黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

足尾銅山 #09 選鉱場1

2012-11-12 02:59:23 | 産業遺産
8月の頭にブログでご案内した、
足尾銅山の写真家、橋本康夫氏の追悼写真展に、
会期の最後となる9月末に訪た時の足尾銅山のリポート。

駆け足で見て来た足尾銅山。
最後に取り上げる場所は、選鉱場と呼ばれる、
掘り出した鉱石を選り分ける施設。
選り分けると一言で言っても、その行程は複雑を極め、
資源の採掘産業が、ただ掘り出せばいい、
という問題ではないことがよくわかる。
選鉱場は足尾のシリーズを始めた頃の記事で触れた通洞にある。
かつては小滝、そして本山にもそれぞれ選鉱場があったが、
大正9年(1920)に小滝が、その翌年には本山がそれぞれ閉鎖され、
選鉱は通洞の施設に一本化された。

足尾銅山・選鉱場外観
足尾銅山・選鉱場外観

選鉱場の立屋外観。
炭鉱や鉱山に共通して言えることだが、
鉱石や石炭を選別する施設は、
頑丈な鉄筋コンクリート等ではなく、
以外にもトタン壁で作られていることが多い。
また選別の施設は、主に傾斜した土地を生かし、
上から下へと落としながら行なわれるものが多く、
ここ足尾の選鉱場もその造りを採用している。
画像に写るのは選鉱場の中間部付近。
橋本氏の写真展の撤収作業があるので、
今回はこの中間部しか見ることはできなかったが、
機会があれば選鉱の全行程を見てみたいものだ。





足尾銅山・選鉱場外観
足尾銅山・選鉱場外観

見上げると、上部の選別施設が遥か高くまで作られている。
採掘された鉱石はコンベアなどでこの最上部に運ばれ、
まず大雑把に破砕される。





足尾銅山・選鉱場
足尾銅山・選鉱場

大雑把に破砕された鉱石は、
スクリーンと呼ばれる施設を通過する。





足尾銅山・選鉱場
足尾銅山・選鉱場

一つ前の画像の上部に写る施設。
左下に写るのがスクリーン。
この穴の大きさより大きい鉱石を右へ、
小さい鉱石を下へ落とすことによって、
いわばアナログな寄り分けが行なわれる。





足尾銅山・選鉱場
足尾銅山・選鉱場

スクリーンを通過した鉱石は、
粗鉱ビンと呼ばれる施設に貯蔵される。





足尾銅山・選鉱場
足尾銅山・選鉱場

またスクリーンより大きかった鉱石は、
コーン・クラッッシャーと呼ばれる破砕機で、
適切なサイズに破砕される。





足尾銅山・選鉱場
足尾銅山・選鉱場

これも上記同様鉱石を破砕する、ジャイレトリー・クラッシャー。
この装置はほぼ身長大だが、
上記のコーン・クラッシャーは、身長の2倍以上はある、
とても巨大な施設だ。





足尾銅山・選鉱場
足尾銅山・選鉱場

選鉱場の内部は複雑な迷路状態と化している。
画像の様に、屋外に面した施設の床面には、
人糞サイズの糞がおおく散見出来るが、
おそらく猿のものだろう。
操業を終えた鉄のジャングルは、
今では猿の憩いの場なのかもしれない。





足尾銅山・選鉱場
足尾銅山・選鉱場

大きさの揃った鉱石は、再び貯蔵され、次の行程へと進む。
破砕が行なわれた最終段階の場所には、大きな貯蔵庫があり、
その下にずらっと並ぶ吐き出し口は壮観。





足尾銅山・選鉱場
足尾銅山・選鉱場

均一なサイズに整えられた鉱石は、
重液選鉱と呼ばれる選別行程へと進む。
この選別方法は、
昭和23年(1948)に足尾銅山が国内で最初に採用した方法で、
比重の大きな液体に鉱石を投入し、
浮いた石は棄て、沈んだ石(黄銅鉱)だけを回収するシステム。
このシステムの導入に寄って、
女工による手で選り分ける手選の作業が廃止されたという。

これまで見て来た施設は全て、
一番上の画像の道を挟んで右側のものだが、
この画像は道の左側にあたる。
選別の順番から考えると、
このスペースに重液選鉱の施設があったと考えられるが、
現在では施設はなくがらんとしているので、
その詳細は今後継続して調べて行きたい。





足尾銅山・選鉱場外観
足尾銅山・選鉱場外観

斜面の下を見下ろすと、
施設の屋根が階段状に作られているのがよくわかる。
次回は選鉱場の後半の行程を見て行く。

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