?random=20b72d20c61ecd1c4ccacc8231a56e2d)
軌道跡は画像のように、
ベルトコンベアのゴムを切り刻んだもので覆われています。
軌道を守るためとのことですが、
これがなかなかに重く、ちょっとやそっとでは剥がせません。
しかし、ということは軌道は綺麗に残っているということなので、
整備して、足踏みトロッコで走れるようにしたら愉しいと思います。
![池島炭鉱/ボタ運搬軌道跡](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/71/8732ff8e530f8fd1ffb6092667f8d89d.jpg?random=b60b77570a91d7f54a5e6dfd0335ec07)
植物の繁殖が激しく、先へ行くのは断念しましたが、
海上から見ると、軌道跡と思われる場所がはっきりとわかるので、
まだ全行程、残っているのだと思います。
矢印の一番右端の位置が、外海側へボタを放出していた場所。
ただし単線なので、
一度に何組も行くことができないのがネックかも知れませんね。
■
“第二の軍艦島”といわれる、九州最後の炭鉱のあった池島の全貌を、
12年以上の取材と400枚超の写真で紹介する国内初の池島本。
『池島全景 離島の《異空間》』絶賛発売中!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/17/b5f2dfd4486dd97da93e77f1cc1c63dc.jpg?random=97e4bafc49f0dbeb7aee7a8195a969ff)
軍艦島と同じ長崎市にある炭鉱跡<池島>の全貌をまとめた、
『池島全景 離島の《異空間》』(三才ブックス)の発売記念として、
書籍に収録できなかった池島を、シリーズでお送りしたいと思います。
ボタの運搬軌道跡。
![池島炭鉱/ボタ運搬軌道跡](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/bd/bc8597734b63430e34eac29bf06a8854.jpg?random=ec3f3bfec5a1c8ab6b1f4fb983480e19)
画像は、池島のほぼ中央、
外海行政センター池島事務所のすぐ横の県道に、
小さな架道橋があります。
右手奥に写る排気立坑ともに、
池島の中ではフォトジェニックな場所の1つですが、
この架道橋は、ボタを運搬していた軌道の架道橋です。
「ボタ」とは「硬」とも書き、
採掘した石炭の中に混入する岩石等の不要物のこと。
池島炭鉱の場合、
地上に運び出された石炭からすぐにボタを取り除き、
このボタ運搬軌道で、ボタの埋め戻し区域へ運ばれていました。
![池島炭鉱/ボタ運搬軌道跡](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/74/fc90f04cef4b8231290d6df8a0e00298.png?random=ae7d0cf65c3351945668b296eaa52bd3)
オレンジ色の点線がボタの運搬軌道。
右端が地上に運び出された石炭からボタを分別して、
ボタ用のトロッコに搭載するスタート地点。
そこから中央会館や学校の裏手を通って、
左端の第二埋め戻し区域まで運ばれ、
海側へ放出されていました。
![池島炭鉱/ボタ運搬軌道跡](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/33/663a8558d7c4f966d4d98dcb3fdc3662.jpg?random=7f5477a0b87801b68bde92ad15dc0887)
画像は、島内唯一の宿泊施設「池島中央会館」の裏手から、
郷地区の共同墓地へ通じる細道の架道橋。
金網の奥が、ボタ運搬軌道の跡です。
![池島炭鉱/ボタ運搬軌道跡](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/49/cfe35387b9ab51311f75ede9aae80960.jpg?random=20b72d20c61ecd1c4ccacc8231a56e2d)
軌道跡は画像のように、
ベルトコンベアのゴムを切り刻んだもので覆われています。
軌道を守るためとのことですが、
これがなかなかに重く、ちょっとやそっとでは剥がせません。
しかし、ということは軌道は綺麗に残っているということなので、
整備して、足踏みトロッコで走れるようにしたら愉しいと思います。
![池島炭鉱/ボタ運搬軌道跡](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/71/8732ff8e530f8fd1ffb6092667f8d89d.jpg?random=b60b77570a91d7f54a5e6dfd0335ec07)
植物の繁殖が激しく、先へ行くのは断念しましたが、
海上から見ると、軌道跡と思われる場所がはっきりとわかるので、
まだ全行程、残っているのだと思います。
矢印の一番右端の位置が、外海側へボタを放出していた場所。
ただし単線なので、
一度に何組も行くことができないのがネックかも知れませんね。
■
“第二の軍艦島”といわれる、九州最後の炭鉱のあった池島の全貌を、
12年以上の取材と400枚超の写真で紹介する国内初の池島本。
『池島全景 離島の《異空間》』絶賛発売中!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/17/b5f2dfd4486dd97da93e77f1cc1c63dc.jpg?random=97e4bafc49f0dbeb7aee7a8195a969ff)
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